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17.射撃訓練

 射撃場は、訓練所の中でも空気が違った。


 怒号より先に、規則と合図がある。整列、点呼、姿勢確認。魔力の流れを乱す私語は止められ、代わりに音が増える。紐が擦れる音。木枠が震える音。的板がレールを滑る、乾いた音。


 合図係の教官が手を上げた。


「本日、射撃訓練に入るのは、魔力制御が基準を満たした者のみだ。名前を呼ばれた者は前へ。呼ばれない者は、後方で制御訓練を継続する」


 列がざわつく。


 半分ほどが前へ出て、残りが後ろへ下がった。前へ出た者の中にも、喜色が混じる者と、顔が強張った者がいる。後ろへ残った者は、悔しさを隠そうともしない。


 リュシアは前列にいた。


 弓ではない。魔法騎士の射撃は、術式を定型化し、同じ動作で同じ結果を出す訓練だ。いかに安全に、いかに確実に、必要な出力だけを出すか。


 教官が言う。


「まずは固定標的。距離二十。出力は指定。過剰は減点。足りないのも減点。狙点は胸部中央だ」


 リュシアは構え、呼吸を合わせた。


 胸の奥が、わずかに軽くなる。


 ここは、分かる場所だ。正解がある。手順がある。余計な読み合いがない。


 雷の矢は、光ではなく線になって飛んだ。


 乾いた音がして、木板の中心に焼け焦げた点が残る。


 教官は何も褒めない。褒め言葉が必要な場ではないからだ。代わりに、淡々と札を示す。


「合格。次」


 同じ距離、同じ指示、同じ結果。


 リュシアの矢は、出力も角度も揺れなかった。


 隣で見ていたセラが、息を漏らす。


「……うん、安定してる」


 アンナベルは腕を組んで、口を尖らせた。


「安定というか、そもそも揺れる気配がないの。腹立つ」


 カリナが即座に突っ込む。


「腹立つって言うな。うちの班の戦力だろ」


「分かってるけど、分かってるから腹立つのよ」


「意味分かんねえ」


 リュシアは会話を聞き流し、次の指示に集中した。


 固定が終わると、教官が視線を動かす。


「次。稼働標的に移る。紐式だ。速度は一定。左右、二枚、順番に出る。外した者は一歩下がれ。暴発した者は退場だ」


 紐が引かれた。


 木板が横へ滑る。一定の速さで、一定の距離を往復する。二枚目が遅れて出る。交互に動くことで、視線が散るように作られている。


 初めての稼働に、何人かが焦った。矢が外れる。過剰な出力で板が割れ、教官の笛が鳴る。


「落ち着け。的は敵じゃない。お前の制御が敵だ」


 リュシアの番が来た。


 稼働標的が滑り出す。


 リュシアは、目の前の動きに合わせるのではなく、動きの規則を拾った。速度。距離。折り返しの癖。紐の張り。板が一瞬だけ揺れる箇所。

 難易度は固定標的と変わらない。


 雷の矢が、動く板の中心を貫いた。


 次の板も同じ。


 全く危なげなく、必要なだけを、必要な場所へ落とす。


 アンナベルが、ついに口を抑えきれなくなる。


「ねえ。なんでそんな器用なのに、靴紐も結べないのよ」


 リュシアは射撃姿勢のまま、淡々と答えた。


「魔力の出力調整は簡単だからです」


「は?」


「指先の力の入れ方は難しいです。魔力の出力は、どれだけ出しているか自分で分かります。でも指先の力の出力は、どれだけ力を入れているか分かりにくいです」


 アンナベルが目を丸くする。


「……そんな理由ある?」


「あります。それに靴紐も、もう結べます」


 カリナが笑いを堪えるのに失敗して、鼻で息を鳴らした。


移動の列に戻る途中、男子の輪が少しだけ不自然に割れた。視線が寄り、逸れて、また寄る。

耳に入ってきたのは笑い声ではなく、押し殺した声の断片だった。


「……不気味」

「……捨てられたって」


 イザベルが、そっとリュシアの隣に寄った。腕を回し、半歩だけ前に出る。


「行きましょう。今のは拾う話じゃないわ」


 リュシアは抵抗なく歩調を合わせた。イザベルの動きが、話題の種類を分類したのだと理解する。必要のない情報。

 角を曲がる一瞬だけ、言葉の切れ端が背中に落ちた気がした。不気味。捨てられた。内容は繋げないまま、床に置く。


 イザベルが横顔だけで確認する。


「大丈夫?」


「はい。私に聞いてほしいわけではないのであれば、気にしません」


 言い切ったところで、後ろから足音が近づいた。カリナが肩を並べ、わざと明るい声を出す。


「またその手のやつ? 放っときなよ。次、食堂だろ。セラ、先に席取れる?」


 セラは一瞬だけ口を開きかけて、閉じた。何か言うなら、噂の中身ではなく次の段取りだと自分に言い聞かせるように頷く。


