【第十話】お食事会にて
【前回のあらすじ】
異様な赤と、死んだような静寂が支配する森――その元凶を突き止めるため、最奥を目指したパーティー。しかし力を吸収する謎の生物や瘴気に苦しめられ、道半ばでの撤退を余儀なくされてしまう。そんな彼らを、村の子供ティルとその父親エトルが夕食へ招いた。見えない攻略の糸口に気落ちしつつも、みくる達はひとまず羽を休めることにしたのだった。
宿屋で一息ついて、外に出る頃にはもう夕方。落ちかかった夕日が、地面に長い影を落としている。武器も防具も外してすっかりくつろぐ態勢を整えたあたし達は、夕食にお呼ばれしたティルの家へと向かったのだった。
ティルの家は、道具屋の裏手にあった。壁も屋根も全部木でできた、コテージ風の家だ。ちょこんと飛び出た煙突や、ドアに付けられた丸いノブがかわいい。壁は少し色あせて、ところどころ緑のツタが絡んでいるけれど、それがまた味わいのある感じがした。
ジタンが玄関をノックしようとする。するとその直前で、窓が勢いよく開けられた。
「うおお」
少し驚いて手を引っ込めるジタン。窓からひょっこり出てくるウサギ耳。
「あ! 来たぁ!」
身を乗り出して出迎えたティルは、ちょっと待っててね〜と明るく言って、再び家の中に戻っていった。ぱたぱたと走る音が聞こえてくる。
「父さ〜ん! みんな来たよ!」
そんな声のあと、玄関がカチャリと開いた。作業着から普段着に着替えたエトルさんが軽く会釈をする。
「ようこそ、おいでくださいました。もうすぐ用意もできますので、どうぞ庭の方へ」
そう言って、家の裏の方を指し示した。
ぞろぞろ行ってみると、広い庭に縦長のテーブルと椅子が用意されていた。中央には丸く並べられた石の囲いがあって、中で火が焚かれている。さらにその上には四本足の付いた鉄板が。
「うわぁ〜、バーベキュー大会ってこと!?」
ふと視線を向けると、庭の片隅にクラフト台らしきものがあるのに気付いた。白い麻布が敷かれた木製の台の上には、金槌やペンチみたいな工具、そして革や布の端切れ、加工前の宝石が置かれていた。
この庭、普段はエトルさんのちょっとした作業場になってるのかな……。ポケットに工具や素材を詰めて、丁寧な手作業で売り物の鞄やアクセサリーを作っている姿をぼんやり想像した。
「は〜い、皆さん、今夜のご飯ですよ」
その時後ろから声が聞こえて、振り返ると金属製のトレイを持ったエトルさんとティルがやって来るところだった。トレイの上には聞いていた通り、新鮮そうな野菜に、串に刺された魚や肉、それからきのこが山盛りだった。
「わあぁ! おいしそうおいしそう!!」
「ははは。そのセリフは焼くまで取っておこうか」
はしゃぐリーリアに優しく声をかけるエトルさん。
「……あ、えっと……」
すると、横合いから遠慮がちな声が聞こえた。顔を向けると、家の陰に隠れるようにして女の子が立っている。紫色の髪をボブカットに揃えて、ピンク色のワンピースを着たおとなしそうな子だ。初めて見る顔。歳はティルと同じくらいかな……? もじもじしながらあたし達を見ている。
「アンネ! いらっしゃい!」
ティルが手を振った。そしてその子を招き寄せると、あたし達の前に立たせる。
「ボクの友達! 夕方ヒマって言ってたから、一緒に食べようって誘ったんだ」
「その……アンネ・グリシアです。よ、よろしくお願いします、冒険者さん」
照れながらも、礼儀正しく頭を下げるアンネ。
「うん、よろしくね!」
一番近くに立っていたあたしが笑いかけると、はにかみ混じりの笑顔が返された。まだ恥ずかしそうにティルの方へ体を寄せているその様子を見ても、二人が仲良しなのが分かる。
「皆さん、お座りください。楽しいお夕食にしましょう」
