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【第十六話】邂逅

【前回のあらすじ】

クローヴィスは、遮楽との出会いについてみくるに語り聞かせる。彼らの若かりし頃は、獣人や亜人に対する、人間の差別が根強い時代であった。そして偶然時を同じくして、遮楽もまた、シグレに己の過去を明かしていた。盗賊団の頭領であったという彼だが、クローヴィスに付き従う理由とは……?両者の語る過去は交錯し、一つの物語が始まる。

 その男は、薄汚れたスラムのような場所で生まれ落ちた。


 物心付いた時には両親の所在すらよく分からず、ただ自分の名前が遮楽なのだという記憶だけはあった。

 

 その後、どうやら自分は迫害される側の種族らしいと気付いたのは、いつ頃だったか。真っ当に生きようとすればする程、理不尽に虐げられ、謂れの無い悪意に押し潰される。

 

 ただし、劣悪な環境がそうさせたのか、最初から天賦の才を宿していたのか――おそらくは両方だろうが――彼は誰に習わずとも、他を圧倒する程の喧嘩の腕を有していた。


 当然の事ながら、生きるには食料や金が必要だ。しかしまともなやり方では、得るどころか奪われるだけ。

 それでは、まともでないやり方なら……? 自分は狡猾に世を生き抜く頭脳も、器用さも持ち合わせていないが、幸い力だけは備わっている……

 

 もはや必然だったのだろう。彼が賊という生き方を選ぶのに、そう時間は掛からなかった。




 ある時、遮楽は宝石商の一行を襲った。

 どうやら行商に赴く途中であるらしい。大量の荷を載せた車を、逞しい馬が曳いている。策を弄する事も無く、遮楽はその正面へと躍り出た。それを見るなり、よく肥えた体躯を上等な衣服で包んだ人間の男が、数人の用心棒へ声高に撃退を命じる。

 

 だが、いずれも彼の敵ではなかった。怒号を上げ襲い掛かって来る男達を次々なぎ倒し、すっかり怯え切った宝石商を車から引きずり下ろすと殴って気絶させる。御者は悲鳴を上げながら逃げ去っていったが、そんなものは元から眼中に無い。……かくして、まんまと大量の宝石や金品を強奪した。


 これでしばらく食い扶持には困らないと、流血し呻いている人間達をそのままに立ち去ろうとしたその時……遮楽の袖が引っ張られた。

 

 振り向くと、そこには服と呼べるかも怪しい、粗末なぼろ布に身を包んだ少年がいた。先の尖った大きな耳と同様に大きな鼻を持ち、遮楽より若干黄色味の強い褐色肌をしているものの、種族は彼と同じデミゴブリンのようであった。

 

 そして彼の右の手の甲には、Sの字を模したようなタトゥーが入れられていた――奴隷の証である。そう言えばもう一つ荷車を曳いていた小さい奴がいたな……と、遮楽は襲撃する直前の光景を反芻する。


 少年の痩せて骨の浮いた体には、鞭打たれた痕が生々しく何本も残っていた。中にはごく最近のものなのか、僅かに血の滲む傷さえある。そして、首には革製の枷。ただしそこから繋がる鎖は千切れ、だらりとぶら下がっていた。先程のどさくさに紛れ、落ちた武器でも拾って切断したのであろうか。


 彼は伸びっぱなしで手入れのされていないくすんだ金髪の間から、じっと遮楽を見上げる。その目は幼い顔に似つかわしくない程鋭く、じっとりと湿度を帯びた暗い光を宿していた。

 

 オレも連れていってください、と少年は言った。何でもする、必ず役に立つからと。


 突然の申し出に、遮楽は一瞬渋った。しかしこの瘦せ細った身寄りもない少年が、この先孤独に生き延びられるとは到底思えず、同情心からそれを承諾した。一人ぐらいならば、ついでに食わせてやれるだろう……そう考えたのである。

 

 だがそんな憐みに反して、少年の手段を選ばず生きようとする意志は凄まじかった。元々遮楽としては、自らの悪事に加担させるつもりなど無かったのだが、その少年は強盗、略奪、その他あらゆる後ろ暗い行為に対して何の躊躇も持ち合わせなかったのである。

