139.シリウスの番犬たち
正直言って、オレ自身はマジで弱い。
幸いにも、幼少の頃からずっと一緒に過ごしてきたブーストフェンリル達が居てくれるから、今日まで何とかやって来れただけだ。
「ウルフ、来るぞ!」
「あっぶねぇ!」
オレとジャックさんが戦っている相手は、ベルとか言うナメクジちゃん。
ナメクジだから動きはそんなに速くないが、さっきから酸性の粘液みたいなものを飛ばして攻撃して来やがる。
厄介な野郎だ。
この能力、アシッドジェリースラッグといった魔物に近い。
姿は多少違うし、スラッグ系の魔物は言語が話せるほど知能は高くない。
コイツもメフィルの野郎に何かされたのか?
「腹が減ったんだ……早く死んでくれ」
「嫌だね! お前がオレらに倒されんだよ! みんな、一斉攻撃だ!」
ブーストフェンリルのレイズに乗った俺は、レーザーと5頭のダイアウルフ、シャープレパードに指示を送る。
「目障りだ」
ベルはまた粘液を撒き散らし、魔物達を近寄らせようとしない。
こうなったら、こっちも毒系の奴を呼び出すか。
「サモンズ・ジャングルブフォトード!」
ナメクジにはカエルだな。
「アズちゃん、こっちも毒で応戦だ!」
アズちゃんと言うのは、ブフォトードの名前だ。
オレの指示通りにアズちゃんが噴き出した毒は、動きの遅いベルに直撃した……はずだった。
毒は奴の身体に吸収されてしまい、まるで効いていない。
「俺に毒は効かない」
マジかよ……こうなったら物理攻撃か。
だとしても、あの柔らかい身体にアストロソードでの斬撃が効くかどうかだ。
聖剣なら何とかなりそうだが、聖剣使いのお二人さんは今、馬鹿でかいグラトニュードラと戦っている。
それにベルの身体は、あまりの柔らかさにフェンリルの爪も跳ね返されてしまう。
「プラントロウル!」
ジャックさんによる植物魔法で遠距離からの攻撃を試みるも、植物はベルの出す酸によって溶かされて行く。
コイツ、本当にオレらで倒せるのかよ……。
「なっ……」
不意にベルがそんな声を出し、ある一点に視線を向けたかと思えば、一瞬だけ周囲が赤く光ったような気がした。
嫌な予感がする。
「みんな戻れ!」
オレは召喚していた魔物達を一斉に戻し、その嫌な予感に備えた。
魂に直接干渉されるような痛みが走る。
呑まれたらまずい……これは……!
死にたい……いや、落ち着け。
大丈夫、大丈夫大丈夫大丈夫!
「っはぁ……はぁ……」
気が付けば、オレは自分の首にアストロソードの刃を当てていた。
危なかった……あと少し正気に戻るのが遅ければ、死んでいたかも知れない。
今のは、オニヒメちゃんの力か?
目を合わせたら発動するんじゃ無かったのかよ?
それとも、また別の魔法……?
恐る恐る背後に目をやると、そこにはニヤニヤと笑いながらこちらを見るオニヒメちゃんの姿があった。
いや、彼女が見ているのはただ一つ。
ベルの姿だ。
「お次のお相手はあなた様ですね、にゃはは」
ベルは全身から粘液を吹き出し、汗をかいたかのような状態になっている。
やっぱり、呪怨魔法の心理攻撃は奴にも有効なんだ。
そんな事より、オニヒメちゃんは敵軍の魔物達を全て倒してしまったのか?
なんて、訊く必要もない。
彼女の前には、魔物だったモノたちと血の海が広がっている。
「貴様……あの軍勢を……倒したのか?」
ベルの声色からは、奴の恐怖心が伝わってくる。
オレだって怖い。
オニヒメちゃんは味方だから良いが、敵には絶対になりたくないな。
「ええ、お陰様で良い霊魂が手に入りました。目は痛いですが……にゃはは」
よく見ると、オニヒメちゃんは閉じた瞼から血を流している。
あの魔法、邪視とか言ったっけ?