軍手にトングを携えて、準備万端なエトルさんがにこやかに言った。
火の上の鉄板がジュウジュウと音を立てて、香辛料の複雑な香りも漂ってくる。目の前の陶器のお皿の上には、こんがり焼き目のついた食材達。お肉にタマネギ、ニンジンにピーマン……よく見慣れた野菜があるのが、なんだか安心。
お箸でタマネギを摘まむ。口に入れると、しゃくっというかすかな歯ざわりと共に、優しい甘さが広がった。ニンジンも同じくらい甘い。ピーマンはさすがにちょっと苦いけど、でもかなり食べやすいし、適度に味付けされた塩味がうまくカバーしてくれてる。
「んんーおいしっ……! 野菜こんなにおいしいって思って食べたの初めてかも!」
思わず興奮気味な声が出る。
「魚もあっさりしとって旨いのぉ」
「んふっ、ひあわへ~!」
向かいに座っているオルフェとリーリアも思い思いに味わっては良い表情をしている。
「へぇ、なかなか美味しい肉じゃないですか。もう少し食べたいですねぇ……」
「あ? 何見てんだよ。つーかまだ皿に山盛りじゃねぇか、せめてそれ食ってから言えよやらねぇけど」
……隣の席ではそんな小競り合いが聞こえた。
「どうぞ、どんどん食べてくださいね」
そう言いながら、あたし達のお皿へ順番に焼けた食材を乗せていくエトルさん。多少手間だけど大皿に盛る方法にしなかったのは、言うまでもなくリーリア対策だ。みんなでこっそりそう助言した。無制限に食べられるようにしたら、あのブラックホールみたいな胃袋に吸い込まれかねないからね……。
「ここに、クローヴィス先生もいてほしかったなぁ」
はふはふと焼きたての分厚いニンジンを頬張りながら、ティルが少ししょんぼりして言った。
「仕方がないだろう、お仕事でお忙しいのだから」
「んー……」
宥めるエトルさんにも、すねたような反応を返す。
「……でも、明日は授業があるよ? そこで会えるから……」
そんな彼を見て、アンネが励ますように言った。
「そういや、図書館で授業もしてるって言ってたね。どんなことするの? フツーに教科書とノートで勉強?」
きのこも食べつつあたしがそう聞くと、途端に明るい表情になったティルがハキハキと答える。
「それもあるけど、フィールドワークに連れてってもらったり、魔法の練習したりするのがやっぱ楽しいかな! こないだはねぇ、魔法石を合成してチカラを強くする方法を習ったんだよ!」
「えっ何それめちゃくちゃ面白そう」
ザ・ファンタジーな内容に思わず食いつくと、ティルはにんまりした。
「へへ。ボクはちょっと失敗したけど……そういや、アンネは一発ですごく上手にできたんだよ!」
「た、たまたま成功しただけだよ……」
顔を赤くしてうつむいたアンネは「あ、でも」と顔を上げる。
「遮楽さんの体術の授業のときは、ティルいつもすごいんです。教わった動き、すぐできるようになっちゃって」
「運動なら誰にも負けないからねー!」
こっちは謙遜知らずのティル。得意げに胸を張ってみせた。
「それにしてもクローヴィスさんはお忙しい方じゃのぉ。研究者として働きながら、慈善事業で保護村の運営たぁ……」
「はい、立派だと思いますよ。稼ぎのほとんどもこの村のために使われて……もっと設備の整った都市部にでも住めば、研究もぐっとやりやすくなるでしょうに、私達を優先してこの場所を拠点にし続けておられるんです」
一旦箸を置いて呟いたオルフェに、エトルさんが穏やかな笑顔で頷いた。鉄板に乗せた食材が焦げないように気をつけつつ、口を開く。
「一度は魔法の才覚や知識量を買われて、王室付きの研究者にならないかとの誘いもあったらしいのですが、断ってしまったそうなんです。この村を離れる訳にはいかないからって」
