【エッセイ短編】毒親、母親、"馬鹿"と言う言葉の話をまとめて怒りを鎮める方法を考えた件について
私は自分の母親を毒親の一種だと思っています。
しかし、人からすると『いい母親だ』と思われることもあるだろうとわかっています。
そもそも、親に対して失礼なことを考えるなんて悪い人間だとか親不孝だとか言う方もいると思います。もちろん産んでもらってご飯をずっと作ってもらっていろんなことしてもらいました。感謝は当然ですけどしてます。
ですが、私は母にとんでもなく怒りを覚える事が多々あります。子供のことに対して過保護がすぎるのです。過保護自体『保護が過ぎる』という意味ですが、更にです。被ってますが、それぐらいなんです、過保護では収まりません。
過保護なんて良いじゃないか。無関心だとか邪険に扱われるより。
いやいや、行き過ぎた保護である『過保護』は最早、害なんです。有害。
しかし、毒親だと言っても全てを否定しているわけではありません。ちなみに過保護は兄の方により発揮ており、私は過保護というか過干渉+邪険ですね。
母は私をどんな人間に育てたいのかもイメージしなかったんです。
カレーが作れそうな材料を渡してきて、オムライスにしろと言っているようなもんです。鶏肉もない、卵もない。でもそれでもそれなりなものを作ったとしましょう。でも「違う」と、本人の期待していたカレーとは違うと駄々をこねているのです。渡してきた材料が別なものなのに。
そう、母が私にしてきた育児や教育(正直教育なんてされてきませんでした)それは、母が私に何か望む人間像があったとして、それとは違う生き方、考え方を選択せざるを得ない接し方をしてきたのです。
もしくは、私が全然別の考え、正反対の感情や価値観で育ってきてしまったのかも知れません。
母が私に望む人間像が『優しい人になってもらいたい』だったとしよう。
母は子供の話を聞いてくれない。話しかけても忙しいからあっち行ってろと言われる。友達関係に勝手に口を出される。子供の意見を尊重どころか一切聞きもしない。
しかし、母自身も祖母から『育てられ』てはいないのだ。祖母は口も悪く、近所の人にいい顔をするのは良いことというか悪くはないが、身内には信じられない程の暴言を吐く。病気で車が運転できない私が、元々運転の出来ない母と、辺鄙すぎて公共の交通機関で行くのが馬鹿みたいに思えるくらいの山奥に、それでも電車とバスを乗り継いで行った時の事。『あぁ、車があればなぁ』というのだ。これは、【みんなこの家に来る時には車で来るのに、お前たちは車じゃないから買い物にも行けない】と言う意味と私は捉えてしまった。でも、当たらずとも遠からずだ。
自分は免許を取ったこともないのに。
なんなら視力の問題ではなく教育を受けてないから字も読み書き出来ないのに。
病気で運転ができなくなった、運転が大好きな私に向かっていったのだ。ちなみに長距離の運転ができないだけで、運転操作自体は問題なくできる。あとは少し視力というか三半規管や遠近感の問題があるが、それでも自身の全盛期と比べると『あぁ、精度が落ちたな、右折怖いな』と恐怖心も加算されて運転が怖いのだ。ずっとマニュアルの車とバイクを20年近く乗っていたし、今でも乗りたいと思っている。少しなら乗れますけど。
孫の中でも一番多く車で祖母のところへ行き、祖父が亡くなった時だって大学生だった私だけが動けるからとしばらく泊まり込んで買い物に乗せて行ってあげたものだ。
あぁ、話がずれました。とにかく、母が母なら祖母も祖母なわけで。蛙の子は蛙だなとも思います。と、言う事は、私も祖母や母の気質を持っているわけです。しかし、明らかに違うのは、社会で働いた経験があると言うこと。結婚までに腰掛けで数年だけ働いていた母とも違う。働いたことがない祖母とも違う。
それに関しては本当に雇ってくれた会社に感謝である。
ちょくちょく挟んでおきますが、母と祖母を全面的に否定しているわけではないです。こうやって分析していき『じゃぁ仕方ないよね』と自分の心を穏便に収めていくだけの手法である。
少なくとも人に『怒鳴り散らす』事はしないほうがいいと思うが何か言われたりされたときに『怒る』という事、その感情が生まれたときに押さえ付けることはしなくていいと思ってます。
怒りでも、喜びでも、『心』が動いている証拠です。『心』動かなくなったらおしまいだと私は思ってます。
ですが、怒りをそのまま心に飼っておくのも体に良くないんです。一瞬怒りを感じて、それを押さえ付けることをせず、『自分は怒っているんだ!それはどの部分に?』と自問自答始めるんです。
これ、20代の時に人に言われたり本を読んだりして既に知ってたんです。でも、全然できないどころか意味もわからなくて、全く出来ないし、やろうとも思わなくなったんです。
それが、そのわからないと思った時から最近の見聞きしたり自身で勉強した事が全部繋がり、今なら理解できます。
『怒っちゃダメ!』と言うのは、『他人にその怒りをぶつけるな』と言う事。でも、腹が立つことを言われたら『違う!!』って怒りたくなりますよね。でも、その人が例え非人道的な事を言っていたとして、または貴方のことを馬鹿にした風に言ったとして、それが本当に貴方が思っているような事なのだろうか?本心で言っているのだろうか?
