【第十一話】宿屋+お泊り=女子会?
【前回のあらすじ】
夕食に誘われたみくる達。採れたての野菜や新鮮な肉、魚などに舌鼓を打ちつつ、ティルや彼の友達アンネ、そしてエトルを交えて賑やかなひと時を過ごす。そこでクローヴィスの人となりや活動について知る一方、森の中で見つけた花は月詠草という名であることが判明。一つ手掛かりを得たものの、それはさておき、ひとまず食事を楽しむ一行であった。
「どうもありがとうございました。おかげで楽しい夕食となりまして……」
玄関の前で、エトルさんが丁寧にお辞儀をする。
「まだこの村には泊まるんでしょ? また遊びに来てよ!」
「ま、また……明日……」
ぶんぶん手を振るティルの隣に隠れつつ、アンネも恥ずかしそうな笑顔を浮かべている。夕食を終えたあたし達は、ティル家を去って宿まで帰ろうとしているところだった。
「あァ。しばらく世話んなると思うぜ。そんじゃ、邪魔したな」
「ええ夜になりましたわい」
あいさつを済ませて、全員で宿屋へ帰るために歩き出した。
「じゃーねー!」
背中越しで聞こえる声に手を振り返し、帰路につく。お腹も満杯になって、ご機嫌な帰り道。もうすっかり、夜だ。時計が手元に無いから時間はよく分かんないけど、結構のんびり食べてたし、既に九時とか回ってそう。立ち並ぶ家には明かりが付いて、人気ももうほとんどない。この村の人達、結構早く寝る感じなのかな……。
「うぅーんっ」
宿屋の客室に帰ってきたあたしは、一度伸びをしてぽすんとベッドに腰かけた。なんだかんだで忙しい一日だったな。歩き続けだった足も重怠い感じ。夕飯も食べちゃったし、あとやることと言えば……あ、そうだ。
「ねー、シャワー浴びに行こうよ」
あたしはベッドの隅に手を伸ばすと、丁寧に折り畳まれて置いてあった備え付けローブを持って、二人に声をかけた。この部屋にバスルームは付いてないけど、客室を出て少し歩いたところにシャワールームみたいな場所がある。
「ん、いいよー」
ベッドの上で枕に突っ伏して、くつろぎモードに入ろうとしていたリーリアが起き上がった。
「シグレも行こ? もう時間結構遅いしさ」
するとシグレは、自分の着替えを取りつつ、窓の外を見て呟いた。
「そうですね、ワタクシは……公共浴場へ行って、お湯にでもゆったり浸かりたい気分ですかねぇ。何かと疲れましたし」
「えっ公共浴場!? 要するに銭湯ってことだよね……そんなのあるの!?」
「気付いてなかったんですか?」
意外そうに眉を跳ね上げてシグレが言う。
「知らなかった! ていうかあたしも行きたい! 行こ!」
「そんなに大はしゃぎするほど珍しいものでもないと思うんですが……ま、ここの裏手ですよ」
「はーい! あ、ちょっと待ってね……」
あたしは一旦シグレから離れて、イヤーカフに手を当てると呼びかけた。
「もしもしお兄ちゃん? という訳でこれからお風呂だし、イヤーカフ外すね。その後はもう寝るだけだから……うん、多分今日はもう付けないね。ちょっと早いけどおやすみなさいってことで」
『あぁ……了解、おやすみ』
お兄ちゃんから返事が返ってくる。どうしてこんなことを報告してるのかっていうと、イヤーカフを外してしまったら、お兄ちゃんは何も見えなくなるから。
例えるなら、テレビに繋いでたゲームのケーブルをいきなり引っこ抜いたときに近いかな……。お兄ちゃんはあたし達の状況を、全部パソコンの画面越しに把握してるらしい。会話も全て、ウィンドウテロップで読んで。
だけど、ひとたびあたしがイヤーカフを外せば、途端に画面が真っ暗になって、音も何もなくなるんだそう。このことをお兄ちゃんは「ゲーム世界との接続が切れる」って表現してた。
だから、もしもお兄ちゃんに見られて困るようなことがあったら、今みたいにコレを外せば大丈夫。まあそんなことほとんどないし、何よりそうするとお兄ちゃんとコンタクトが取れなくなるから、いたずらに外すメリットはほぼゼロなんだけど……。
