【第二十八話】襲撃
【前回のあらすじ】
懸命な介抱の甲斐あり、一命を取り留めた遮楽。盲目となった彼に、クローヴィスは杖を渡す。暗闇の中行われた、途方も無い訓練の果て——ある日、遮楽は外界の景色が"視える"事に気が付いた。類まれなる才能に驚きつつも喜ぶクローヴィス。そして、二人のささやかな日常が芽吹き始めた矢先……。怒号と共に窓が割られ、平穏は唐突に破られる。
二人が家の外へと駆け出ると、待っていたのは複数人の男達であった。
……皆、遮楽のかつての子分である。
「き……君……達は……」
すっかり気後れした表情のクローヴィスが、怯えの混ざる声を上げた。
「……よォ。久し振りだな野郎共」
そんな弱気を余所に、口元に薄く笑みを浮かべ、静かに言ったのは遮楽である。
しかし、当然彼らの間には旧知の再会を喜ぶ気配など微塵も存在しておらず、不穏な殺気のみが場を支配していた。
「あっしを心配して駆け付けたってかい、ええ? こんな景気の良い見舞いの品まで寄越しやがって」
そう言って、遮楽は手に持っていた石を、その場に叩きつけるように投げ捨てた。
「……随分と元気そうだな。惨めに引き籠ってるとばかり思ってたが」
直後、集団から一人が歩み出る。
無造作に伸ばされ、馬のたてがみのように揺れるくすんだ金髪。そして容姿をぎらぎらと飾り立てる無数のピアスやチェーン。白いシャツの右袖口から覗くのは、蛇を模したタトゥー。
「ギド……てめェ」
遮楽は苦々しく彼の名を呼んだ。
姿形こそ、以前と何一つ変わらなかったが――もはや遮楽を見るその表情には、親しみも気さくさも無い。ただ、敵や略奪対象に向けるような冷やかさのみが宿っていた。
「この期に及んでまだ生きてやがったとはねぇ。相変わらずのしぶとさで感心するよ頭……っといけねぇ、もう頭でも何でもなかったよな、遮楽よぉ」
大げさに訂正してみせるギド。遮楽の眉根がピクリと動いたものの、見え透いた挑発には乗らず、あくまでも冷静に口を開いた。
「あん時はよくもやってくれたな。おかげで散々な目に遭ったぜ。村の人間にあっしを引き渡すような真似しやがって……!」
「おーっと、そいつは心外だなぁ。てっきり感謝されるかと思ってたぜ?」
ギドはわざとらしく肩を竦める。
「あ……?」
「おいおい。何意味分からねぇって顔してんだ。先に人間と馴れ合い始めたのはアンタでしょうが」
大いに険を含むその言葉を聞き、遮楽の脳裏に浮かんだのは、アジト内で口論となったあの日である。クローヴィスの鞄を返した場面を目撃され、問い詰められ、果ては言い争ったいつかの出来事――あの場では一応の決着を見せたはずだったが。
「……まさかあの鞄の一件、そんなに根に持ってやがったのか? 事情は説明したはずだぜ」
「鞄? ……あぁ、ハハッ、そんなこともあったなぁ」
釈然としない様子で問い返した彼に、ギドは軽く肩を揺らし、笑いながら答えた。その笑いは乾ききっている。
「んなもん、今となっちゃもうどうでもいいんだよ。むしろあの程度で止めときゃ、オレも水に流したかもしれねぇ。一時の気の迷いだったんだってな」
直後、ギドの目が細まった。もはや軽口の仮面は剥がれ落ち、むき出しの憎悪が滲み出る。
「オレが許せなかったのはその後だよ……。忘れたなんて言わせねぇぞ。アンタは、堂々と人間を庇いやがっただろうが。思い出しただけでも反吐が出るぜ……あの洞穴での光景はよぉ!」
「洞穴……?」
怪訝な表情で単語をそのまま呟いた、遮楽の口元がハッと動く。まだ覚えている。確かに以前、洞穴には赴いた事がある。そこで窮地に陥っていたクローヴィスと共に戦ったりもしたのだが……その時は、確かに単独で行動していた筈である。
「てめェ、なんでそれを知ってやがる……!? またあっしの後でも尾けて――」
「ま、待ってくれ!」
その時、思わずといった調子でクローヴィスが声を発した。目を見張り、眉を歪めながら恐る恐るギドに向かって言う。
「ずっと、不可解だったんだよ。襲ってきたジェムトータスの異常な様子も、崖が崩れるタイミングの良さも、その直前に聞いた風切り音と爆発音だって……!」
震える片手が、胸の前で握り締められる。強張る表情は、信じたくないと葛藤しながらも、もはや確信に至っている事を示していた。
「まさか! 全て君の仕業だったのか!?」
「……ケッ」
ギドは冷たい視線で彼を一瞥すると、腰に手を当て、悪びれもしない態度で吐き捨てた。
「ああそうだよ、今更気付いたってか。爆薬を仕込んだ矢ぁ自作して、薄らでけぇ魔物に興奮剤を嗅がせてって、結構な大仕事だったのによ」
