【第三十六話】紐解く裏側
【前回のあらすじ】
フェリスライトの聖獣にまつわる神話が気になったみくるは、ミレクシアの図書館に赴く。見つけた本には、白い聖獣に導かれ三つの証を手にし、やがて狂える神を救った少女の逸話が載っていた。すると読み終えたタイミングで、丁度授業を終えたクローヴィスがやって来る。彼はみくるに「その神話に関して一つ面白い話を知っている」と意味深に告げた。
ぱたん、と本を閉じる。表紙を指でなぞれば、少しざらっとした丈夫な布の感触が伝わった。
静かで、紙とインクと木が混ざった特有の匂いが漂う図書館の中。向かい合うクローヴィスさんは、ほんの少しだけいたずらっぽい、挑戦的な笑みを浮かべていた。
「面白い話……?」
「ああ」
あたしが聞き返すと、彼はテーブルの上に肘をついて指を組む。
「その神話の、ちょっとした裏話……とでも言おうか。神話学者達の研究で解き明かされた、とある興味深い話が有るのだが」
もったいつけるような口振り。わぁ出た、クローヴィス先生の豆知識だ!
「そんなこと言われたら誰だって気になるって! 聞かせて! それにクローヴィスさんだって、話したいから言ってるんでしょっ?」
食いつくと、思惑通りと言わんばかりの満足そうな笑顔。つられてダイフクも顔を上げた。
「ふふ、そうだな。では早速――」
秘密の話っぽく、ちょっと上半身を倒して顔を近付ける。ピンと立てられる右手の人差し指。
「この神話で、少女が三つの証を手にするだろう? 実はね……これらの証は、全て実在する物だという考察がされているのだよ」
「えっ!? あるの!? 不死鳥の尾で編んだ布とかが!?」
素っ頓狂な反応を返すと、クローヴィスさんはやんわり首を振って笑った。
「いやいや。残念ながら、そのままの形ではないよ。不死鳥はあくまで伝説上の存在であって、架空の生き物なのだからね」
「そ……そっかぁ~」
魔法もドラゴンも精霊も存在する世界で、架空って言われちゃってもなぁ……と、内心微妙な納得いかなさを抱えつつ、とりあえず頷くあたし。
お兄ちゃんも同じこと思ったみたいで、ふふんと笑う息遣いが聞こえてきた。
「じゃあ……どういうことなの?」
「順番に説明しよう。まず不死鳥の布の正体は、ある植物から作られた布だと言われている。それがカルドリスという名の蔓性植物でね」
そこで一旦言葉を切って、立ち上がったクローヴィスさんは、近くの本棚から二冊本を持ってきた。どっちも図鑑らしい。その内の一冊を開くと、ページを指で示す。
あたしとダイフクは、食い入るようにそのページを見た。太い木に何重にも巻き付いた、ツルの絵が載っている。ページに手が置かれたまま、説明は続いた。
「気温が高く乾燥した地域に多く生えていて、暑さにとても強いのが特徴だ。だからカルドリスから抽出した線維を圧し固めて作った布は、耐火性と遮熱性に優れていてね。この布を火にくべると、付着した汚れだけが燃え落ちて、あたかも新品であるかのように見える……。火に触れると再生すると言われているのは、これが所以だろう」
「へー! じゃあそれで全身くるまってたら、火に飛び込んでも平気?」
炎の中から無傷で登場するかっこいいシーンを想像しながら聞くと、クローヴィスさんはうーむと考え込む仕草を見せた。
「流石に神話程の防護性能は無いだろうが……それでも、役に立つ代物なのは確かだ。今でも、貴重な歴史的資料の保存に用いられたりしているよ」
さて次だな、と言ってからクローヴィスさんは本を変えた。今度はもう一冊の方を開く。
そこには岩場にいるゴツゴツとしたトカゲが描かれていた。
「うわ恐竜みたい……あ、ひょっとしてこれが案内役のトカゲ?」
「そう。神の遣いと言われた蜥蜴だが……此処に載っている、ロドサラマンダーではないかという説が有力なのだよ。地下洞穴や森林の奥深くに生息する蜥蜴で、鮮やかに赤い尻尾が特徴だ」
絵を改めて見ると確かに、体は濃い灰色だけど尻尾だけが熱されたみたいに赤い。