外したイヤーカフを、失くしたりしないようにリュックの一番小さいポケットに入れて、しっかりチャックを閉める。そしてお風呂セットを抱えると、ドア前で待っている二人に駆け寄った。
「お待たせ。じゃ、しゅっぱーつ!」
「おー!」
「お湯に行く程度でアナタ達ねぇ……」
やいやい言いつつ、あたし達は部屋を後にした。
共同浴場は、軒先に吊り下げられたオレンジ色のランプが目印になっていた。
扉を開けると、きれいに掃除された室内が見えた。壁には布製の椅子が何脚か並べられていて、憩いの場らしきスペースもある。
入ってすぐ横が受付カウンターだ。昼間ならここに誰か立ってるのかもしれないけど、この遅い時間は完全にセルフサービスになってるみたいで、カウンター内は無人。代わりに台の上には『入湯料 お一人様30D』という案内が書かれた金属製の箱が置いてあった。
書かれている通り30ドレムを入れると、シャコンという音と共に箱の下部分がスライドして、小さな木の板が出てきた。ん? 何これ。
「それカギだよ~。なくしちゃダメだからね」
あたしの横に来たリーリアが言う。
「鍵? へぇ、分かった」
手に取ってみる。手のひらに収まるくらいのサイズ感で、複雑な紋様が焼き印されていた。言われなければおみやげ用の記念品だと思いそう。
支払いを全員済ませてから、脱衣所へと続くのれんをくぐる。見た目は……あたしの知ってるそれとあんまり変わんないかも。ベンチがあって、木製ロッカーがあって、洗面所がある。でも体重計とか扇風機は見当たらない。
「みくるー! ここ、ここだよぉ」
するとリーリアがあたしの袖をくいくい引っ張って、ロッカーのある場所を指差した。
「え?」
「ここにね、さっきのカギをさすの」
言われて見てみると、確かにロッカーの扉の中央に、あの小さな板がぴったりハマりそうなポケットがあった。
試しに挿してみると、板の焼き印が一瞬光って、カチャッと扉がロックされる。一度引き抜いてから同じことをすると、今度はロッカーが開いた。
「おぉー面白い」
あたしが素直に感心すると、リーリアはにこにこした。その横ではシグレがさっさと服を脱いでいる。
「わ……」
ぱさっと下着のシャツを取ったのを見た瞬間、思わずあたしは小さく声を出した。
「……な、何ですかジロジロと。気味の悪い」
視線に気付いたシグレが、腕で体を隠して半目になりながら後ずさる。
「ああいや、腹筋すごいなーって……」
普段は顔と肩と指先くらいしか見えない露出度の低い服を着ているから、全然分かんないけど……そのお腹は縦横にくっきりと線が入って、すらりとしたしなやかなシルエットだ。無駄なお肉なんかこれっぽっちも付いてませんって感じ。
「え……? あぁ。フッ、伊達に鍛えていませんからねぇ。いいんですよ目指しても? まぁワタクシのようになるまでどのくらいかかるか知りませんが」
すっかりご満悦なシグレは、体を隠していた腕をどけて、腰に手を当ててポーズを取ってみせる。
「やはり強さは肉体が基本。それを怠るようではまるでお話にならなぃひゃぁんっ!?」
「あ、ごめ。くすぐったかった?」
きっと触ったらカチカチなんだろうなぁと思って手を伸ばしてみたら、聞いたことない声と共にシグレの全身がビクッと跳ねた。まさかそこまで過剰反応するとは思ってなくてあたしもびっくりする。
「な、な……! 何考えてるんですかアナタは!? 気安く触んじゃないですよ! この変態!」
「えぇ!? ちょっと気になっただけじゃん!」
えらい言われように負けじと抗議。するとシグレは顔を真っ赤にしながらあたしを睨んだ。
「だっ大体、触るにしても普通その前に一言断るでしょうが! 常識ってものが無いんですかアナタは!? 今度やったらぶっ飛ばしますからね!?」
眉をつり上げながら、ムキになってプルプルと握り締めた拳を震わせる。その様子と、さっきの少々情けない感じのリアクションをつい重ね合わせてしまって……悪いと思いつつも、だんだんおかしくなってきたあたしは、とうとうこらえきれず噴き出してしまった。
