【第九話】奇怪の森は眠らない
【前回のあらすじ】
一行はいよいよメインクエストへ出発。クローヴィスに代わり案内役を買って出た遮楽と共に、異変に浸食されつつあるというアムルーナの森へ。お馴染みの漫才を繰り広げつつ、一見平和な森を進むパーティー。だがある地点を境に、その様子は一変する。不気味な赤い物体に埋め尽くされ、生気を失った木や花――。待ち受けていた異変が、今まさに牙を剥こうとしていた。
それからあたし達は、異常の発生している森の奥へと足を踏み入れた。
一歩進むごとに、ぐにゃっとブーツの底で嫌な感触がする。
地面の土はぬかるんでいるかのように妙に柔らかくて、その上にびっしり張った血管のような何かはゴムに似た質感。直で触れてないとはいえ、あんまり気分が良いものじゃない……。
「あうぅ、ねぇドコまでいくのぉ……?」
身を縮こまらせてびくびく飛んでいるリーリアが、泣きそうな声で言った。
「そりゃ、この異変の元凶が見つかるまでですよ。収穫ナシでのこのこ帰る訳にはいかないでしょう」
そう答えたシグレも、やっぱりどこか浮かない表情はしている。目の前の赤いうじゃうじゃに包まれた枝を、素手で触るのは気が引けたのか、短剣で乱暴に切り払った。
「こんなとこ何回も来たくねぇよ……これっきりにしてぇぜ。最奥はまだか」
元々仏頂面な顔をさらにしかめながら、ジタンが葉を掻き分ける。真っ黒になってパリパリに乾ききったそれは、ちょっと触れるだけで脆く崩れて、地面に破片がばらまかれた。
死の森――ふとそんなワードがあたしの頭の中に浮かぶくらい、どんよりと淀み切った空間だった。
「にしても、妙に静かなんだよな」
「あぁ……そりゃ、わしも気になっとった」
ふと呟いたジタンの言葉に、オルフェが同調して頷く。
「いなげなもんじゃ。ここに来てから、魔物がいっそ見当たらん」
そう……ここまで結構な頻度でエンカウントしていた敵モンスターが、急にぱったりと出てこなくなっていた。あたし達以外、生き物の気配がしない。そのことも、この場所の死んだような雰囲気を一層濃くさせていた。
「ま、追われたんだろうよ」
あたしの背後で、遮楽が何やら意味深に言った。
「お、追われた……?」
何に? と聞こうとした時、リーリアがあっと声を上げた。それまでの怯えたような様子とは一転、明るい声だ。
「ねーねー! コレはキレイだよー!」
そう言って、ちょっと離れた場所に飛んでいくと笑顔で道端を指差す。
「ここ! みて!」
「んー?」
つられてあたしも行ってみると、確かにこんな何もかもが枯れて荒れ果てたような場所で、美しさを保っている花が何本か固まって生えていた。先が薄青く色づいた、白い小さな花だ。
「わ、ホントだ! なんでこれだけ枯れてないんだろ」
どうもまだつぼみみたいで、花びらは固く閉ざされている。でもみずみずしい茎の先に宿る白は、まるで闇を照らすランタンみたいに明るく見えて、なんだかホッとさせてくれた。
「ほぉ、まだこがぁに綺麗な花が残っとったんか」
オルフェもやってきて、しゃがみ込むと興味深そうにそれを眺める。
「何ていう花か知ってる?」
「いんや……植物はあんまし詳しゅうないけぇの」
頬を掻きながら、すまなそうに答えるオルフェ。博識で色々知ってそうな彼だけど、さすがに何でもって訳にはいかないか。
「すっごくキレイなのに、こんなこわいトコにいてかわいそぉ……」
花を見つめながら、リーリアがぽつりと呟いた。
「お花さん、たすけてあげたいな」
「ほうじゃのぉ……。ほいじゃ、一緒に連れて帰ろうか?」
そう相槌を打ったオルフェが「みくる、ちぃとすまんの」と言いながらあたしの背負ったリュックを開けて、中からガラス瓶を取り出した。