「はい。急ぎます」


 廊下の向こうで、さっきの輪がまた小さく騒いだ。けれど、誰もこちらには追ってこない。聞こえるように言ったというよりも、ただ口に出しただけなのだろう。


 イザベルは一度だけ振り返り、視線を置いた。叱責ではない。その目が刺さったのか、刺さらなかったのかは分からない。ただ、廊下のざわめきは少しだけ薄くなった。 

 リュシアは歩きながら、装具の留め具を確かめた。


「射撃訓練は、次もありますか」


イザベルが小さく息を吐く。さっきまでの空気を切り替えるのに、わざわざ言葉を足さない。リュシアが欲しいのは慰めではなく、次の工程だと分かっている。


「あります。だから今は休める時に休みなさい」


「はい」


カリナが軽く腕を振って歩く。口では何も言わないが、笑わなかったことだけが、ひそかな線引きになっていた。





 射撃場の後方では、別の空気が流れていた。


 前列で矢を放つ者たちとは違い、そこにいる者たちは、同じ動作を繰り返している。魔力を出す。止める。出す。止める。小さく、細く、一定に。


 その列の中に、グランフォード候補生がいた。


 身長があるわけではない。だが、立ち方が目立つ。背筋が無駄に真っ直ぐで、肩の力が抜けていない。髪は短く整えられ、汗で張り付いても乱れ方が少ない。


 貴族の作法の名残があるのに、口の悪さだけが訓練所仕様だ。


 教官が手を叩く。


「グランフォード。止めろ。今のは止まってない。止まってないのに次を出すな」


「止めてる」


「止めてない。お前の中では止めたつもりでも、外へ漏れてる。漏れたまま撃つとどうなる」


 グランフォード候補生は唇を噛み、視線を射撃列へ投げた。


 ちょうど、リュシアが稼働標的を二枚抜きするところだった。


 正確で、静かで、当たり前みたいに。


 グランフォード候補生の目が、わずかに細くなる。


 教官が言う。


「見るな。自分の手元を見ろ。あれはあれ、お前はお前だ」


「分かってる」


「分かってない顔をしている」


 苛立ちが、口元に出かけて消えた。


 グランフォード候補生は、もう一度、魔力を出した。大きい。出力の上限は、誰が見ても分かる。だからこそ、制御が崩れたときの危険も大きい。


 教官が声を落とす。


「焦るな。お前が射撃に入れないのは、才能がないからじゃない。才能がありすぎるからだ。持ってる量が多いなら、扱える形にするしかない」


 グランフォード候補生は、返事だけは素直にした。


「了解」


 だが視線だけは、まだ射撃列へ残っている。


 リュシアが矢を放つたびに、空気が整う。無駄がない。悔しさを煽るというより、置いていかれる感覚だけが増える。


 前列の射撃が一段落し、休憩の合図がかかった。


 リュシアが魔力を落として振り返った瞬間、後方の視線とぶつかった。


 グランフォード候補生の目は、挑発ではない。ただ真っ直ぐで、痛い。


 リュシアは一拍だけ考え、最適な呼び方を選ぶ。


「グランフォード候補生」


 声は丁寧で、感情が薄い。


 それが余計に癪に障る、と後から本人も気づく類の声音だった。


 グランフォード候補生が眉を動かす。


「何だ」


「制御訓練は、どこでつまずいていますか」


 グランフォード候補生の顔が一瞬だけ固まった。


 侮られた、という反射が走る。助言に聞こえる言葉ほど、今は苛立つ。


「……関係ねえだろ」


 教官がすかさず割り込む。


「私語をするな。休憩中でも、余計な火種を作るな」


 グランフォード候補生は舌打ちしそうになり、飲み込んだ。その代わり、目だけで答える。


 リュシアは頷いた。


 分かったわけではない。理解したわけでもない。


 ただ、相手が今は言いたくないのだと処理しただけだった。


 アンナベルがリュシアの袖を引く。


「やめときなさいよ。あれ、今は触ると面倒なやつ」


「触っていません。確認しただけです」


「それが触ってるのよ」


 カリナがため息をつく。


「そのまま行くと、模擬訓練でまた揉めるぞ」


「揉める理由が分かりません」


「そこからか」


 リュシアは、もう一度射撃場を見た。


 稼働標的は規則正しく動き続ける。合図があり、手順があり、正解がある。


 だから、やりやすい。


 けれど次に来るのは、標的じゃない。


 人だ。


 規則通りに動かないものを相手に、同じ精度を出せるかどうか。


 リュシアの胸の奥に、さっきとは別の熱が小さく灯った。


 不安ではない。


 確認したい、という熱だった。





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