「んな!? あ、アナタねぇ!」
「シ、シグレ~だめだよおこっちゃぁ……」
髪をほどいていたリーリアが慌てて飛んできた。宥めようとして周りをおろおろと飛ぶ。
あたしはまだ喉の奥でくつくつと収まらない笑いを押し留めつつ、これ以上茶化したら本当に蹴りの一つでも飛んできそうなので、一応手を上げて謝罪のジェスチャーをする。
「ごめんごめん! もうやんないからさ」
「当たり前です! 全くもう!」
乱暴に自分のタオルと鍵の板を取って、そそくさと浴室まで歩いていくシグレ。あたしも急いで服を全て脱ぐと、後を追いかけた。
浴室に繋がる木製ドアをキイィと開けると、途端に噴き出す蒸気があたし達を出迎えた。薄曇りな視界の中で見える光景に、思わず「おぉ……!」と声が漏れる。
木や茶色い石でできた浴槽は年季が入って、角の取れた滑らかな質感だ。そしてランプの代わりか、隅には発光する石が固定されて置かれている。高い天井付近にある窓からは、星空が覗いていた。遅い時間帯だからか、他に人はいない。
「うわぁ良いじゃん……! きれーい! しかもあたし達貸し切りじゃんやったぁ!」
「ふぅん、小さくて地味な村にしては凝った造りじゃないですか」
すたすたと中に入って見回しながら、シグレがこともなげに言う。
「わーい! おっきいおふろ!」
リーリアはいつも以上のハイテンションではしゃいでいた。
備え付けの木桶でかけ湯を済ませると、まずは一番大きな木の浴槽に近づいた。片足を慎重に浸ける。熱すぎなくてちょうどいい湯加減だ。
そのまま腰、胸、肩と順番に沈めていった。お湯が柔らかく体を包み込んで、じんわりとした心地よさが芯まで伝わってくる。
「ふはぁ~っ……」
思わず声が出た。なんか不思議ないい匂いがすると思ったら、目の細かい網に入った薬草らしきものが浸かっている。発光石の明かりを受けて、ぼんやりと光る水面。浴槽の縁へ体を預けて、すっかり力を抜くと、昼の疲れも溶けていくようだった。
「えへへぇ。きもちーねー、みくるー!」
その横の浅い浴槽ではリーリアが楽しそうにしていた。湯船が独り占め状態なのを良いことに、お湯をばしゃばしゃさせて遊んだり、浴槽の壁を蹴伸びしてちょっと泳いでみたりとやりたい放題している。
ちなみにシグレはというと、お湯に浸かる前にまず体や頭を洗うタイプみたいで、洗い場の椅子に腰かけて髪を泡立てていた。
これまで冒険とか戦闘とか非日常だらけだった中で、こういう馴染み深い施設があるとすごく落ち着く。友達と一緒にお風呂入るなんて、林間学校に行ったとき以来じゃなかったっけ。
他の浴槽にも興味を惹かれて見てみると、円形の石でできた浴槽の中には、また違った様子のお湯が張られていた。ほんの少しとろみがあって、色はハチミツみたい。美肌になる効能とかありそう。
その奥の浴槽には黒くて丸い石が無数に沈んでいて、そこからポコポコと大量の泡が出続けていた。ちょっと変わった異世界ジャグジーバスだ。
そんな感じでお風呂を楽しみつつ、ある程度温まったところで洗い場に移動する。等間隔に並ぶ魔法陣みたいな紋様が描かれた石壁がおしゃれだ。
視線を上げると少し高い場所に、龍の頭の形をしたオブジェを見つけた。ひょっとしてあそこからお湯が出るのかなぁ。
黒曜石のような台の上には、共用のシャンプーとボディーソープらしきものが入った瓶がある。これ原料何だろう。スライムの粘液とかだったりして、なんて考えながらまずシャワーを浴びようとする……んだけど。
「あれ……」
あたしは手元をきょろきょろする。こういう場所にお馴染みの、レバーとかボタンが見当たらない。というかそもそも、この村水道通ってんのかな? 宿屋のシャワールームとか手洗い場は、井戸の水をポンプでくみ上げてるっぽかったし……。
や、やばいこのままじゃ体洗えないんだけど……だってこの龍のやつ絶対シャワーヘッドだよねぇ……?