使い過ぎたのだろうか?
「まぁ、邪視を使わずとも呪怨魔法はまだまだありますから。自警団のお二方、アタシも加勢してよろしいでしょうか?」
願ってもない事だ。
あれだけの軍勢を倒すのにはもっと時間がかかると思っていたから、こちらとしては大歓迎である。
「勿論ですよ。オニヒメさん、感謝します」
ジャックさんの言葉に、オニヒメちゃんはまたニヤリと笑った。
「にゃはは、ありがとうございます〜。お一つ注意して頂きたいのですが、アタシが邪視を発動している間はくれぐれもこちらを見ないようにお願い致します〜」
「了解しました。気を付けます」
こればかりは気を付けるしか無いよな。
兎に角、味方で良かった……。
「俺は腹が減っているんだ……貴様も喰ってやる……」
そう言ったベルが全身から粘液を噴き出したかと思えば、その直後に無数の触手を全身から伸ばした。
アイツ、粘液の攻撃だけじゃないのか?
「アタシは別に喰われたところで、内側から呪い殺すだけですけれどね。残念ながら、アタシはあなた様に喰われるつもりなどありません」
オニヒメちゃん、可愛い顔して恐ろしい子……。
次の瞬間、彼女は唐突に目を開いた。
まずい、視線を逸らさないと……!
「邪視」
ベルはオニヒメちゃんと目が合ったのか、奇怪な呻き声を上げながら全身の触手を変な方向へとくねらせている。
かと思えば、奴は触手のうち一本を自身の身体に突き刺した。
「ぐぁっ……!」
オレは目を合わせていないが、その恐怖はひしひしと伝わってくる。
あれはヤバい。
オレなんか、目を合わせたら一瞬で自分の首を切り落としそうだ。
「クソッ……小賢しい……!」
ベルはオニヒメちゃんから視線を逸らし、その触手を彼女に向けて素早く伸ばし始めた。
まずい、オレも加勢しないと……!
「腐蝕」
オニヒメちゃんの目の前まで行った触手は、彼女へと到達する前にボロボロと崩れてしまった。
あの一瞬で腐らせたのかよ……!
「貴様、邪魔だッ! 喰わせろッ!」
「鬱陶しいですねぇ。腐蝕もタダでは無いのですから……」
オニヒメちゃんが腐蝕を使うたびに、彼女の身体も一部が欠損していく。
強力な魔法だから、それなりの代償があるみたいだ。
「死滅回遊」
オニヒメちゃんの周囲に、凄まじい数の怨念が列を成して現れた。
何だよあれは……!
「操糸」
彼女は指先から糸を出しながら、それでベルの触手を切り裂きつつ奴へと接近していく。
やがて近くまで来ると、その糸でベルの身体を拘束した。
「ぐっ……!」
ベルは全身から酸の粘液を噴き出して、その糸をじわじわと溶かしている。
オニヒメちゃんは直様その糸をベルから外し、一度距離を置いて怨念達の行列に戻った。
「無防備ですねぇ。呪怨魔法の使い手であるアタシに、こんなモノを渡してしまうだなんて」
そう言って彼女が見せたのは、ベルの肉片だった。
絡め付けた糸を使って削ぎ取ったのか?