 それどころか時に遮楽よりも強い残忍酷薄の性すら発揮し、武装して旅人を襲撃すると、血に濡れた荷を持ち帰った事もあった。


 そんな彼に対し、遮楽は当初驚きこそしたものの、止めることはしなかった。生存には必要と考えたのである。


 決して褒められたものではなく、また平和とも呼べない日々の中で、二人はその日暮らしを続けていった――そしてこれが、遮楽を頭領とする盗賊団の始まりでもあった。



 

 そして、そこから数年の月日が過ぎ去った、ある日の事である。

 

 乾いた砂と岩場が目立つ、殺風景で拓けた大地。人気の無いそこを、一人の男が歩いていた。フード付きの白い柔らかなローブを身に纏い、手には先端に丸い宝玉の光る魔導杖。かなりの道のりを歩いてきたようで、ふと立ち止まると額に滲んだ汗を拭った。

 

 高くなりつつある日差しが彼の肌を照らす。まるで陶器のような色白の肌である。そしてそれとは対照的な黒髪は肩下までの長さがあり、ハーフアップに結い上げられていた。線が細くたおやかな風貌をしているものの、行く先を見つめる金の双眸には、深い思慮と意志の強さを感じさせるような光もまた湛えられている。


 彼が、若かりし頃のクローヴィスである。後に精霊使い(エレメントマスター)となる彼ではあるが、今はまだ一介の魔法使いとして、修練と研鑽を積んでいる最中であった。


 彼が手にしているのは、杖だけではない。革製で金の金具が付いた、大きな鞄も提げている。

 

 道中、湧き水の出ている場所を発見したため、荷物を置き、澄んだ水を手で掬って飲んだ。疲れの見えていた表情が、ほっと緩む。

 そして薄く生えた芝生の上に座って休憩を挟むと、懐から小さく折り畳まれた地図を取り出し、確認するように眺める。それから数分経過した後、再び立ち上がって歩き始めた。

 

 ――そんな彼の前に突然現れたのは、三人の影。

 

「え……」

 待ち伏せていたのであろう、クローヴィスを取り囲むように岩場から姿を見せたのは、三人のデミゴブリンの若者であった。それぞれ棍棒や短剣、弓矢という武器を持っている。その様相からして、碌でもない用事であることは容易に推察できた。

 

「よぉ。こんな場所を呑気に一人旅ってか?」

 短剣を持つ赤毛の男が、にやつきながら口を開く。

 

「いけねぇなぁ。ここらは治安が悪いんだよ。オレらみたいなゴロツキが縄張りにしてんだからさ」

 棍棒で地面を叩き、わざと不穏な音を立てながらクローヴィスの背後に立つ男も続いた。首には小さなタトゥーが刻まれている。

 

「おにーさん、ずいぶんと身なりが良いねぇ。その鞄、なーんか大事そうに抱えてっけど、金目のモンとか入ってんじゃないの? オレら生活苦しいんだよね~。カワイソウなオレらのために、ちょっとくらい寄付してくんない?」

 最後に言ったのは、弓を背負った男であった。クローヴィスの頭から爪先まで、無遠慮にジロジロと眺めている。彼の左耳に付けられたリング状の小さなピアスが、陽の光を受けちらりと光った。

 

「……すまない。君達には悪いけれど、これは渡せる物ではないんだ」

 退路を塞がれ、窮地に陥りつつも、努めて冷静にクローヴィスは切り出す。

 

「もし助けが必要と言うのなら、私は喜んで手を貸したい……でも、こんなやり方では良くないんだ。それでは何の解決にもならない」

「ケッ、何かと思えば説教かよ。ゴチャゴチャ抜かしてねぇでサッサと荷を置いてけって言ってんだよ!」

 

 赤毛が早速苛立ちを露わにし、足元の地面を蹴った。巻き上げられた砂がクローヴィスに飛ぶ。ローブの袖で顔を庇いながら、それでも彼は懸命な声を上げた。

 