「……ん」
困り果ててその龍の頭に目をやったその時、あたしはふと気付いた。その下に描かれてる魔法陣ぽい紋様、よく見たらコレに繋がってるっぽい。ただのデザインだと思ってたけど……ひょっとして意味があるの?
さらによく見たら、その魔法陣の真ん中は紋様がズレてて、しかもいかにも回してくださいと言わんばかりのツマミがあった。も、もしかして……!
意を決してツマミを持つ。そして力を込めると、予想通り紋様のズレていた部分だけがあっさりと回転した。そのまま捻って、がちんと手応えがあったところで止めると、ちょうど外側の複雑な線とぴったり合わさって、壁の魔法陣はきれいな形になる。
するとその瞬間、ボゥッと魔法陣全体が水色に光って、光の筋が龍の頭へと昇っていった。その直後――!
「わぁ!」
シャワーが龍の口から飛び出してきた。予想が当たったけれど、想像していたより強めの水圧で少しだけびっくりする。
一旦全身を流してから、もう一度ツマミを捻って魔法陣を切ると水も止まった。うわぁ何コレ面白ぉ……! ダンジョンの謎解きギミックみたいだし、ちょっと魔法使った気分! 出でよ水龍の力……なんてね。
るんるんで髪と体を洗って、再び湯船へ。シグレが入っている横にちゃぷんと入った。
「よかったよねぇ、こんなイイ感じのお風呂があってさ。やっぱお湯に浸かんないと疲れとか取れないや」
肩にお湯をかけながら言うと、シグレは天井を見上げて大きく息を吐きつつ頷いた。
「ええ。辺鄙で小さな村の割には、施設も充実してますし。ここを見つけられたのは儲けものでしたね」
「だねー。助けてもらったのもあるけど、案内してくれた遮楽には感謝だよね」
「……遮楽……」
すると低く呟いて、なぜか黙り込んでしまうシグレ。睨むように天井を見る目付き。ん? と思ってから、あー昼間のことかなぁ、と思い至る。
「もーいつまでもしょげてないでさー」
「はぁ!? 誰がしょげてるですって!?」
あたしの言葉にキッと視線を向けたシグレは、ビシィと効果音でも鳴りそうな動作であたしの顔を指差す。
「言っておきますがね、ワタクシはあれで終わるつもりは毛頭ありませんからね! 今日は勝ちを譲りましたが、いずれ強くなってぐうの音も出ないほど負かしてやりますよ。バカにしてられんのも今の内ですからね、みくる!」
「べ、別にバカにしてなんかないよぉ~。シグレが強いのは分かってるってば。ほらお風呂でそんなカリカリしたら茹だっちゃうよ? リラックスリラックス……あ、肩揉んであげよっか? 意外と上手いよあたし」
「なんか適当にあしらってますねっ!? いっ、いやいい! 結構ですそんなもの!」
手をわきわき動かして立ち上がりかけるあたしから、距離を取るように身を引くシグレ。あたしは笑って、再びお湯の中に肩まで浸かり込んだ。
「ねーシグレ。それにしてもさ、なんでそんなに強くなりたいの?」
縁にもたれつつそう聞くと、シグレは驚き呆れたように噴き出す。
「あ、アナタねぇ……気軽に付いてきてるだけのアナタはそうでもないでしょうが、ワタクシ達は一応、伝説の勇者のパーティーなんですよ? 魔王討伐なんて大役もあることですし、強くならなくてどうするんですか」
「いやま、そりゃそうだけど……そんな焦んなくてもよくない? シグレだけどんどん強くなったって、パワーバランス偏るし」
「それの何が問題です? ワタクシ一人で全ての敵をブチのめせば万事解決じゃないですか」
「いやいやせっかくのパーティーなんだしさぁ! ほら言うじゃん、お互い背中を預けて戦う、みたいな」
軽いノリの笑い交じりに言って、ね? とシグレの方を見ると……
シグレは、妙に険しい表情をしていた。あたしの言葉に呆れる、というよりはなんだか……嫌なことでも思い出したみたいな、苦々しい顔。
そしてふっと顔を背けると、独り言のようにその口が動いた。
「意味ないでしょう……背中を、守られているようでは」
「へ? 何か言った?」
ぼそっと発された言葉がよく聞き取れなくて、あたしはお湯をかき分けて近寄る。じーっと正面から見つめると、シグレはちらっと視線をこっちにやって――
ビシュッ!
