表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/56

23.窓口2

 訓練所の面会窓口は、訓練棟の端にある。廊下の空気は冷たく、床には乾いた泥が薄く残っていた。人の出入りが少ない時間帯だから、足音がやけに響く。


 呼び出されたのは、昼食のあとだった。


 事務官が、必要最低限の顔で言う。


「フォルティス。面会だ。……王都から来てる」


 王都。

 その単語だけで、胸の内側が一度だけ反応した。だが、反応は長く続かない。今のリュシアは、余計な感情を伸ばさないようにする術を覚えつつある。


 応接室の前で、深く息を吸う。吐く。

 制服の襟元を指先で整え、扉をノックして入った。


「失礼します。フォルティス少尉、面会に参りました」


 言葉を置いて、短く敬礼する。


 そこに男が立っていた。


 姿勢が良い。無駄な緊張がない。背中の線がまっすぐで、肩の位置が揺れない。

 髪は、光の加減で柔らかく見える濃い茶。癖の出方が独特で、整えていても完全には従わない。


 顔は、すぐには分からない。


 覚えていないわけではない。だが、リュシアは「顔そのもの」で人を呼び出すのが得意ではない。代わりに、特徴を言語に変換して記憶する。


 姿勢。髪の癖。声の高さ。歩き方。間合いの取り方。

 そして、あの時の空気。


 王宮の廊下。窓際。

 言葉の温度が低いのに、目だけが鋭い男。


 記憶の引き出しを、頭の中で一気にひっくり返す。


(……ヴァレリオ・カラディン)


 次の瞬間、答えに辿りついた。

目線が胸元に落ちた。徽章。


「……カラディン大尉」


 男は一拍置いて、形式だけを先に整えた。


「ヴァレリオ・カラディン大尉だ。急な面会を詫びる」


 それから、ほんの少しだけ口元を動かした。


「よくわかったな」


「はい。徽章を見ましたから」


 リュシアの答えは、感情の乗らない事実だった。

 だが、ヴァレリオは不快そうにはしない。むしろ少し面白がっている。


「なるほど。訓練の成果か」


 ヴァレリオは椅子を勧めるでもなく、自分も座らない。訓練所の狭い応接室で、その振る舞いだけが妙に場に合っていない。


「王太子府の用件で来た。形式上は、視察と連絡だ」


 彼はそう言って、机の上に封書を置いた。訓練所宛の書類に見える。


 ヴァレリオの視線が、リュシアの制服の着こなしと立ち方を一瞬だけなぞる。評価ではない。確認に近い。


「……首席と聞いた。おめでとう」


 その言葉に、リュシアは即座に返さない。

 首席という結果は、事実としては受け取れる。だが、それを自分の内側でどう位置づけるかは別の処理だ。


「ありがとうございます」


 返事をしてから、補足を付け足した。


「周りの方々に助けていただきました」


 言葉は短い。だが、そこに含まれる内容は多い。同室。教官。課題が明確で、作業に落とせる訓練内容。何より、折れる前に一度休めたこと。


 ヴァレリオが、少しだけ目を細めた。


「助けられた、か。……君の口からそれが出るとは思わなかった」


 リュシアは、淡々と返す。


「……以前の非礼をお詫びいたします」


「以前、か」


 ヴァレリオは小さく笑い、しかしすぐに真面目な声に戻る。


「たしかに。成長したみたいだな」


 褒め言葉の形をしているのに、声の温度は低い。王宮の社交ではなく、観察結果の報告に近い。


 リュシアは一拍だけ置き、きっぱり返した。


「そういう言い方は、まだ早いです。私はまだ何も成していません。結果が出ていない以上、評価は保留でお願いします」


 言い方は丁寧だが、内容は拒否だ。自分に向けられたラベルを、その場で剥がす。


 ヴァレリオは小さく頷いた。反論ではなく、受領。


「了解。君の認識では、ここまでは入場手続きということか」


「はい」


 短く答えてから、リュシアは視線を上げる。ここで終えると、ただの確認で終わる。終わらせたくないわけではない。ただ、次に必要な情報が残っている。


「その判断に至った根拠を教えてください」


 問いの形が、柔らかい依頼ではない。業務の確認だった。


 ヴァレリオは一瞬だけ間を置いた。言葉を選ぶというより、質問の対象を測っている。


「今の話の根拠か。それとも、手続きだという認識の根拠か」


「あなたの方です。私をそう見た理由です」


 自分の内側を言い当てられた感覚が、さっきから引っかかっている。そこを曖昧にしたまま進むのは、今後の運用に不利だ。


 ヴァレリオは机の端に指先を置いたまま、淡々と言った。


「首席と聞いても、喜びが前に出ない。結果を確定事項として処理している。礼も、感情の発露というより整理された手順として出てくる」


 リュシアの顔色を読もうとする気配はない。観察した事実だけを並べる。


「それでいて、目が落ち着いている。怯えていない。浮ついてもいない。達成して満足する顔じゃない。次の段階に移る顔だ。だから、成長したと言った」


 リュシアは、反射的に否定しなかった。代わりに、情報として受け取る。


「理解しました」


「理解しただけか」


「はい。理解したので、次に進めます」


 ヴァレリオは、また小さく笑った。

 そして、封書とは別に小さな紙片を一枚差し出す。連絡先だ。王太子府の窓口。緊急時の導線。


「困ったことがあれば、ここに連絡しろ。君の訓練が終われば、配置は一気に現実になる」


 リュシアは受け取った。受け取る手つきは迷いがない。


「了解しました」


 形式の返事だが、形式が重要な場面だと理解している。


 ヴァレリオは扉の方へ向かい、出る前に一度だけ振り返る。


「君はここで、もう十分に目立った。これ以上は勝手に増やすな」


「努力します」


「努力で済むなら苦労はしない。……だが、君ならまだ何とかなるだろう」


 言い切りはしない。だが、見捨ててもいない。

 その中間の言い方が、妙にヴァレリオらしかった。


 扉が閉まる。


 静けさが戻る。


 リュシアは紙片を制服の内ポケットにしまい、呼吸を一つ整えた。


 訓練は終わる。

 終わったら、やっと次が始まる。


 今はまだ、手続きが終わっただけだ。


 だから、躊躇いはない。


 リュシアは踵を返し、廊下へ出た。

 遠くから、教官の号令が聞こえる。


 次の工程が待っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