「お前デブだよな!」
「お前ブスだよな!」
これは誰でも怒りたくなるワードかも知れません。しかし、本当のデブにはデブと言わないとも聞きます。ちょっとぽっちゃりしてる人だって、ムキムキに鍛えた男性や、ガリマッチョの男性。女性ならガリガリの人や、モデル。そう言う人と比べたら平均体重の方だってぽっちゃりに見えます。
特に、人には見えない部分が少し太ってきたな・・・と気にしているなら尚更心に刺さったりします。
でも、その程度の太りをデブと表現する相手の心理はなんなのでしょう?そもそもその人は痩せているのでしょうか?その人だって普通だし、なんなら肉付きのいい部分もあるんじゃないですか?例えば女性が女性を"デブだよね"と言ってたとしましょう。でもその人も痩せてるわけじゃない『私は胸が大きいだけだから』と言っても、やっぱりデブに見えるならお前もデブだろうと。
こう言う人は、自分をその比較対象に入れないで話しているんです。自分の都合のいいように。
そう、人は自分の都合のいいように話すんです。
私の母も、誰彼を侮辱するわけでも、馬鹿にするわけでも(同じか?)なく、良いように使ってやろうとか思ってるわけじゃないんです。『自分に都合がいい事』をベラベラ喋っているだけなんです。目の前の人間の心を無視して。
祖母も、私が傷つくとか関係なしに(車があれば少し遠くの買い物も楽に行けるのに)と『自分に都合がいい事』を喋るんです。そりゃ車で乗っけてってもらえりゃ良いだろうよ。他人じゃ無いし気兼ねなく乗せてけって言えるし、タクシーじゃ無いからお金もかからないもんな。全部、言っている本人にだけ都合のいい事。
でも、こう言う人たちに限って自分が言われるとものすごく憤慨したり落ち込んだり喚いたり泣き散らしたりします。だから気にする必要がそもそも無いんです。
だから、相手にする必要ないんです。
と、ここまで出来事を因数分解すると、心がが落ち着くんです。
『じゃあ、仕方ないか。放っておくか。馬鹿なんだし』
はい、次です。『馬鹿』と言う言葉に関してです。
「人を馬鹿にするな」「馬鹿と言うな」など、馬鹿に関しては悪口だとか冒涜だとか多分もうパワハラの世界なんでしょうね。はい、ここでもですが、人を「馬鹿」と思うのは悪いことではありません。「馬鹿」は相手を底辺の人間だと貶める言葉として世の中に定着してますが、本来はそうではないからです(偏見)
しかし、やはり先ほどど同様に「馬鹿」と口に出すのはおすすめできません。一度吐いた言葉は取り戻せないからです。はい、では馬鹿のマイナスイメージや考え方を変えましょう。これで『あぁ、また人を馬鹿と思ってしまった。私は本当にひどい人間だ。やっぱり心が荒んでいるのか。意地が悪いのか。性格が悪いのか』なんて思わなくていいんです。
「馬鹿」とは、その人の全てを否定しているのではないからです。
私にとっての「馬鹿」とは、『私の思い通りに動いてくれない人』を馬鹿と思うのです。
例え話をします。
北海道スタートで、東京、愛知、京都、香川、長崎、沖縄を最短距離で回ってきてくださいと言われたとしましょう。
おそらく、上記の順番でいくと、無駄がないように感じますよね。(もちろん、出張のプロからしたらもっと良い順番があるかもしれません。)日本列島を例えに出すとあまりにも大き過ぎましたかね。では、それを自身の近辺のスーパーをハシゴすると考えてください。最短のルートってありますよね。
でも、何を買うかによって道順は変えますよね?最初に思いお米を買ってしまったら、もし自転車だった二軒目のスーパーに寄る時にはお米を持ってお店の入るのか・・・?自転車のカゴに置いておくのか?このお米が高いご時世に?鍵もかかってない自転車のカゴに?そうすると、私はこう思います。
『お米を買うのは最後にしよう』
防犯や、重い自転車を漕ぎたくないからだ。