「な……何故、そこまで……」
ギドが舌打ちをした。僅かに伏せられた顔、その目の奥にどろりと濁るような感情が籠る。
「……あのまま、てめぇが無様にぶっ殺されてりゃ全部済む話だったんだよ。実際、何もかも上手くいってたんだ……」
再び顔を上げた彼の視線が、ゆらりと遮楽を向いた。不気味なほど静かに、彼の口が動く。
「最初に森で遮楽とコイツが話してんのを見た時ゃ、悪い夢かと思ったぜ。ちょっと甘くされたぐらいで、忌まわしい人間なんぞにコロッと絆されるだなんてよぉ……。けどな、その時点では、まだ間に合うって信じてたさ。元凶さえ潰せば、きっと今まで通りの、オレ達の頭に戻ってくれるってな。何度自分に言い聞かせたか分からねぇ。おかしくなっちまったアンタを、元に戻したくて必死だったんだ」
口調こそ淡々としていたが、そこに滲むのは恐ろしいほどに明白な恨念である。それに引きずられ、周囲の空気すらどんよりとした重さを持ち、呪いじみてまとわりつくかのようであった。
「だからコイツを罠にかけて消そうとしたんだ。そりゃぁもう、拍子抜けするくらいチョロかったぜ? こんなお気楽バカのために、情報収集や準備を万全にしてたのがアホらしくなるくらいになぁ。まんまと思い通りになって、あと少しで抹殺できた……できたはずだったんだよ、なぁ! それだってのに、遮楽!!」
それまでの平坦さが、突如裏返った。声を荒らげ、噛みつくように言い、鋭い目付きで遮楽を睨む。固く握り締めた拳が小刻みに震えている。
「一部始終見てたんだぜ、アンタときたらそれを助けたよなぁ! 立ちはだかって守って、最後は仲良く手なんか取りやがって……! オレが手を打った時にゃもう遅かった。アンタはすっかり人間の手駒に成り下がっちまってたんだよ。後戻りできねぇほどになぁ!」
拓けた大地を裂くように、発される怒号。ひりついて震える空気。
しかし、それを真っ向から浴びながらも、遮楽は一切取り乱さなかった。大きく息をつくと、首を横に振る。
「何を言い出すかと思えば……随分とまァ大袈裟に解釈するじゃねェか。あっしはただ借りを返しただけだぜ。まさかその程度の事で、ここまでの目に遭わされるとはよ」
そのセリフを聞き、ギドが目を剥いた。感情がさらに弾ける。
「その程度……!? フザけんじゃねぇぞ! オレがそれを見て、どんっだけ失望したか分かるか!? これまで憎み合って戦ってきたことも忘れて、友達ごっこなんざしやがってよぉ……!」
そこで言葉を切り、ギドは激昂を鎮めるように一度息を吐いた。呼吸を無理やり整え、再び口を開く。
「それで、オレははっきりと悟ったね。コイツは頭の器じゃねぇ。馬鹿みてぇな強さで誤魔化されてきただけの、日和見野郎だ。とうとう化けの皮が剝がれたんだ」
両陣営の間を風が吹く。深い断絶を可視化するかのように、舞い上がった砂や草が彼らの視界を横切っていった。
「そうなった以上、信頼も何もあったもんじゃねぇし、盗賊団でデケェ顔されちゃたまらねぇ……。だから、お似合いの場所に放り込んでやったんだよ! 大好きな人間様達に囲まれて、たーっぷりかわいがってもらったみてぇじゃねぇか……! 良かったなぁ! 本望だろ!?」
ギドは天を仰ぎ、呵々と笑った。変わり果てた仲間の哄笑を聞きながら、遮楽は眉間の皺を深くする。
「いけしゃあしゃあと抜かしやがって、この恩知らずの裏切り者が……!」
「はっ、勘違いしてんじゃねぇや……裏切り者はてめぇだろうが。オレ達を……オレ達種族の誇りを裏切った、人間以下のクソゴミ野郎が!」
言い終わると同時に、ギドが腰に帯びたカランビットナイフを引き抜いた。大きく湾曲した特徴的な刃が、暮れの光を弾く。
「今だってそうだ。あのままくたばってりゃよかったものを、人間に世話されながら暮らしてるなんざ、生き恥もいいところだ……すっかり飼い慣らされやがって。こんな奴にペコペコしてたと思うと腹立たしくてしょうがねぇ。だが、オレも情が無ぇ訳じゃねぇんだよ。一応面倒見てもらった恩もあるしな」
言いながら、ナイフの先で遮楽を指した。明確な殺意と共に、切っ先が喉元に向けられる。
「これ以上アンタが生き汚ねぇ醜態晒さなくて済むように、ここで終わらせてやるよ。せめてもの慈悲だと思え」
そして、ナイフの位置は変えないまま、ギドはクローヴィスに顔だけを向けた。
「そこの人間。お前も覚悟してな……コイツを殺ったら次はお前だ。ウチにちょっかいかけたこと、徹底的に後悔させてやる。今更逃げても謝っても無駄だぜ。ま、どうしても命だけは……ってんなら、許してやってもいいけどなぁ。そんときゃ鎖繋いで、一生奴隷としてこき使ってやる」
