【エッセイ短編】芸能人のスキャンダルに反応をする人。自分は"関係者"だと思っている件について
人は、自分が興味関心がある事だけ《関係者》と思い積極的に発言したり関わったりするのではないのだろうか。
そんな風にふと考えました。
きっかけはネットに上がっている記事や動画に関しての、他者のリアクション数なので、結局は表示のアルゴリズムも関係しているのですが、それでも気になったので書きにきました。
①動画で、凄く良いことを言っている人を見つけました。ただ、登録者も少なく、再生回数も多い方ではない。
②私が他で書いているブログに関する反応、閲覧数が少ないのに、似たような件をこちらに書くと閲覧や反応があること
③芸能人のゴシップネタやスキャンダルへの反応の異常の多さ
今回はこの三つに関して書きます。
最初に申し上げますが、上記の三つに関して、特に③に関しては当事者の親族や友人でない限り、最大でも関係するのは二つだけなんです。最低は0。一つも関係ない場合もありますが、最大でも『当事者の親族や友人でない限り』二つです。では進めましょう。
①の動画はスピリチュアルに捉えられる可能性が非常に高い動画でした。(ちなみに私はスピリチュアルを否定してません、そもそもスピリチュアルが何なのかは目に見えないものなので正直ちょっと今でもわからないです。)ですが、先入観や固定観念を壊す動画であり、聞いていると、『あぁ、面白い考えだな』と納得するもの。しかし、ここでうまく先入観、固定観念を捉えることができないと『馬鹿なの?なに言ってんの?』と思う人が多いんだろうなとも思いました。
しかし、非常に『使える動画・考え方だ』と私は思いました。価値があると感じたと同時に、『私に関係がある』と思ったんです。
しかし、その動画を目にした時期が非常に忙しく心に余裕がなかったり、今よりもっと楽になる思考を提供されているのにも関わらず、『今が良い』と思えばその動画は不要になるんです。そうすると『私には関係ない』動画と認定されます。
②は私のブログです。
こちらに書いていることとそんなに変わらない事だと私自身は思ってます。しかし、ブログでフォーカスしているのはあくまでも自分の体に出ている”症状”についてなんですね。しかし、その症状や病気になるまでの自分の人生や、症状が出た時にどう言う対処でよくなったかなど色々書いてます。
やはり文章は長くはなりますが、要約とともに、”なぜこうなってしまったのか?”と言うのを【自分のしてきた行動と思考を結びつけて】一例としてあげているんです。
もちろん私だけが勘違いでしてきた行動(過ち)もあれば、思考に関しては割とあるあるなイライラが詰まってます。つまり、共感できる部分としてはこのエッセイと、他で行ってるブログで書いている事はさほど変わらないのです。ただ、いくらハッシュタグをつけようとも病名がブログタイトルに書かれている事もあり、それだけで敬遠する方も多いと思います。《この病気は私には無縁で『関係がない』》と。
誰にでもなる可能性がある、他の体の不調もある程度予防できるだろうと思って私は書いてます。実際体を壊した時は家から数分も出られなかったし、大好きな車はエンジンかけるだけでも怖かったほど。それが少しはまともになったので。まぁ私の体験談だけで素人知識なので『なんで読まないの!』とかは思いませんが。
同じ症状で悩んでる方で『わかります!』と言ってくれる方、共感できる方は興味関心を持ってくださって【(この症状の)関係者】と認識してくださるんです。
しかし、ブログタイトルだけの元気な人は『あー、こんな人いるんだ大変、かわいそうー』と思い、前記の通り元気で楽しい毎日を送っているので興味も感心も湧かず【無関係】と思うから見向きもしないんです。
さてきました。③です。
③芸能人のゴシップネタへの反応の異常の多さ
これですよ。確かに今で言う”推し”のゴシップやスキャンダルが出たらそれはショックだと思います。色々とコメント書いてしまうかもしれません。しかしですね、当事者や親族、友人規模によっては弁護士とかそういった人たち以外は”無関係”なんですよ。確かに、『一般的に考えるとあり得ない!』だとか『倫理的に』とか色々あるでしょう。しかし、私自身、正直イラッとした時には意地悪というか優しさを人に向けないときだってあります。それだって倫理に反するでしょう。
確かにやってる事は人の心に印象付けたり、ファンや応援している人にとったら衝撃的な事かもしれませんが、それでも『無関係』なんです。
それほどまでに無関係なのに、まぁ『ショック』ぐらいなら言論の自由だと思うし、ファン側の傷ついた心のケアとして一言くらい何か発信したいのはわかります。それくらいならまだしも、誹謗中傷などのコメントを打つのは何故なのか。今やそういった発言はやれ開示請求だなんだ、訴えるだなんだ言われているのに。
もちろん、これには上記の①と②の他に、そもそも沢山の原因というか要素があるのも事実です。
・人の不幸は蜜の味
・自分の意見を主張をしたい
・倫理的に許されないことをしているんだからなにを言われても仕方ないと思っての発言
・↑だから、ここぞとばかりに持論を展開する人
その他にも沢山発言したくなる要素はあります。
でも、【無関係】ですよね。
会社で同じ部署の人が困ってても、興味ないし被害を被りたくないから【無関係】
学校で盗難事件があっても、別のクラスだし、自分は興味ないから【無関係】
同じ会社、同じ学校として、問題が起きたり誰かが困っていても、知らなかったり、嫌いだったり、その他の感情で人は【関係者】か【無関係】かを自分で選択しているんです。
つまり、自身の匙加減なんです。
だから、親族での話し合いや揉め事、学校の仲良しグループだと思ってたのに話の共有をしない時があったり、会社で業務内容なのに共有しなかったり、逆になにをするわけでもないが『社員または部署員として知っていてもらわなければ困る』事も、実働が無いんだから知りたくないと聞きもしない人。
それぞれが、自分で自分や他者を関係者または無関係と毎度毎度選択しているんだと思いました。話の内容によっては、当事者だからこそ黙っておいた方がいいな、あの人には伝えないであげようなどありますよね。例えば陰口とかです。
少し話はそれましたが、人は興味があると【自分は関係者】と思うんです。
だから、人のゴシップや不幸話でも、自分なりの意見、持論、倫理観があり、絶対的にこの考え方は良い!人にも聞いてもらいたい!となると、口を挟むのです。聞いてもないのにですよ。
勝手にやってきて勝手に話を聞いて『それってさぁ〜!!』と突然持論を展開するんです。
いや、お前無関係だろうが。
関係がないからこそ無責任に色々とものを言えるというメリットもあります。聞いた方からしたら迷惑ですが。
逆に、『これ、どう思う?』と言われても、毛ほども興味のない人間から言われた興味のない話題だったら
『あぁ、関係ないからちょっと変わらないかな』
と言いますし、言われます。そこには嫌いという感情、関わりたくない感情もありますが、接点のない人にいきなり話を振られても興味が湧かないのも理解できます。しかし、『お、珍しい人から話かけられた!』とそこで相手に興味関心が持てると【関係者】または関係者に近い認識を自分で持ち、話をするのです。
そう、”自分は関係者か無関係か”を、俯瞰や客観的に見てるのではなく”自分の興味・感心”という”匙加減”で決めているのです。




