26.焦燥
第三小隊の主な任務は、前線における魔獣の討伐と排除だ。
哨戒線の維持や巡回は後方寄りの仕事で、本来は第三小隊が担う領分ではない。それを、リュシアは着任から十日ほどで理解した。
理解したうえで、何も言えなかった。
巡回に同行し、哨戒線の地形を覚え、報告書の書式を叩き込まれる。ラウル・ヴァイス曹長がリュシアに課す仕事は、堅実で、安全で、必要なものだった。新任の少尉が現場を知るための過程として、何もおかしくはない。
おかしくはない、はずだった。
第三小隊では、任務ごとにアデル・ベネット中尉が編成を組む。哨戒なら三人、巡回なら五人、討伐なら八人。その日の状況と任務の規模に応じて、メンバーは都度変わった。リュシアが指揮を任される場合は、ラウルが必ずついた。小隊付きの補佐だが、リュシアの任務には常にセットで組まれている。
指揮系統上、割り振られた兵に指示を出すのはリュシアの役割であり、リュシアは求められた通りにそれをこなしていた。
巡回中、監視地点の配置を指示する。手順通り、教範通り。間違ってはいない。
兵がリュシアの指示を聞く。頷く。——そして、ちらりとラウルを見る。
ラウルが小さく頷く。兵が動く。
最初は気のせいだと思った。二度目で、偶然だと思おうとした。三度、四度と続いて、偶然ではないと認めざるを得なかった。
リュシアの指示は正しい。ラウルもそれを否定しない。兵たちも反抗しているわけではない。ただ——動く前に、ラウルの確認を挟む。リュシアの言葉だけでは、足が動かない。
悪意ではなかった。たぶん、兵たちにとっては自然なことだった。経験のない十七歳の少尉より、十年以上の実績があるヴァイス曹長の判断を信頼する。当たり前のことだ。
当たり前のことが、リュシアの胸に小さな棘のように刺さり続けた。
巡回中、魔力読みを展開したことがある。
哨戒線の東側、茂みの奥に微かな反応を拾った。小型の魔獣。一体。距離はおよそ四百。動きは鈍く、こちらに向かってはいない。
リュシアはラウルに報告した。ラウルは頷いて、斥候の報告を待った。数分後、前方の斥候から手信号が上がった。同じ方角、同じ対象。小型一体、脅威なし。
斥候の報告がアデルに上がり、アデルが判断を下す。巡回続行。リュシアの魔力読みは、その過程のどこにも組み込まれなかった。
リュシアの方が先に捉えていた。距離も、個体の状態も、より正確に把握していた。だが、それを伝える回路がない。魔力読みの情報を、既存の指揮系統にどう載せればいいのかがわからなかった。
報告しても、斥候の報告で事足りる。リュシアの情報は、確認にはなっても、判断を変えるものにはならなかった。
十五日目の朝、前線から連絡が入った。哨戒線の南東で魔獣の群れが確認されたという。中型が三体。
アデルはすぐに動いた。
「クレイ少尉、出るぞ」
ロウソン・クレイ少尉が無言で立ち上がり、装備を確認する。アデルはリュシアの方を一瞥した。
「フォルティス少尉は、ヴァイス曹長と巡回を続行。予定通りだ」
「——了解です」
アデルとロウソンが出て行く。二人の背中が、小隊の集合地点から前線の方角へ消えていく。残されたのはリュシアと、ラウルと、小隊の一般兵たちだった。
巡回を続行する。予定通り。
予定通りの仕事をしながら、リュシアは考えていた。
——私がいるから、だ。
第三小隊に危険な任務が回ってこないのは、新任の魔法騎士の運用を慎重に進めているからだ。実戦経験のない十七歳の少尉を前線に出すわけにはいかない。それは正しい判断だ。正しい判断の結果、アデルとロウソンが二人で出て行き、小隊は本来の仕事をしていない。
リュシアがいなければ、第三小隊はいつも通り前線に出ている。
自分がいないほうが、小隊は正常に回る。
その事実が、静かに喉の奥に詰まった。
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二十日目。同じことが起きた。
前線から報告。アデルとロウソンが出る。リュシアとラウルは巡回を続行。
