18.模擬訓練
射撃訓練の翌日から、空気が変わった。
敵意が増えたわけではない。
ただ、視線の種類が変わる。――評価の視線だ。
講義棟の掲示板前で、訓練生たちが密集していた。
班分けと、模擬訓練の要綱が貼り出される日だ。
「……フォルティス、また当たり前みたいにAついてる」
「当たり前じゃね? あれだけ撃てりゃ」
「でもさ、あれってさ。やっぱ特別扱いされてたよな――教官、最初に撃たせてたじゃん」
ひそひそ声は、耳に入る程度の音量で流れてくる。
誰も名指しで悪口を言っていない。だから止めづらい。
カリナが、リュシアの横で鼻で笑った。
「最初から撃たせてたって。そりゃそうだろ。撃てるから撃たせただけだ」
言い方は荒いのに、論点は正しい。
カリナは、妙にこういう場面でブレない。
アンナベルが掲示板を睨みながら言う。
「噂って便利だよね。分からない部分を、勝手に埋められる」
セラが小さく頷いた。
「……怖い、って気持ちも混じってるんだと思います。暴発したら、って」
リュシアは「暴発」という単語で、昨日の保留を思い出した。
ライオットが後方に残された理由。危険だから、という判定。
掲示板が、少し騒がしくなる。
担当教官が貼り紙を一枚追加した。
『模擬訓練:班長を一名指定。指揮命令系統に従わない者は減点。
※命令は短く。報告は結論から。連携は確認を挟むこと。』
訓練生たちが、紙を目で追っていく。
――班長の名前が並んでいた。
リュシアの班の欄に、はっきり書かれている。
『班長:フォルティス』
空気が、もう一段だけ変わった。
「……え、あいつが?」
「班長って、声出すやつだろ」
「大丈夫かよ、あの……」
言葉が途中で切れる。
公爵令嬢とか、変な喋り方とか、そういう類の雑音が飲み込まれていくのが分かる。
リュシアは、紙を見て理解した。
(実務上、妥当です。能力が高い者を班長にする。訓練の目的は再現性だから)
筋は通っている。
だが、筋が通っていても――人は動かない。
集合の合図が鳴り、班ごとに区画へ散った。
模擬訓練場は簡易の野戦区画で、土塁と木柵と目標役の旗が置かれている。
敵役は教官と上級訓練生。こちらは新兵。勝てる設計ではない。連携の評価が主眼だ。
班の顔ぶれを見て、リュシアは内心で情報を整理する。
(この班は、攻撃火力が薄い。風と土が多い。火は一名。雷はいない)
自分は雷A。
つまり、自分が撃てば勝つ――は成立しない。ここでは指示が通るかが本命だ。
リュシアは、教官から配られた指示書を一度だけ目でなぞり、班員に向き直った。
「……模擬訓練を開始します。目標は、旗の確保です」
声は出ている。
言葉も間違っていない。だが――班員の目が揃わない。
「え、いきなり行くの?」
「誰が前? 誰が後ろ?」
「ていうか、フォルティス、指示ってそれだけ?」
質問が飛ぶ。
リュシアは、即答しようとして止まった。
(情報が不足している。私の開始しますは、命令として成立していない)
成立していない理由は二つあった。
一つは、指示が抽象的すぎる。
もう一つは――この人の指示に従っていいのかが、班員側で決まっていない。
リュシアは息を整え、短く言い直した。
「――前進はしません。まず配置を決めます。前衛一名、側面二名、後衛二名」
それでも、動きが遅い。
誰も「はい」と返さない。返事がないので、指示が通ったか確認できない。
訓練所の基本が、ここで初めて牙をむく。
(返事がないと、命令は命令として完了しない)
リュシアがもう一度口を開いた、その瞬間――
「っ、待って。私、前衛とか無理なんだけど」
下級貴族の少女が、先に拒否を置いた。
拒否の形が先に来ると、場は散る。
別の訓練生が「じゃあ俺が前」と言って一歩出る。
だが、その俺に誰が従うのか、線が作られない。
結果、班はばらけたまま、スタートの笛が鳴った。
リュシアは理解する。
(私は今、命令を出していない。説明をしているだけです)
説明は、従わなくても成立する。
命令は、従わせて初めて成立する。
土塁の向こうで旗が揺れた。敵役が動いた合図だ。
班員の誰かが焦って火球を投げ、空振りして土塁を焦がす。
「っ、ちが――」
リュシアが言いかけた瞬間、教官の声が飛んだ。
「班長! 声を出せ! 短く!」
短く。
命令。
返事を取る。確認を挟む。
頭では分かっている。
だが、リュシアは人に向けて短く命令する経験が薄い。王宮では逆だった。
リュシアは一歩前に出て、腹に息を入れ、言葉を削った。
「前衛、土塁へ。後衛、私の後ろ。風は視界を切る。――返事」
沈黙が一拍。
その一拍が、致命傷になりかける。
だが、次の瞬間。
班の端にいた訓練生が、遅れて返事をした。
「……はい!」
釣られるように、二人、三人と返事が続く。
「はい!」
「はい!」