回転式のフタが付いてる、ジャム瓶みたいな一見何の変哲も無い空き瓶――でもこれは『ドワーフの小瓶』という名前のある、れっきとしたアイテムだ。
ある程度の大きさのものなら、何でも小さくなってすっぽり収納できてしまうという便利アイテムで、何かと道具がかさばりがちな冒険者にはマストな一品。
「内部に保存の魔術もかかっとるけぇ、これに土ごと入れときゃぁ、早々枯れるこたぁないはずじゃ。戻ったら鉢か花壇にでも植え替えてやりゃぁええわい」
「わーい! ありがとオルフェ!」
リーリアが小さな手で土を掘って、花の根っこごと掬い上げると、瓶の中に入れた。透明な瓶の中に収まっている花はまるでミニチュアみたいで、なんだかかわいい。
「大事に持って帰んないとね」
「うん!」
一応揺れて逆さになったりしないように、リュックの小さいポケットの部分にそれを仕舞うと、顔を見合わせて笑う。
「ちょっとアナタ達、そんな道端の花なんかにいつまでも構ってたら置いていきますよ?」
少し先を歩いているシグレが腰に手を当てて言った。
「もぉーそんな急かさないでよ。今行くってば」
振り返りつつ答える。
「行こうリーリア」
「はぁーい。シグレまってぇ~!」
このやり取りでちょっと恐怖も薄れたのか、いつも通りのマイペースを取り戻してひらひら飛んでいくリーリア。あたしもしゃがみ込んでいた姿勢から身を起そうとする。
その時ふと、視界の端で何かが動いたのを捉えた。
最初は単なる影だと思った。オルフェを挟んで、その向こうの木の傍に見えたから。でも反射的に思わず目を凝らしたのは、やっぱり違和感があったからだ。
そして、それは当たっていた。
木の裏側からでろりとにじみ出るように、何かが現れた。赤と黒がまだらに入り混じった、例えようのない……何か。
生き物だとは思う。自力で動いてるから。でも目も口も見当たらなくて、縦に長い輪郭はぐにゃぐにゃと定まらない。強いて言うなら、巨大なアメーバのようだった。
「えわああぁっ!? 何あれ!?」
「何じゃっ……!?」
アメーバに対して真後ろを向いていたオルフェが、一拍遅れて振り返る。するとそのアメーバは、全身をぶよりと動かした。腕のように伸びた体の一部が、オルフェにまとわりつく。
「……! こ、この、離れぇや!」
切羽詰まった表情のオルフェが、持っていた杖を振り上げた。次の瞬間、その先端が淡い光に包まれる。
「スマッシュブロウ」
その言葉と共に、杖でアメーバを強打。回復や補助の魔法中心で戦う彼の、ほとんど見る機会がない物理攻撃技だ。
衝撃で、ずるっとアメーバが剥がれた。すかさず距離を取ろうとするオルフェ……だけど。
「く……!?」
その直後、不自然に体をよろつかせて、がくんと膝をついた。
「おいっ、オルフェ!?」
明らかにおかしいその様子に、ジタンが駆け寄る。
「何ですか……毒!?」
短剣を抜きつつ言ったシグレの言葉に対して、顔色をやや青くしたオルフェが首を横に振った。
「違う、これは……魔力が、吸われとる……!?」
不規則に輪郭を変えながら、アメーバが再びこちらに迫ってくる。
「――崩山」
その時、横合いから遮楽が技を繰り出した。力強い踏み込みと共に、刃を仕舞った先端で鋭く打ち抜く。一直線のその攻撃を受けて、アメーバは吹っ飛んだ。
「お嬢ちゃん! 魔法は撃てるかい!?」
「ふえぇ!? え、えと、えとっ……!」
いきなり振られたリーリアが焦りつつも、両手を重ね合わせて前に突き出す。
「フレアシュート!」
手から飛び出した火の玉が直撃。アメーバは溶けるようにどろどろ崩れて、赤い塊になった。
「な、何なんだよコイツ……!?」
ジタンが強張った表情で言った。遮楽は塊と化したそれから目を離さずに、一つ息をつくと答える。
「この森の異変と同時に、巣食うようになった妙な奴でさ。コイツに触れられたら最後、引き剝がすまで力を吸い取られちまう。人だろうが魔物だろうがお構い無しだ……。お兄さん、立てるかい?」