「貴様、何をするつもりだ?」
「何って、こうするのですよ」
オニヒメちゃんは、その肉片を自身の手首に糸を使って縫い付ける。
「縁結び。これであなた様とアタシには縁が出来ましたので、互いに痛みを共有する事が出来ます。あなた様は、これに耐える事が出来ますか?」
彼女は話し終えると、懐から出した短刀で自身の腕をざっくりと切った。
痛い、見るのも痛すぎる……。
「ぐぁっ……!」
ベルは触手の根元から体液を噴き出し、責め声を上げた。
「にゃはははは〜! お次はここ、お次は〜……あんっ、痛いッ! はぁはぁ……そうしたらお次は……」
「やめ……ろ……ぐっ、ぐああああッ! もうやめてくれ……!」
「にゃはは、死滅回遊によって縁結びの効力もより高くなっておりますので、苦しいでしょうねぇ〜!」
怖すぎる……でも今がチャンスだ。
「サモンズ・ブーストフェンリル!」
オレは召喚したレーザーに乗り、剣を構えてベルの懐へと入り込む。
その横では、ジャックさんが魔法を発動していた。
「スピアリーファ!」
オニヒメちゃんの攻撃で負傷した箇所を狙うんだ。
そこを斬れば、きっと刃も入る。
直後、オレの前に奴の触手が迫る。
先端は刃物のように鋭く尖っており、このままでは頭を貫かれるだろう。
早く避けないと……まずい!
グサッ……と、目の前で何かが貫かれる。
血飛沫がオレの顔面に降り掛かり、異様な獣臭からそれが何者かを理解した。
「ヘンティフィア……お前どうして……」
召喚した覚えはない。
ただ、奴は何故かオレを守ったのだ。
「グルルルル……」
ヘンティフィアはオレの事など見ずに、ただベルを睨み付けて唸っている。
ベルの奴は、どうやらジャックさんのスピアリーファが直撃したらしく、左半身を大きく欠損していた。
ヘンティフィア、そうか……分かったよ。
お前はオレを守ったわけじゃない。
ベルの事が、放っておけなかったんだな。
ベルはきっと飢えているんだ。
しきりに腹が減ったと言い続けて、飢餓に苦しんでいるんだろう。
ヘンティフィアは、それに共感のような感情を覚えたのかも知れない。
お前もずっと飢えていたんだよな。
その目だよ。
その血肉に飢えた目が、オレにも放っておけなかったんだ。
「何だ、お前は……その目、お前も飢えているのか?」
「グルルルル……ワォーーーーーーーーンッ!」
彼は甲高い声で鳴くと、その触手を食い千切ってベルに噛み付いた。
ヘンティフィア牙は鋭く、奴の身体から分泌される酸など構わずに柔らかい肉体を次々と噛みちぎり続ける。
「ぐっ……そうか……お前も……そこまで飢えて……」
ベルは殆ど抵抗しなくなり、生きているのか死んでいるのか、まるで分からない。
コイツ、いきなりどうしたんだよ?
「グルルルルルルル……」
ヘンティフィアは、ボロボロになった口でベルの身体の肉を貪り続ける。
肉、と言って良いのかも分からない、ゼリー状の物体だ。
あんなもの、毒にしかならないだろう。
「お前……は、俺と、同じだ……」
殆ど原型を留めていない口で、ベルがゆっくりと話す。
きっと、奴はもう死ぬのだろう。
「ヘンティフィア、お前は、ヘンティフィアと言ったか……? ああ、最後に良き友が出来た。俺はもう辛くない。お前を満たせるのであれば……俺はもう……」
コイツが本当に辛かったのは、飢餓に苦しんでいた事じゃない。
ずっと孤独だったんだ。
だからきっと、自分に同調したヘンティフィアを友だと言ったんだよな。
ヘンティフィア、お前は奴に応えてやれよ。
「グルルル……クゥ」
唸るのをやめたヘンティフィアは、ベルの目をペロリと舐める。
沢山暴れて、少しは満足出来たか?
「ヘンティフィア……お前に感謝する。さらばだ、友よ」
そうして、ベルの肉片はボロボロと崩れ去って行った。
これで、良かったんだよな。
「クゥ……」
ドサッと音を立て、ヘンティフィアが地面に倒れ込む。
俺は奴の身体を両腕で持ち上げ、その頭をそっと撫でた。
「ありがとうな、兄弟。ゆっくり休め」
今はただ、お前に感謝するよ。