「でもなんでこれが神話に出てきたトカゲって分かるの?」
質問されるのが楽しいのか、クローヴィスさんは目をちょっと細めつつ答えた。
「それはだね……ロドサラマンダーの尻尾が持つ、特殊な性質の為だ。この赤い尻尾の先は不思議な事に、常に北を向き続ける。だから方角を見失わず、案内役に適した生物という訳だね」
「……なんかそう言われると、色も相まってコンパスみたいな尻尾だね……」
ダイフクも気になるのか、スンスンと鼻を鳴らしながらページに顔を近付けた。
「実際にロドサラマンダーの尻尾は道標として、冒険者の間でも重宝されると聞く。磁場を読み取る能力が有るのではないかと言われているが……いまだに謎の多い、面白い生物だよ」
「へぇ~」
一応、ロドサラマンダーの説明文にもざっくりと目を通してから、あたしは顔を上げた。
「じゃあ……三つ目の天界樹の葉っぱは? 光る樹がホントにあるってことなの?」
頷くクローヴィスさん。
「その通り。ただ天界樹ではなくて、ノクトツリーという名前だがね」
カルドリスの時に見ていた本が、再び開かれた。ぱらぱらめくるたび、紙の擦れる控えめな音が小さく鳴る。
そして手の止まった先――そこにあったのは、暗闇の中で青白く光る樹のリアルなイラストだった。クリスマスのイルミネーションみたいだ。
「おわ~キレイ!」
「きゅ~!」
場所が場所だけに若干抑えめだけど、はしゃいだ反応が重なる。絵だけでもこんなに幻想的なんだから、実際に見たらすっごいんだろうな~。
くすりと笑って、クローヴィスさんは口を開いた。
「この樹は、水に触れると発光する成分を樹液や葉に含んでいるんだ。だから、雨の日には樹全体が淡く輝いて見える。その美しさから、一部の地域では神聖視されていたりもしていてね」
ページの上を滑る指。説明文のとある箇所を指しながら、続けて言う。
「しかもただ美しいだけではなくて、精製された葉のエキスは治療薬としても用いられる。まさしく自然が恵む、神秘の樹だ」
「いいなぁ。これってこの辺で見れたりする?」
「それは……少々難しいな。ノクトツリーは寒冷地帯に分布する樹だから、この辺りの気候では暖かすぎてね」
「そっか……」
これで、三つのアイテムの解説が終わった。あたしは神話の本を手元に引き寄せると、う~んと声を上げる。
「神話だとなんかすごそうな感じだったけど……三つとも、実はそんなに珍しいアイテムじゃなかったんだね」
「そう、意外な事にね」
なんだか、雲の向こうにいたものが急に手元に落っこちてきたみたいな、不思議な感覚がした。
でも言われてみれば現実世界でも、超常現象が実は説明できるものでしたって話はよくあるもんね。例えば心霊写真にありがちなオーブ。あれも単に空中のホコリとかがフラッシュに反射してるだけだって、どっかで見たし……。
するとそんなあたしの表情を見て、クローヴィスさんは少し心配そうに首を傾けた。
「……すまない。より興味を持てる切っ掛けになればと思って話したのだが、夢を壊してしまったかね?」
「ううん、むしろ面白かったよ。いい話聞いた!」
笑顔で首を振ってみせれば、安心したように微笑む。
「ならば良かった。神話はそのまま物語として楽しむのも良いが、こうして読み解いてみるとまた、更に味わい深くなる物だよ。私の授業内でも、子供達に人気なテーマの一つだ」
「だよねぇ。私も好きだもん、そういう雑学的なやつ」
「それは何よりだ。丁度みくる君の後ろにある棚に、そういった本が集められているよ」
「え、見てみよ」
早速席を立って、真後ろの本棚を眺める。クローヴィスさんが隣に立つのとほぼ同時に、ダイフクもトコトコ歩いてきた。
「クローヴィスさんがさっき話してたのが載ってる本も、あったりする?」
「勿論。そうなると……ううむ……あぁ、この本なんて良いかもしれない。内容も易しいから、神話学の入門としてもお勧めだ」