「大丈夫じゃ。捕まったんは一瞬じゃったけぇの……」
ローブの裾を払いつつ、オルフェが立ち上がった。
「ね、ねぇこれ倒したってことでいいの? なんか、残ってるんだけど……」
あたしは赤い塊を遠巻きに見ながら言う。普通、モンスターは倒したらドロップアイテムだけ残して消えるはずなのに、いつまで経っても消滅しない。
「あァ、ある程度ブン殴ったらこうして動かなくはなるんだ。だが、どうやっても消えやしねェ。しかも、時間が経ったらまた動き出すみてェでなァ。全く厄介で気色悪ィ代物だぜ」
「えっ!? じゃあ実質倒せないってことじゃん!」
「わし程度の力でも引き剝がすんは簡単じゃったし、さして強くはなさそうなんが救いじゃのぉ。知性もあんましあるようにゃぁ見えんかった……あの宿屋の兄やんが言いよったんはこれか」
あごに手を当てて、考え込む表情のオルフェ。
「確かに魔物ともどっか違う。化け物としか言いようがないわい……」
「ま、とはいえ触らなきゃ問題は無ェ。戦うにしても、念の為に近接戦は避けることを勧めるぜ」
先程アメーバを打ち飛ばした仕込み杖を一振りしつつ、遮楽がそう言った。
「だとよ。残念だったなシグレ」
「んな!? わ、ワタクシだってちょっと気張れば手から衝撃波くらい……!」
「無理に決まってんだろ何バカ言ってんだ」
こんな時なのに微妙に緊張感のない軽口を叩き合うジタンとシグレ。
「みんな、先を急いだ方がええ。倒してもまた動き出すんじゃったら、一箇所にじっとしとくんは得策じゃぁないわい」
するとその流れを切るようにオルフェが口を開いた。確かにこんなとこで固まってて、アメーバに囲まれでもしたら大変だ。今はただの塊になっているそれが復活する前に、あたし達は進行を再開した。
それから、しばらく歩いた頃だった。
ジタンが大剣を思いきり振り上げる。
「走波斬!」
そのまま地面を割るかのような勢いで振り下ろすと、ブォンと前方に衝撃波が駆け抜けた。
それは土や枯れ葉を蹴散らし、立ちはだかっていたアメーバも巻き込んで木に叩きつける。ばらばらと落ちる木の皮と共に、崩れて根元に溜まる赤と黒の気味悪い物体。
ちょうどそれと同じくらいのタイミングで、リーリアも別個体を撃退したところだった。
「チッ、なんか増えてきてねぇかコイツら!?」
忌々しそうにジタンが言う。再び荒れた森の中を歩き出してからというもの、たびたび現れるこのアメーバにパーティーは苦しめられていた。
オルフェも言っていた通り強くはないんだけど、触れるのがNGという時点で攻撃の幅がかなり限られるし、やっぱり倒せない敵というのが一番厄介。
時には新しく現れた個体の相手をしている間に、少し前にやっつけたやつが復活してまた襲い掛かってくるということもあって、かなりのストレスになっていた。
「じゃけど、元凶が近いんかもしれんよ……!」
励ますオルフェ。実際、もう結構歩いている気はする。最初は目がちかちかしていた木々を覆う赤も、なんだか慣れてしまった。元々通ってきた森の風景、どんなんだったっけ? 思い出そうとして振り返っても、視線の先にはどす黒く腐食して枯れた草花の道。気が滅入るから、いい加減どこかしらには辿り着いてほしかった。
「うーお兄ちゃん、そろそろ何か見つかってよくない……?」
『あぁ、うん……』
ネタバレを嫌うお兄ちゃんは、曖昧に返事をしたあと一言だけぽつりと加える。
『まぁもう間もなく、だな』
その言葉を聞いた直後。ふと、森の奥の方が一瞬光ったような気がした。
「あ? 何だ……?」
どうやら気のせいではなかったみたいで、ジタンも同様に怪訝な反応をする。
そして、それは突然だった。
「あれ、なんかさ……霧が出てない……?」