「そんな……」
たじろぐクローヴィス。二の句が継げず、押し潰すような重圧がその場を支配していた。
「……ククッ……」
その時、場違いな低い笑い声が無言を破った。肩を揺らし、さも面白がっているかのように嗤ったのは遮楽である。
「……よく言うぜ。随分と格好つけた建前をほざいちゃァいるが、要は弱ってる内に叩いちまえって腹だろう? たかが一人潰すのに、よくもまァこんなゾロゾロと引き連れて来たモンだ。余程報復が怖かったと見える。ご自慢のナイフも今日の為に磨いてきたのか? 流石だなァ、曇り一つ無くて綺麗な刃だぜ……ほれ見ろ、弱虫のツラがよーく映ってらァ」
ぴくりとギドの目の際が動いた。リングに指を掛けたカランビットナイフを弄ぶように手の内で回しながら、低くドスを効かせた声音で言う。
「苦し紛れに虚勢を張りてぇのは分かるが、言葉にゃ気を付けた方がいいぜ……せめて少しでも苦しまずに死にてぇだろ?」
「ハッ、上等だ。あっしとしても遅かれ早かれ、この件に関しちゃケリを付けるつもりだった……礼を言うぜ。ノコノコ来やがって、こっちから出向く手間が省けたってモンだ」
遮楽は彼らを威嚇するように、手に持った杖で掌を叩きながら言った。
「遮楽っ……戦うつもりなのかい」
緊迫した空気に、冷や汗を流すクローヴィス。
「アンタは下がってな。コイツには一度身の程を分からせてやらなきゃならねェ……」
「無茶だ、こんな多勢に無勢……! いくら君だって!」
「そんな理由で引き下がれねェ。これはあっしのケジメの問題でもあるんでさ」
焦るクローヴィスとは対照的に、遮楽の声は落ち着き払ったものであった。かつての仲間からの襲撃を受け、罵声を浴び、ついには一戦交える。そのような状況にありながら、凪の水面のような、静かで、尚且つ堂々とした態度を崩さない。
「あっしの下に置いときながら、満足に手綱を取る事も出来なかった……全ては己の不甲斐無さが招いた結果でさァ。その責任は、きっちり取らせてもらうぜ」
遮楽が一歩前に出た。杖を右手に、戦闘態勢を作る。自らを狙う魔の手など、毛ほども怯んだ様子を見せない。
「これはあっしの喧嘩だ。悪ィが手出し無用で頼むぜ」
「っ……」
不安と心配をあからさまに表情へ出しながらも、そう言われては引き下がるしかない。クローヴィスは動作に躊躇いを滲ませつつ、巻き込まれない位置まで下がった。
「ケッ、今更粋がりやがって……」
そんな様子を、ギドがせせら笑う。そして左右の子分達を見回すと、号令をかけるように声を張り上げた。
「やっちまうぞお前ら! 元頭だってビビる必要はねぇ、今となっちゃ牙の折れた獣も同然だ!」
「カカカッ! 言うじゃねェか。せいぜい用心するこったなァ……手負いの獣ほど厄介なモンは無ェんだぜ!?」
両者の啖呵を合図とするかのように、男達が一斉に散らばった。遮楽を取り囲む陣形を取り、各々油断なく構える。素手の者以外にも、短剣、槍、メイス、棍棒――多種多様な武器を持っている者がいたが、いずれも統一感の無い物ばかりである。おそらく旅人から奪い取ったのであろう。殺気立つ彼らを前に、杖を持つ遮楽はあくまでも自然体で立っていた。
「こっ……のぉッ!」
どちらから仕掛けるか分からない緊張感に、早くも耐えられなくなったか。一人の男が遮楽の背後から殴り掛かった。まだ年若い、盗賊団の中でも下っ端の者である。
熟練には程遠い、力任せのその大振りな拳を、遮楽は振り向きざま叩き落とした。一瞬次の行動を迷った彼の隙を見逃さず、体を切り返しながら杖を薙ぎ払い、脇腹を打ち抜く。
「うぐ!」
よろけた男の胸と腹に、続けて二発の突きが決まった。たまらず体を押さえ、前のめりになったその肩を掴む。
「先陣切った度胸だけは認めるぜ。だが無暗に突っ込むのはなァ、両手広げて倒してくださいっつってんのと同じだ」
耳元でそう囁くと、まだ決して逞しいとは言えないその体を高々と持ち上げた。
「せいぜい鍛え直すこった!」
目の前の地面へと叩きつけられる体。衝撃でわずかにバウンドした男は四肢をだらりと投げ出した。早速沈んだ彼の体を、遮楽は邪魔だと言わんばかりに杖で突き転がす。
「そら次々来いよ、一体何の為の包囲網だ?」
臆する事の無い挑発に、周りの男たちの怒気が高められる。数的有利を大いに利用し、囲いから三人が同時に躍り出た。
雄叫びを上げながらまず襲いかかってきたのは、細身の剣を持った男である。鋭く光る白刃を振り回す。続いて、赤い房の付いた槍を持った男も迫る。