先にお米だけ買って一度帰ってくるのも良いが、お米を買う予定のスーパーが一番遠いスーパーだったら?非効率である。効率や、警戒、危機管理などを考慮して、多少の無駄はあってもこれは一番だよねと言うものを人間は考えるのだ。
まさか三件のスーパーをハシゴ予定で、最初の一軒目でアイスを買う人はいないだろう。でも、それをするのが、1軒目のスーパーでアイスを買うのが私の母なのだ。1軒目のスーパーでしか売ってないなら、順番を最後に回せるなら最後にするし、別日でいいならそうする。そう言うことを考えられないのがウチの母である。
ただ、それはプライベートの話。正直プライベートでは効率悪かろうがなんだろうが、そういった成果を求める場ではないと思ってます。でも、私は多少は思いますけどね。アイスは溶けちゃうと困るので。
問題は『社会』や『会社』だ。
社会、会社というのは、ルールがある。海外では知りませんが、日本ではおなじみとなっている・・・すみません私は関東に住んでいるので関東のルール・・・すみません、北関東はわかりまs(ry
さて、電車は『降りる方が優先』というのが私の生活圏ではルールです。降りないと空かないから乗れませんし。そんな事と同じように、会社は会社で、それぞれ色々あって決まったルールというのがあると思います。納期、期日、経費精算の範囲、決済の承認ルート、色々です。馬鹿みたいに思えることでも、理由があるんです。99人の人が当たり前にできる事であっても、1人が出来ない人がいるだけでルールが変わってしまうこともあるんです。逆に、ルールに沿うように頑張らなくてはいけないことも。
会社は利益を求めます。損害、損失は最小に留めたく、なんなら問題は起こしたく無い。その為に、誰でも出来る様なルールを決める。多少面倒でもチェックポイントを作る。
沢山の面倒や多少の無駄を入れながらも、利益を求めて【効率化】しているのだ。
そう、会社のために。その先には、あれば消費者が。そして、会社の為は会社の社員のお給料に繋がります。
そうやって会社が無駄なく出来る様に定めたり、定まってなくても、無駄をなくして行動することを考えるんです。考えて、効率化するわけです。
なので
「私はこっちが良いと思ったんです!」
と言う個人の意見はどうでも良いことなんです。 同じ日にA社、B社、C社の3社に現物サンプルを配布するとしましょう。
スーパーと一緒です。ただ届けるだけで、先方と話す必要もないなら、どのルートが良いか?つまりどのルートが速くて安く行けるか?と考えるんです。
そこに、
「私はこう言う順番で行きたいんです!」
と、誰が見ても非効率、非経済的金額の経路を提案したら怒るだろう。
「馬鹿なのか!」
と。プライベートなら好きにしてくれ、しかし、コレは仕事なんだ。ビジネスなんだ。
会社の意を汲んでいる上司が、何度説明しても非効率、非経済的な業務遂行をしている人を見たら『会社に、自分にとって思い通りに動かない社員』は"馬鹿"なんです。
人格を否定してるわけではないんです。仕事の仕方や理解が追いつかず、会社の意に沿わない、思い通りにならないと『馬鹿』と思われるんです。
会社がそう言ったことを説明して、とりあえず言われたことをする。でも良いのですが、一切理解ができず言うことを聞かない人と言うのは『馬鹿』と言われます。何度も言いますが、人格否定では無いんです。ここまでは。だから、中には優しくて仕事ができない人を『馬鹿だなぁ』なんて周りが言って可愛がるじゃないですか。女性が仕事もできないのな男性にチヤホヤそれで腹が立ってるお局がいますが、コレですよ。
仕事ができない馬鹿=人格否定ではないからです。
(ちなみに腹が立ってる側の女性は、尻拭いさせられてる側ですよ。無関係なら一緒に「可愛いなぁ」って言いますよ。尻拭いさせられて、感謝も言われない、拭ってやった奴が可愛いなんてチヤホヤされてたら腹立ちません?)