「待ってくれ! 私は戦いなど望まない……話を聞いてくれ!」

「うるせぇ! こちとらのんびりお喋りしてるヒマはねぇんだよ! 嫌ならこっちから奪うだけだ!」

 三人が誰からともなく武器を構えた。とてもではないが、話し合いで解決できる雰囲気ではない。こうなっては仕方が無いと、クローヴィスも杖を握る手に力を込める。

 

「くっ、君達にも事情があるのかもしれないが……すまない、無力化させてもらうよっ!」

「手間かけさせんじゃねぇっ!」

 先手必勝とばかりに、赤毛が短剣を振り上げ突進してきた。

 

「パイロウォール」

 クローヴィスは魔法を発動させる。彼の目の前に、炎の壁が出現した。

 

「ぅあっち!」

 そのまま突っ込みそうになっていた赤毛は、熱風と火に怯み後退する。

 

 そして舌打ちしながら守りの無い側面へ回り込もうとした次の瞬間、燃える壁を割って風の矢が飛んできた。

 

「うおおぁ!?」 

 不意打ちに近いそれを避けられる筈もなく、赤毛は風の矢と共に後ろへとすっ飛んだ。

 

「このぉ!」

 その攻撃の隙を突き、背後から棍棒を持ったタトゥーが襲撃する。

「あぐっ!」

 振り向いたクローヴィスは杖の柄でかろうじてそれを防いだ。両手へ伝わる衝撃に顔が歪む。それでもタトゥーが再度棍棒を振り上げた瞬間、口を動かした。

 

「パラリシス!」

 

 バチチッと彼の体を真下に通り抜ける、一筋の細い電流。

「ぐげぇっ!?」

 奇妙な悲鳴を上げながら、タトゥーは体をねじくらせ痙攣した。麻痺効果のある雷属性の魔法なのだ。威力は低いものの、これでしばらく行動できないだろう。

 

 だが安心するには早い。ヒュンと何かが目の前を横切る。

「ひぇっ!?」

 ハッと振り返れば、小高い岩の上に、弓を構えるピアスの姿が見えた。先程は運良く外れたが、次は分からない。そして息つく間もなく、次の矢が放たれる。

 

「くっ」

 身を引きつつクローヴィスが杖を振ると、その先からまるで生きているようにうねる水が発生した。水流は彼を貫かんとしていた矢を直前で絡め取り、勢いを消し去る。

 

「……チッ」

 ピアスは口の端を歪めると、少し離れた所に立っていた赤毛に目で合図した。前衛と後衛で同時に仕掛けようという腹であろう。頷いた赤毛が、いつでも踏み込めるように短剣を握り構える。

 二人同時の相手を迫られたクローヴィスは、思わず数歩下がった。張り詰めた緊張感が手を震わせ、ごくりと喉が鳴る。

 

 一瞬視線が外れたその時を狙い、赤毛が走った。ピアスの遠距離攻撃も脅威だが、応戦しないわけにはいかない。クローヴィスはなるべく攻撃後の隙を作らないよう、素早く連続で繰り出せる魔法弾を飛ばした。次々襲い来るその弾道に追われ、思うように近づけない赤毛。

 だが当然、その攻防の間に矢を射ろうとピアスが弓を引き絞る。

 

「クラック!」

 

 慌ててクローヴィスは杖を持つ腕を彼に伸ばした。直後、ピアスの足元の地面が突き上げられるように割れる。大きくバランスを崩したピアス。当然、発射された矢は明後日の方向へ飛んでいく。

 

「ぬおらぁ!」

「――うぅわっ!?」

 

 ところがその間に、赤毛の接近を許してしまっていた。目の前に迫った短剣から逃れるため咄嗟に後ろへ大きく跳ぶ……が、着地でよろつき尻もちをついてしまう。ここぞとばかりに突っ込んでくる赤毛。


 クローヴィスは急いで杖を向けると、切羽詰まった声で魔法を唱えた。

「ミ、ミスティホロウ!」

 刃が振り下ろされるギリギリのところで、赤毛を取り囲むように黒い靄のような物質が出現。

 