だが遮楽は双方向からの攻撃に対し、的確に捌いていた。まるで最初から軌道が分かっているかのような、無駄を削いだ完璧な動線。槍の突きを杖で弾き、剣の横薙ぎは上体をひねって回避する。
攻撃に転ずるのも滑らかであった。体を戻しざま槍男の顎を肘で跳ね上げ、よろめいた懐に素早く潜ると、背で強く突き飛ばす。
「んぐ!」
「おわっ!」
吹き飛んだ槍男の体は、追撃しかけていた剣男に直撃し、揃って倒れ込んだ。同時の連携がむしろ仇となる。
「うおおぁ!」
すると遮楽の横合いから、ナイフを手に飛び出す大柄な男が一人。すぐには仕掛けず、機を伺っていたのである。姿勢を低く突進。切り付けるだけでなく、あわよくば組み付き、体格を活かして強引に倒してしまおうという算段である。
しかし、それに対する遮楽は至って冷静であった。前方にいる二人への注意は保ちつつ、素早く体を反転させながら杖で刃を受け流す。
そのまま、勢い余って突っ込んできた彼の手首を掴み――肘の下辺りを狙って、掌底を打つ。
ボグッ、という骨の外れる濁音。
大柄男の絶叫が響き渡った。
余りにも痛々しいその声に慄き、重ねて畳みかけようとしていた数人の足がたじろぐ。
その場の時が一瞬止まる中、遮楽のみが動き続けていた。大柄男の手を離れたナイフが地へ落ちる前に素早く掴み取り、間髪入れず投擲。
真っ直ぐ飛んだその切っ先は、向かいに立つ槍男の右肩辺りに刺さった。短い悲鳴が上がる。
無造作に投げた程度で深く刺さりはしないものの、突然の痛みで怯ませるには充分であった。遮楽は一気に肉薄すると、足を払い、倒れかける体を杖で掬い上げるように打つ。きりきりと回転し、倒れ伏した槍男。
その頭を、躊躇なく足蹴にした。か細い声を上げ、起き上がれなくなった彼に一瞥を落とし、遮楽は顔を上げる。
視線の先には、援護を失い、取り残された剣を持つ男の姿。後はもう造作も無い事である。顔色を青くした彼の胸倉を即座に掴むと、助けを乞う間も与えず腹へ膝を蹴り込み、脳天に杖の一撃を叩きこむ。
物言わぬ丸太のように地面に転がった二人と、腕を抱え呻きながら蹲る一人。時間にしてほんの十数秒……あまりにも一方的な力量差で圧倒した遮楽であったが、彼はただ短く息を吐き、杖の先を地に突いたのみ。その動きには、勝利の誇示も、昂ぶりもない。まるで当たり前の仕事を片付けた後のような静けさ。
その時、彼の顔に巻かれていた包帯の固定具が外れ、はらりと解けた。落ち掛かり邪魔なそれを、片手で乱暴に剥ぎ取る。
たちまち露わになる、痛々しい傷痕の刻まれた目元。切り裂かれ、歪に潰れた眼窩。それを目にした瞬間、男達の頬が引きつり、数人は一歩後ずさる。
多対一にも関わらず、まるで歯が立たない状況に、場は静まり返っていた。下手に手出しも出来ず、各々の武器を構えたまま攻めあぐねる元子分達。遮楽は、周囲をまるで潰れた目で睥睨するかのように、ゆっくりと顔を巡らせる。
「……どうした? おい、まさかもう怖気づいたとでも言うんじゃねェだろうな。お互い容赦しねェのは承知の上だったんじゃねェのか。それとも何だ、反撃にも遭わずただ袋叩きに出来るとでも思ってやがったか? あっしも舐められたモンだなァ……」
半身になり、掌を上に向け、指先で煽る。飄々とした態度……だが声音は重く、口調の端々から、情けを捨てた修羅が如き闘意が伺える。
「あァそうかい。来ねェってんなら……あっしから行くまでだ、腰抜け共が!」
吼えた遮楽は、足元の砂利を弾き飛ばしながら前方の男へと一直線に駆け出した。
「う、あっ……!」
狙われてしまった不運な男は、恐怖に顔を歪ませながらも、応戦すべく握った拳を上げる。彼の両腕には防具の代わりか、布が何重にも巻かれていた。
「あァそうだ、打ち合ってみなァ!」
まるで鼓舞するかのように吐き捨て、遮楽は杖を繰る。手首を切り返し、立円を描くように回しながら、両端で絶え間なく打撃を浴びせる。
だがこの男、近接戦闘には多少慣れているようで、遮楽の攻撃に辛うじて食らいついていた。布を巻いた手が杖を払い、弾き、何とか反撃に繋げようと凌ぐ。
しかし布越しの連撃は、着実に腕の奥まで痺れを広げてさせていった。すっかり防戦一方で、遮楽は止まらない。懸命なガードも、雨あられと降る乱打によりついに綻ぶ。
弱ったところを彼が逃すはずもなく、すかさず胸板を抉る力強い突きを打ち込んだ。
「……ッ!」
仰け反った男のバランスが大きく崩れる。
