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【第二十二話】変兆

【前回のあらすじ】

とある洞穴にて、クローヴィスは数日に渡る調査をしていた。そんな彼に突然、異常興奮状態の魔物が襲いかかる。逃げようとしたその時、轟音と共に足元が崩れ落ちた。足を負傷した上に杖も失った彼は窮地に陥る。万事休すかと思われたが……そこへ、なんと偶然居合わせた遮楽が駆け付けた。正反対の二人による、突発的な共闘が始まる。

「こっちだぜ、どん亀」

 

 まずは弱ったクローヴィスを標的から外すため、遮楽が腕で煽りながら走った。ジェムトータスは体ごと動かし、突如乱入したその男を正面に見据える。先程までのクローヴィスとは違う、一切物怖じせぬ様子を見て、只者でないことを悟ったようである。


 打ち払おうと空を裂いて迫る尻尾。それを一足跳びに躱した遮楽は、肩に担いだ片手剣を豪快に振るった。一刀で終わるのではなく、素早く手首を切り返し、次の動作へ滑らかに繋げる。

 

 力に物を言わせているようにも見える彼の攻撃。だがその一挙一動には、幾多の修羅場で培われた戦闘勘と、無駄のない体捌きが確かに備わっていた。


 徐々に、遮楽が押し始める。以前の、ただ一方的にいたぶられていた形勢が変わりつつあった。

 

 ……だがジェムトータスも、攻撃を喰らうばかりではない。

 怒りの声を上げながら、前足の二本を大きく上げた。大岩のような重量を見舞わんと、扁平な足が頭上へ被さる。即座に後方へ退避しようとする遮楽。

 

 ところが、それを見越していたかのように彼のすぐ後ろの地面が動いた。地形に干渉する魔法である。彼の退路を阻むように土がせり上がり、足止めする。

 

「チィッ!」

 体格差からして不利と知りつつ、咄嗟に防御の構えを取った彼に対し、容赦の無いスタンプ攻撃が振り下ろされる。

 

「危ない!」

 その時動いたのはクローヴィスであった。力を込めて両腕を前に出すと、ジェムトータスの体の下から突き上げるような水が噴き出した。その勢いは凄まじく、全体重を掛けて倒れ込もうとしていた図体を押し返してしまう。予想外の妨害を受けた全身が、ぐらりと傾いだ。

 

「おっ、やるねェ」

 一瞬前の窮地による焦りなど、微塵も感じさせぬ調子で遮楽が言った。

「私も一介の魔法使いとして、助けられっぱなしではいられないよ……」

「そりゃァ良い心掛けだぜ」

 

 魔法で生み出した水が消え、体勢が戻るその直前に、遮楽は助走を付け高く跳躍した。ジェムトータスの横っ面に向かい、先程のお返しとばかりに、全体重を乗せたドロップキックを見舞う。

 

「おォらッ!」

「ギィッ!」

 

 元々重心を失っていた亀の体は、その攻撃でさらに押し込まれ、ついには天地が引っくり返った。弱点でもある腹を晒す形になり、ばたばたと短い六本脚を暴れさせる。

 

「カカカッ! ご機嫌な姿だなァ!」

 明らかな攻撃チャンスを見逃すはずもなく、遮楽が連続で斬撃を叩きつけた。重厚な質量を有する鉄の刃は、素早く切り刻むには向かないが、その代わり一撃一撃が重い。防御もままならず、金切り声の苦鳴が上がる。

 

 とはいえ、さすがにそのまま押し切るという訳にはいかなかった。苦しみながらも長く柔軟な尻尾を器用に使い、ジェムトータスがやっと身を起こす。遮楽は無理に攻撃を重ねようとせず、一度距離を取った。

 

「ギュアォッ!」

 先程のダメージで多少動きが鈍るかに思われたが、むしろ怒りで逆に作用してしまったようである。首を低くし、ジェムトータスが猛突進した。それを両腕と胸で止めた遮楽だったが、衝撃で僅かに体が持ち上がり、踏ん張りが効かなくなるとそのまま勢いに押される。