あたしは周囲を見回しながら言った。一体いつからか……気づけば、周囲に薄く赤いもやもやしたものが漂っていた。ていうかまた赤だ。せめてもっとカラフルならよかったのに……。
「……!」
すると、遮楽が何やら反応した。キッと前方に顔を向けると、先頭のジタンに向かって鋭く言う。
「兄ちゃん! そろそろ潮時だ。ここを出た方がいいぜ」
「あァ? 潮時って――」
ジタンが言いかけた直後、そのもやもやは急速に濃さを増した。手元すらちょっと霞んで見えるくらいだ。
「……あぅ……!」
その時、目の前を飛んでいたリーリアが急に高度を下げた。
「え!?」
そのまま地面に落ちてしまいそうな様子に、慌てて両手を出すと抱えるように受け止める。
「ちょ、いきなりどうしたの!? 大丈夫!?」
「な、何……ですか……っく……!」
「……こりゃいけん……!」
ところが、様子がおかしくなったのはリーリアだけじゃなかった。さらに前を行くオルフェ、そしてシグレまで、いきなり脱力したようにへたり込むと苦しげな声を出す。あたしは意味も分からずおろおろするしかない。
「ぐ、これ、やべぇ……! おいみくる!」
少し掠れた声で、絞り出すようにジタンが言った。
「脱出用アイテム寄越せっ……早く!」
「わ、分かった……! はいコレ!」
遮楽の忠告を守ってすぐ出せる場所に仕舞っていた『帰還の巻物』をリュックから取ると、ジタンに投げ渡す。やや震えている指先で巻物の紐を解いたジタンは、乱暴に広げるとすぐさま発動させた。
「出でよ、帰還の魔法陣!」
すると、全員の足元に緑色の魔法陣が出現。次の瞬間、体が急激に持ち上げられるような感覚がして、視界が暗転した。
「っはぁ……ひでぇ目に遭ったぜ全く……」
「うえぇん、ふらふらするよぅ……」
呻くように言ったのはジタンとリーリア。緊急ワープして、ここはミレクシアの入り口。みんなどっと疲れたように座り込んでいた。
「だ、大丈夫……? やっぱりあの赤い変な霧みたいなやつのせいだよね……?」
「霧っちゅうより、瘴気と言うたほうが相応しいかもしれん。すごい勢いで魔力が奪われていった。あがぁな場所、長居すりゃぁ命に関わるわい……」
冷や汗を拭いながら、オルフェが言う。
「あっ君達……! 戻ってきていたか!」
すると、向こうの方からあたし達を見つけたクローヴィスさんがやってきた。険しい表情で、身をかがめる。
「その様子だと、やはり……」
「あァ、例によって洗礼を浴びやした」
立ち上がりながら、遮楽が代表して伝えた。そしてあたし達を見回して続ける。
「あっしが、そもそも最奥に近付けねェと言った意味がよく理解できたでしょう。あの森の、一番厄介な点があれだ。問答無用で吸い尽くされちまうぜ」
「身を守る方法はないんですか?」
みんなも続けて立つ中でシグレが尋ねると、クローヴィスさんが首を横に振る。
「普通の防御魔法では、全く効果が無い。打ち消せるものが何かしらあれば話は別だが……。遮楽、私の代わりにわざわざすまなかった。他に変わった事は無かったかね?」
「残念ながらサッパリでさァ……」
頭を掻きながら遮楽。
「そうか……うむ、まぁ仕方が無いな。引き続き調査していくしかあるまい」
腕を組んで、視線を外しながらクローヴィスさんが言った。
「ま、焦った所で得られるモンもありやせんや。お兄さん方も気を落とす事ァ無ェ。ひとまずあっしは家に戻りやすぜ」
しかしやや暗い空気とは対照的に、あっけらかんとした様子で遮楽は片手を軽く上げる。
「あァ……色々と忠告助かったぜ、付き合わせて悪かったな」
「大した事じゃねェさ。必要ならまた呼びねェ、荒事だけは得意だからよ」
ジタンの言葉に軽く返すと、背を向けて去っていった。
「……結局……今日のところは何も収穫無し、ですか」