すると遮楽は、流れるような動きで杖を男の左腕の下へと差し入れ、背中側にぐいと倒した。テコの原理で肩甲骨が大きく反らされ、強制的に捩じられた上半身は不自然な格好で固まる。こうなってはもう、ほぼ身動きを封じられたも同然である。
男は焦りの滲む表情を浮かべ、抜け出そうとかろうじて動く足や右手をばたばたと動かしもがいた。
直後その顔面に、遮楽の膝頭が入る。
メシャリという不快な音と感触。濁った呻き声を上げ、彼の全身が一気に脱力する。
杖を抜くと、遮楽はその体を踵で蹴り飛ばした。吹き飛んだ男は力なく地面を転がる。鼻から流れ出た血はまるで足跡を付けるかのように、点々と草地を染めていった。
「ふ、ふざっ……けんな! 喰らえ!」
不意に、背後から怒号。
メイスを持った男が襲い掛かった。頭蓋をも叩き割れる狂暴な武器。それが、脳天目掛けて振り下ろされる。すぐさま遮楽は杖の両端を握り、防御の構えで体を沈めた。
……しかし、頑強な鉄製の武器に対し、補強もされていない木製の杖ではあまりに分が悪すぎた。
衝突の瞬間、バキッと音を立てて、杖があっけなく真っ二つに折り砕かれる。メイスの勢いを止める事には成功したものの、もう武器としては使い物にならないだろう。ここまで遮楽の戦闘を支えてきた杖だったが、ついにその役目を終えてしまった。
「チッ!」
とはいえ名残惜しんでいる暇など無い。即座にその場へ杖の残骸を投げ捨て、素手での戦闘態勢へ移行する。
「はっ! どうだこのっ――!?」
意気揚々とした男の言葉は……次の瞬間、彼の顔面を鷲掴みにした遮楽の手によって、強引に中断を余儀なくされた。
「たかだか得物折ったぐれェでよォ……」
食い込む五指。遮楽の踵が、彼の足を背後から刈り取るように蹴る。
「気ィ良くしてんじゃねェや阿呆がッ!」
そして顔を掴んだまま、支えを失った体を満身の力で押し倒した。ゴッという鈍い音と共に、男は後頭部から地面に叩きつけられる。下は草地とはいえ、勢いよく打ち付ければひとたまりも無い。男は喉の奥から声とも呼気ともつかない潰れた音を出し、白目を剥いて気絶した。
「ったく……借り物だってのによ……」
低く呟く遮楽。束の間の沈黙。だが間もなくして迫る足音に気付き、振り向いた。二人が同時に向かって来ている。杖を失ったのを見て好機と判断したか。彼は咄嗟に先程倒した彼の、袖の無い簡素な服を両手で掴む。
「おぉォっ!」
そして気合いの発声と共にそのまま旋回し、腕力と遠心力を使って男の体を放り投げると、一拍遅れて自らも走り、跳躍した。
宙を舞ったメイス男は、迫る二人をまとめて巻き込みながら派手に地面へと激突する。
「ぎゃっ!?」
「な、な……!」
そこへ重なるようにして遮楽。身を起こそうともがく彼らを、体重を乗せた両足が踏み抜いた。腕を振るう事すらなく、二人の男は同時に伸びてしまう。
「こんのっ……」
「!」
するとそんな遮楽の隙を突いて、一人が背後から組み付いた。両脇を抱えるように腕を回し、遮楽の動きを止める。
「おい! やっちまえ!」
そのまま、遮楽越しの前方に怒鳴った。すかさず棍棒を振りかざし、飛び掛かってくるもう一人。
「よォ、しっかり踏ん張っとけよ」
しかし、肝心の遮楽に慌てた様子は微塵も無い。
「あぁ!?」
怪訝な反応に答える事無く、彼は自らを拘束する腕を振り解くどころかむしろがっちりと掴むと、振り子の要領で両足を前方に思い切り振り上げた。直後に棍棒を叩き込まんとする、男の姿が迫る。その隙だらけな鳩尾に、遮楽の両足がめり込んだ。
「ぐぇほォっ……!」
絞り出すような呻き声を上げながら、棍棒の男が崩れ落ちる。
「おっおい!」
「ありがとうよ、支えてくれて助かったぜ」
ニヤリと口の端を捻じ曲げた遮楽。
「じゃ、あばよ」
間発入れず、後方に肘打ちを放ち、組み付いた男の横腹を抉るように貫く。
「ぐふっ!」
「っらァ!」
内臓が浮く痛みに耐えかねた彼の、拘束が緩むと同時に抜け出た遮楽は、振り向きざま右拳を顔面に叩き込んだ。鼻血を出しながら大きく仰け反り、昏倒する男。
怒号や悲鳴が繰り返され、戦闘開始から、どれほどの時間が流れたか——。
「……フーッ」
遮楽が細く息を吐き出す。連戦に次ぐ連戦だというのに、毅然と立つその姿は、一切の翳りも見せない。そしてキッと顔を上げると、体を正面へと定めた。
その先にいるのは、ギド。
気付けば、他に立っているのは彼だけとなっていた。偶然か、あるいは敢えて残したのか。長く伸びた二人の影が、ほんの触れる程度に重なり合った。
「ぐっ……」