 進路の先にはごつごつと岩の目立つ壁面。そこへ激突させるのが狙いのようだった。

 

「遮楽!」

 固い土壁と、まるでトラクターのような巨大な体に挟まれてはひとたまりも無い。クローヴィスが悲痛な声を上げる。

 

「だァらァッ!」

 だが、遮楽は違った。押し付けられた頭を前方へ抱え込むようにして体を浮き上がらせると、ぶつかるその瞬間に壁を蹴って跳ね上がり、長く伸びた首の上を転がる形で回避したのである。

 そうなれば、危ういのは無防備な首を晒したジェムトータスの方であった。甲羅の内に引っ込める猶予も与えず、遮楽が剣を振り抜いた。一閃、そして返す力でもう一閃。

 

「ギュイイィッ!」

 十字の傷を負ったジェムトータスは、前足を振り回して暴れる。それが届く前に、遮楽は後方へ跳んだ。

 

「す、すごいな……」

「余計な心配してねェで、てめェの身でも案じてな」

 

 一度剣を振り、血を飛ばす遮楽。突き刺すような眼光で睨みを利かせると、警戒したジェムトータスがじりっと後退する。

 そして次の瞬間、首や足を全て甲羅の中に引っ込め、その身を地面に置き据えてしまった。如何に太刀筋鋭い遮楽の剣戟といえど、この状態ではダメージを通すことが相当厳しくなる。

 

「あ? 守りに入ったか? 面倒なこって……」

 攻勢に出られない拮抗状態となり、剣を握り直す遮楽。

「このまま凌ぐつもりでいるのだろうか……彼がもし回復の手段を持っているなら厄介だな」

「そんなら無理矢理にでも引き摺り出すだけだ」

 事もなげに言った遮楽が、攻撃できる隙は無いかと回り込んだその時である。

 

 微動だにしなかった甲羅が、その時急に旋回した。

 

「おォ!?」

「ギアァ!」

 素早く首だけ出したジェムトータス。その口から魔力を帯びた光弾が発射された。

 

「ぐっ!」

 剣の振りが間に合わず、体で受ける遮楽。負けじとそこから反撃に転じようとしたが、踏み出した時には既にジェムトータスの頭は甲羅の内に戻っていた。

 

 そして、その行動はそこから複数回続いた。自身が攻撃する時のみ必要最低限体を出し、攻撃が済むやいなや即防御姿勢に戻るのである。速攻のため一発一発の威力は低いとはいえ、これでは一方的な上にキリが無い。

 

「この野郎ォ……下らん真似してんじゃねェ!」

 姑息とも言える手段を前に、遮楽が忌々しそうに怒鳴った。

 

「……遮楽」

 すると、不意にクローヴィスが小声で彼を呼び、手招きした。

 

「私に任せて欲しい」

「何だって?」

「囮に使うようですまないが……一度、攻撃を誘って貰えるだろうか?」

 

 何か考えがあるらしいクローヴィスに深くは尋ねず、頷いた遮楽。敢えて物言わぬ甲羅の真正面に立つと、隙だらけな姿を演じてみせた。

 

「ギュァ!」

 まんまと釣られたジェムトータスは、ばね仕掛けのように勢いよく首を伸ばし、噛み付き攻撃を仕掛ける。素早く跳躍し、躱す遮楽。それを深追いすることは無く、伸ばされた首は再び安全な甲羅の中に戻ろうとしていた。

 

「――それっ」

 

 そのタイミングで、遮楽の背後に紛れたクローヴィスが指先を伸ばした。するとキュンという微かな甲高い音と共に、オレンジ色を帯びたビー玉ほどの小さな光が、吸い込まれるようにして飛んでいった。ジェムトータスが気付くことの無いまま、光は首と共に甲羅の内側へと消えていく。

 

「よし上手くいった……!」

 呟いたクローヴィスは片手を上げると、まるで攻撃の合図を送る指揮官を思わせる素振りで、その手を振り下ろした。

 