腰をかがめて抜き取られた本のタイトルは『紐解く神話の世界』。結構年季の入った本みたいで、ちょっと日焼けした表紙やページは貫禄も感じる……けど、ざっと見てみると難しそうな字もそんなに無くて、確かに読みやすそう。
あたしが受け取ると、クローヴィスさんは一度壁に取り付けられた時計をちらっと見てから視線を戻した。気付けばお昼が近い。
「まだ此処で読むかね?」
「うーん、キリも良いしお腹空いたから、ご飯食べに行こうかな。またマーケットに行ってみたいし……あ、リーリアが行ってたオズウィン食堂ってとこも気になるかも」
「ああ、それならばミルキー茸のクリームシチューがお勧めだよ。私も好きでよく食べるんだ。窯焼きのパンと合わせて食べれば絶品でね」
「ホント!? んじゃそれにしよっかなー」
「きゅっきゅ~」
ダイフクもなんだか上機嫌に、足下で飛び跳ねている。
「えと……ダイフクはあたし達と同じの食べて大丈夫なのかな。なんかこう、塩分とか」
「うーむ、流石にどの神話にも聖獣の食事については書かれていなかったな……」
『まあ大丈夫なんじゃないか? 犬猫じゃあるまいし……少しくらい』
て、適当だなぁ……。
ゆるくお喋りしつつ、その神話学の本と読みかけの神話集を借りることにしたあたしは、カウンターに向かった。
本の裏表紙の内側に取り付けられたポケット、そこに挟まっている貸出票に、名前と貸出日、そして返却予定日を記入して司書さんに渡す。完全アナログな貸し出しシステムだ。
「あら、この本が借りられるのも随分久しぶりね。紐解く神話の世界……私も以前読んだけれど、お気に入りの一冊よ」
貸出票をコルクボードに貼り付けて、司書さん――アンネのお母さんでもある――が笑顔で言った。
「そうなの? じゃあ宿屋に帰ったらじっくり読もうっと」
「ふふ。きっとまた手に取ってもらえて喜んでるわ……はい、手続き完了。またいつでも来てね」
「ありがとうございまーす!」
返事を返して、カウンターの上に置かれた二冊を取ろうとした時だった。
「……おっと。すまないみくる君、ちょっと失礼するよ」
横からクローヴィスさんがスッと手を伸ばして、神話学の方の本を手に取った。
「ん? どうしたの?」
「いや大した事ではないが、長らく書架に置かれていた本だから……少し埃汚れが有るなと思って。大丈夫、軽く拭えば取れる程度だ」
言いながら窓辺に移動して背を向けると、上着のポケットからハンカチを取り出す。そして本を拭いたり払ったりし始めた。確かに結構古そうな本ではあったけど、あたしは全然気にしなかったなぁ。そ、その辺が几帳面さの違いなのかな……?
「あらあら。ごめんなさいね。掃除はきちんとしているつもりだったのだけれど……」
司書さんが頬に片手を当てて言う。
「いや、私が気にし過ぎなだけだとも。どうもこういうのは、性分でね」
やがて作業が終わったのか、ハンカチを仕舞いつつクローヴィスさんが戻ってきて、本を差し出した。
「これで良し、と。足止めして悪かったね」
「ううん、ありがとう! それじゃぁね、クローヴィスさん」
「うむ。ではまた」
手を振って、本二冊を小脇に抱えたあたしは、ダイフクと図書館を後にした。
それから少々時間が経って。昼食を終えたあたしは、宿屋に戻ってきていた。
……ちなみに立ち寄ったオズウィン食堂では、店主のおじさんがあたしを見るなり「あの妖精の女の子も一緒か!?」とやたら怯えたような顔で聞いてきた。ば、ばっちりトラウマ植え付けられてる……。
「へーっ、コレがホントのダイフクなの!? かっこいーっ!」
ところがそんな事とは知らないリーリアは、無邪気にあたしが持ち帰った本の挿絵を見て目を輝かせている。ちょうど部屋にいたので、遊び相手ついでに借りてきた神話を読み聞かせているのだった。
当のダイフクはというと、今はタリスマンの中。食堂でミルクをもらって、あたしのシチューもちょっとつまみ食いしてすっかり満足したのか、戻っていってしまった。自由気ままだ。
