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【第十五話】交わる過去

【前回のあらすじ】

図書館での授業を終え、クローヴィスに自宅へ誘われたみくるは、途中で合流したリーリアと訪れる事に。本の片付けを手伝い、彼の得意とする幻影魔法を見せてもらい、さらにはリーリアへの魔法指導と楽しむ中で、みくるはふとある疑問を投げかける。なぜ、遮楽が用心棒に…?するとクローヴィスは、静かに秘められた過去を打ち明け始めた。

 二人きりの部屋に、言葉が一つ落ちて消えた。

 

 外は活気にあふれている。晴れて明るい空の下、元気に遊ぶ村の子供達の声や、いつも通りの営みをする大人達の会話がいくつも入り混じって、楽しげな雰囲気を作っている。

 

 けれど、ドアも窓も閉め切ったこの部屋ではそんな音も少々遠くて、落ち着いた静けさに満ちていた。今は、その沈黙がほんの少しだけ重い。微かな時計の秒針の音が、無言の隙間を埋める。

 

「盗……賊」

 クローヴィスさんから言われた言葉を繰り返す。


 盗賊と言えば。脳裏に、いつかの夜盗達の姿が蘇った。

 野営中のあたし達を狙って、襲いかかってきた人達。人質に取られかけた時の、口を塞ぐ乱暴な手付きと、首元に突き付けられた白刃の鋭さは忘れていない。あの時は本当に怖かった。

 

「わ……悪い人、だったの?」

 ――だから、次に口から出たのはそんな言葉だった。

 

「……そうだな」

 どこか遠い目をしながら、クローヴィスさんが言う。

「行為だけで言えば、そうだ。紛うこと無き悪人だ。傷付けられた者も、一人や二人ではないだろうからね。だが……」

 

 そして椅子の背から手を離すと、あたしの側まで歩いてきた。

 

「どうか、その事実のみで軽蔑したり、糾弾したりしないで貰いたい。過去の行いまで無かった事にしろとは言わないがね」

「えっと、今は改心してるからってこと……?」

「それだけじゃない。行為には必ず動機と背景が有るものだ」

 

 クローヴィスさんが今度は窓枠に手をかけて、外を見た。広場で遊んでいる子供達がよく見える。

 

「……遮楽は、種族分類としては人間じゃない。亜人だ。そして……この保護村には彼のような、亜人や獣人が多いだろう?」

 あたしは素直に頷く。昨日の夕食の席で、エトルさんとも話してた通りだ。

 

「これが何故か……分かるかね?」

「えっ!? えっとぉ」

 

 急に塾の先生みたいな聞き方をされて焦る。

 だけど……何となく、予想はできた。半分だけ人間、そんな種族はマンガやゲームじゃ別に珍しいものじゃない。物によっては、主人公だったりもする。


 でも、大体の作品で、そういった種族が置かれていた状況は、わりと一致していた。だから、この保護村とも、スムーズに結び付けられた。

 

「なんか、人間と上手くいかないというか……社会に溶け込めないというかぁ……ひ、人里離れたとこで、ひっそり暮らしてる……的なぁ」

 

 何とかオブラートに包んだ言い方で答えられないかと、あたしはしどろもどろに言った。ズバリ答えて万が一間違ってたら恥ずかしいってのもあるけど、何より言いづらい。だってあたしも人間だし……。知った風にしゃあしゃあと答えるのは、なんだか失礼で、いけないような気がした。

 

「そう。正解だ」

 褒めるように優しく、けれどもどこか寂しげな笑顔で、クローヴィスさんは言った。

 

「私の若い頃は、そうした種族に対する差別の根強い地域が、まだ多かったんだ。凶暴な魔物と同じように扱われてね……。彼らが何かした訳でもないというのに、酷い話だよ。今でこそ、人間と異種族の共生は浸透してきてはいるが、それでも完全には拭い切れていないのが現実だ」

 

 何かを思い出すような溜息を一つ。怒ってるとまではいかないけど、深く深く考えに沈んでいて、目の奥で言葉にできない感情が揺れているような、そんな表情をしていた。

 

「そのような時代にあって、彼らにはまず普通の生活が難しかった。それは遮楽も変わらない。だから、生き抜くには盗賊という道しか無かったんだ。誰だって望んで悪人になりたい訳ではないさ……」