発火(イグニッション)!」

 

 その途端、甲羅内部で炎が巻き起こった。足や首を出すための穴がボウと赤く光り、細い火が噴き出す。

 堅牢な城塞であったはずのそれは、今や逃げ場の無い焼き釜と化していた。

 

「ギィィィィーッ!!!」

 たまらず絶叫し、のたうちながらジェムトータスの全身が転び出る。籠城作戦も打ち破られ、再度正面からの戦いを余儀なくされた。

 

「ヘッ。虫も殺さねェような面して、結構えげつねェ真似するじゃねェか兄ちゃんよ」

 愉快そうな声で遮楽が言う。そして先程までの鬱憤を晴らすが如く、強固な守りを解いたジェムトータスに猛攻を仕掛けた。洞穴内に反響する金属音。鉄壁を誇っていた甲羅の外側にも、徐々に傷が付き始めた。

 

「バーストフレア!」

 クローヴィスの放った爆裂魔法が甲羅に直撃。覆っていた岩石や鉱石ごとその一部が弾け飛び、青い目が苦痛に歪んだ。

 

「随分弱ってきたようだ……あと一息で倒せるかもしれない」

「だなァ。ここまで来て逃がしゃァしねェぜ」

 足を庇いつつ姿勢を直すクローヴィスと、改めて構えを取る遮楽。

 

 すると、窮鼠の反撃か。唸り声を発したジェムトータスは、六本の足に力を込めた。

 途端に青い目が光を増し、高められた魔力が風を起こす奔流となって、その巨体の周りに渦巻く。直後、彼の目の前に黄色い魔法陣が三つ出現した。僅かに重なり合うようにして三角形に配置されたそれは、徐々に輝きを強めていく。

 

「おっとォ……? コイツは厄介な代物か?」

 強力な攻撃を察知し、遮楽はむやみに突っ込む事を避け様子を伺った。

「いや……遮楽の腕前と強さなら」

「ん?」

 ところが真剣な表情で口元に手を当て、暫し考えていたクローヴィスは、決意したように頷く。

「押し切れるかもしれない……少しだけ時間をくれ」

 

 小声で何事か詠唱しながら、人差し指と中指だけを揃えて立てた手を滑らかに動かした。

「出でよ……」

 彼が指先をかざすと、遮楽の足元に白い魔法陣が出現。おっと小さく声を上げ、視線を落とす遮楽。


 続いてクローヴィスは手を開き、両手でまるで見えないボールを挟むような構えを取ると、一度ぐっと力を溜め、それを解放するように前方に向けた。

付与(エンチャント)……ファイア!」

 すると次の瞬間、白かった魔法陣が赤へと変わり、遮楽の持つ片手剣の刀身が炎に包まれた。渦を巻いて立ち昇る紅炎。

 

「ほォ……」

 煌々とした光を受けながら、鋭い歯を覗かせ興味深げに笑う遮楽。

 

「杖が無いと、こんな事まで一苦労だな……」

 無事に魔法の付与を終え、表情を緩めかけたクローヴィスだったが、すぐにそれを引き締めた。ジェムトータスも攻撃の準備を終えたようである。地面を揺らし、ドンドンと六本の足が踏み鳴らされる。

 

「ギャアァッ!」

 一声咆哮を上げると、三つの魔法陣から、それぞれ巨大な岩石が出現した。敵を圧し潰す重量と大きさを備えたそれが、遮楽に向かって一斉に狙いを定める。

 

「重要なのは此処からだ、突破できるか!?」

「カカッ、せいぜいそこで気ィ楽にして見てるこったなァ!」

 強力な攻撃を前にしながら……彼は嗤っていた。

 

 撃ち出された岩石の一つを、燃え盛る刃で受け止める。ギギギギと鉄製の刃と岩肌がせめぎ合い、遮楽の体が後退するが、ついには力で押し勝ち軌道を変えた。逸れた岩が壁を穿つ。

 