「いつかせなかにのれるくらい、おっきくなるかなぁ?」
両腕をバンザイするように伸ばして全身で大きさを表現しながら、リーリアが言った。
「うわ~分かる夢だよね~、でかい動物に乗って走るの! けどリーリアくらいのサイズならそのうちいけるんじゃない?」
「ふへへ~たのしみ」
投げ出した両足をご機嫌にぱたぱたさせるのを見つつ、あたしはベッドの上に置いていたもう一冊に手を伸ばす。そして、少し声を低めると言った。
「ねぇねぇリーリア。このお話自体も面白いんだけどさぁ……あたしね、もっと面白い話知ってるよ」
図書館でのクローヴィスさんと同じ、もったいぶった口調と言い方。つまりは早速、受け売りの雑学を披露しちゃおうという訳だ。
「えー!? なぁに!?」
予想通り、リーリアはあたしの足に両手を置いて身を乗り出してきた。ふふ、なんだか急に物知りになった気分……。
「さっきの話にさぁ、証って出てきたじゃん。不死鳥の布とか。でもそれって実はこの世界に実在してて――」
含み笑いしつつ喋りながら本を開く。目次を頼りに、指先でページを進めて……
その途中、ページの間から何かがスルッと滑り出てきた。
「おっと?」
それは木の床に落ちると、カシャッと固めの音を立てる。
「あれ、何かおちたよぉ?」
拾い上げるリーリア。それは手のひらサイズの薄い金属板のようなものだった。短冊形で、複雑な紋様が彫ってある。
「栞かなぁ? 前に借りてた人が挟んでたの忘れたまま返却したとか」
「ぴかぴかだねー」
「ね。彫刻が入ってるのもなんかオシャレだし、さすがファンタジー世界はこういうとこも魔法っぽいなぁ」
顔の上にかざして、窓からの光を反射する金属の栞を眺める。
……ん……?
「みくる? どしたの?」
「あ、いやちょっと……」
ふとあたしは、その栞が挟まっていたページに視線を落とした。
なんか……ちょっと、引っ掛かるような……。
ところが、その小さな小さな違和感は、すぐ消し去られることになった。
なぜなら直後に、ドアからノックの音がして思考が中断されたからだ。
「ん、誰だろ? はーい」
返事をすると、ガチャリと開いたドアの向こうにはシグレ……の他に、ジタンとオルフェも立っていた。
「どしたのぉ?」
きょとんとしているリーリア。するとオルフェが一歩、前に出た。
「急で悪いのぉ、二人共。今……少し、時間あるか?」
静かに口を開く。隣のジタンは無言のまま、真顔であたし達を見ている。
……えっ、な、なんか……妙に深刻っぽい雰囲気なんだけど……!?
「ちょ……何事?」
「ワタクシもよく分からないんですよ」
二人の隣で、困ったような顔のシグレ。
「鍛錬をしていたところを碌な説明もなく連れ戻されて、それからも全員揃ってから話す、の一点張りで」
あたしと同じくただならぬものを感じているのか、どことなく居心地が悪そうだ。
「あっ、じゃ、じゃあロビー行く? そしたら全員ゆっくり座って話せるし」
「いんや」
あたしの言葉に、オルフェは表情を変えないまま首を横に振った。
「部屋ん中で話したいんじゃ。すまん、わしら二人も入ってええか?」
「い、いい……けど……」
思わずぎこちない返事をする。シグレが入ったのに続いてオルフェも上がって、最後にジタンが入ると後ろ手にドアを閉めた。
――それだけじゃなく、そのまま鍵まで掛けてしまった。
「ちょ……え?」
戸惑いっぱなしなあたしやリーリアを余所に、ドアがきっちり閉められたことを確認したオルフェは、続いて部屋の奥の窓に歩み寄った。
「すまんのぉ……ちぃと、秘密の話じゃけぇ」
全開にしていた窓が閉じられて――その瞬間、部屋の外の世界が、あたし達から少しだけ遠のいた。
「その、話って……?」
部屋の真ん中で輪になって、顔を突き合わせるあたし達。リーリアが不安そうに腕にぴったりとくっついている。オルフェは相変わらず思い詰めたような表情だし、ジタンのいつもの仏頂面も、なんだか重たく見える。いつになくシリアスな雰囲気がいたたまれなくて、あたしはお尻をもぞもぞ動かした。
