22.最終模擬戦3
帰投線の杭ではなく、白布の旗が揺れていた。湿地に立てられた目印だ。
それを越えた時点で、班は課題の区切りを一つ終える。
笛が鳴り、停止。解散ではない。
採点前の集合だ。
リュシアは足を止め、全員が揃ったことを確認してから腕を下ろした。
腕を下ろす動作が終わるより先に、横から気配が近づいてくる。
「フォルティス……一つだけ聞きたい」
ライオット・グランフォードだった。落ち着いた声だが、眉間に深い皺を寄せている。
「さっき。なんで俺に回した。自分の班で処理した方が確実だろ。俺があと何発撃てるか、分からないはずだ」
周囲の訓練生が、会話に気づいて視線を寄せる。リュシアはそれを気にせず、淡々と言った。
「残っていました。あと一回分」
ライオットが固まった。
「……何でわかるんだよ」
リュシアは、答えを選ぶ。
分かる、と言い切るのは正確ではない。いつもは分からない。今日みたいに乱れた時だけ拾える。
「いつもは分かりません。ですが、制御が荒くて揺れが大きいと、残量帯が読めることがあります。今日は乱れていました。だから拾えました」
「……ふざけんな。そんなの、聞いたことねえ」
「聞かれませんでした」
「そういうことじゃねえよ」
ライオットが頭を掻いた。混乱が残っている。
そのとき、後ろから靴音が近づいた。
教官が二人、こちらへ歩いてくる。採点役の教官と、補助の教官だ。
「揉めてるのか」
声は淡々としている。叱る声ではない。状況確認だ。
ライオットが背筋を正し、反射で返す。
「いえ。確認です」
体育会系らしい切り替えの速さだった。感情が残っていても、型が先に出る。
教官がリュシアを見る。
「フォルティス候補生。今の話は何だ」
リュシアは答える。
「グランフォード候補生の魔力残量が、あと一回分あると判断しました。制御が荒いと揺れが大きく、残量帯が拾えることがあります」
教官の口元がわずかに動いた。笑いではない。苦い納得だ。
「たまにいる。異様に魔力検知が上手い奴が」
ライオットが黙って教官を見る。
「基本は使えない。人間は大体制御が整ってるからな。荒れてる奴は例外だ」
教官は言い切ってから、ライオットへ視線を落とす。
「気をつけろ。お前は荒れやすい。荒れてる時に拾われる。弱点を晒すってことだ」
ライオットが、悔しそうに頷く。
「……はい」
カリナが、すっと視線を逸らした。
今の言葉は、刺さる。本人が一番分かっている弱点だ。
笛が短く鳴る。採点の時間だ。
採点は手短だった。
満点ではない。だが、致命的な失点もない。
教官が最後に言う。
「フォルティス候補生。指示は通っていた。余計な言葉を混ぜなかったのも良い。次は、合図と声の使い分けをもっと詰めろ」
「はい」
解散の合図が出る。
リュシアは視線を返し、班へ腕を上げた。
「装備解除の手順に入ります。番号で返答してください。動作は一つずつ」
「一、了解」
「二、了解」
「三、了解」
「四、了解」
湿った革の音が、揃って鳴った。
最終模擬戦は、戦闘で終わらない。終わらせない。そういう訓練だった。
二週間後、訓練所は静かに次の段階へ移っていた。
教官は視線をずらし、訓練生全体に向けて続ける。
「進路。今日ここで伝えるのは大枠だけだ。詳細は書面で出す。だが、お前らは明日には荷造りを始める。聞け」
列が静まる。隣のセラが、息を止めた気配がした。
「南方方面軍、配置多数。半数以上だ。次に中央。北方は少数だが、いる。以上」
名前が順番に呼ばれていく。南方の呼び出しが続くたび、誰かが小さく肩を落とし、誰かが逆に目を輝かせた。中央が告げられた瞬間は、空気がわずかに変わる。羨望と安堵と、分からない距離。
「イザベル。中央情報局、作戦分析部、参謀補佐」
イザベルは姿勢を崩さず、ただ一度だけまばたきした。感情を外に出さないのに、決まったという事実だけが確かにそこに置かれる。