 続く二撃目は防御の難しい横からの軌道であったが、遮楽は冷静に間合いを測りその場で跳躍。岩石の上を駆け、ジェムトータスとの距離を詰めた。

 そこへ間発入れず、撃ち落とさんとする三撃目が迫る。

 

「ボルテックス!」

 すると遮楽の後ろでじっと魔力を練っていたクローヴィスが魔法を発動させた。目にも留まらぬ速さで横向きに駆け抜けた電流が岩を貫き、速度を落とさせると共に内部に細かなヒビを走らせる。

 ニヤリと笑みを見せた遮楽は剣の柄を両手で持つと、切っ先を垂直に突き立てた。粉々に崩壊し、小石と砂を振り撒きながら落ちていく、かつて大きな岩だったもの。

 

 全弾を撃ち切り、残るは本体を討つのみとなった。着地した遮楽は、ぐんと足を踏みしめ決着の一撃を見舞おうと走る。


 すると声を張り上げたジェムトータスの周囲を守るように、地面から何本もの石柱が屹立した。文字通り最後の砦という訳なのだろう。

 

「耐久戦ってか? 面白れェ――」

 分厚く強固な壁に怯むことなく、遮楽が燃える剣を何度も叩きつけた。ゴオォという威嚇のような音が上がり、陽炎が周囲の景色を歪ませる。一見無謀なその攻撃だが、火の刃は着実に岩を削り、亀裂を走らせていた。

 

「らあァッ!」

 脆くなった部分を見逃さず、渾身の力で一撃する。バギッと決定的な音がし、砦が揺れた。咄嗟にクローヴィスが突き出した片手を強く握り締める。それにより、刃を包む炎が一層強まった。空気をも焼き焦がす、唸りを上げた追撃。

 

 ――ついに、砦が敗れ去る時が訪れた。崩れる大岩、響き渡る轟音。ジェムトータスが口を大きく開け叫ぶ。

 後の無いことを悟り動揺するその姿は、奇しくも先程追い詰められていた、クローヴィスのそれと重なるようだった。


 足掻く窮地の魔物は、前足を破れかぶれに振るう。そのような大味な攻撃が今更遮楽に通用する筈もなく、彼はむしろその足を踏み台に高く飛び上がると、炎の片手剣を振りかざした。

 

「喰う喰われるはお互い様だぜ、恨むなよ――」

 決着を前にして静かに呟いた遮楽。首の付け根を狙い、ギロチンのように振り降ろされた紅い刃。黒煙と土煙が立ち昇る中……戦いの最後は、炎を反射する水晶の煌めきに彩られていた。

 


 

「は、はは……即席の連携にしては、上出来だったんじゃないか?」

「ま、中々面白れェ喧嘩が出来たぜ」

 

 ジェムトータスの消滅後。鉄剣を腰の鞘に納め振り返った遮楽は、気が抜けたように地面に手を付いているクローヴィスの元へと歩み寄った。

 

「立てるか」

「ちょっとだけ待ってくれ。回復が済めば歩けるようにもなるさ……遮楽は大丈夫なのかい?」

「何とも無ェさこんなモン」

 平然と言い放つ遮楽。その姿に安堵しつつ、クローヴィスは緩く笑みを漏らした。

 

「いやぁ、本当に強いな君は……。どうもありがとう。流石にもう駄目かと思ったよ。まさか、いきなり足場が崩れて落ちるなんて」

「全くドジでそそっかしい軟弱野郎の癖に、一人でフラフラほっつき歩いてっからこんな事になんだぜ」

「ははは、これは手厳しいな……」

 

 容赦無く注がれる言葉に苦笑しながらも、彼は体を少し起こして周囲を見渡した。降り積もって小さく山となった、土や崩れた岩の破片。ふと見上げれば、遠く壁面の一部に見える抉れた跡。

 いまだに悪夢でも見たかのように信じ難いが、確かに自分は絶体絶命の窮地にあったのだと、取り巻く状況が伝えている。

 