 そこで話を切ると、少々長い話になるだろうから座ろうか、とテーブルの傍にある椅子を手で指し示した。あたしは言われるまま、柔らかなクッションの置かれたそれに座る。

 クローヴィスさんは戸棚からティーカップを一つだけ取り出してテーブルの上に置くと、ポットを手に取って傾けた。透き通った琥珀色の紅茶が注がれる。

 

「砂糖とミルクはお好みでどうぞ」

「ど、どうも……」

 

 ほかほかと湯気を立てるティーカップを両手で包み込むように持って、あたしは続きを待つ。

 向かい側に座ったクローヴィスさんは、考えを整理するように視線を手元に落とし一つ息をつくと、程なくして顔を上げた。

 

「私はね……烏滸(おこ)がましいかもしれないが、少しでもそんな彼らの助けになりたかったのだよ。出来ることは有る筈だと……まだ駆け出しの研究者だったが、必死でね。遮楽と出会ったのは、そんな時だった」



******



 ——ここで、時は少々遡る。

 みくるとリーリアがクローヴィス宅を訪れた、その同時刻の事である。

 

 シグレは一人、訓練場に赴いていた。


 走り込みでも済ませてきたのか、その顔は僅かに上気しており、呼吸もやや荒い。手には飲料の入った水筒と、何かしらを包んだ風呂敷が握られている。


 彼女は水筒をぐいと傾けると、それを風呂敷包みと共に訓練場の隅の方に置き、ストレッチを始めた。足首、ふくらはぎ、股関節と順を追い入念に伸ばしていく。

 その動きはスムーズで手慣れており、彼女の中で一定のルーティーンが存在している事が伺える。柔軟性もかなりのもので、しなやかに体を曲げるその様は猫のようであった。

 

 ストレッチが終われば、今度は休む間もなく訓練場の中央へと歩いていく。

 

 立ち止まり足で軽く地面を均すと、腰の両端に帯びた短剣を引き抜いた。足を肩幅に開き、目を閉じて深呼吸を一つ。

 ゆっくりと短剣が構えられ、そして目を開けた次の瞬間……彼女の四肢が躍動した。

 

「——ッ!」

 

 細く鋭い呼気が吐かれる度に、双刃が周囲を裂き、貫く。高く結われた夜色の髪が、激しい動きに合わせ蛇のように宙を舞った。

 

 短剣を用いた基本の型、それをシグレなりに発展させ、アレンジしたものである。

 

 刃で斬るだけでなく、跳躍や蹴りなども加わった難度の高い動作を、緩急を付けながら、かつスピード感を損なわずに次々とこなしていく。

 

 彼女の足が地を蹴った。横向きに構えられた両の短剣が、刈り取るように走り抜ける。

 

 そして闘技場の端まで来ると、急ブレーキを掛けるように左の踵を踏みしめ、上空に跳んだ。空中で体を捻り、刃を舞い踊らせながらも、一切のバランスを失う事無く安定した着地を決める。

 しかし、その猛攻は尚も止まらない。間発入れず目の前を突き、さらに追い打ちをかけるように踏み込んでは回し蹴りを放った。

 

 考えずとも動ける程に体へ染み付いた一連の動きは、十六という彼女の年齢を考えれば、驚異の完成度であった。

 

「……フーッ……」

 

 ここで、ようやく僅かなインターバル。

 

 一つ大きく息を吐いて呼吸を整えたシグレは、次のステップとして、ゆっくりと短剣を眼前に構えた。気迫の宿る目で一点を睨み据えながら、弓を射るように腕を引き絞っていく。


 緊張しているかの如く、彼女の周囲でぴんと張る空気。そして、自身の内なる呼吸とリズムがぴたりと一致したそのタイミングで――手足の末端まで漲らせていた力が、瞬時に解放された。

 

「紫電一閃!」

 

 広い訓練場に一筋走る、閃光めいた刃の残像。

 ザザザッと砂を巻き上げながら体を反転させたシグレは、続いて低い姿勢から、まるで獣が襲い掛かるかのように飛び出した。

 

「疾風連撃!」

 

 自身の前を掻き切るように二度、短剣を素早く振るう。そして真上に跳躍して宙返りを決めると、着地するタイミングに合わせ、反らせた腕を振り下ろした。


 力強く踏みしめた両足が、足元の地を振動させる。衝撃でぶわりと舞い、シグレの周囲を薄く曇らせる土煙。両腕を広げた残心の姿勢。

 