ギドが僅かにたじろぐ。両の瞳は閉じられているにも関わらず、鋭い眼光に見竦められているかのような感覚を覚えていた。
「おっお前……どういうことだ……もう目も見えてねぇんじゃねぇのかよ!」
「あァ見えてねェぜ……てめェ等の生温い攻撃なんぞ、見るまでも無ェな」
その場へ吐き捨てるように遮楽。
「なんだ、さっきまでの威勢はもう萎んじまったか? 腰巾着がいなくなった途端に尻尾巻くたァ、情けねェ奴だ」
続けざま言い放たれたその言葉で、ギドの表情が変わった。万夫不当の大立ち回りを前に、思わず抱いた恐れを、瞬時に怒りで上書きする。
「ほざけ! てめぇこそ、人間の腰巾着に成り下がったクズだろうが……!」
「はん、じゃあそのクズにこれから叩きのめされるてめェは一体何なんだろうなァ? 滑稽なこったぜ、キャンキャン吠えりゃ吠える程勢いづくどころか、惨めったらしさが増すんだからよ」
不敵な薄笑いを見せる遮楽。低く嘲笑う声音は余裕を漂わせていたが――裏に滲む怒気と戦闘の覚悟を、もはや隠す気も無い。
「そいつは今の自分に対する皮肉かよ?」
対するギドも即座に睨み返し、憎しみを込めた冷たい挑発の棘を返した。
「饒舌なもんだな。そりゃそうか。手下も地位も何もかも失くしちまって、残ったのはその無駄に回る口だけ……哀れだな。縋りたくもなるだろうよ。けどなぁ」
手の内でカランビットナイフが揺れる。剣呑な殺意は突き刺さんばかりである。
「そんな口も二度と利けなくしてやる。お前だけは絶対に許さねぇ。全ての代償を苦痛で払わせてやるよ……終いにゃもう殺してくれって懇願するくらい、徹底的になぁ!」
一層の鋭さと冷酷さを帯びる瞳。呼吸も熱を持つ。向かい立つ両者……豊かな自然の中、それはあまりにも異物であった。
「そうかい……そんなら、悠長にお喋りしてる暇なんざ無ェなァ。とっととやり合おうじゃねェか。いいぜ、ほら来な」
そして遮楽は、無駄話はここまでとでも言うかのように、戦闘の構えを取ると右手で大きく煽った。はち切れそうなほどに緊張する空気。
まさしく一触即発であったが……ギドは、動かなかった。遮楽の強さは、幼い頃から知っているのだ。まして、視覚を失ってもなおそれが揺るがぬ事を、たった今目の当たりにしたばかり。
一手の間違いが、致命的にもなりかねない。ここで下手に仕掛けるほど、彼も迂闊ではないからこそ……火蓋を切る一歩には、慎重になる。
……沈黙。すると、遮楽の拳がギリッと強く握り締められた。
「よォ……何をグズグズしてやがる? てめェから噛み付いたんだろうが。だったら中途半端に構えてねェで、そのまま喰い千切るか、でなきゃァ大人しくその牙抜くか、一つに決めやがれってんだ……」
半歩踏み出した靴の底が芝生を擦る。首筋が動き、潰れた目元が、引き攣れるように歪んだ。荒らぐその声は、突き放す――或いは、焚き付けるかのようでもあり。
「種族の誇りだ何だとか息巻いてやがったが、所詮その程度なのか? 笑わせるぜ……随分と軽いモン背負って戦ってんだなァ!?」
その瞬間。逆鱗に触れられたギドの目が見開かれた。息を呑む微かな音。軋む奥歯。急き立てるように、一つ大きく脈打つ心臓。
「ああぁ!!!」
そして感情を爆発させるような咆哮を上げ。
「お前っ……お前なんざに……何がっ……! オレの生き様も、何もかも、全部、踏みにじりやがって……!」
鋭い犬歯を剥き出し、激しい怒りの形相で遮楽を見据える。そして。
「――死ねやぁ遮楽ッ!!」
草地を蹴り、一直線にギドが迫った。それを正面から迎え撃つ遮楽の表情は、鬼気迫るものながら、どこか寂しげにも見えた。事実上の大将戦……かつての身内という甘き情など捨て去った、辛辣な一騎打ちが始まる。
リングに人差し指を掛け、握り込まれたカランビットナイフが縦横無尽に振るわれた。実戦の度に改造を重ね、最小限の動きで最大の効果を生むよう仕上げられた品である。
刃筋も決して闇雲ではない。手足の腱や内臓、首の太い動脈……傷つければ即戦闘不能に追い込める箇所を、的確に狙っている。湾曲した刃が、命を狩らんと閃いた。
だがその鋭利な凶刃を前に、遮楽は怯まない。迫る切っ先を寸前で躱し、絶え間ない攻撃の合間を縫って反撃を差し込む。手数こそギドに劣るものの、重く繰り出される一撃は、野生の格闘術とは思えない凄味を放っていた。
「ぜえぇあっ!」
ナイフを振り抜く勢いのまま跳び上がったギドが、空中で後ろ回し蹴りを放つ。それを顔の横にかざした左腕で受けた遮楽は、衝撃を流すように地面を転がった。
だが防いだのも束の間、起き抜けに追撃が迫る。