しかし、中には言うことも聞かず人格も破綻してる人もいます。
そう言う人は、男女分け隔てなく満遍なく嫌われていることでしょう。
そう、人は自分の思い通りにならない人の事を『馬鹿』と言うのです。知能が低いとか、そう言う事だって、結局は『自分の言っている事を理解できない→仕事が穏便に進まない→思い通りにならない→馬鹿』になります。
これは、『人の事をまた"馬鹿"と思ってしまった。』と自己嫌悪に陥りそうな方へ向けてですね。馬鹿と口の出すのはお勧めしませんが、思うくらい良いです。思いたく無いならその後に変換すれば良いんです。
《馬鹿と思ってしまった。でも、その馬鹿は相手を全否定してるんじゃ無い、あくまでも"思い通りに動いてくれなかった"と言う事だ。人間性を否定してるわけじゃ無い》
そうすると、馬鹿という言葉に対する印象も変わるんじゃ無いでしょうか?
*ここから下は愚痴です。
そもそも、父が病気になって介護が必要になった時点で
「私一人じゃどうしようもできないと」
と母が私に言い、私も私で確かにこの母一人じゃ無理だろうと仕事を辞めて実家に戻りました。
結婚したいと20代の時に言っては
「そんな人はダメ!」
だのなんだのと言っていたのに、今では『その人に結婚して貰えばよかったね〜』とか言う始末。
そもそも、父が病気して私が帰ってきた時、私も自分の病気で心身ともに疲弊していたので結婚してしまおうと思って母に言ったら
「だめ!地元に住んでもらわないと!!近くにいてもらわないと私が困るんだよ!!」
横暴すぎるだろ。お前はいいよ。腰掛けだけの仕事して結婚して子供産んで、今この状態で子供の幸せより自分の保身に走っているんだからな。
「近くの人と結婚して!!」
じゃあ、相手の人にウチに住んで貰えば良いか?と聞くと
「一緒に住むのは嫌だ!」
わがまま放題だ。相手は相手でわざわざ私の方で住むなら職場から馬鹿みたいに遠いのだから寝に帰るだけ。家賃払うのも馬鹿らしいから私の実家に住まわしてくれと。それが出来ないなら流石に…と言われた。
そして5年経ち、結婚できないまま。次の相手も見つからずのまま。働きにも出れないんだ、どこで出会いを見つけろってんだ。私は元々結婚したかったし子供だってまだ欲してる。それを日頃から言ってるのに先日トドメをさしてきた。
「○○の奥さんの娘さんたち、二人とももう子供生まれたんだって〜!」
母の弟は数年前に再婚したのですが、奥さんに娘さんが二人いて、私と年が近い。むしろ私が間に挟まれるような年齢間だ。
それをいけしゃあしゃあと言ってきたのでその時は流石にブチギレました。あ、言葉が悪いですね、憤慨しました。
結婚したいとずっと言っている娘を手元に縛り付けて置いて、娘が欲した幸せを叶えている人をしかもまぁ義理ですけど親族の話を出すんですよ。流石にデリカシーがないと怒りました。
しかし、母からすると『ただの世間話』程度なんです。自分の弟の義理の娘が二人とも結婚して二人とも子供が生まれた!あぁ!めでたい!めでたい!みんな幸せ!の世間話なんです。私の気持ちは無視です。しかも人の話を常日頃から聞かないので私に怒られた母はこう言いました。
「なんだ!まだ結婚する気あったの?!じゃあ早くしなよ?!もうそんな年なんだから!速く結婚して子供産みなよ!!なんだもう結婚する気ないのかと思ってた!!」
私がもう結婚をしないで、ずっと家にいて自分達の面倒を見てくれてると思っていたんです。そう、『自分に都合の良い』事を言っているのです、そう思い続けて、それが現実になっているとでも思っているのです。だからこういうことを言うのです、こうやって、自分の都合の良いことを言い続けて押し付けてくる母は、私にとって悪害、有害、自分の思い通りにならない。
だから私は母を『馬鹿』と思うのです。