 ……それまで動き続けていた体に、その時初めて完全な静止が訪れた。数秒後、彼女はゆっくり体を起こすと、短剣を鞘に仕舞う。

 

 先程の二つの技は、これまで戦闘中に幾度となく使用してきた、シグレにとって言うなれば定番の得意技である。いずれも既に修練が必要無いレベルで熟達してはいたが……基本の型をなぞるのに併せて行うことで、彼女の中のスイッチを入れる役割を果たしていた。

 

「はぁっ……はぁっ……」

 息を荒げ、彼女の性格とは裏腹に主張の慎ましやかな胸を上下に弾ませながらシグレは、訓練場の隅に置いていた水筒を手に取った。

 

 栓を開け、中身を勢いよく呷る。それと共に衣服の胸元を摘まんでばさばさとはためかし、体に風を送った。喉元を滑り降りるよく冷えた飲料と、肌をスッと通り抜ける風が、肉体の熱を内外から冷ましていく。

 

「――ぷはっ」

 水筒から口を離したシグレは、改めて深呼吸を一つする。


 そして身を屈ませると、おもむろに足元の風呂敷包みを開いた。中から現れたのは、一冊の本。表紙に『剣の技法 双剣中級』と冠されていた。

 

 一般に、技ならば技法書、魔法ならば魔導書と区別されて呼ばれる指南書の類は、冒険者に必携の品である。冒険者達はこれらの本を読んで、技術や魔力の練り方を学び、それを戦いの中で実践し、熟練度を上げて習得していくのだ。

 もちろん基本的な武器の扱いや魔法を教え、冒険者を育成する機関は存在しているし――いわゆる冒険者ギルドである――そこを卒業後に、何らかの達人へ弟子入りする者も一定数いるのだが、基本的には独学というのがスタンダードであった。


 そのため、指南書の数は膨大である。初心者向けから上級者向けまで幅広く存在し、さらには武器の種類や魔法の属性によっても細かく枝分かれしている。冒険者を志す者がまず最初にぶつかる壁は、魔物と相対する恐怖でもパーティーを組めない事でもなく、自分に合った戦い方を見つける事だ……というのは、もはや定番の教えとなっていた。


 閑話休題。

 

 さて、シグレは杭の一本にもたれかかりながら、それを開く。

 短剣を用いた様々な技について、文章と図解を交え詳しく説明されているページをぱらぱらとめくり、最終的には折り目の付けられた場所で止まった。


 そこには『裂空刃』『旋風刃』『降雷斬』と、技名が並んでいた。いずれも最近習得したばかりの技である。既に数回、実戦使用もしているが……まだまだ浅いと彼女は感じていた。もっと動きに慣れ、熟練度を上げなければ、戦いに慣れた魔物相手では躱されたり、逆に反撃されてしまうこともあるだろう。

 

 ――そこまで考えて、シグレはふと苦々しげに眉根を寄せた。


 ここでの遮楽との一戦が、脳裏を過ぎったのである。

 

 よりにもよって自らの十八番とも言える技を、完璧に見切られてしまったという事実。それは、こと戦闘において非常にプライドが高く、負けず嫌いな彼女にとって、少なからず屈辱的であった。


 ぺら、と指先がページを繰る。視線を落としたのは、短剣によるカウンター技について書かれた章。

 敵の攻撃を待つなど愚行、やられる前にやれば良いのだと、今まで流し読み程度でおざなりにしてきた章だったのだが……とんだしっぺ返しを食らった気分であった。

 

「……ええい! あれこれ考えたって仕方ないんですよ!」

 勢いよく頭を振り、思考を切り替える。ここで迷って違う技の習得に手を出しても、全てが中途半端に終わるだけだと、シグレは本を閉じた。

 

 そしてそれを風呂敷の上に置くと、再び二本の短剣を手に、訓練場の中央に歩を進めた。

 再度集中するように深呼吸をし、先程読み返していた新技の修練を開始する。書かれていたポイントやコツを頭の中でなぞりつつ、目の前に敵がいる想定で繰り出していくのだ。

 

 何度か繰り返した後は、適宜休憩を取りつつ、先程の動作の中にあった違和感や粗を反芻する。水分を補給しながら、どこか遠くを見るような視線は、むしろ自分自身に向いていた。