アデルとロウソンが戻ってきたのは、四時間後だった。ロウソンの外套に返り血がついていた。アデルは報告書を書き始め、ロウソンは装備の手入れに取りかかった。二人とも、リュシアには何も言わない。労いも、報告も、説明もない。当然だ。リュシアはその任務に参加していないのだから。
その日の夕刻、リュシアは訓練場にいた。
日課にしている自主練だった。魔力の制御訓練、展開速度の調整、魔力読みの精度向上。訓練所で叩き込まれた基礎を、毎日繰り返している。
魔力を編み、圧縮し、展開する。精度は日に日に上がっていた。反応速度も、訓練所にいた頃より確実に良くなっている。体が戦場の空気に馴染んできたのかもしれない。魔力の通りが違う。
けれど、それだけだった。
精度が上がったところで、使う場面がない。反応速度が上がったところで、反応すべき対象がない。研いだ刃を鞘に収めたまま、毎日鞘の手入れだけをしているような感覚だった。
訓練を終え、汗を拭う。手のひらにはまだ魔力の残滓が微かに熱を持っている。この手で、今日も何もしなかった。
装備を整理していると、ラウルが隣に腰を下ろした。自分の装備の手入れをしているだけで、リュシアに話しかけるわけではない。いつもそうだった。
「ヴァイス曹長」
リュシアは自分から声をかけた。
「今日の件——中型三体の掃討。中尉とクレイ少尉、二人で対処していました」
「ああ」
「第三小隊の定数で動けば、より安全に、より早く終わるはずです」
ラウルは手を止めなかった。
「そうだな」
「……私が足手まといだから、そうなっていることは理解しています」
ラウルの手が一瞬止まり、すぐに再開した。
「足手まといとは言ってないだろう。中尉も俺も」
「言われなくても、わかります」
沈黙が落ちた。ラウルは革紐に油を馴染ませながら、しばらく黙っていた。
「フォルティス少尉」
「はい」
「今日、中尉とクレイ少尉が出たとき、残った兵は何をしてた?」
リュシアは記憶を辿った。巡回中だったから、全員の様子を見ていたわけではない。ただ、巡回に同行していた兵たちの様子は覚えている。
「……通常通りの任務を遂行していました」
「不安そうだったか?」
不安。リュシアは首を傾げた。兵たちの表情を正確に読み取れる自信はない。ただ——。
「いえ。落ち着いていたと思います」
「そうだ。中尉とクレイ少尉が抜けても、残りが通常任務を維持できてる。それが小隊だ。一人が欠けても回る。二人が欠けても回る。全員が全員の穴を埋められるから成り立ってる」
ラウルはリュシアの方を見なかった。
「あんたはまだ、その中に入ってない。入ってないから、回し方がわからない。それだけだ」
それだけ。
慰めではなかった。リュシアの焦りを否定も肯定もしない。ただ、今リュシアが立っている場所を——まだ小隊の中に入っていないという事実を、そのまま言葉にしただけだった。
「……はい」
リュシアはそれだけ答えた。
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一ヶ月が経った。
アデルとロウソンが二人で出動したのは、計四回。リュシアが前線に出たことは一度もない。巡回と哨戒線の維持は覚えた。報告書も書けるようになった。兵の名前は半分ほど覚えた。顔はまだ怪しい。
できるようになったことはある。けれど、それは第三小隊の魔法騎士としてできるべきことではない。
夜、寝台の上で天井を見つめる。エリカはすでに眠っていて、規則正しい寝息が聞こえる。
訓練所を出るとき、自分は何を考えていたか。役に立ちたかった。早く戦場に出て、成果を上げて、自分の価値を証明したかった。
一ヶ月経って、証明できたものは何もない。それどころか、自分がいることで小隊の動きが歪んでいる。
——ヴァイス曹長は、「まだ入ってない」と言った。
まだ、だ。入れないとは言わなかった。
では、入るためにはどうすればいいのか。巡回を続けていればいつか入れるのか。
わからないまま、焦燥だけが身を焦がしていた。