「それはまた……信念が固いというか、お人好しというか……」
シグレの言葉にも、エトルさんは苦笑しつつ首を縦に振った。
「そうですね、困っている人は誰であっても放っておけない性分なのだと思います。この村だけでなくて、求められれば遠方の村や国にも手を差し伸べに行っていますし……そういえば、少し前にもしばらく出張されてましたね。国王様に招聘されたとかで……ええと何という名前だったかな、どこかの小さな国で……」
「えっ王様に!? すごくない!?」
あまりにもさらっと言われた言葉に驚いて、あたしは思わず振り返った。
「な、なんで?」
「種族融和に関する意見を求められたとのことです」
「しゅっ……ゆぅ……?」
急に難しそうなことを言われてあたしが押し黙ると、エトルさんはくすりと笑って「もう少し詳しくお話ししますね」と言って続けた。
「既にお気付きかとは思われますが、この村はたくさんの種族が混ざり合って暮らしているでしょう?」
「うん、確かに……」
大きな角が生えた宿屋の女将さんとお兄さんに、ウサギ獣人親子のティルとエトルさん。それだけじゃなくて、このミレクシアではあたし達とちょっと見た目が違う、色んな種族の人達をたくさん見かけた。亜人獣人問わず、何というか住民のバリエーション豊かな村だ。
「先程お話したその国は、主に人間達の住む国なのですが、狼獣人の国と隣り合っておりまして。最近になって国交が非常に活発になり、互いの国を良くしようと協力を始めたそうです。それで、さらに踏み込んだ形で両国をまとめようという動きが出ていましてね」
「まとめる?」
あたしは首を傾げた。
「はい。簡単に言えば、二つの国を一つにするということです」
「えっそんなことできるの!?」
「もちろん簡単なことではないでしょうが……そのための第一歩として、両国王家の間で縁談が進められているそうです。要は国の前に王家が一つになる訳ですね」
「政略結婚って奴か」
お肉を噛みつつジタンが口を挟んだ。よく分からないながらも、あたしは絵本の中のようなきらびやかな王子様と、お姫様の結婚式を想像する。
「へぇ~、種族を越えた結婚ってこと? いいじゃんロマンチックで!」
「ええ。ですが、そうなると人間と狼獣人が共に暮らすことになります。以前からそういう風土であったならともかくとして、異種族が平和に共存できる環境を一から作るのは、そう簡単なことではありませんよね」
「うん……あ、だからミレクシア?」
あたしが聞くと、エトルさんは優しく笑って、そうですと頷いた。
「ここの運営者であるクローヴィスさんが、アドバイザーとして招かれたのですよ。ミレクシアを成功例と見て、種族間で平和に助け合って暮らせる環境作りについての助言を賜りたいと……まあ小さな村と国では勝手も違うでしょうが、それでも活かせるものはあるはずですよね」
話を聞いているうちに追加の食材も焼き上がって、程よく焼けたお肉がお皿に乗せられる。
「これも、クローヴィスさんが昔から積み上げてきた行いやご人徳が成せるものですから……いやはや、関係無い私もなんだか感慨深くなってしまいますね」
トングを動かしながら、嬉しそうな笑顔のエトルさん。魔法が得意な研究者で、困っている人を助けるために村も作って、先生までやっちゃって、国に呼ばれて……。めちゃくちゃマルチに活躍というか、すごい人なんだなぁ……。
「でもさぁー、それなんかトラブったって言ってなかった?」
その時、のんびり野菜を食べていたティルが急に言った。エトルさんの表情がサッと変わる。
「なっ……ティル、それどうして……」
「遮楽おじさんと話してるのたまたま見ちゃった~」
にこにこ無邪気に答えるティル。今明らかに聞いちゃいけないこと聞いた気がするんだけど!?