 


 

 それからたっぷり一時間は使い、鍛錬を終えたシグレはぐっと伸びをする。

 腕や肩を軽くストレッチしながら歩き、訓練場横に設置してある、共用水道の蛇口をひねった。冷たい水でバシャバシャと顔を洗う。

 

「ふぅ……」

 さっぱりして一息つく。しかしその数秒後、しまったという表情をした。

 ……タオルを持ってくるのを忘れたのである。

 

 仕方なく、袖で顔を拭おうとしたその時……突然目の前に、白い麻の手ぬぐいがぶら下げられた。

 

「使いねェ」

 

 顔を上げると、一体いつから見ていたのか、遮楽が立っていた。その指先には簡素な紙巻き煙草が挟まれている。

 

「自主的に鍛錬たァ感心じゃねェか」

「……どうも」

 言葉少なに返答したシグレは、手拭いで顔の水気を取る。

 

「おいおい何だ素っ気無ェなァ! ひょっとして煙草は嫌いかい?」

 そうは言いつつも、不遜なシグレの態度にさして気を悪くした風でもなく、煙草をふかし続ける遮楽。

 そして帯に差した仕込み杖の金具を指先で弄びながら、まるで雑談でもするかのように切り出した。

 

「さて、どうだい。今日はリベンジマッチといきやすかな」

「……いえ」

「ん?」

 シグレが首を横に振ったのを受け、少々意外そうに体を彼女の方に向ける。

 

「昨日の今日で挑んだところで、結果が変わるとも思えませんし」

「へェ。無鉄砲かと思いきや、案外しおらしいこと言うじゃねェか」

 遮楽はさも面白そうに歯を見せて笑う。対してシグレは、どこか虫の居所が悪そうな仏頂面で彼を見ると、視線を外さず口を開いた。

 

「それにアナタ……昨日の戦い、相当手加減していたんでしょう?」

 その問いに対し、遮楽は何も言わなかった。ただ咥えた煙草を深く吸い込み、あらぬ方向を向いて細く煙を吐き出しただけである。


 だが、それが何よりの答えでもあった。

 実際、持てる実力を惜しまず使ったシグレに対し、遮楽は技の一つも用いず、武器を繰る腕前と体術のみで戦っていたのだから。

 

「……ま、クローヴィスの旦那も釘刺した通り、間違っても大怪我負わせる訳にゃいかなかったからな」

 

 顔を背けたままそう言った遮楽であったが、一拍の間を置いて、再びシグレに向き直った。

 

「だが、誓って舐めて掛かってた訳じゃねェ。油断しきって勝てる程甘くはなかったぜ、お前さんは。久々に年甲斐もなく滾っちまった」

「そんなもの聞きたくありませんよ。慰められたいわけじゃありませんから」

 遮楽の言葉を一蹴するシグレ。その後一瞬だけ目を伏せ、そして再び顔を上げた。

 

「ただ不可解なんですよ。そんな強さがあるなら賞金稼ぎなり、要人の警護なり、活かし方は色々あるでしょうに。それがなぜこんな小さな保護村の、お抱え用心棒なんかに留まっているんです? 実力を腐らせているも同然ですよ、もったいない」

「上っ面の地位なんざ興味ねェさ。金だって、今日一日満足に食えりゃァ充分だ」

 

 食って掛かる彼女を受け流すように、遮楽はのらりくらりと答える。まるで他人事のような、どこ吹く風といった様子。

 ――だがシグレの不満げな表情に、やれやれと頭を掻いた。そして観念したかのように息をつきながら、口を開く。

 

「……あっしが旦那の側に居るのはまァ、何だ、半分は恩返しみてェなモンなんでさァ」

「恩返し?」

「おう。……話せば長いぜ?」


 挑戦的に腕を組み、試すような笑みを浮かべる遮楽。それに対してシグレは、腰に手を当て真っ向から見返してみせた。


「構いませんよ別に。どうせ今日はヒマなんですから。いい時間つぶしになりそうです」

「へェ、そうかい。つまらねェ昔話にわざわざ付き合おうなんざ、物好きな奴だねェ」

 