「ほら、これでお望み通り全員揃ったじゃないですか。いい加減焦らさず話してくださいよ。ワタクシだってトレーニングを中途半端には終わりたくないんですから」
そんな空気を破るように、シグレが手を叩いて言った。片膝を立てた胡坐のような姿勢で、いつも通りの態度を貫く。
すると、オルフェが俯いていた顔を上げた。
「……ジタンには、もう既に話したんじゃ。みんな……どうか落ち着いて、聞いてくれんね」
隣のジタンにちらりと目配せを送ると、小さく頷く。
「話っちゅうんは、クローヴィスさんの事なんじゃ」
「クローヴィスさん? どうかした?」
あたしが聞くと、オルフェは一呼吸置いてから、ゆっくり続ける。
「……ここまで来て、ややこしい言い方もしとられんの。もう、単刀直入に言うわい……」
膝の上に置かれた手が、軽く握られる。そして、決心したように再び口を開いた。
「わしゃぁ、あん人の事、ちぃと怪しい思っとるんじゃ」
「……え!?」
あたしだけじゃない。シグレもリーリアも息を呑んだ。言ってる意味が分からなかった。
「あ、怪しいって、どういう……!」
「そりゃぁ……アムルーナの森の異変について、何かやましい事隠しとるかもしれん、ゆう事じゃ」
「……な……っ!」
あたしは思わず表情を強張らせて身を乗り出す。すると驚いたことに、横に座ったシグレもまったく同じ反応をしていた。
「何言ってんの!? そんな訳ないじゃん!?」
「証拠も無しに何言ってんですかアナタ!?」
「お、おう……どうしたお前ら、やけにあのおっさんの肩持つじゃねぇかよ?」
同時に感情を露わにしたあたし達二人に、面食らったような顔をするジタン。厄介そうに顔の前で片手を振ると、軽く息を吐きながら言う。
「落ち着けよ。何もオレ達だって闇雲に疑ってる訳じゃねぇんだっての。とりあえずは話聞けって」
「当然じゃ、疑うからにはちゃんと理由があるわい……順番に、話していこうかの」
重苦しく全員を見回すオルフェの瞳は、普段の優しさをすっかり潜ませて――水の底みたいな、深い影を宿していた。
「最初におかしい思ったんは、みくるからセレフィア湖行きを提案してきたっちゅう話を聞いた時じゃ」
ふっと、あたしに視線を合わせる。
「確か……みくるから月詠草の話をして、そこから月の力について手掛かりが得られるかもしれんっちゅう事で、セレフィア湖を教えて貰うたんじゃろ?」
「そ、そうだよ。月詠草だけ枯れてなかったって伝えたら、お手柄な発見だってすごい褒めてくれて……」
「そう、そこなんじゃ。わしが妙に思っとるんは」
やんわりとあたしの言葉を手で遮って、オルフェは言った。
「言い換えりゃぁ……みくるが言うまで、月詠草だけが無事じゃったいうのを知らんかった、っちゅう事になる」
「そ、そう……だね?」
「おかしゅうないか?」
遠慮がちで曖昧な相槌を、ばっさり切って続ける。
「クローヴィスさん自身、何度もアムルーナの森に行っとるって話をしとったじゃろう。現場をその目で見とるんじゃ。しかもその目的は調査――わしらたぁ比べ物にならんくらい、森の状況は詳しゅう調べとる筈じゃろう?」
眉間にシワを刻んだまま、オルフェはほんの短く息を吐いた。
「けど、月詠草が枯れとらんのは見逃した……そがぁな事が本当にあり得るか? わしらが一回見た程度で気付く違和感に、調査を重ねた熟練の研究者が気付かんなんちゅうこたぁ……普通、無かろう」
みくる、と再び名前を呼ばれて、どきっと心臓が跳ねる。
「最初にクローヴィスさんがセレフィア湖の名前を出した時の会話、覚えとるか? そん時、妙に回答ありきっちゅうか……不自然な聞き方はされんかったか?」
「そ、それは……」
言われてみれば、確かにちょっと誘導ぽかった気がしなくもないけど……いや、でも!