「わっぶっ!?」
いきなり飛んできたお湯が顔面に直撃した。慌てて顔を拭うと、両手を合わせて即席の水鉄砲にしたシグレが、してやったりというような顔でふふんと笑う。
「別にっ! お気楽甘ちゃんなアナタには分からないことですよ」
「あーもう、すぐ意地悪言うー! ……てい!」
やられっぱなしじゃ悔しいので、あたしも思いっきりお湯を両手で跳ね上げてその顔にかけてやった。
「んぶっ! ちょ、ちょっとぉ!」
「仕掛けてきたのはシグレだかんね!」
言いながら、ばっしゃばっしゃと連撃をお見舞いする。
「んっの……アナタ如きがワタクシに盾突こうなど百年早いんですよ!」
そんなことされてシグレも黙っているはずがなく。右手で顔を防御しながら、左手で水面を打ち払うようにしてお湯を飛ばしてきた。あたしの動きに的確に合わせてきて、そんなとこまでアサシンぽい。たちまちお湯のかけ合い合戦が勃発する。
「わーなぁに!? たのしいコトしてるならリーリアもまぜてっ!」
そこへ水しぶきを立てながらリーリアも飛び込んできた。すっかりごちゃごちゃな状況が何だか楽しくなっちゃって、ケラケラ笑いながらがむしゃらに手を動かし続ける。こんなの絶対怒られるやつだけど、今は注意する人もいないもんね。
「ああもう、疲れを癒しに来たってのに余計に疲れるっ!」
ひとしきり騒いだあと、顔をぶんぶん振って水気を飛ばしたシグレが、とうとう浴槽から出た。ずかずか歩くとタオルを肩に引っ掛けて、あたし達を振り返る。
「先に帰ってますからね。アナタ達も調子に乗ってのぼせんじゃないですよ!」
「はぁ~い了解」
「またねー」
さっきまでの大騒ぎから一転、すっかり穏やかになった水面に漂いつつ二人でのんびり手を振って見送る。
思いきり手足を伸ばすと、ちゃぽんという耳心地のいい柔らかい音。時間がゆっくりと流れるような空間。無意識のうちに鼻歌もこぼれた。
「みくる、それなんのうた?」
縁に座ったリーリアが言った。
「んー? これね、今あたしの世界で流行ってる歌」
「へぇー! どんなうたなのっ!?」
「いいよー教えてあげる」
湯けむりの中、あたし達は至福のひと時を満喫したのだった。
「あーいいお湯だったぁ……」
それからしばらくして、お風呂場から上がったあたし達は、揃いのローブ姿で公共浴場を出た。夜風がほこほこと熱を帯びた体をなでていく。でも気温はそんなに低くないし、湯冷めの心配はないかも。
「わぁ! ねーねーねーみて!」
余韻でぼんやりしながら歩いていると、急にリーリアがあたしの肩をポンポン叩いて、空を指差した。
「キレーなお月サマ!」
つられて顔を上げると、薄雲のかかる夜空に、月が一つ浮かんでいた。
「わ~ホントだ!」
思わず歓声を上げる。空気が澄んでいるからか、ぴかぴかと金色に光るそれは村を照らすスポットライトみたいだった。
「……けど、まだ微妙に満月じゃないっぽいね。あと二日か三日ってとこかなぁ……」
端っこがほんの少し欠けた月を眺めて、それから視線をふっと下げる。
「……あれ」
そして、偶然目に入ったものがあった。
「ねぇあそこにいるの、遮楽じゃない?」
「んー?」
リーリアもあたしの指差した方を見る。共同浴場の裏手に、ちょっとした縁側のようなスペースがあって……そこに、横になっている遮楽がいた。
「遮楽もお風呂上りかな」
「きもちよさそぉ」
