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13.離脱

 扉を開けた瞬間、匂いで分かった。

 砂と汗と、洗い切れない布の匂い。休暇の屋敷にはなかった現実が、すぐそこに戻っている。


 リュシアは荷物を最短距離でベッド脇へ置き、寝台の角を一度だけ整えた。

 動作が整うと、頭も整う。


 部屋の中に、違和感があった。

 数ではなく、配置だ。


 六つあるはずの寝台のうち、一つが、きれいすぎる。


 毛布は畳まれ、シーツは引かれたまま。私物がない。

 「片づけ忘れ」ではない。「最初から置かれていなかった」みたいな空間だった。


 ミレイユが、荷物を落とすみたいにベッドへ座って言った。


「……リディ、先に来てないんだ」


 カリナが肩をすくめる。


「さっさと戻ってきたい場所でもないだろ」


 セラは返事をしなかった。口を閉じたまま、空いた寝台を一度だけ見て、視線を落とす。


 アンナベルが、荷物の紐を締め直しながら結論だけ言う。


「昨夜、当直から伝言が来た。リディは退訓。家に戻る。手続きは済んだ」


 ミレイユが顔を歪める。


「……え、そんなの、あり?」


「ある」


 アンナベルは淡々としたままだった。


「無理して続ける理由がない人間は、撤退も選べる。ここはそういう場所」


 リュシアは空いた寝台を見た。

 走り込みの時に自分と同じ最後の方で、青い顔をしていたリディを思い出す。授業がわからない、とこぼす姿も。

 ただ不足が原因ではないのだろう。


 原因は――不足を埋めるために努力する意味が本人の中で成立しなかったことだ。


 黙っていると、ミレイユがリュシアを見た。


「フォルティスはさ……いいの? 帰って、ぬくぬくできたのに」


 リュシアは一拍置いて答えた。


「ぬくぬくは、快適でした。ですが、快適さは目的ではありません」


 カリナが鼻で笑った。


「ほら。意味わかんない」


 リュシアは真顔のまま続ける。


「目的は、訓練を終えることです。辛いのは、付随要素です」


 言った瞬間、ミレイユが顔をしかめる。


「付随要素って……」


 セラが声を出さずに笑った。

 部屋の空気が少しだけ落ち着く。

 落ち着いたところへ、廊下の足音が来た。


 ノック。扉が開く。


 寮監が顔を出す。


「人員補充だ。新しく一名入る。荷物が多い、手伝え」


 次に、女が入ってきた。

 姿勢が真っ直ぐなのに威圧感はない。部屋を見まわさず、自然な視線で人の位置と流れを掴む。荷物を抱えているのに歩幅が乱れない。貴族だと一目でわかる立ち居振る舞いだった。


「……本日付で配属になりました。イザベルです。よろしくお願いします」


 ミレイユが、静かに息を吐いた。


「……ちゃんとしてる人来た」


「ちゃんとしてないやつがいるみたいな言い方すんな」


 カリナが小さく突っ込む。


 アンナベルが頷き、手短に指示する。


「空いてるのはそこ。荷物、置いて。部屋のルールはあとでまとめて渡す」


 イザベルが「はい」と返し、荷物を置いた。

 その動きに迷いがない。迷いがないのに、肩の力が抜けていない。


 リュシアは、イザベルを見た。

 戻れる場所があるのに来た人間だと思った。


 ――その直後、廊下の向こうで号令が響いた。


「魔導訓練場へ。候補生、全員集合!」


 空気が変わる。

 午前の座学や隊列走とは、別の匂いがする。


 リュシアは指先を一度だけ握り、開いた。


(――ここからだ)


 それだけで足が前に出た。

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