081 弟くんがおらへんで!
エレベータの扉が開く。
1階のエントランスには、ドアやその両脇にあるすりガラスから朝日が差し込んでいた。
「まだ外の世界がどうなってるかわからない。あのドアを開けてみないとね……」
美玲ちゃんが神妙な面持ちでドアを見つめている。
「前回ドア開けたら、目の前に広い道路が横切っていて、その先には高層マンションが建ち並んでいたんだ」
ぼくはチャーシューに説明した。
その額に汗が浮かんでいる。
「……いざドアを開けたら別の世界。って可能性もあるっちゅうことやな」
ぼくらはエレベータから足を踏み出した。
ゆっくりとドアに向かって歩いていく。
モスグリーンのドアのくすんだ金色のドアノブに、美玲ちゃんが手をかけた。
「どうか、元の世界に戻れますように……」
がちゃりとドアノブを回す。
錆びた蝶番が擦れる耳障りな音を響かせながらドアが開いていく。
隙間から差し込んでくる眩しいほどの光。
ぼくらの顔が、その光に照らされる。
眩しさに目が慣れたとき、ぼくの瞳に映ったのは……。
「やった。やっと戻ってこれたよ……」
そこは木漏れ日が差し込む、木立のなかだった。
湿り気を含んだ夏の朝風を受けながら、木立のなかに進み出る美玲ちゃん。
その目に涙が滲んでいる。
「そやなぁ……。めっちゃ長いこと、此処におった気がするで……」
しんみりと言いいながら、続いてチャーシューがビルを出る。
するりとぼくも、ドアから飛び出した。
「そうだよね。チャーシューは五年も、ここで生活してたもんね……」
あ、やば。
それは内緒だったっけ。
思わず口を押さえたぼくを、チャーシューが不思議そうな目で見ている。
「……なんや、足元から声が聞こえたんやけど、黒崎はん聞こえんかったか?」
「なんも。何も聞こえないよ」
ちょっと!
こんな嬉しい瞬間に、ぼくを無視するなんて何事だい!
ぼくはチャーシューの練馬大根のようなふくらはぎにパンチした。
……あれ?
いつのまにかぼくの手は、まあるくてもふもふの可愛いネコの手になっていたんだ。
チャーシューがふくらはぎをガリガリ掻いた。
違和感を感じたんだろう。
そのチャーシューが、あわてて辺りを見回した。
「……おい黒崎はん! 弟くんが、また行方不明やで!」
「……おとうと? わたしに弟なんていないよ」
したり顔でこたえる美玲ちゃん。
信じられないといった表情で、チャーシューが反論する。
「おったやんか! 四歳くらいの男の子と、一緒に冒険したやんか!」
「……確かに居たね。でもそれは、この幻影ビルが見せた幻なのよ。もう忘れましょう」
そう言いながら、ぼくにウインクする美玲ちゃん。
はいはい。
ぼくはまた、みんなには見えない化け猫に戻りましたよ。
美玲ちゃんの弟になれて、ぴっとりほっぺまでくっつけて、けっこう幸せな時間だったんだけどな……。
そのときだった。
「驚愕だよ。まさかこの激ヤバ最怖スポットから、抜け出せるとはね」
とつぜんぼくらは声を掛けられた。
一斉に声のした方向に視線を走らせる。
そこには、木立の陰からゆっくりと姿を現す、一人の男がいた。