二人でちょっと近づいてみた。こっちに背を向けて、腕を枕に寝そべっている。胸と腕に巻いていたサラシも取られているし、その上元々着崩していた和服も、涼むためかさらに大胆にはだけられていて、もうほぼ半裸だった。
緑褐色のがっしりした背中がよく見える。ジタンみたいにモリモリ筋肉に包まれてるってほどじゃないけど、陰影がくっきりしているというか、引き締まってカチカチに硬い肉体って感じ。よく見たらうっすら傷跡みたいなのもちらほら……。歴戦の武人って感じがする。用心棒してるって言ってたけど、長いのかなぁ。
「しゃらく~」
ひらひら近づいて、気楽に話しかけるリーリア。
「ん?」
気付いた遮楽が身を起こして、暗がりの中こっちを向く。
「おうお二人さん」
「そんなカッコでねてたらカゼひ、いっ……」
――リーリアの声が不自然に詰まった。
あたしも話しかけようとさらに近寄って、思わず息を呑む。
遮楽が振り向くまで気づいてなかったけど、サラシと同じように、今まで顔をぐるりと巻いていた長い布も外されて傍らに置かれていた。
だから、ずーっと分からなかった彼の目元が、はっきり見えるようになっていた。
両目を塞ぐように真横に走った、ギザギザでいびつな傷。そこだけ白く浮いていて、嫌でも目立つ。もう二度と開くことの無いまぶたは、傷跡に引っ張られて引き攣れたようになっていた。
戦いの中で負った怪我なのか、それとも事故で? 思わず良くない想像が色々と働いて、態度がぎこちなくなる。
「……どうかしたかい?」
「えっと、いやその」
当然その動揺が遮楽に伝わらない訳がなくて、怪訝そうな声で尋ねられた。ど、どうしよう。気安く聞いちゃいけないことだと思うんだけど、こうなった以上何も言わないのもおかしい気がするし、でも何言ってもダメな感じになりそうだし……。
「……おォ。こいつァ失敬」
でもその直後、すぐに気づいた遮楽が布を取って、ささっと顔に巻いた。あたし達の反応も慣れっこって感じ。
「これで平気かい? いやァ、怖がらせちまって悪かったなァ。こんな時間に誰か来るとも思ってなかったんでね」
そう言って和服の左袖を引っ掛けると、杖に括り付けられた荷物を担いで立ち上がった。
「じゃ、ゆっくり休みなせェ。子供があんまり夜更かしすんじゃねェよ」
背中を向けたまま手を振る遮楽。あたし達は何も言えないまま、ただその背中を見送った。
「やっと帰ってきましたか」
客室のドアを開けると、先に戻っていたシグレが迎えた。床に座ってストレッチしている。
「……何ですか妙な顔して」
「ん? う、ううん。何でも」
訝しむような表情に、曖昧な返事でごまかす。シグレは少し首を傾げたけれどもさして気にする風でもなく、ストレッチを再開。
あたしはお風呂セットを仕舞うと、ベッドに腰かけて足をぶらぶらさせた。いつもならお風呂上りはスマホを触ってるけど、当然今は持ってない。少々手持ち無沙汰だ。テレビでもあればいいのに。
何となく、体を丁寧に伸ばすシグレの様子を眺めた。いつもは高い位置でポニーテールにしている髪が、今は下ろされている。肩で少したゆんで、さらさらと背中にかかるそれはまるで夜色のカーテンのよう。
「いいなーシグレの髪、きれいなストレートで」
思わず呟いたあたしの声に反応して、振り向くシグレ。
「あたしもそんな風に伸ばしてみたいなぁ。ヘアアレンジとか絶対楽しいし」
「伸ばせばいいじゃないですか」
