24.南方初日
南方への輸送は、最初は一つの隊列だった。兵站車と荷馬車が連なり、訓練生がまとめて運ばれる。揺れと埃で、誰の顔も同じ色に見えた。
停車のたびに名が呼ばれる。
そのたびに、荷台から人が減る。
補給拠点。後送の中継所。分岐点。
名簿係が荷台の縁に片足をかけ、短く告げる。
「第三大隊、降りろ」
「第六大隊、こっちだ」
「治癒班、先に行け」
返事の数が減るほど、車上の空気は軽口をやめる。
夕方が近づくころ、同じ荷台に残っているのは二人になった。
リュシアと、ライオット。
ライオットは手袋のまま無言で前を向き、揺れに合わせて膝の角度だけを調整している。疲れているはずなのに、手順だけが崩れない。
最後の停車で名簿係が言う。
「二混七中隊。フォルティス少尉、グランフォード少尉。残れ」
二人は頷き、再び揺れる荷台に残った。
門が見えたのは、その直後だ。石造りの主砦が、南方にしては異様に高い。日が傾き、影だけが濃く伸びる。
門前は詰まっていた。
先に出ていた部隊が戻ったばかりらしい。担架が二つ並び、後送の車列が間を縫えずに止まる。血と土と濡れた革の匂いが混ざって、鼻の奥に残る。
「道を空けろ、担架が先だ」
「黄は右、赤は奥だ、迷うな」
「止まるな、後ろが潰れる」
担架が通るたび、リュシアの足が前へ出かけた。反射だ。止血。洗浄。固定。手が足りないのが分かる。
だが、その一歩が石畳に触れる前に、横から腕を取られた。
下士官の手だ。重い。迷いがない。
「少尉。今は動くな」
掠れた声ではない。怒鳴ってもいない。
ただ、ここではそれが命令だと分かる重さがある。
リュシアは息を整え、頷いた。自分は流れを知らない。知らない者が中に入るのは、状況を悪くする。
「了解です」
下士官は腕を離さないまま、もう一言だけ足す。
「善意でも邪魔になる。ここは流れが命だ。止まれば死ぬ」
その言い方が、叱責ではなく業務の説明に聞こえた。
リュシアは、もう一度だけ頷いた。
「承知しました」
「ラウル・ヴァイス曹長です。本日からしばらく、少尉の補佐に付きます」
名乗りは短い。必要なことだけだ。
リュシアは胸の内で、その名を固定した。名前と階級。ここを間違えると、最初から転ぶ。
「フォルティス少尉です。よろしくお願いします」
「よろしく。まずは手続きだ。迷うな」
門を抜け、手続き棟へ向かう途中で、ライオットは別の列に分けられた。中隊が違う。集合場所も違う。砦は同じでも、初日の導線は別になる。
ライオットは一度だけ振り返り、短く頷いた。
リュシアも頷き返す。言葉を交わす余裕はない。今は、遅れないことが最優先だ。
女性官舎の入口に立つのは、寮監だった。
年嵩の下士官で、紙束を片手に淡々と告げる。
「少尉。所属と氏名を申告してください。鍵は私が管理します。規則違反は連帯責任です」
名乗り、書類に署名し、鍵を受け取る。
リュシアは二人部屋を指定されていた。将校扱いだからだと分かる。だが特別待遇ではない。必要な区分に過ぎない。
廊下の突き当たり、扉の前でラウル曹長が止まる。
「ここだ」
扉を開けると、先に荷物を整えている者がいた。若いが、動きが早い。物の置き方が整っている。視線が人の位置関係を読んでいる。
「フォルティス少尉、ですか」
「フォルティスです。今日から同室になります」
「エリカ・ダルトン少尉です。三年目です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
握手も笑顔もない。
ただ、敵意もない。官舎は、それだけで充分だ。
ラウル曹長が扉口で言う。
「食堂の位置だけ確認する。五分で戻る。荷物は通路に出すな」
「はい」
リュシアの返事が短く落ちた。
エリカが小さく笑う。
「返事、軍人みたいでいいですね」
リュシアは顔を上げ、淡々と答えた。
「軍人なので」
エリカは笑いを引っ込め、今度は実務の顔になる。
「明朝の集合、伝達は来ましたか。来てないなら、寮監に確認した方がいいです。ここ、情報の流れが速いので」
リュシアは頷いた。
「確認します」
返事は相変わらず短い。だが、それでいいはずだ。短いほど誤解が減る。今は、そういう環境だ。
官舎の空気が少しだけ静かになった。十分ほどして、扉が控えめに叩かれる。返事をするより早く、外から事務的な声が落ちた。
「フォルティス少尉。寮監だ。ヴァイス曹長から伝言。食堂は東棟の奥。今夜の食事は官舎の受付で受け取れ。明朝の点呼後、集合と導線はまとめて案内する」
リュシアは扉越しに頷いた。
「了解です。ありがとうございます」
エリカが小さく息を吐いた。
「……じゃあ、受け取りに行ってきます。少尉は動かない方がいいです。初日にうろつくと、余計な噂が立ちますから」
「分かりました」
「水は飲んでください。ここ乾くので」
扉が閉まる。数分して戻ってきたエリカの腕には、布で包まれたものが二つあった。匂いは薄いが、塩気のある湯気がわずかに残っている。
「今日の分です。温かいのは無理ですね」
「ありがとうございます」
リュシアは受け取り、包みを机に置く。味のしない乾いたパンを齧った。空腹より疲労が勝つが、それでも食べれる分だけ口に入れた。
「……明日、早く起きればいいですね」
「ええ。初日はそれで正解です」
そのやり取りだけで十分だった。リュシアは水を一口飲み、靴紐をほどく。
外はまだ明るいのに、官舎の中は夜の手順で回り始めていた。遠くで担架の足音が止まらない。どこかで怒号が上がり、それがすぐ業務の声に戻る。
リュシアは靴を揃え、荷物を壁際に寄せた。
初日の任務は、迷わず寝床に辿り着くことだ。
その命令を守れるかどうかだけが、今の評価になる。
灯りが落ちる。
リュシアは目を閉じた。明朝の導線だけを頭の中で反復し、余計な感情を伸ばさないようにして眠りに落ちた。