「そんなの分かんないじゃん! ベテランだからこそ考えすぎて見逃してたって可能性だってあるし……ほらあの……灯台が何とかってやつでさ!」
『と、灯台下暗しって言いたいのか?』
思わずって感じで、お兄ちゃんが控えめに口を挟む。
「ほうじゃのぉ。確かにこれだけじゃったら疑うにはちぃと足りんわい。……けど、これはどうじゃ?」
いつもに比べて暗い声音。空気が少し重たくなって、のしかかってくるような気がした。胸の奥でほんの少し、嫌なざわつきが生まれる。オルフェの声は落ち着いているのに……気が鎮まるどころか、逆立てられる。
「ヘルマレ洞から帰って、ここのロビーで話しとったときじゃ。わしら、クローヴィスさんに神具を見せたじゃろう」
「ええ……。そしてクローヴィス自身も、魔法を使って手助けしたいと。別に、おかしなことを言ってるとは思いませんでしたが?」
シグレの返事に、首を振るオルフェ。
「わしも、そこまでは良かったんじゃ。問題はその直後……。まぁ雑談みたいなもんじゃったけぇ、覚えとらんかもしれんがの。クローヴィスさんは、神具が入っとった宝箱に言及しとったんじゃ」
「ええっと……?」
昨夜の記憶を必死で掘り返す。そうだ、なんか神具が古いのにキレイな状態のままですごいねーみたいな話になって……。そこでクローヴィスさんは……。
――おそらく神具も、君達のように再び手に取ってくれる者が現れる事を祈り、信じていたのだろう。
――その時まで、頑丈な宝箱の中でずっと息を潜めて……奇跡を待っていた。
た……確かに、言ってたかも?
「……それが何か?」
怪訝な顔で短く尋ねたシグレに対して、オルフェは少しだけ顔を伏せた。
「……わしらは、神具が宝箱ん中にあったたぁ、一言も言っとらん」
あたしはハッと、短く息を吸い込む。オルフェはわずかに下を向いたまま、ゆっくりとまばたきをした。
「ただ隠し部屋にあった……としか話しとらんかったはずじゃろう? それなんに、なしてクローヴィスさんは……神具が宝箱に入っとったと知っとるんじゃ?」
「え……えと? あうぅ、どーいうコト……?」
すっかり混乱してキョロキョロしているリーリア。するとそれに答えたのはジタンだった。腕組みして、あえて誰とも目を合わさずに、独り言みたいにして呟く。
「隠し部屋の事も神具の事も、全部最初から分かった上でしらばっくれてるんだろ……。要は何も知らねぇ振りして、オレ達をセレフィア湖やヘルマレ洞に誘導してたってこった」
不愛想で、素っ気ない言い方はいつも通り。でも今はそれがものすごく、冷たく突き放すように聞こえた。
「ついでに言えばよ。仮にこれが最初から仕組まれてた事だとすんなら、森への対抗手段が偶然すぐ近くにあるっつう状況の都合の良さにも……ま、辻褄が合っちまうんだよな」
喉の奥で込み上げた声がグッと詰まる。
「……そ、それだってただの推測で言ったんじゃないの?」
苦し紛れと分かっていながら言葉を絞り出す。否定したかった。それがどんなに無理筋でも。
「伝説のアイテムが特別な宝箱に入ってるなんて、よくあるじゃん」
「それにしちゃぁ、妙に具体的に感じたわい。あぁほうじゃ、それと……宝箱と言えば、もう一つあるんじゃ」
追い立てられるように言葉が続けられる。自分に向けられたものじゃないのに、やめてと言いたくなった。モノクルの奥のはしばみ色の瞳は、一切動かない。優しい、だけど、絶対一歩も引かないその目に……思わず、ほんの少し怖さを覚えた。
「あん宝箱、妙に傷だらけじゃったじゃろう? わしも最初はそがぁに気にしとらんかったが……今にしてみりゃあ、誰かが先に神具を力尽くで取ろうとして失敗した、名残のように思えてならんのんじゃ」
「いや、それはさすがにこじ付けでは? アナタ自分で、昔の物だから当然風化もするって言ってたじゃないですか」
すっかり小さくなってしまったあたしの横で、シグレが反発するように言った。
「それにあんな野晒しの宝箱、モンスター共が荒らした可能性だってありますし」
「そ、そーだよ! おっきいカエルさんだっていたもん!」
両こぶしを胸の前で握って、リーリアも懸命に加勢する。
……だけど、ジタンが頬を掻きながら答えた。
「あァ、それに関しちゃオレもそう思ったぜ。けどなぁ」
視線を送られて、オルフェも頷いた。
「擦り傷や欠けならともかく、焼け焦げた跡もあったじゃろう。ヘルマレ洞に、火の魔法を扱う魔物はおらんかった筈じゃ。……少のぉとも、外から入ってきた何者かに荒らされたんは、確実なんよ。ほいでそれがクローヴィスさんじゃったとしたら……一度は自力で神具を取ろうとして出来んで、代わりにわしらを行かせた、っちゅう風に考えられんか?」
「…………」
反論の余地が、静かに、あくまでも静かに削られていく。あたし達の間に、ひやりとした沈黙が落ちた。シグレでさえ返す言葉を失ったのか、唇を引き結んでいる。リーリアはまるで怖いものでも見てるみたいにあたしの袖を握って、ジタンは腕を組んだ姿勢のまま視線を逸らした。
あたしは……ただ、じっとうつむくしかない。
――どういうこと? 全っ然、感情と思考の理解が追い付かない。
最初からクローヴィスさんは、セレフィエルの力を手に入れたかった? そしてそうなるように、こっそり差し向けて……?