遅い。けれど、ゼロではない。
リュシアは、その返事を拾う。拾って、線にする。
「よし。――行きます」
班が、ようやく一つに寄った。
勝てるかどうかは、まだ分からない。
だが少なくとも、これは訓練になった。
そしてリュシアは、今さら気づく。
(射撃が上手いだけでは、班は動きません)
――ここからが、本番だった。
班が一つに寄った――寄った、はずだった。
土塁へ走った前衛が、そこで止まる。
敵役の動きが見えない。旗の位置も、土塁越しでは角度が悪い。
「見えない! どっち!?」
叫びが飛ぶ。
叫びは、報告ではない。情報の形になっていない。
リュシアは歯を噛んだ。
(見えないは状況であって、結論ではありません)
だが、今それを指摘しても意味がない。必要なのは次の動きだ。
「風、視界を切って――」
言いかけた瞬間、土塁の向こうで乾いた破裂音がした。
粘着弾。衝撃と煙だけを出す訓練用の魔導具だ。命中判定用の粉が、前衛の肩に散った。
「当たり!」
教官の声が即座に飛ぶ。
「前衛、戦闘不能! 下がれ!」
前衛が、唖然とした顔で下がってくる。
班の動きが、一気に鈍った。
「え、もう?」
「早すぎない?」
動揺が、空気を割る。
その現状確認は、完全に遅い。訓練はそういうものだ。
リュシアは声を削る。
「前衛交代。次、出ます。――返事」
返事は返ってきた。だが、次に出る者の足が出ない。
出たくない、という空気。
命令が通っていないのではなく、命令に実行力が乗っていない。
(人望の問題。……それと、私の言い方の問題)
自分の中で、冷たい結論が落ちる。
カリナがいれば、こうはならない。
アンナベルがいれば、言葉の整え方が違う。
リュシアは、そこが痛いほど分かる。
魔獣役は容赦しない。
土塁の横から回り込み、別角度から弾を散らしてきた。
「後衛、伏せろ!」
誰かが叫ぶ。
伏せる者と、伏せない者が出る。反応が揃わない。
次の破裂音。粉が二人に散った。
「後衛二名、戦闘不能! 下がれ!」
教官の声が、淡々と宣告する。
班の人数が、半分になった。
リュシアは、息を吐いた。
(ここから勝つのは非現実的です)
勝ち負けではない。連携の評価だ。
なら、せめて命令が通る状態を作るしかない。
「集合。私の前。距離、一歩。――返事」
今度は返事が揃った。
揃った瞬間だけ、班が隊になる。
リュシアは短く言う。
「これからは、私が指示を出します。勝手に叫ばない。報告は結論から。――できますか?」
班員たちが、顔を見合わせる。
返事が遅い。だが返ってくる。
「……はい」
このはいを、もっと早く取るべきだった。
最初からこれをやるべきだった。
だが、後悔に時間は使えない。
「風、右から煙。土、足場を固める。火、牽制。私は旗へ行く」
短い指示。役割分担。
人が動く。――動くが、ぎこちない。
風の訓練生が煙を出す。
煙は出たが、濃すぎて味方の視界まで奪った。
「うわ、見えない!」
また叫びが飛ぶ。
リュシアは即座に言い直す。
「叫ぶな。――風、薄く。高さ、腰。私の前は空ける。返事」
「はい!」
返事が返る。煙が薄くなる。
少しだけ、形になる。
しかし、形になったところで時間切れだった。
旗へ走ったリュシアの足元で、破裂音が弾ける。
粉が、足首に散った。
「班長、戦闘不能!」
教官の声で、訓練は終わった。
旗は遠いまま。く
班は半分倒れ、残りは立ち尽くしている。
敗北は、分かりやすい。
⸻
集合場に整列させられ、講評が始まった。
担当教官は、紙束を一枚めくっただけで言った。
「フォルティス班。最初の三分で終わってもおかしくなかった。よく持ったな。――ただし、それはよくやったわけではない。ただの運だ」
淡々と刺す言い方。
褒めていない。だが、全否定でもない。
教官は続けた。
「班長。命令が遅い。命令が長い。命令が説明になっている。――そして返事を取っていない」
リュシアは、即座に答えた。
「……はい」
「最初からやれ」
教官はそれだけ言って、次の班へ視線を移した。
必要最低限の指摘で終わりだ。逆に効く。
訓練生たちが解散していく。
リュシアは、班員に向き直った。
「……ありがとうございました。私の指示が遅かったです」
謝罪としては正しい。
だが、班員たちの顔は微妙だった。
「いや……なんか、途中から急にちゃんとしてた」
「最初からあれだったら、もうちょい違ったかも」
「でも最初、何考えてるか分かんなかった。……ごめん、言い方きついか」
言い方はきつい。だが内容は正しい。
リュシアは、頷く。
「いえ。必要な情報です」
必要な情報。
それを言うと、場が静まる。――静まった瞬間、リュシアは一度だけ振り返る。
(今、喋りすぎていないか)
王子妃ノートの文言が、勝手に頭の端をよぎって、少し可笑しかった。