「うおお!? 何だコレ!?」

 

 攻撃性能は無いものの、敵の視界を奪い混乱状態に陥らせる闇属性魔法であった。驚いた赤毛は短剣をめちゃくちゃに振るう。彼がパニックに陥っている間に、クローヴィスは走って間合いの外に抜け出した。

 

「こ、このっ! てめぇどこにいやがる!?」

「うわああやめろ! オレじゃねぇっての!」

 文字通り闇雲に振り回される刃は、ようやく麻痺状態から脱却したタトゥーを切りそうになり、両者の慌てふためいた声が重なった。

 

「ふうぅっ……」

 

 そんな中、気を落ち着かせるように息を吐きだしたクローヴィス。とても鮮やかな戦い方とは言えないが、一応まだ一切のダメージを受けていない。状況は彼に優勢と言えた。


 だが荒事を避けたい彼は、三人を見回すと必死になって叫ぶ。

 

「も、もう止めようじゃないか……! これ以上は怪我をさせてしまうかもしれないよ! 君達も痛い思いをするのは嫌だろう!?」

 だが、彼らは聞き入れるどころかますますヒートアップしてしまう。

 

「るせぇ! 手ぶらで帰れるかよ!」

 吠えるタトゥー。その後ろにいるピアスも攻撃の手を緩める様子は無い。そして混乱魔法の効果が切れた赤毛もまた、怒りの声を上げながら彼を睨んだ。

 仕切り直しのようにそれぞれの武器を構え直すと、一歩踏み出し……

 

「おい」

 

 ――そんな中、投げかけられた声があった。


 たった二文字の呼び掛け……それだけであったが、その重く低い響きに、これまで躍起になっていた三人がピタリと動きを止め、一斉に背後を振り返る。

 クローヴィスもつられて前方に目を凝らすと、こちらに向かって歩いてくる、一人の男が見えた。

 

「お前等……何一人を相手に三人掛かりで手こずってやがんだ、情けねェ」

 

 下半身は生地の厚いズボンに革の戦闘ブーツを履いているが、それに対して上半身はほぼ裸、素肌に胸の部分で十字に交わったベルトのみという無骨で荒々しい服装であった。全体的に短く刈り上げた白髪が、陽射しを反射している。

 

 だが粗野な出で立ちの反面、かなり硬く鍛え上げられた肉体と、悠々としているものの隙の無い歩き方からして、その実力は目の前の三人とは桁違いであることは一目瞭然であった。決して大男ではないが、強者たる風格を備えるには充分である。

 

「か、(カシラ)……!」

 

 その男を見たピアスが、弓に矢をつがえかけた姿勢のまま慌てたように呟いた。

 ――そう、彼こそが今や複数の子分を従える盗賊の頭領、遮楽である。

 

「ったく、任せてくれとせがむから行かせてやったってェのに……様子を見に来りゃコレときたモンだ。こりゃまだまだ小間使いだなァ」

 片手をズボンのポケットに突っ込み、遮楽はやれやれと頭を掻く。その態度こそ気安く飄々としているが、決してクローヴィスにとって、緊張を緩められる雰囲気ではなかった。

 

「面目ねぇっす! コイツ見た目の割に結構やるもんで……!」

 タトゥーが棍棒と共に頭を下げた。直後指をさされたクローヴィスは、はっとして遮楽に向き直る。

「君が……彼らの元締めかい? どうかここは諦めて、彼らと共に去ってはくれないだろうか」

「……カカッ!」

 

 クローヴィスのそのセリフを、遮楽は笑い飛ばした。口角は上がっているものの、そこから覗く鋭い歯や笑みの無い目が、むしろ荒くれた悪さを強調させている。

 

「おかしな事を言いなさる。盗賊がやめろと言われてハイそうですかと聞くもんかい。運が無かったと諦めな。それが嫌だってんなら……力尽くで切り抜けるこったなァ!」

 

 口の端がさらに好戦的に吊り上がった。腰から片刃の剣を抜く。金属的な音と共に、切れ味の鋭さを伺わせる銀の閃きが刀身を走った。

 