「トラブったって……結局上手くいかなかったのか?」
「国王怒らせでもしたんです?」
「こ、こりゃ二人共、やめんね……」
遠慮なく切り込むジタンとシグレを、オルフェが困り顔でたしなめる。
「いっ、いえ、詳しくは知らないのですが……! 何やら問題が発生したらしく、予定よりかなり早く帰る羽目になったと……こ、この辺りの事情は当事者であるクローヴィスさんと、付き添われていた遮楽さんしか分からないですね。自分は何も。本当に」
さっきまでの穏やかな様子とは打って変わったエトルさんが大慌てで取り繕うと、少々声を潜めてティルに顔を近づけた。
「こら。あんまり大人の話に首を突っ込むんじゃない」
「だって、さっきから父さんばっか喋ってずるいや」
口を尖らせてむくれるティル。隣のアンネがまぁまぁと宥めた。
そしてあたし達の微妙に気まずい空気に、ハッと顔を上げたエトルさんがパンパンと軍手を嵌めた両手を鳴らす。
「さ、さぁて、ずっとこちらの話をしていてもつまらないでしょう? そろそろ、あなた方の話も聞かせてください」
……正直めちゃくちゃ分かりやすい誤魔化し方だったけれど、あたし達は苦笑いで話題変更に乗った。
「まずはそうですね……パーティーは、組まれてもう長いのですか? ……あ、ニンジンもそろそろ良さそうなのでどうぞ」
「長い……訳ではない、か? さすがに年単位ではないからな……」
もらったニンジンに軽く上げた手で礼しつつ、ジタンが答えた。
「けどクエストならもう何件もこのパーティーでやっつけてるし、メンバー変更もしたことはないな」
「最初はジタンとわしの二人じゃったんです。酒場でわしが声を掛けたんがきっかけで」
オルフェが話を繋げる。思い出すようなどこか遠い目の笑顔で続けた。
「けど、そん時はまだパーティーを組もうたぁ考えとらんで……単に、魔物の討伐を頼める冒険者を探しとったんですわい」
「その依頼を受けて一緒に行動する内に、あー、まあ色々あって……成り行きで組んで冒険することになったというか」
頭をぽりぽり掻きながらジタンが言った。
「へぇ。元は冒険者と依頼主の関係だったのが、パーティーを結成するまでに至ったと。それは良い出会いでしたね」
興味深そうな笑顔で聞いているエトルさん。
それを横で聞いているあたしは、なんだか懐かしいような気持ちになる。今二人が話した出来事は、ストーリー序盤の展開だ。そういやそんな始まりだったなぁこのゲーム……。
ちなみに、ジタンは今説明を思いきり端折ったけど――「色々あった」の色々が結構重大で、ジタンが予言の書に選ばれし勇者だと判明するっていうイベントが含まれていたりもする。そこから魔王討伐のための旅が始まって、ストーリーが動き出すんだ。
……でも、その辺の事情は、パーティー以外のみんなにはヒミツ。神話にしか聞かないような魔王が復活しかかってるなんて、ベラベラ喋ったりしたら最悪パニックになりかねないからね。あたしもジタンから、説明すんのも面倒くせぇし余計なこと言うんじゃねぇぞ、とよーく釘を刺されていた。
「では、その後お三方に出会われたという事で?」
「ほうです。そん次に会うたんがこの子で……のぉ、リーリア?」
「んぇ?」
魚の身をほぐすのに夢中になっていたリーリアが、きょとんとしてこっちを向いた。一ミリも話聞いてなかったって顔に書いてある。
「……その、ようある話ですが、魔物の罠にかかって襲われとったんをわしらで助けたんです」
仕方がないので、苦笑しつつオルフェが続けて話をした。
「えーっ!? カッコいい! ヒーローじゃん!」
それを聞くなりティルが興奮して叫ぶ。
「やっぱ冒険者っていいなぁ! ボクも早く剣を覚えて、クエスト依頼をこなしたりモンスターをトーバツしたりするんだ!」
そしてキリッとした表情になって、芝居がかった声を出した。
「悪いモンスターめ、かかってこい! 一撃でやっつけてやる!」
「こらっティル、危ないからお箸を振り回すのはやめなさい」
はしゃぐティルを諌めてから、エトルさんは話の続きを促すようにこっちを見た。
「それで……まあ最後がコイツすね」
ジタンが親指でちょいちょいとシグレを示す。
