23.窓口2
訓練所の面会窓口は、訓練棟の端にある。廊下の空気は冷たく、床には乾いた泥が薄く残っていた。人の出入りが少ない時間帯だから、足音がやけに響く。
呼び出されたのは、昼食のあとだった。
事務官が、必要最低限の顔で言う。
「フォルティス。面会だ。……王都から来てる」
王都。
その単語だけで、胸の内側が一度だけ反応した。だが、反応は長く続かない。今のリュシアは、余計な感情を伸ばさないようにする術を覚えつつある。
応接室の前で、深く息を吸う。吐く。
制服の襟元を指先で整え、扉をノックして入った。
「失礼します。フォルティス少尉、面会に参りました」
言葉を置いて、短く敬礼する。
そこに男が立っていた。
姿勢が良い。無駄な緊張がない。背中の線がまっすぐで、肩の位置が揺れない。
髪は、光の加減で柔らかく見える濃い茶。癖の出方が独特で、整えていても完全には従わない。
顔は、すぐには分からない。
覚えていないわけではない。だが、リュシアは「顔そのもの」で人を呼び出すのが得意ではない。代わりに、特徴を言語に変換して記憶する。
姿勢。髪の癖。声の高さ。歩き方。間合いの取り方。
そして、あの時の空気。
王宮の廊下。窓際。
言葉の温度が低いのに、目だけが鋭い男。
記憶の引き出しを、頭の中で一気にひっくり返す。
(……ヴァレリオ・カラディン)
次の瞬間、答えに辿りついた。
目線が胸元に落ちた。徽章。
「……カラディン大尉」
男は一拍置いて、形式だけを先に整えた。
「ヴァレリオ・カラディン大尉だ。急な面会を詫びる」
それから、ほんの少しだけ口元を動かした。
「よくわかったな」
「はい。徽章を見ましたから」
リュシアの答えは、感情の乗らない事実だった。
だが、ヴァレリオは不快そうにはしない。むしろ少し面白がっている。
「なるほど。訓練の成果か」
ヴァレリオは椅子を勧めるでもなく、自分も座らない。訓練所の狭い応接室で、その振る舞いだけが妙に場に合っていない。
「王太子府の用件で来た。形式上は、視察と連絡だ」
彼はそう言って、机の上に封書を置いた。訓練所宛の書類に見える。
ヴァレリオの視線が、リュシアの制服の着こなしと立ち方を一瞬だけなぞる。評価ではない。確認に近い。
「……首席と聞いた。おめでとう」
その言葉に、リュシアは即座に返さない。
首席という結果は、事実としては受け取れる。だが、それを自分の内側でどう位置づけるかは別の処理だ。
「ありがとうございます」
返事をしてから、補足を付け足した。
「周りの方々に助けていただきました」
言葉は短い。だが、そこに含まれる内容は多い。同室。教官。課題が明確で、作業に落とせる訓練内容。何より、折れる前に一度休めたこと。
ヴァレリオが、少しだけ目を細めた。
「助けられた、か。……君の口からそれが出るとは思わなかった」
リュシアは、淡々と返す。
「……以前の非礼をお詫びいたします」
「以前、か」
ヴァレリオは小さく笑い、しかしすぐに真面目な声に戻る。
「たしかに。成長したみたいだな」
褒め言葉の形をしているのに、声の温度は低い。王宮の社交ではなく、観察結果の報告に近い。
リュシアは一拍だけ置き、きっぱり返した。
「そういう言い方は、まだ早いです。私はまだ何も成していません。結果が出ていない以上、評価は保留でお願いします」
言い方は丁寧だが、内容は拒否だ。自分に向けられたラベルを、その場で剥がす。
ヴァレリオは小さく頷いた。反論ではなく、受領。
「了解。君の認識では、ここまでは入場手続きということか」
「はい」
短く答えてから、リュシアは視線を上げる。ここで終えると、ただの確認で終わる。終わらせたくないわけではない。ただ、次に必要な情報が残っている。
「その判断に至った根拠を教えてください」
問いの形が、柔らかい依頼ではない。業務の確認だった。
ヴァレリオは一瞬だけ間を置いた。言葉を選ぶというより、質問の対象を測っている。
「今の話の根拠か。それとも、手続きだという認識の根拠か」
「あなたの方です。私をそう見た理由です」
自分の内側を言い当てられた感覚が、さっきから引っかかっている。そこを曖昧にしたまま進むのは、今後の運用に不利だ。
ヴァレリオは机の端に指先を置いたまま、淡々と言った。
「首席と聞いても、喜びが前に出ない。結果を確定事項として処理している。礼も、感情の発露というより整理された手順として出てくる」
リュシアの顔色を読もうとする気配はない。観察した事実だけを並べる。
「それでいて、目が落ち着いている。怯えていない。浮ついてもいない。達成して満足する顔じゃない。次の段階に移る顔だ。だから、成長したと言った」
リュシアは、反射的に否定しなかった。代わりに、情報として受け取る。
「理解しました」
「理解しただけか」
「はい。理解したので、次に進めます」
ヴァレリオは、また小さく笑った。
そして、封書とは別に小さな紙片を一枚差し出す。連絡先だ。王太子府の窓口。緊急時の導線。
「困ったことがあれば、ここに連絡しろ。君の訓練が終われば、配置は一気に現実になる」
リュシアは受け取った。受け取る手つきは迷いがない。
「了解しました」
形式の返事だが、形式が重要な場面だと理解している。
ヴァレリオは扉の方へ向かい、出る前に一度だけ振り返る。
「君はここで、もう十分に目立った。これ以上は勝手に増やすな」
「努力します」
「努力で済むなら苦労はしない。……だが、君ならまだ何とかなるだろう」
言い切りはしない。だが、見捨ててもいない。
その中間の言い方が、妙にヴァレリオらしかった。
扉が閉まる。
静けさが戻る。
リュシアは紙片を制服の内ポケットにしまい、呼吸を一つ整えた。
訓練は終わる。
終わったら、やっと次が始まる。
今はまだ、手続きが終わっただけだ。
だから、躊躇いはない。
リュシアは踵を返し、廊下へ出た。
遠くから、教官の号令が聞こえる。
次の工程が待っている。