「くっ……!」
身を捩らせながら素早く立ち上がったものの、鎌で刈り取るような軌道の刃が腕を掠めた。ぱっくりと裂けた傷口から鮮血が飛び散り、顔を顰める遮楽。
しかしやられっぱなしでは終わらず、すぐさま地を踏みしめると強烈な前蹴りをギドの腹部に叩き込んだ。
「ぐ!」
体を折り、たまらず後退するギド。両者の距離が一旦開き、互いの息遣いの音が交差する。
しばしの停滞……だがそれはほんの僅かな間で、すぐに攻撃の応酬が再開された。
「おぉあっ!」
助走をつけ放たれたギドの飛び膝蹴りを、遮楽は交差させた腕で受け止めた。連撃を狙う彼の攻勢を打ち砕かんと、傷にも怯まず前に出る。そしてナイフを振りかぶった腕を肩で止め、素早く向き直ると顔に拳固を見舞った。仰け反ったギドだったが、続けて掴まれる前に後方へ跳び、間合いを抜け出す。
ぽたぽたと垂れる鼻血。体勢を整えながら、それを荒々しく手の甲で拭う。口内を切ったか、赤く染まった唾を地面に吐き捨てた。そして殺気立った表情で再度構えを取ったギド――その目が、何やら意味深に細められる。
次の瞬間、土を蹴立てて襲い掛かった。顔の横にかざしたナイフを突き立てんとする。
素早い……だが、直線的な攻撃である。遮楽は紙一重で躱したところを反撃しようと、軽く握った両手を上げ、切っ先へと意識を集中させた。
その刹那、不意にギドが身を畳み、低く遮楽の足元へ飛び込んだ。カウンター狙いを知ってのフェイントである。
「――!」
狙いを外され、さらには即座の反応が難しい足元への踏み込み。
遮楽は咄嗟に蹴り上げて引き剥がそうとしたが、その前に足の甲を強く踏み付けられる。それは攻撃だけでなく、回避行動をも阻害する意図を持っていた。
「喰らえよ」
不気味なほど静かな声が発され、喉笛を狙ったナイフの先が、すぐ真下から突き上げられる。じっとりと執念深い殺意を宿したその瞳が、遮楽の顔を映していた。
「ぐっ、おおォッ!」
動きの制限された中で、辛うじて身を反らし――ナイフに貫かれるまさにその寸前で、遮楽はギドの手首を掴んだ。
それでも完全には止め切らなかった刃が首を裂き、流れ出た血で赤く濡れる。頸動脈を逸れたのは、もはや運が良かったとしか言い様が無い。
口の端を歪めながら、遮楽はもう片方の手で彼のベルトを掴んだ。
「……だあァッ!」
そして自ら後方へと倒れ込む形で強引に、乱暴に彼を投げ飛ばす。
受け身が若干間に合わず、短く呻くギド。さりとて無理な姿勢で投げた遮楽もダメージはゼロではなく、打ち付けた背中や荒く扱った腕が軋むように痛んだ。
立ち上がる両者。ギドは肩を大きく揺らして呼吸し、遮楽もこめかみに冷や汗を浮かせていた。
「はっ……これでも避けるどころか反撃すんのか、バケモンがよ」
一つ大きく息を吐き、憎々しげにギドが言った。
「てめェこそ随分、喧嘩が様になったじゃねェか。裏をかくような戦い方は相変わらずだなァ……」
遮楽は飄々と返すが、その表情と声音には張り詰めた緊張が滲んでいる。
「ケッ、何とでも言えや! 使える手段は何でも使うのがオレのやり方だ……んなこと、とっくに知ってんだろうがよ」
「そうだな……ガキの頃から小賢しくて、悪巧みにゃよく知恵の回る奴だった。敵に回りゃァそりゃ厄介な訳だ……こんな事になるなんざ、前まで考えてもいなかったのによ」
「うるせぇ。何だよしみったれた昔話で時間稼ぎか? それとも情にでも訴えかけようってのか。悪ぃが今のアンタと、話すことなんざ何もねぇや」
首を振り、冷淡に言い放ったギド。その目は氷のような態度とは裏腹に、燃え上がる憎悪を宿していた。そして、足下の小石を荒々しく蹴り飛ばす。
「今更何も聞きたかねぇよ!」
その啖呵を聞き、フッと諦観とも自嘲とも取れる乾いた笑い声を洩らす遮楽。
「だろうなァ……この期に及んで話し合いが通用するってんなら、端からこんな事になってねェだろうからなァ!」
再び場が動いた。両者ほぼ同時に地を駆け、風が一陣の渦を巻く。
遮楽は正面から肉薄した。武器を持つ相手に、それはあまりにも無謀な接近。だが恐れなど、ほんの一片すら感じさせない。吹き荒ぶ向かい風のような殺気が膨れ上がり、彼の姿形を実体以上に大きく、恐ろしく見せた。
豪胆不敵を体現したかのようなその様を前に――ギドは総毛立ちながらも、奥歯で怖気を噛み潰す。そしてナイフの持ち手を強く握り締めた。
自分が素早さで上回っているのは事実なのだ。隙を縫って切りつけ、勢いを削いでしまえば勝ち筋はいくらでも作れる。そう内心で自らを鼓舞し、声を上げながら応戦の刃を振りかぶる。