「しかし、本当にこうなる事は予想していなかったんだよ。此処はそう地盤の脆い場所でもない筈で……あぁいや、でも、雨水の浸食で部分的に弱くなっていたという可能性も有るのか? だがそれにしても、あの急激な崩れ方は――」

「……おい。一人でブツブツ考えんのは勝手だが、んな事ァどっか他所でやんな。まだ治らねェのか? あっしもそう気が長ェ方じゃねェんだ、モタモタしてっとこのまま置いて帰るぜ」

 

 うんざりと顔をしかめた遮楽の声に、うっかり自分の世界へと入りかけていたクローヴィスは「あっ」と声を上げ、慌てて目の前へ意識を戻す。

 

「す、すまない、つい。まだ少し痛みはあるが……うん、まぁ、普通に歩く程度なら問題無いだろう」

「はん、そうかい。便利なモンだな」

 

 足の様子を確かめながら、慎重に膝を立てるクローヴィスの手を、遮楽が掴むと引き上げて立たせる。そして腕を組み顔を背けると、どこか投げやりな口調で言った。

 

「さてと。これで、いつかの薬の借りも返したからな」

「そんな。別に気にする事なんて無かったのに……いやでも、お陰で助けられたのだから良かったのかな?」

 頬を掻き、遠慮がちに笑うクローヴィス。

 

「……ん」

 その時、不意に遮楽が何かに反応し、背後を振り返った。

 

「どうかしたかい?」

「いや……今、誰か居たか?」

「え? 私は何も気付かなかったが……」

「そうか……何か足音みてェなのが聞こえた気がしたんだがな」

 

 釈然としない様子で鼻を掻く遮楽。

 

「随分と耳が良いのだね。小さな魔物か野生の動物でも通ったんじゃないのかい?」

「かもしれねェな。別に気にする事でもねェか」

 

 軽く肩を回し、遮楽は足元へ視線を落とした。先程の戦いでジェムトータスが遺したアイテムが転がっている。

 

「物のついでだ。拾って帰るか」

「ああ。この蛍石は丁度欲しかった素材だ。怪我の功名と言った所かな……。これ、私が貰っても構わないかい?」

「好きにしな。どうせあっしにゃ宝の持ち腐れだ。ただし、この肉と紫曜石と……何でェこりゃアイツの目玉か?」

 

 遮楽は青色に薄く発光している、小さな球状の物質を摘まみ上げた。

 

「ああ、ジェムトータスの目玉は別名ブルードロップと呼ばれる魔法素材だ。売ればそれなりの高値が付くよ」

「そうか。ならこれも貰い受けるぜ。食料と金に換わるモンは拾っていく」

「勿論良いとも。助かったのは遮楽のおかげなんだから、持ちたいだけ持って行ってくれ」

 

 吹き飛ばされてそのままになっていた道具袋も回収しつつ、クローヴィスが冗談めかした調子で口を開いた。

「こうして君が隣に居てくれたら、危険地帯のフィールドワークも怖いもの無しなのだが」

「あっしを用心棒に使おうってか? ハッ、法外な金をふんだくった挙句、魔物の巣に置いて雲隠れすんのがオチだぜ」

 

 嘘か本気か判断の付かない声音で言いながら遮楽。やがて戦利品の山分けも終わり、二人は改めて一息ついた。クローヴィスがどこか遠い目をしながら、先程まで激戦を演じていた空間に視線を投げかける。

 

「何故、いきなり私を襲ってきたのだろう。明らかに異常な興奮状態だったし……まるで、我を忘れているみたいだった。一体何が起こったらあんな事になるんだ?」

「さァな……虫の居所でも悪かったんだろうよ。魔物は魔物だ、所詮あっしらの理屈で動いちゃいねェさ。世の中頭で考えて分かる事ばかりじゃねェぜ、学者さんよ」

 ドライな遮楽の言葉に、クローヴィスは少々悲しげに目を伏せたのだった。




 その後、クローヴィスの所持していた帰還用アイテムで、洞穴の入り口まで戻って来た二人。緑色の魔方陣の真上に発生した光から、飛び出すようにして着地する。

 