その姿を見送ってから、シグレが溜息をつく。
「あんな状態では、原因を突き止めるなど到底不可能なのでは?」
「簡単に諦めたらいけんよ。森の最奥に何があるかはっきりすりゃぁ、対策も立てられるはずじゃ」
「でもぉ……どーやって?」
リーリアの無邪気な問いかけに、唸りつつ黙りこんでしまうオルフェ。
「……ひとまず、重い装備を脱いで体を休めてはどうかね。全員、無事に帰って来られただけでも良かった」
「……そうだな……」
クローヴィスさんのその声に促されて、みんな動き出す。
「おーい! 旅人さぁん!」
その時、明るい声が聞こえた。見ると、ティルが手を振り振り駆けてくる。その隣には、ティルと同じウサギ耳の生えたおじさんがいた。小さな眼鏡をかけていて、全身もふもふとした毛がなんだか癒し系って感じ。
「冒険の帰り?」
「ほうじゃよ。そちらの方は……確か、道具屋の……」
ティルの質問に答えつつ、オルフェが隣を見た。ウサギのおじさんは優しく微笑む。
「ええ、先程お買い物にいらしてくださいましたね。この子の父親のエトルと申します。息子とも仲良くして頂いているようで」
見た目に違わぬおっとりした口調で、おじさん――エトルさんは言った。仕事着なのか、ポケットがたくさん付いたエプロンのような服を身に着けている。
「ちょうどよかったぁ! ねぇねぇ旅人さん、今夜ウチおいでよ!」
オルフェのローブの袖を引っ張りつつ、ティルが声を弾ませた。
「ん? き、キミの家にか? なしてね?」
「こらこらティル。ちゃんと説明しないとこの人達も困るだろう?」
いきなりの誘いに目を白黒させるオルフェと、苦笑いでたしなめるエトルさん。そして頭を掻くと続けた。
「いやぁ、この子がどうしても皆さんと夕食を食べたいとせがみましてね。冒険者というものに憧れておりまして、お喋りすると言って聞かないんですよ……という訳でご迷惑でなければ、いかがでしょうか? 大したものは出せませんが、心を込めておもてなしさせていただきますよ」
「えーっ! ホント!?」
いの一番に反応したのは、案の定リーリアだ。今までへにゃっと地面に座り込んでいた元気のなさはどこへやら、すっ飛んでいくと両腕と両羽をブンブン振る。
「ねね、いいでしょオルフェ! おもてなしごはん!」
「そ、そりゃぁありがたい話じゃが……こがぁな人数で押しかけて、ええんですかいのぉ?」
「ええ、ウチの庭で採れた野菜がたぁんとあるんです。それから、お肉やお魚も少し。大勢で食べた方が、きっと楽しいですよ……よろしければクローヴィスさんも、どうです? ご一緒に」
言いながら、エトルさんは体を向ける。
「お疲れでしょう? たまの息抜きには丁度よいと思いますよ」
「うむ……そうだな……」
あごに指先を当てるクローヴィスさん。
「ねぇねぇ、おねーちゃん」
……そんな中、ティルが急にあたしへと声をかけてきた。
「ん? 何?」
くりくりとした目であたしを見上げながら、不思議そうに口を開く。
「背中に何か付いてるよ? 何コレ?」
「へ? 何かって……」
森で葉っぱでもくっつけたかなと、言われるがままに背中に手をやる。
――何やら柔らかくて、ちょっとひんやりしたようなものが腕に触れた。
「えっ」
異様な感触に驚いて、腕を見てみる。
すると目に飛び込んできたのは、うごめく赤色……親指くらいの長さのアメーバが、腕にへばりついていた。
「いぃい゛っ……!?」
息を呑んだ。心臓が一瞬で凍り付くような感覚。ぞわりと、全身に鳥肌が立つ。
「やっ……だやだやだやだぁっ! 取って! ねぇ誰かコレ取ってぇぇ!!」
パニックになって叫びながら腕をめちゃくちゃに振る。でもアメーバは驚異の粘着力で腕にくっついたまま離れない。のったりとした感触が腕を登る。うわぁ無理やだ気持ち悪い!