 そう言った遮楽はふと思いついたような表情になり、半分ほどの長さになった煙草を近くにあった杭の先端に押し付け、火を消した。

「ただの立ち話ってんじゃ味気無ェだろう? 向こうで飯でも食いながら話さねェか。せっかくだ、奢るぜ」



 

 遮楽に促され、シグレはマーケット近くの広場に移動した。平たい岩に並んで腰を下ろし、先程出店で買った串焼きを食す。

 肉や野菜に混じって、トマトに似た大きく赤い果実が三つほど連なった串もあった。名前をルビープラムと言い、ポクイモと並ぶこの地域の特産品である。皮ごと食べられ、齧れば爽やかで甘酸っぱい果汁が溢れる、老若男女に人気の高い品であった。

 

「それで、恩返しというのは?」

 ルビープラムを頬張り、果汁で濡れた口元を拭いながら、シグレが聞いた。

 

「あァ。人に話すのは照れ臭ェんだ、言いふらすんじゃねェぞ? ……あっしは、旦那に色々と救われたも同然なんでさ」

 遮楽は炭火で焼かれた肉の串を手に、少々声のトーンを低めて言う。

「救われた? まさか、命の恩人とでも言うんですか」

「まァそれも大いにあるが、それだけじゃねェんだ……食事中ですまねェが、多少胸糞悪ィ話もするぜ」

 

 そう前置きした彼は、前を向いたまま語り始めた。

 

「あっしは昔、盗賊団の(カシラ)をやっててねェ。ま、そうは言っても大したモンじゃねェ。チンケな小悪党の集団でさ」

「盗賊団……」

「おう。何でェ神妙な顔して。そんなに意外だったかい?」

「まさか。あまりにイメージ通り過ぎて驚きもしませんよ」

「ヘッ、口の減らねェ小娘だ」

 愉快そうに笑い、大口を開けた遮楽が肉を豪快に噛み千切った。人間のそれよりも長く伸びた、鋭い犬歯が一瞬露わになる。さも美味そうに咀嚼し、呑み込んでから再び口を開いた。

 

「別に自分を正当化する訳じゃねェが、その頃ってのはあっしらみてェな、人外種族への風当たりが相当強くてねェ。街に出りゃァ人間共からバケモノと罵られ、酷い時にゃ石を投げられる。表じゃおちおち買い物も出来やしねェ」

 

 内容の深刻さに見合わぬ程の軽い調子で、続ける。

 

「おまけに読み書きすら碌に出来ねェってんだから、まァまともな働き口がある訳もねェわな。ガキの小遣い以下の賃金でも貰えりゃ随分マシな方だ。大抵は奴隷として買い叩かれて、自由も無くこき使われた……そんな中にあっちゃァ、自力で生きていくには盗みでも追い剝ぎでも、やらねェとままならなかったんでさァ」

 

 さすがに聞いていて気まずく感じたか、目を伏せるシグレにちらりと顔を向けると、吐息をこぼす遮楽。

「今は時代も変わりやしたからなァ。若ェお前さんにゃ、あんまりピンと来ねェか」

「……いえ」

 

 串を紙皿の上に一旦戻し、手元を見つめたままシグレは言った。

「出身は田舎の村でしてね……価値観の古い人間はわりといましたよ」

「そうか」

 

 軽く相槌を打ち、一瞬の間が訪れる。シグレはそのまま、目線で続きを促した。

 

「ま、そんなどこにでも居るようなつまらねェ悪党の前に、ある一人の男が現れた……それが今のクローヴィスの旦那だ」

 言葉を切り、フッと思い出すような笑いを浮かべる。

「だが当時は、馴れ合うつもりなんざ毛頭無かったさ」

「まあそんな時代なら、人間を良く思わないでしょうしね……でも、それがなぜこんなことになっているんです?」

「カカッ、まァそう焦りなさんな。お前さんから聞いてきたんだ……じっくり最後まで付き合ってもらうぜ」


 どこか感慨に耽る表情と声音で、遮楽が再度口を開いた。

 

 ――奇しくも、それとタイミングを同じくして。

 クローヴィスもまた、みくるに語りかけていた。

 

「旦那はなァ……」

「遮楽はだね……」


 そして二人の口から語られる言葉は、それぞれ異なる聴者を伴いながら、過去の階層を降りてゆく。

 それはある無骨な盗賊と、ある風変わりな魔法使いが、奇妙な縁で出会う一つの物語であった。


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