「あん? なんだ雨降ってんな……」

 遮楽が顔を上げ呟いた。しとしとと絶え間なく降る細い雨粒が、緑褐色の肌を濡らす。ややひび割れた大地はすっかり湿り気を帯び、その色を濃くしていた。

 

「本当だ。今朝は良く晴れていたというのに……うわ、あっちの空なんて真っ黒だ。これは相当降るかもしれないな」

 クローヴィスも額に手を当て、遠くを見ながら言う。

「……ありゃアジトの方角じゃねェか。これから戻りだってのによ」

 同じ方を向き、思わず眉間に皺を寄せる遮楽。


「そうなのかい? 一応拠点に雨具もあるから貸そうか?」

「別にいらねェよ。とっとと帰りゃいいだけの事だ」

「遠慮しなくても良いのに……それでは、本当に今日はありがとう。君が偶然通り掛からなかったら、どうなっていたか」

 クローヴィスはそう言って、深々と頭を下げた。遮楽はというと、慣れない真っ直ぐな感謝を向けられ、どこか居心地悪そうな様子である。


「どうか気を付けて」

「ハッ、どの口が言うんだか。てめェこそ寝てる間に、魔物共に襲われねェよう気ィ付けるこった」

「あぁその点は安心してくれ、拠点にはきちんと結界を張っているから……心配してくれるだなんて優しいのだね」

「いや心配して言ったんじゃねェんだが……皮肉の効かねェ奴だな」

 やはりどこか会話が噛み合わない二人。やがて遮楽は背を向け、家路へと歩き出した。


「じゃァな。こんな事、二度は無ェぜ」

「ああ。この恩は忘れないよ!」

 おそらく今までで一番平和的であろう雰囲気の中、両者は別れたのであった。

 



 それから間もなくして、雨脚はいよいよ強まった。空を覆う雲は分厚く、一筋の光も通そうとしない。量も大きさも増した雨粒が無遠慮に地面を叩き、ぬかるみを作っていく。

「チィッ……! やっぱり酷くなってきやがったか」

 その中を走る遮楽は、忌々しそうに呟いた。頑丈なブーツに蹴立てられ、バシャリと濁った泥水が飛び散る。白む視界と押し寄せる雨音は、まるで自分がどこか現実から隔絶された世界にいると思わせる程であった。


 足下の最悪な中、ようやくアジトが見えてくる。


「あっ頭! お疲れ様です。やー降られやしたね」

 雨除けの付いた見張り台の上から、子分が顔を覗かせた。

「おうよ。参ったぜ全く……」

 短い髪を掻き上げ、顔を振って水気を飛ばす。

 

「中で火ぃ焚いてますぜ。体拭いてあったまってくだせぇ」

「そうするぜ……あァそうだ、ギドはいるか? 前に武器の補強で魔獣の爪を欲しがってたんだが、今日丁度手に入ってよ」

 ふと思いついて尋ねた遮楽だったが、子分は首を横に振った。

「いやぁ、まだ戻られてないですぜ」

「そうか……どこに出掛けてるんだ?」

 その問いかけにも、少々申し訳なさそうに首を傾げる。

 

「何も聞いてねぇっす。けど結構な準備して行かれてたんで、どっかの金持ちでも襲うんですかって聞いたんですけど、大したことはねぇから気にすんなってだけで……」

「何も伝えねェとは珍しいな……。一人で行ったのか?」

「へい、そうです。まあ、ギドの兄貴が単独行動されるのは別に珍しくもないですけど。おれと違って、一人でも十分強いし……」

「何がおれと違って、だ。喧嘩ぐれェ一人で出来るようになりやがれ」

「へへっ、すいやせん」

 