「ぐ……やむを得ないか……!」

 こめかみから汗を流しつつ、再度クローヴィスが杖を構える。

 

「シックル!」

 突き出した杖の先から、小さなかまいたちが飛び出し遮楽に向かっていった。

 

「へェ、小手調べにしてもこりゃ舐められたモンだなァ!」

 走りながら剣を振りかぶった遮楽は、横薙ぎに力強く払う。

 かまいたちを消し飛ばし、速度を緩めることなくクローヴィスへと肉薄した彼は、その刃を再度振り下ろそうとした。

 

「う、うわ! リフレクト!」

 目前へ迫った凶刃に盛大に慄きつつも、すんでのところで反射の効果を備えた防御魔法を発動。

 透明な壁が遮楽の剣戟を受け止め、その威力を衝撃波として跳ね返す。

「おォっと」

 

 無論、防御魔法による攻撃の威力など微々たるもの。だが一応、遮楽に距離を取らせる事には成功した。

 

「アクアショット!」

 また近づかれてはたまらないと、クローヴィスは矢継ぎ早に魔法を放った。レーザー銃を撃つように、高速の水が一直線に飛ぶ。

 

 遮楽は剣面でそれを受けた。ゴィンッとおよそ液体とは思えない音を立てて水が直撃し、踏ん張った足が僅かに動く。だが、これも完全に防がれていた。

 

「どうしたァ兄ちゃん、まさかこれが全力だとは言わねェよなァ。でなきゃコイツ等の面目丸潰れだぜ?」

 親指で背後にいる子分達を指しながら、ヘラヘラと笑う遮楽。クローヴィスはぐっと言葉に詰まった。

 

(これはっ……! 下位魔法では歯が立たない!)

 

 出来れば最小限の魔法に抑え、極力穏便に済ませたかったのだが……。彼の実力の一端を垣間見て、身の危険を感じたクローヴィスは使う魔法の強度を引き上げる。


 片手で杖をくるりと一回転させると、彼の前面に大きな赤い魔法陣が浮かび上がった。

「アロウズフレイム!」

 唱えた直後、魔法陣から次々と無数の炎の矢が撃ち出される。


 風を切りながら燃やしていく、炯々(けいけい)とした炎光の群れ。それに照らされる遮楽の目が細められた。

 

 彼の脚が大きく動く。足元に飛んできた一本を跳んで躱すと、着地ざま姿勢を低く走りながら剣を一閃。正面に迫っていた火の矢が切っ先に触れ、シュボゥという音を立てて燃え尽きた。

 さらに胴体を横向きに回転させるように跳ぶと、空中で刃を旋回させる。襲い来る火炎を切り飛ばし、打ち払い……なんと、全てを凌ぎ切ってしまった。

 

「な……! これでも駄目なのか……!?」

 

 予想外の事態に目を見開くクローヴィス。それに対し、遮楽は剣の峰でトントンと肩を叩きながら言った。

「随分と仰々しい魔法で結構だがねェ。軌道や狙いがこうも単純じゃ、どうぞ見切ってくださいと言ってるようなモンだぜ? さては魔法の修行に明け暮れるばっかで、実践経験はそこまでじゃねェな、兄ちゃんよ」

「うぅ……」

 

 遮楽の推察はほぼ当たっていた。クローヴィスは確かに優秀な魔法使いではあったが、平和主義で争いを嫌う性質のため、戦闘技術に関しては素人に毛が生えた程度と言ってよかった。

 それでも充分に備わった魔法の素質に助けられ、ありふれた魔物との戦闘であれば何も問題無かったのだが……このような実力者との戦いなど、想定していよう筈もない。

 

 とはいえ、だからといって尻込みしてもいられない状況である。

 

「そ、それなら……フロストフリッパー!」

 魔法を唱えた次の瞬間、上下左右そして中央に、計五つの氷塊が出現。

 続けてクローヴィスが杖を払うと、中央を残した四つが遮楽目掛けて収束していく形で発射された。

 