「無理だよー。あたしすごいくせっ毛だもん。ほら、もうこんなに広がっちゃってさ」
毛先が外側に跳ねた髪を軽くなでつける。
「絡まるしうねるし、パーマ代いらないとか言われて羨ましがられたりもするけどさー。絶対ストレートのほうがいいじゃん。せめてリーリアみたいに、毛先だけなんかいい感じにカールしてたらかわいかったのにね」
「えへへ~そぉ?」
褒められたリーリアが、素直に嬉しそうな声で笑った。甘えているのか、あたしの傍に来るともたれかかるように抱き着いてきたので、あたしはその頭をなでる。
「んふー……」
気持ちよさそうな声を上げるリーリア。背中の羽もぺったりと垂れて、完全にリラックスしている。細くて柔らかい髪と、服越しに伝わるちょっと高めの体温。それが心地よくて、自然にくすくすと笑いが洩れた。
「ねー、せっかくだし女子会しようよ」
そして笑い交じりに、あたしは言った。
「じょ、女子会?」
意味が分からないといった反応のシグレ。
「そうそう。今日マーケットでクッキーとか買ってたからさぁ」
リュックから手作りのお菓子が入った紙袋を取りつつ言う。リーリアの手に一枚乗せてあげてから、重ねて口を開いた。
「お泊りで、女子部屋って言ったらもうあとは恋バナか怖い話が定番じゃん! しかも見回りの先生とかいないし何でもアリのフィーバータイムだよ!」
「さっきから何を訳の分からないことを言ってるんですかアナタは」
異星人でも見るような目つきのシグレ。
「まあまあいいじゃん……ねね、好きなタイプってどんな人?」
渋る様子に構わず、無理やり話題をそっちの方向に持っていくと、シグレは溜息をつきつつも、意外とすんなり話に乗ってくれた。
「あまり考えたことはありませんが……ま、とりあえず軟弱な男は話になりませんかね。ワタクシと渡り合う程度の実力は伴っていただかねば」
「シグレそれ彼氏にしたい人じゃなくてさ、相棒にしたい人になってない?」
「でもぉ、リーリアもつよくてカッコいい人がイイな~」
あたしの足を枕に仰向けになって、両手を胸の前で合わせながらリーリアが言った。
「あー確かに、やっぱ守ってくれる男らしい人がいいよねぇ」
「ね、ね! すごくつよいけどー、でもやさしいの」
「アナタ達揃いも揃ってなーに情けないこと言ってんですか」
盛り上がるあたし達を、シグレが一蹴する。
「けど分かんないよ? 案外そう言うシグレこそ、頼りがいのあるとこ見せられたらときめいちゃったりして……」
「はん、言ってくれるじゃないですか。ワタクシはそんな簡単な女じゃありませんよ」
「わぁねぇ聞いた今の!? ドラマみたい! かっこいー!」
きゃあきゃあと話し声が尽きない女子部屋。友達と旅行に来たような、ちょっと特別感のある時間が過ぎていった。
――そして楽しい夜も更けて、すっかり寝静まった頃。
「……ん」
いきなり目が覚めた。時計を見たわけじゃないけど、真っ暗でまだ夜明け前だというのは分かる。変な時間に起きちゃったな。このまま二度寝しよ……。そう思って目を閉じたその時、ふと顔に当たる風の感触に気付いた。
……ん? 風……?
そっと身を起こして横を見ると、全開の四角い窓から夜風が吹き込んで、薄いカーテンを揺らしていた。いや、でも……あたしは半分寝ぼけた頭で考える。
寝る前に窓、開けたっけ……?
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