 頭を掻く子分に遮楽は重ねて言葉を掛けようとしたが、ぶるりと背中を寒気が走り、腕をさする。

「流石にこうも濡れると寒ィな……ま、留守なら仕方無ェ。後で渡すとするか」

「へい。一応、兄貴が帰ってきたら伝えておきやすぜ」


 子分の言葉を背に、アジトの中へと入る。時刻は夕方近く。待っていればそのうち帰ってくるだろうと、気楽に肩を回しつつ自室へと歩いた。


 ――しかしその後数刻が経ち、夕食の時間となっても、ギドが姿を見せることはなかった。

 普段通りに食事をしつつ、遮楽はぽっかりと空いた自分の左隣に視線を落とす。本来ここまで遅くなるならば、遮楽ないしは他の団員に一言伝えておくのが普通なのだが……子分達に尋ねても、誰一人として彼の所在を知る者は居なかったのである。


(……まァ……アイツに限って、つまらねェヘマしてとっ捕まるなんて事ァ無ェとは思うんだが……)


 妙な引っ掛かりを覚えつつも、遮楽はあくまで無関心と変わらぬ振る舞いを貫いた。


 何らかのトラブルや予定外の出来事で、戻りが遅くなっているだけの可能性も十分考えられる。自分だって帰りが深夜や明け方近くなった事は何度かあるのだから、これがとりわけ異常事態であるとも言い切れないのだ。何かが起きる前に騒いだところで、要らぬ不安を煽るだけである。何より子分達の前で、変にそわそわと落ち着かぬ様子を見せる訳にもいかない。


 そうして、時間は過ぎてゆき……。


「……よォ。何だお前らも外の様子見か?」

 夜も深まりつつある中、遮楽は入り口近くで立ち話をしていた子分二人に話しかけた。壁に取り付けられた燭台の小さな火が、ぼんやりと顔を照らしている。

 

「あっいえ、そろそろ見張り番交代の時間なもんで……頭はどうされました?」

「別に深い用事があった訳でもねェ。ただよく降ってんなァと思ってよ」

 そう言いながら、遮楽はアジトの外へと視線を投げる。相変わらずの雨模様で、乾く間もなく濡れた地面には水たまりが幾つも広がっていた。時折気まぐれに弱まる事はあれど、止むことはない。

 

「そうっすねぇ。この調子じゃ夜通し降るかもしれませんぜ」

「せっかく明日は稼ぐチャンスだってのに、何なんですかねぇ。やっぱり日頃の行いが悪いから?」

「何だよそれー。俺は結構真面目にやってるつもりなんだぜ?」

「阿呆か。賊に真面目もへったくれも無ェだろうが」

 軽口を交わす遮楽と子分達だったが、その声も雨音のせいでどこか聞き取りづらい。

 

「……ところでよ、ギドの奴はまだ帰らねェのか」

 何気ない様子を装い遮楽が尋ねる。その言葉に二人は顔を見合わせ、軽く肩を竦めてみせた。

「ええ、まだ見かけてないですね。やけに遅くなってるみたいで……」

「どこいらっしゃるんすかねぇ。まあ兄貴なら大丈夫だと思うんすけど、さすがにちょっと心配――」


 その時である。

 ばちゃりと、泥と水の跳ねる音が微かに遮楽の耳へ届いた。彼が顔を動かしたのを見て、子分二人の視線も同時に外へと向けられる。雨粒の帳を割ってこちらへと歩いてくる、一人の影が見えた。


「あっ、噂をすれば……!」

 子分の一人が安堵の混じる声音で言った。


 その人影は、確かにギドで間違いなかった。また歩く姿に別段変わったところは無く、足を引きずっていたり、肩で息をしていたり等の異常も見当たらなければ、怪我を負っているようにも見えない。

 

 ただこの土砂降りの中、構わず歩いてきたのだろうか……彼の全身は、酷く濡れそぼっていた。


 長い金髪も、白いシャツもべったりと張り付き、輪郭を浮き彫りにしている。透けた袖から薄く覗いている、蛇を模した図柄のタトゥー。毛先や顎の先からは水滴が絶えず滴り落ち、すっかり水を吸って重たくなったブーツは、歩くたびグジュ、グジュと湿った音を立てた。


