15.魔力制御
訓練場に、今日は的がない。
代わりにあるのは白線と、床に置かれた薄い金属輪「制御枠」だけだった。
「今日は当てない。出すな。漏らすだけだ」
教官が短く言い、輪を指先で弾いた。
「暴発は前線で味方を殺す。魔力が高いほど危険になる。必要なのは、必要な量を、必要な形で、必要なタイミングで出すことだ。派手さは要らん」
訓練生たちが頷く。
火力に自信がある者ほど、顔が渋い。今日は気持ちよく撃てない日だ。
「制御枠の中だけ、一定の出力で流せ。輪の外へ漏らすな。揺らすな。揺れたら、止めてやり直せ」
最初の数人がやる。枠の内側に、薄い光が立ち上がる者もいれば、何も見えない者もいる。見えなくても、枠の針が震えている。計器は嘘をつかない。
セラは、薄い。だが揺れない。
量が少ない分、扱いが丁寧だ。
「良い。次」
カリナは、枠の内側に熱が走りかける。
出しすぎる。止める。もう一度。今度は抑えた。
「……くそ。気持ちわりぃ」
「それが正常だ。次」
ライオットの番になると、枠が明らかに大きくなる。
魔力量がある。だが、一定ではない。揺れ幅が大きい。暴発ではないが、余計な波が混ざる。
教官が言った。
「お前は強い。だが不安定だ。揺れる火力は事故の前段階だ。直せ」
ライオットは返事をしなかった。いや、できなかった。喉が動かない。
自分はこの期の一番だと、ずっと思ってきた。――少なくとも魔法については。
そしてリュシアが枠の前に立つ。
彼女が指先を置いた瞬間、枠の針がぴたりと止まった。
目盛りは上がるのに、揺れない。輪の内側に、細い雷光の糸が一筋だけ通る。熱も音もない。ただ形だけがある。
「……よし」
教官が短く言っただけで、褒めはしない。
ただ、周囲の視線が一斉に寄る。寄って、すぐに逸れる。見てはいけないものを見るように。
同室の者たちは、もう驚かない。
休暇前の地獄を知っている。できないことは本当にできない。それでも折れずにやる――そういう生き物だ、と落ち着き始めていた。
問題は、同室の外側の空気だった。
圧倒的に上手いは、羨望と同じだけ距離を作る。
教官が手を叩く。
「次。一定を保ったまま、出力を一段だけ上げろ。上げたら戻せ。揺れるな。――これができない者は、前線で枯渇する。無駄が多いからだ」
ここで崩れたのが、ミレイユだった。
枠の針が跳ねる。輪の外へ、熱が漏れそうになる。
教官の声が落ちる。
「止めろ!」
ミレイユは止める。止められる。だが、次も跳ねる。
「……なんで……」
絞り出すような声。悔しさより、恐怖が先に立つ。
火特化で、量もある。だからこそ危ない。
教官は一度だけ周囲を見回した。
「つきっきりにはできん。自分で止める術を覚えろ。――班で回せ。工夫しろ。ただし、代わりにやるな。本人ができる形を作れ」
工夫。
それは得意不得意がはっきり出る言葉だった。
イザベルは輪の札の位置を直し、ミレイユの視線が迷わないようにする。
アンナベルは「いまのは上げすぎ」と短く指摘して、余計な言葉を足さない。
リュシアは――口を挟みかけて、止めた。
さっき教官に釘を刺されたばかりだ。代わりにやれば早い。だがそれは訓練にならない。
その横で、ライオットが黙っていた。
ミレイユの跳ねは怖い。だが、彼の内側を刺しているのは別のものだ。枠の針が揺れた自分自身のことだ。
走り込みの列が解けると、訓練場の端に人が散った。
誰もが水筒にかぶりつく。ミレイユは芝生に膝をついて、文字通り息をしていなかった。
「は……っ、無理……」
カリナが汗を拭きながら笑う。
「また吐くんじゃないの?」
「吐く……っ、けど……走る……!」
笑いが起きる。
その輪の少し外で、リュシアは膝に手をついて、静かに呼吸を整えていた。顔色は白い。目だけが冴えている。
「フォルティス」
ライオットが近づいてきた。息は荒いが、声は落ち着いている。
「さっきの……雷。あれ、どうやったらあんなに制御できるんだ?なにか特別な練習があるのか?」
質問の仕方が、もう半分は警戒だ。
才能で片付けられない何かを、本人の口から聞きたい目をしている。
リュシアは水を一口飲んでから、あっさり答えた。
「特別な練習ではありません。微量の魔力を、常に出し続けるだけです」
ライオットが瞬きする。
「……は?」
「常にです。起きている間はずっと」
リュシアは言葉を足すでもなく、当然のこととして続けた。
「本当に微量ですが、必ずその量を維持します。糸より細く、針より軽く。日によって上下させて、揺れを減らします」
「今も?」
「今もです」
カリナが横から口を挟んだ。
「え、走ってる時も?」
「走ってる時もです」
「吐いてる時も?」
「吐いてる時もです」
ミレイユが芝生から顔だけ上げた。
「……それ、病気じゃない?」
笑いが起きる。
でも笑っているのは、半分は怖いからだ。
ライオットは額を押さえた。
「お前、いつ休むんだ」
「寝ている間は出しません。危ないので」
そこだけはきっぱりしている。
アンナベルが呆れた声を出した。
「フォルティスさあ……それ、他人が真似できる練習なの?」
リュシアは首を傾げる。
理解できないというより、問いの意図が分からない顔だった。
「できます。最初は一分で十分です。慣れたら——」
「いや、だから!」
アンナベルが手を振って遮る。
「“できる”の基準があなた基準なの! 私たち用の練習、教えてよ! 人間用!」
その言い方があまりに真剣で、逆に可笑しくなる。
カリナが吹き出し、ミレイユが芝生に顔を伏せて笑った。
リュシアだけが、笑わない。
「……では、最低ラインを作ります」
彼女は淡々と言い、指を一本立てた。
「まず、魔力を出すのは“息を吐く時だけ”にします」
ライオットは目を細めた。
「……それでも十分おかしい」
リュシアは否定しなかった。
ただ、水筒の蓋を閉める手つきだけが、異様に丁寧だった。
訓練が終わった後、夕暮れの外でライオットは一人、同じことを繰り返した。
火も雷も危ない。だから、出すのは“ほとんど出ていない”に見える程度。枠がない分、自分の感覚だけが頼りになる。
吸う。止める。吐く。
指先が熱い。熱いのに、何もできていない気がする。
「……無理だ……」
吐きながら言う。
それでもやめない。やめたら、負けたままだ。
遠くで、夜点呼の笛が鳴った。
ライオットは拳を握り、もう一度だけ息を吸った。