突然悲鳴を上げたあたしに驚いて、みんながあたしを見る。するとオルフェがいち早くその原因に気付いて、顔を強張らせた。
「いけん!」
暴れるあたしの手首を素早く掴むと、しつこく居座るアメーバを叩き落とした。一瞬熱さに似た痛みが走るけど構っていられない。
「くっ……」
手が触れたその一瞬でさえも魔力を吸われたのか、少々顔をしかめるオルフェ。
地面に落ちた小さなアメーバは、ぐねぐねとその身をのたうち回らせた。
「わあぁ!? 何この気持ち悪いの!?」
ティルが青ざめた顔で一歩飛びのく。
「ちょ、ちょっと、ここにコレを野放しにするのはさすがにマズいのでは!?」
思わず短剣を取り出しながらシグレが言う。でも消えない敵だから、ダメージを与えても意味がない。
「あ……こ、これでひとまず!」
そんな中、動いたのはなんとエトルさんだった。腰に付けていたポシェットからガラス製の瓶を取り出すと、コルク栓を抜いてアメーバに被せる。そしてその下の土ごと掬い上げて、中に閉じ込めてしまった。
「えぇっそんな家の中にクモ出ちゃった時みたいな対応でいいの!?」
でもさすがにガラス越しだと害はないみたいで、コルク栓を閉めた瓶を持つエトルさんは平気そう。
『みぃ……大丈夫か?』
さすがのハプニングで、お兄ちゃんが心配そうに声をかけてきた。
「うん……」
「き……君! 平気なのか!?」
するとそれとほぼ重なるようにして、顔色を変えたクローヴィスさんが駆け寄ってきた。勢いにやや気圧されつつも、あたしはこくこくと頷く。
「だっ、大丈夫、一応! けど、いつからくっついてたんだろ……もしかして結構前から……? うえぇマジで最悪なんだけどぉ……」
「…………」
げんなりするあたしを、じっと見つめるクローヴィスさん。
「……何とも無いならば、良かった」
そしてエトルさんの方を向くと、瓶を手で指し示した。
「可能であれば、それは私に預からせて頂きたいのだが……調査の為の、サンプルとしても使えそうなのでね」
「え、ええ、もちろん。自分が持っていても仕方のないものですから……」
渡された瓶の中のアメーバを、クローヴィスさんが険しい目で凝視する。そしてティルに顔を向けると、ふっと表情を緩めて言った。
「ティル君、本当に申し訳無い。やはり、まだ少し仕事が残っていて……今日の所は遠慮させて貰っても宜しいだろうか。またいつか、ゆっくり出来る時に一緒に食べよう」
「えーっ、ダメなの!?」
ティルは一瞬口を尖らせたけれど、それ以上は言わず意外と素直に頷いた。
「うー分かった。じゃまた今度ね、絶対だよ!?」
「ああ。約束するとも」
ウサギ耳の頭を優しくぽんぽんとなでてから、クローヴィスさんは立ち上がった。瓶を片手にみんなを見回す。
「では、私はこれで失礼する。君達も、今日は疲れただろう? ゆっくり身を休めてくれたまえ」
「またねーっ! せんせーっ!」
元気いっぱいに手を振るティルに片手を振り返すと、きびすを返して去っていく。それを見送ってから、エトルさんが言った。
「帰られたばかりで、まずは一息つきたいことでしょう。我が家でお待ちしておりますので、落ち着いたらいらしてくださいね。ぜひ、ウチの子に冒険譚でも聞かせてやってください。きっと喜びますから……では、また後程」
丁寧にお辞儀をしたあと、ティルを連れて帰っていった。残されたあたし達は、なんとなく顔を見合わせる。
「えーっと……これからどうすんの?」
「どうするって言われてもよ……」
あたしの問いかけに曖昧に答えたジタンは、その後諦めたように首を振ると、気怠そうな声で言った。
「ここで考えたところで解決法なんざ分かんねぇし、今日はもういいじゃねぇか。とりあえず宿に戻ろうぜ。疲れたしよ」
その言葉を合図に、ひとまず宿屋へ戻るため歩き出した。
来るもの全て拒むような奇怪の森、かぁ……。これはちょっと、一筋縄じゃいかないかも……。
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