138.邪視
元々、アタシの母は妖都といったアヤカシの住む東の国の生まれだった。
「ですから、アタシはアビスお母様の本当の子では無いんですよ〜。それに、魔物でも無くて……すみません、配下に入らせて頂く以上は、しっかりとお話しておくべきかと思いまして……」
アタシの話に、何故だかベリィ様は目を輝かせていた。
「謝ることなんて無いよ。装いが東の国のものだったから、関係あるのかなと思っていたけれど、やっぱりそうだったんだね。アヤカシの友達は初めてだから嬉しい!」
配下であるこのアタシを、ベリィ様は“友達”と言ってくださったのである。
ベリィ様が優しいお方であるという事は、お母様から聞いていた。
実際にお話してみると、想像より遥かに懐の深いお方である。
母は暴力癖のある夫から逃げる為、島国である妖都から出る船に忍び込み、それでアストラまでやって来たのだ。
しかし母のお腹には既にアタシがおり、生まれてきたアタシのことを大切に育ててくれていたけれど、元々身体が丈夫ではなかったから、幼いアタシを残して死んでしまった。
当時、アタシが住んでいたのは小さな村だった。
村の者はツノの生えたアタシを忌み嫌い、迫害した。
嫌がらせは次第に激しさを増し、遂にアタシは村から逃げ出したのである。
当然ながら、村を出て一人で暮らして行けるはずもなく、絶望したアタシは自害しようとしていた。
そんな時、あのお方が助けてくれたのだ。
メトゥス大迷宮を統べる深淵の守護者、アビス様である。
初め、小さな蜘蛛の魔物の姿を使い現れたから、既に生きる事を諦めていたアタシはその蜘蛛に命を差し出そうとした。
しかし、そんなアタシに彼女は手を差し伸べてくれたのだ。
「あなたのような優しい子から、幸福を奪うことは出来ません。これも何かのご縁です。私の元に来ませんか?」
その言葉に、アタシはどれほど救われた事だろうか?
アビス様の温もりは母のようで……アタシは、このお方の眷属になる事を決めたのであった。
「よもや、こんな日が来ようとは……出来れば、アタシはこの力を使いたくは無いのですが……」
致し方ない。
相手はベリィ様を脅かす魔物達だ。
慈悲を与える必要も無い。
「グアアアアッ!」
軍の魔物のうち、一体がこちらに飛び掛かる。
アタシは閉じていた瞼を開き、その魔物と目を合わせた。
「邪視」
迫っていた魔物が、アタシの眼前で自身の喉元を鋭い爪で掻き切った。
魔物は鮮血を撒き散らしながら、ドサッという音を立てて地面へと落ちる。
「さあ、アタシを倒せるものなら倒して頂けます? にゃはは!」
視線を上げると、目の合った魔物達が次々と自害して行く。
ある者は喉元を掻き切り、ある者は武器で心臓を突き刺している。
各々が一斉に死んで行くものだから、辺りは鮮血によって真っ赤に染まっていった。
呪怨魔法、邪視。
目を合わせた相手に特殊な念波を送り、強制自害をさせるというものだ。
元よりアタシの眼にはこの力が備わっており、幼少の頃に気味悪がられたのはそれも原因である。
魔物達の間を素早く移動し、丁寧にこちらから目を合わせて行く。
初めに150体ほど殺してしまったものだから、魔物達はどうすればこの攻撃を防ぐ事ができるか察したらしく、今度はアタシと目を合わせないように瞼を閉じ出した。
「あらら、目を閉じられては呪いが効きませんね〜。ですが、残念」
当然ながら、念視も使えない者が目を閉じると、視界が塞がってしまう。
そんな状態で、アタシと戦えるわけがないのだ。
「操糸」
移動の際に張り巡らせた細く頑丈な糸を、一斉に引き寄せる。
糸は魔物達の身体を一瞬にして切り裂き、周囲一帯を鮮血で赤く染め上げた。
残り300程だろうか?
邪視は強力な呪怨魔法だが、使い過ぎると目が潰れてしまう。
とは言え、敵はまだ半分以上残っているから、倒さなければ仕方がない。
大見栄を切ったは良いものの、流石にこの数を相手にし続けては、アタシの両目とも無くなってしまうだろう。
一度目を閉じたアタシは、次の魔法を発動する準備に入る。
殺した魔物は200体以上、邪視で自害させた時の手応えから、一概に雑魚とも言えないほどの強さを持っているだろう。
そうであれば、十分過ぎる程だ。
「死滅回遊」
法陣……では無く、アタシが展開したものは霊道である。
それをなぞるように移動して行くのは、先ほどアタシが殺した魔物達の魂だ。
「回遊魚、という魚がいるでしょう? 環境の変化や成長段階に応じて、生息域を移動する種類の魚です〜。逆に、回遊魚ではない魚もおりまして、例えるならばこの霊魂達は其れです。
“海流”に乗って、本来生息していない海域へと流れて行き、やがてその先で死滅する。
回遊性もなければ、元の海域へと戻ることすら出来ず、宛ら自害するように泳ぎ続け、死んで行くのです。
それを“死滅回遊”と呼ぶのですが、この霊魂達も同じなのですよ。
霊道という海流を辿って歩き続ける彼らは、じわじわとアタシにその魔力を吸い取られ、やがて何処かで死滅する。
それによって得た魔力の量だけ、アタシの魔法は強化されるのです〜。
にゃはは、皆さん、もうおしまいですねぇ!」
これ程までに力を使ったのは、恐らく初めてであろう。
全身に魔力が巡り、己の中の呪いが肥大して行く感覚が心地良い……。
迫り来る魔物達は、アタシの話を聞いていたのだろうか?
聞いてもなお攻めて来たのであれば、何という勇敢さなのだろう。
否、命知らずのお馬鹿さんか。
「邪視・掃討!」
周囲が真っ赤に光るのが見えた。
その光景が視界に映った直後、アタシの両目は激しい痛みに襲われ、口からは大量の血を吐き出す。
「ゲボッ、ゲボッ……はぁ、はぁ……何と、心地が良い……まだ、痛みが足りませんよ!? あと幾つ敵がいるのでしょうか!? もっと……」
幸いにも目は潰れておらず、徐々に鮮明さを取り戻した視界に映る光景から、状況を理解する。
あれだけ沢山居た魔物全てが、自身の首を切り落とし倒れており、周囲には血の海が出来ていた。
「本当におしまいじゃありませんか、仕方ありませんね」
そうであれば、次は大将の首を取るのみ。
こちらを見て絶句するような顔のナメクジさんに、アタシはニヤリと笑顔を向けた。
「お次のお相手はあなた様ですね、にゃはは」