続いて、南方が呼ばれる。
「フォルティス。南方、第二大隊第七中隊、第三小隊」
リュシアは一歩だけ前に出て、返答の型を守る。
「はい。フォルティス、了解しました」
「グランフォード。南方、第二大隊第五中隊、第一小隊」
ライオットが同じように前へ出る。返事は短いが、崩れない。
「了解」
同じ大隊。離れてはいるが、完全に切れない距離だとリュシアは理解した。合理の線上に、また一つだけ繋がりが残った。
配属の大枠が出たところで、教官が最後に言う。
「ここからが実戦だ。訓練で通じた言い訳は、現場では通じない。だが、現場で生き残るのは型を持ってる奴だ。型を捨てるな。以上、解散」
列がほどけ、訓練生たちが散っていく。名前を呼び合う声、安堵の笑い、泣きそうな沈黙。全部が混じって、訓練場の夕方に溶けた。
寮へ戻る道すがら、イザベルを除く同室の四人が自然に並んで歩いた。誰かが前へ出て誰かが遅れるのではなく、速度が揃う。半年の癖だ。
カリナが、歩幅を崩さないまま言った。
「ほとんどは南方に行くって言われてたけど、やっぱイザベル以外はみんな南方だったな」
言い終えて、視線だけが遅れて寮の灯りの方へ流れた。
アンナベルがすぐ返す。声は淡々としているのに、単語を落とさない。
「南方って言っても広いから、所属はバラバラだけどね」
靴底が砂利を噛む音が、そこで一瞬だけばらけて、また揃った。
部屋の扉が閉まると、外のざわめきが遠くなる。金具の音が思ったより大きく響いて、いつもの狭い空間が急に静かに感じた。
リュシアは荷物を置いて、全員の顔を順番に見た。表情は大きく動かないのに、言うべきことがあるのは分かっている。こういうときに黙ると、後から修正が効かない。
「半年間、ありがとうございました」
短く、だが、真っ直ぐに言った。
「私一人では、ここまで来られませんでした。皆さんのおかげです」
ミレイユが笑うのか泣くのか分からない顔で、両手を振る。
「やめてよー。そんな改まって言われるようなこと何にもして……」
「…たわね」
アンナベルが腕を組んだまま、口元だけで笑う。
「懐かしいわねー。おかげで誰より先に吐瀉物の処理の手順を覚えたわ」
「毎朝靴紐、革帯、留め具、チェックしてやってたねー」
セラが指を折って数える。
「洗濯も酷かったよ!最初やる気ないのかと思ったもん」
「私はやっぱり靴擦れのやつがキツかったかな」
セラがポツリと言葉を落とす。
「あー!あった!」
カリナが机を叩いた。
「あれマジで見てる方が痛かった。マジでこいつやべえと思ったもん」
リュシアは記憶を掘り起こして、頭を下げる。
「ご心配をおかけしました」
「やだーなんかフォルティスが人間みたいなこと言ってる」
ミレイユが笑いながら鼻を啜った。
「最初から人間だった。取り扱い説明書が付いてなかっただけ」
アンナベルが腕を組んだまま、目線だけをリュシアに寄せた。さっきまでの冗談の温度が、少しだけ消える。
「命令の言い方も上達した。あれだけの癖が、短い間でここまで変わるのは珍しい。素直に褒める」
「急に教官みたいなこと言うじゃん」
最後に、カリナが寝台にどさっと腰を下ろし、わざとらしくため息をつく。
「まあ私が軍やめたらフォルティス家で雇ってくれたらそれでいいよ」
カリナがにやりとする。
空気が軽くなる。ミレイユが吹き出し、セラが肩を揺らし、アンナベルが呆れた顔で笑いを隠さない。イザベルだけは上品に口元を押さえた。
リュシアは真顔のまま結論を返す。
「雇用の決定権は私にはないので確約はできませんが、口添えはします」
「真面目か」
部屋の中に笑いが残った。半年間、ここが安全地帯だったという証拠みたいに。
リュシアは皆の顔をもう一度見て、言葉を一つだけ足した。
「南方で会っても、声はかけます」
それが約束として十分かどうかは分からない。だが、今の自分にできる最大限の区切りだった。