「ひょっとして、シグレさんも同じような経緯だったりするのですか?」
「はっ、まさか。このワタクシがそんなヘマをするわけないでしょう!」
腰に手を当ててふんぞり返るシグレ。
「あまりに力不足で不甲斐ないパーティーを見かねて、ワタクシの方から手を貸してやったんですよ」
「強引に付いてきたの間違いだろ」
「まぁた大袈裟に言うてからに……」
こともなげなセリフに続々入るツッコみ。やけにテンポのいいそれを聞きながら、エトルさんが微笑んで言った。
「やはり、出会い一つにも色々なエピソードがあって面白いですね。旅人さんの話は本当に聞いていて飽きないです」
そう言って話を締めようとしてから、不意に思い出したような表情になる。
「……おや? 先程シグレさんが最後と言われましたが、みくるさんは……?」
「あ」
しまったという顔になるジタン。というか当のあたしすら忘れてた。
「いやコイツはその……迷子になってたのを拾ったら懐いてきただけで」
「ちょやめてよ捨て犬みたいな言い方するの!?」
「他に説明の仕方あるか?」
「えっと……ない、かも……」
真顔で聞かれて、何も思いつかなかったあたしは大人しく引き下がるしかなかった。
「なるほど……? みくるさんはまた特殊な経緯だったんですね。道理で、何となく他の方とは違うような感じがしていたんです」
「えっ、あたしそんなに特別感あるかなぁ?」
「見るからに弱そうってことじゃないですか」
「浮いてるって言われてんぞ」
「もう何みんなして!?」
わちゃわちゃと言い合う様子に、トングを持ったままの手を口元に持ってきておかしそうに笑うエトルさん。すると、オルフェがそっと席を立った。
「エトルさん。さっきから焼くのにかかりきりで、全然食べられとらんじゃろう? わしが代わりますけぇ、どうぞ食べてつかぁさい」
手を差し出されたエトルさんは、慌てた表情で首を振る。
「えぇっ!? か、構いませんよ、招いたのは私達の方なんですから。どうぞお気になさらず、くつろいでいてください。それに今日はアムルーナの森の方にも行かれたのでしょう? お疲れでしょうし……」
「気ぃ遣うとる訳じゃないですわい。こう見えて料理は好きなんじゃ。焼いとるのを見とったら、わしもやりとうなってしもうて……駄目ですかいのぉ?」
「そ、そんなことは……ううん……では、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか」
穏やかながら結構押しが強いオルフェの言葉に根負けして、トングと軍手が手渡される。そしてさっきまでオルフェが座っていた位置に、ぺこぺこしながらエトルさんが座った。
「あっそうだ! ねぇねぇ、森の中どうだった? 探索してきたんだよね?」
話題が一段落したタイミングで、ティルが身を乗り出してきた。
「どうって……まぁ何つーか……気味の悪ぃ所だったな。妙な生き物もいたしよ」
「あかくてぞわぞわしててぇ、やだった」
腕組みしながら言ったジタンに、ようやく魚を食べ終わったリーリアも合わせる。
「やはり、簡単には元通りになりそうもありませんか……」
難しい顔で相槌を打つエトルさん。
「様子がおかしくなったのはいつ頃なんです?」
尋ねたシグレに、少々遠い目をして答えた。
「少なくとも私達が異変に気付いたのは、ひと月ほど前でしょうか……先程、クローヴィスさんが出張に行かれていたというお話をしましたよね。それから帰られて、お疲れの様子のあの人に美味しいパイでも作ってプレゼントしたいと、息子が言い出したんです。それで木の実を摘むために森に入ったら、既に奥の方が荒れていて……。後はもうあなた方も知っての通りですよ。足を踏み入れたらいきなり赤い瘴気が噴き出して、急激にふらふらと力の抜ける感覚がして……いやぁ冷や汗が出ましたね」
「それから、ずーっと森はヘンなまんま! 薬草採りにも行けなくて、困ってるんだ。あそこが一番近くて便利だったのにさ」
重ねるようにしてティルも言った。不満そうに手足をばたばたさせる。
「……あんなに、きれいな森だったのに……」
すると会話の中へぽつんとこぼれるように、それまで黙っていたアンネが呟いた。悲しそうな様子で、膝の上に乗せた両手をぎゅっと握る。