「また直線攻撃かい? 芸の無いこって……」

 呟いた遮楽が、それらを打ち落とそうと片刃の剣を担ぐ。

 

「――そこだっ!」

 

 だがその前にクローヴィスが、四つの氷塊が最も近づいたタイミングで、空いた片手を突き出した。


 その動きを合図に、中央に残ったままだった最後の氷塊が、今ようやく撃ち出される。

 するとそれは先行していた四つを弾き飛ばした。互いにぶつかり合い、まるでピンボールのように、不規則に乱れる軌道。

 

「チィッ」

 クローヴィスの狙いに一拍遅れて気付いた遮楽は即座に迎撃を諦め、回避に集中した。

 予測がほぼ不可能な弾道を、即座の判断で躱していく。それは恐るべき反射神経と動体視力と言う他無い。


 ドスッ!

「ぐぉっ!」


 だが全ては捌き切れず、地面に当たって跳ね返った二つがそれぞれ太腿と背中を強打する。

 さらにはその痛みに気を取られる隙に、掠めた氷塊が頬を浅く切った。スッと一筋走る、赤い線。

 

 戦闘開始から数分、初めてまともに受けたダメージ。

 しかしながら、彼は動揺や怒りを露わにする事も無く、平然としていた。

「……ククッ」

 それどころか、この状況を楽しむような笑みすら浮かべてみせ、頬に浮いた血を親指で拭う。

 

「成程なァ。こんな魔法をバンバン撃たれちゃァ、雑魚としかやり合ってねェウチの若ェのじゃ話にならねェ訳だ……」

「頭!」

 加勢しようとした子分達を手で制し、ゆっくりと歩を進める。

 

「下がってな。お前等の手にゃ余る代物だ」

「う、ぐ……」

 いよいよ興が乗ったらしい遮楽を前に、たじろぐクローヴィス。



 

 そこから再び、暴と魔法の応酬が続いた。

 ――いや、果たしてこれは応酬と呼べるのか。

 

「はぁっ、はぁっ……!」

「ほォれどうしたァッ!」

「くうぅっ!」

 

 攻撃の手が止まった隙を突かれ、一足飛びに接近した遮楽が剣を振りかざす。クローヴィスは風を巻き起こすと、それを自分に向けて放つことで大きく距離を取った。


「も、もうやめてくれ……! こんな戦い、何の意味がある!?」

「意味なんざ無ェよ。喰うか喰われるか……単純な話だぜ。やめて欲しけりゃ、とっとと金目のモンを寄越しな」

「そんなのっ……駄目だ。君達の為にも、そんな事出来はしない!」

「あっしらの為……? ハッ。意味が分からねェなァ」

 

 低く笑いながら、遮楽が片刃を切り返し腰の辺りで構える。挑発するような視線を向けられ、クローヴィスは歯噛みした。

 

 当然ながら、バインド等の動きを封じる魔法は躱されるか強引に抜け出され、気休めにもならない。

 そして一番恐ろしいのは、遮楽が全く決定打となる攻撃を仕掛けてこない事であった。戦力差は明らかであり、その気になればいくらでも力押しできるであろうに、クローヴィスが耐え凌げるギリギリを狙って攻めている。


 さりとて、彼に敵をいたぶって愉しむ悪辣な嗜好がある訳ではない。彼は戦いそのものを愉しんでいるのだ。この行きずりの魔法使いに相当な実力が秘められている事を悟り、その真価を見たがっているのである。

 

 もはや撃退するには、クローヴィスが習得している中でも数段強力な攻撃魔法を使う他無さそうであった。

 

「ここまで広い場所なら、あの魔法でも……」

 そう呟きながらも、彼の瞳は躊躇するように揺れている。その魔法をまともに浴びせれば、深手を負わせてしまいかねないからである。如何に相手が賊と言えど、自らの手で傷つけてしまう事に、いまだ後ろめたさを感じていた。

 

 しかし、着実に自分を追い詰めんとする遮楽の威圧を前に、ぎゅっと固く目を閉じる。

 