 そんな彼の足取りは、非常に重く緩慢だった。それはぬかるむ地面に足を取られないよう気を付けて歩いているというよりも……まるでどろりと淀んだ暗い沼の底から這い出してきたかのような、どこか陰鬱さすら感じさせる動きである。


「ギドの兄貴、お疲れ様です。ちょうど兄貴のこと話してたところで」

「だ、大丈夫っすか!? その、随分濡れちまって……」

 ギドを出迎え、心配そうに声を掛ける子分二人。しかしそれには軽く手を上げて応えたのみで、彼は隣に立つ遮楽へと体を向けると、顔をやや伏せたまま軽く頭を下げた。

 

「……すんません、遅くなりやした」

「おう。……一体どこほっつき歩いてやがったんだ、こんな時間まで」

 それを見下ろしながら腕を組み、やや睨むような目付きで低く尋ねた遮楽。だがその目には怒りよりも心配の方が色濃く宿っていた。ギドはやや間を空けると、顔を上げ答える。


「……襲撃に失敗しやした。こっちも準備はしてたんですがね、どうも事が上手く運ばねぇ日でさ……思ったより手こずっちまって。そんでとうとう足がつきそうになったんで、引いたって訳です。結局、何の収穫もねぇまんまで……面目ねぇです」

 再び足下に視線を落とすギド。声にも少々覇気が無い。

「お前が手も足も出ねェたァ珍しいな……何だ、それで落ち込んでやがんのか? 別に気にする事ァ無ェだろうが……。まァ良い。とにかく中入れ」

 

 ぞんざいに言った遮楽は、すぐ横に置いてあった物置台から布を取ると広げた。

「ったく濡れ鼠じゃねェか……あんまり無茶すんじゃねェよ」

 そして、冷え切った体を拭いてやろうと腕を伸ばす。


 ――パシッ。


 するとギドの手が、その布を無造作に掴み取った。

 その動作は差し出されたものを受けるというよりも、奪い取るや払いのけるといった形容の方が相応しかった。


 普段ではまずあり得ぬ荒っぽい所作に、驚いた表情の遮楽が、空中に取り残された手を下げぬまま彼を見る。


「……いやいや、ガキじゃねぇんですから……自分でやれますぜ」

 薄く口元に笑みを浮かべ、おどけ交じりにも聞こえる口調でそう言った彼。だがどこか虚ろにも見える視線と、目元に落ちた陰。沈んだような雰囲気を纏っているのは……疲労の為だろうか?


「兄貴、夕食の取り分はちゃんと残してあるんで、あとで温めて食べてください。腹減ってるんでしょう?」

 そこへ、子分の一人が声を掛ける。しかしギドはちらりと視線をやったのみで、口を開いた。

「あー……いや、悪りぃが食欲無ぇんだ……。もう部屋に戻って休むぜ。オレのはいいから、余った分は他の奴らの取り分に回せや」

「あ、兄貴ぃ、やっぱどっか悪いんすか?」

 もう一人の子分が、恐る恐るギドに尋ねる。それに対して、彼は心配するなと言うように首を振った。

 

「別に熱があるとかそんなんじゃねぇよ。ただちょっと気分が優れねぇってだけだ」

「ホントに大丈夫すか? 何か変なもんでも拾って食ったとか……」

「んな事すんのはおめェだけだろうが」

「か、頭ぁ! 俺最近はやってねっす!」

 

 遮楽が混ぜっ返し、その場は笑いに包まれた。重かった空気が、若干和らぐ。

 だがギドはその会話にも混ざる事無く、髪と体を拭き終えた布を台に置き、ゆらりと歩いてアジトの奥へと姿を消してしまった。

 

「う、うーん……だいじょぶっすかねぇ、兄貴」

 子分はその後を見つめ、おろおろと呟く。

「……まァ、色々大変だったんだろうよ……時間も時間だ、休ませてやんな」

 息を吐き、静かに言った遮楽。ギドが無事アジトへ戻ったことで、ようやく安心できるはずだったのだが――外の景色同様、暗雲晴れぬ感覚は、いまだ拭えぬままであった。


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