「この時期はコケモモとルビープラムが一斉に実って、それを食べに小鳥がたくさん来て、お花もいろんなのが咲いて……好きだったのにな……」
「だ、大丈夫だよ! こんなにいっぱい調査する人が来てくれてるんだもん、原因だってもうすぐ突き止められるよ……ねっ!」
しゅんとしてしまったアンネに慌てるティル。期待するようなまなざしを向けられて、あたし達は思わずぐっと言葉に詰まった。現状手詰まりとか、とても言い出せる雰囲気じゃない……。
「……あー! でもでも! あったよ!」
その時、気まずさをぶち破るようなリーリアの甲高い声が唐突に響いた。
「ね、みくる!」
「へ!? 何が!?」
急にちんぷんかんぷんな話を振られて焦ると、リーリアはテーブルの脚に立てかけて置いていたリュックサックを指差しながら言った。
「げんきなお花さん! リーリアたちもってかえってきたよね!」
「えっ……あぁー! そうだ忘れてた!」
それでようやくあたしも思い出して、リュックサックの前ポケットを急いで開ける。そして中から、花の入れられた小瓶を取り出した。
「確かに森の奥は枯れた植物ばっかりだったけど……これ! これだけはなんか無事だったんだよね」
言いながら、アンネにその花を見せた。白から薄青のグラデーションがきれいな、小さくて可憐な花。するとアンネは、それを見るなりあっと小さく声を上げた。
「これ……月詠草、です、多分」
「ツクヨミソウ?」
「はい。よく晴れた夜、月が一番高く昇ったごく短い間だけ咲く、不思議な花なんです。だから、月の魔力を宿した聖なる花って言われてて……あっあと、それから根は煎じると薬にもなるんですよ」
目をきらきらさせて、嬉しそうに話すアンネ。
「へぇ~……。詳しいんだね、すごいじゃん」
でもあたしがそう言うと、途端に顔を赤らめて手をもじもじさせてしまう。
「えっと、その、お花とか、植物が……好きで……」
「将来の夢は植物とかケンキューする人なんだよね!」
「ちょ、ティ、ティル……! 恥ずかしいよ……」
そして天真爛漫に横から入って来たティルの口を大慌てで塞いだ。
「ほぉ……そりゃぁ興味深い話じゃのぉ」
すると、焼けた食材を持ってきながらオルフェが話に加わった。空いている手を口元に当てて、思案顔になる。
「こん花だけが無事じゃったんが、全くの偶然たぁ思えんわい。月光の下に咲く花……月の魔力……こりゃぁ、何かしらの手掛かりになるかもしれんよ」
「お、なんか一歩前進かも!? やったじゃん! アンネお手柄〜」
「えっ……!? あう、そ、そんな大したことは……」
あたしがおどけて拍手しながら言うと、アンネは照れてしどろもどろに首を振る。そんな様子を優しい目で見つつ、オルフェが口を開いた。
「ほうじゃ。月詠草は、アンネに育ててもらうっちゅうなぁどうねぇ」
「え、私……ですか?」
きょとんと自分の顔を指差す彼女に、微笑んで頷く。
「わしらで適当な場所に埋めてしまうよりゃぁ、元気に育ちそうじゃけぇ」
「え、えっと……」
アンネは一瞬迷うように目をきょろきょろさせたけれど、その後口を結んでこくこくと首を縦に振った。
「夜に月詠草が咲くとこ、見てみたいなって思ってたんです。わ、私でよければ……」
「じゃ、決まりだね。はい!」
あたしは瓶を手渡す。
「よかったねアンネ、コレクションがまた増えてさ」
「うん……!」
ティルの言葉に照れながら頷いて、受け取ったそれを愛おしそうに両手で持つアンネ。
「……追加の食材も、まだありますからね。デザートに木苺のケーキなんていかがでしょう?」
「えーっデザートまであるの!? わぁいたべる! でもまだごはんもたべる!」
「あ、そのお肉おいしそう。あたし欲しいな」
「ちょみくる!? ワタクシが先に目を付けていたんですよ横取り禁止です!」
「こりゃこりゃ危ないじゃろぉがこっち来んさんな。ちゃんと人数分あるんじゃけぇ」
ワイワイと上がる声に混ざる、火の爆ぜる音と鉄板の焼ける音。ちょっと特別な夕ご飯の時間は、のんびりとのどかに過ぎていったのだった。
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