「……やるしかない!」

 意を決したように、クローヴィスは杖を高く掲げた。


 その先に火と風の魔力が凝集し、風を巻き起こしながら燃え盛る巨大な光球となった。戦況を見守っていた三人の子分が驚きと恐怖の声を上げ、距離を詰めようとしていた遮楽も警戒するように立ち止まる。

 

「頼む、これで終わってくれ」

 上位魔法を放つには相応しくない、苦悩に満ちた表情を浮かべながら、彼は最後の詠唱をした。

 

「……デトネーション!」

 

 杖を振り下ろすと、隕石が降るが如く光球が撃ち放たれた。唸りを上げる風が砂を巻き上げながら、遮楽に襲い掛かる!


 ドオォォンッ!!!


 光球は着弾した瞬間大爆発を起こし、目も眩むような炎が一瞬で広がった。

 

「おおォッ!?」

 驚愕の色を含んだ遮楽の声が、爆発音に混じって聞こえる。爆風に巻き込まれ、取り巻いていた子分達が悲鳴を上げながら吹き飛んだ。

 

 強力な魔法は地面を抉り、辺りを薄茶色に染め上げるほどの土煙がもうもうと舞い上がった。自身も軽く咳き込みつつ、クローヴィスは前方を見据える。

 

「た、倒れていておくれよ……いやでも、流石に怪我人を放置は……とはいえ元気になったらまた襲ってくるか……? 安全な場所で拘束しつつ回復が良いだろうか……」

 

 ぶつぶつと独り言ちながら、気を付けつつ魔法の着弾地点に近付いていく。

 まるで濃霧のようにその場を覆っていた土煙も次第に晴れ、視界が通るようになっていき――

 

「――残念。そっちにゃ誰もいねェよ」

「!?」

 

 不意に背後から掛けられた声に驚き、反射的にクローヴィスが振り返る。

 するとその瞬間飛んできた鋭い蹴りが、彼の右腕に直撃した。

 

「あっ!」

 

 カシャンと音を立てて、撥ね飛ばされた杖が地面に落ちる。急いで拾おうとクローヴィスが駆け寄るより早く、遮楽がそれを踏み付けた。そして間発入れず、白く細い首筋に剣をピタリと向ける。

 見れば、その剣は先が折れ半分ほどの長さになってしまっていた。その上彼の全身は土に汚れ、服にも所々焼け焦げ破れている箇所がある。

 しかし……肝心の本人には、あまりダメージが与えられていないように見えた。

 

「大した火力だな。流石に驚いたぜ。せっかくの剣も駄目にしちまった……。しかし自分の視界まで悪くしたのは失策だったんじゃねェか。なァ?」

「くぅ、う……」

 

 起死回生の祈りを込めた魔法すら敵わず、既に勝負はあった。

 だが目前にまで迫られ、白刃を向けられながらも、鞄を胸に抱いて拒絶の意志を示すクローヴィス。


 その様子を見た遮楽の分厚く重たい瞼が、僅かに動いた。その奥で深く暗い緑の色を湛える瞳には、読み取れるような感情など宿ってはいなかった。

 

「随分いじらしく抵抗するじゃねェか。命を懸けてまで守りたい代物か?」

「こ、これも……勿論大事だが、そうじゃない。どうか聞いてくれ、私が守りたいのはむしろ」

 だがその言葉が終わる前に、遮楽の踵がクローヴィスの腹を強く蹴った。たまらず激しく咳き込み、崩れるようにうずくまる。そして取り落とした鞄は、あっさりと奪い取られてしまった。

 

「悪ィなァ。お前さんにどんな事情があれ、同情して逃がすようなら商売上がったりなんでね。身の上話に耳貸す暇なんざ無ェんだ……おう、行くぞ野郎共!」

 悪びれる事なく遮楽は背中を向ける。先程の魔法の余波で呻いていた子分達も、慌てて起き上がると一斉に駆け出し、彼の後に続いた。

 

「まっ……待ってくれ! 頼む!」

 腹を押さえ、涙目になりながらも必死に叫ぶクローヴィス。だがその懇願も空しく、遮楽達の姿は遠ざかっていってしまった。


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