「さて、前置きが長くなったがのぉ……こっからが本題じゃ」
その時沈黙を破って、オルフェが身を乗り出すと、ローブの袖を翻して床に片手を付いた。
「わしらはクローヴィスさんに、ええように動かされとる……そう思えてならん。じゃとすると、大精霊を復活させて、力を借りるいうんも、何か裏に意図がある気がするんじゃわい。本当にこのまま、セレフィア湖に向かってええんじゃろうか? 下手すりゃぁ――」
「ま、ま、待ってよっ!」
耐えられなくて、あたしは思わず叩き付けるように声を上げた。
クローヴィスさんの真の狙いは、森の浄化じゃない――仮にその通りだったとして、理由も目的も分からない。
だって森がこのまま侵食され尽くしたら、ミレクシアの人達が困るのは目に見えてる。実際に、ティルやアンネは森に行けなくなって悲しそうだったし、いつかこの異変が森の外にまで広がるんじゃないかって、不安がってる人もいた。そうなるのは……クローヴィスさんにとって、一番ダメなことじゃないの?
人々と楽しそうに交流する姿。図書館で授業してた時に見せた、優しくて温かな眼差し。あたしに過去や夢を話してくれた時の、真っ直ぐで真摯な声――。あれが全部ウソで、演技だったなんて思えない。そんなはず、ない。
ほんの数日会話しただけだけど、この保護村の人達を絶対守りたい、幸せにしてあげたいっていう信念は……本物だと思えた。
そんな大切な人達に被害出して、みんなの場所を壊してまで……成し遂げたいことって、何?
胸の奥が、じりじりと焼ける。あたしの中で、クローヴィスさんの優しさと、怪しさが、同じ顔をして重なり合って——どっちが本当か分からなくなる。
「……だったら……今更どうしろって、言うんですか」
すると硬い声で切り出したのはシグレだった。
「ここまで来てやめるんです? いずれにせよセレフィエルの力とやらが無ければ、ワタクシ達は森を突破すらできないんでしょう? それに……結局証拠が何も無いじゃないですか。行動が疑わしいというだけで……」
感情のやり場を探して、つま先が忙しく動く。そんなシグレの目を、オルフェは正面から見返した。
「ほうじゃ。シグレの言う通り、憶測で人を疑うんは良くないわい。じゃけぇ……白黒はっきりさす為にも」
真剣な眼差しが、みんなを順番に見る。覚悟を表すように、手が固く握られた。
「セレフィア湖に行く前に、ちぃと、クローヴィスさんを調べておきたいんじゃ。なんも無かったんなら、それでええわい」
締め切られた部屋の外。遠くから村の声がかすかに聞こえてくる。
穏やかな日常が、何も変わらず続いているように見えるのに――その中心にいる人物を、怪しんで暴こうとしているあたし達がいる。
時刻はまだ昼過ぎ。窓の外は場違いなくらい明るくて、今のこの重苦しい雰囲気とは、まるで別世界だ。
だけどこれから、夜がくる。きっと……長い夜になる。
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