その動作を見た遮楽の口角が、ほんの僅か――それこそ近距離にいたギドですら、気付かない程微妙に――吊り上がった。
彼は、見事攻撃を誘い出したのだ。相手を狡猾に騙す技巧ではなく、むしろ策も何もない威圧……ただそれだけを以って。その事にギドが気付いたかは、定かではない。
迫る暴を迎え撃つ為、襲い来るナイフの切っ先。遮楽は身を捻って躱すと、突進の勢いを殺すことなく踏み込んだ。
そして振り抜かれた手首を捕らえ、そのまま掌を外側へ返すように強く捻る。強制的に肘が畳まれ、無理に伸ばされた筋が悲鳴を上げる。
「ぐぁっ!」
たまらず苦痛の声を発したギド。指先へ伝播する鋭い痛みに、ナイフを握る力が緩んだ。
そこを、すかさず蹴り上げる。
衝撃と共に、勢いよく弾かれたカランビットナイフが手を離れた。夕日に閃かせながら、大きく弧を描く湾曲刃。
標的を追い詰めんとしていた非情の刃は、とうとうその役目を果たせぬまま地に伏す。攻防の隙を突いて拾い上げるには、あまりに遠い距離。ギドの表情が凍り付いた。小さく、喉の奥が鳴る。
「ッ……うおおぉ!」
だが。ギドはそれで戦意を失いはしなかった。
それどころかすぐさま拳を固めると、雄叫びを上げながら即座に遮楽へ向き直り、殴り掛かったのである。突き出された右拳が頬を打ち抜く。
遮楽は咄嗟に後退しながら、驚いたような反応を見せていた。
これまでのギドの基本戦法は、元来の身軽さを活かした、武器と足技によるヒットアンドアウェイであった。このような捨て身のインファイトを自ら仕掛ける事など、無いに等しかったのだ。
だからこそ武器を封じた直後、遮楽にも一瞬の油断が生まれ、虚を突かれた訳だが――
「ぶっ潰す……てめぇだけはッ!」
――逃げを捨て去った姿勢と、自らを射貫くような視線を前に……ぐっと口元を引き結び、改めて油断無く両腕を構える。
それからは壮絶で、泥臭く、悼ましい死闘が続いた。肉がぶつかり、抉られ、骨まで軋む音が鈍く生々しく草地に響く。
緑の地にまだらな斑点を描く赤。激しい呼吸音と理性を剥いだような雄叫びの声。
ギドが右拳を放つ。遮楽は手首を掴んで止め、続く下から抉るような左拳は肘で潰し、カウンターの蹴りを放った。
対し上半身を反らせて辛くも回避したギドは、身を翻し横合いから耳を狙った掌底を打つ。即座に腕で払う遮楽。
するとギドはすぐさまその手首を絡め取り、体重を掛けへし折りにかかった。つんざく激痛。遮楽の表情が大きく歪む。
だが咄嗟に体を押し込み、鼻っ柱目掛けて至近距離から頭突きを放つ。火花が散るような痛みと衝撃で一瞬怯んだギドの拘束が緩むと、すかさずその胴を打った。
露骨なまでに急所を狙い、手段を選ばず攻撃してくるギドに対し、遮楽は小細工など無用と言わんばかりの力強い攻撃で制圧しようと迫る。
搦め手のギドと、正面突破の遮楽。対照的な戦闘スタイルが、互いの息の根に手を掛けようと交錯する。
――だが、攻防の中で体力は瞬く間に削られていく。決着の時は確実に、肉弾戦の激しい戦況に紛れてやって来ていた。足音もなく忍び寄る、死神のようなそれが。
肺が灼け付く。視界が狭まり、赤と黒の交互に揺らぐ。疲弊。消耗。
握り締める手指に、もはや感覚は無い。足も重く、鉛のようである。
しかし、止まれない。一瞬の遅れも、躊躇いも、許されぬ極限。
バチンと音を立て同時に打ち合った二人の体が、反動でほんの一瞬離れる。
芝を踏み締め、顔を上げたギド。視線のすぐ先に、こちらを睨み据える遮楽の姿を捉えた。もはや光すら通せぬ目。その奥にあるのは、ひたすらな暗闇の筈。それなのに――
ぞわり、と背筋が粟立つ。
仕掛けねば。後手に回れば、やられる。そもそも下がる余地など……とうに失くしたのだから。
爪が食い込み、白むほどに、掌が強く握り固められる。
「ああ゛ぁッ!!」
割れた咆哮。地を蹴ったギドは、身を沈めんばかりに大きく踏み込み、満身の力を振り絞った拳を目の前へ叩き込んだ。
遮楽の体が動く。眼前に迫るそれが届く直前、左手で強く外から内に弾いた。地面に叩き付けるかのような殴打に迎え撃たれ、痺れるほどの衝撃は骨まで伝う。
瞬間、ギドの体勢が大きく崩された。ぶれる視界。本能的に窮地を悟り、焦りと恐怖で顔が歪む――そんな悠長で慈悲深い猶予など、与えられる訳が無く。
間発入れずに遮楽が踏み出す。
真下から突き上げる右の掌底が、ギドの無防備な顎を打ち抜いた。
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