130.さくらかぜ
気付けば、目の前には大きな桜の木があった。
そう言えば、先程まで……
私は、どこに居たのだろう?
「ヴェロニカ、どうした?」
「手、繋いでいようね」
不意に聞こえてきた、懐かしい声———
「お父様……お母様……?」
そんな……私の両親は10年前にもう……
あの頃の記憶は、思い出したくも無いほど残酷で、考えるたびに吐き気のような苦しみが込み上げてくる。
10歳の頃、私とお母様は盗賊に誘拐された事がある。
その頃はセシル様も幼く、当然ながら知恵の眼による監視なども無かった為、カンパニュラの治安は現在よりも悪かった。
盗賊は過去にお父様が捕えた者達で、その日から数日前に釈放されたばかりだったと、後になって聞いた。
本当に恐ろしくて、声も出せずに泣いていたけれど、隣に居たお母様がずっと私を励ましてくれていた記憶がある。
お父様が率いるカンパニュラ騎士団は、直ぐ助けに来てくれたけれど、家族を盾にされたお父様は盗賊に殺された。
それを見て混乱した私は、泣き叫んでしまったらしい。
そんな私に腹を立てた盗賊の一人から、お腹を殴られた事までは覚えている。
後に聞いた話では、私を助ける為に抵抗したお母様も、殺されてしまったそうだ。
あの日、私は家族を失った。
身寄りのない私を拾ってくださったのは、フランボワーズ公爵夫妻だった。
カンパニュラを治めているレオン公爵には娘さんがおり、それが当時8歳のセシル様である。
セシル様は既に知恵の眼を発現されていたけれど、まだご自身の力を使いこなせるはずも無く、出来ることはソロモンの部屋で記憶を閲覧する事だけであったようだ。
あのお方は、突然やって来た私にも優しく接してくださった。
お世話係のケイシーさんも、最初は怖い人かと思ったけれど、話してみると優しくて、私も姉ように思い懐いてしまった記憶がある。
今考えれば、セシル様に失礼な事をしてしまっていたのかも知れないけれど、あのお方は可憐な笑顔で私を見ていてくださった。
本当に優しいお方である。
フランボワーズ公爵家に来てからの生活は楽しかったし、お父様と同じカンパニュラ騎士団の団長になる夢も諦めずに頑張れたけれど、あの記憶だけは何度も夢に見た。
過呼吸になって、ケイシーさんに一晩中寄り添ってもらった事もある。
皆さんに迷惑をかけてしまって、それを謝るたびに優しい言葉を掛けて頂いた。
私が14歳になった頃、セシル様は乱咲剣レイブロッサムを渡してくださった。
セシル様曰く、私がレイブロッサムの資格者であるとの事だ。
「この剣で、どうかカンパニュラをお守りください」
この時、私は誓った。
セシル様に恩返しをするには、これしか無い。
そうして、もう二度とあのような悲劇を起こさない為に、カンパニュラの民は私とレイブロッサムで守ってみせると。
だから……今目の前で私に手を伸ばすお母様は?
私に優しい笑顔を向けるお父様は……?
「う、あぁぁぁ……」
溢れ出す涙はそのままで、ぎゅっと二人に抱きついた。
ずっと苦しかった……辛くて辛くて、今でもあの頃を思い出すと感情が抑えられなくなってしまう。
「お父様、お母様ぁ……」
「一緒に行こう、ヴェロニカ」
お父様は、私の頭にそっと手を置く。
当時と変わらない、大きくて優しい手だ。
「お父様は……いつも前向きな方でした……私が騎士団に入りたいと言った時も応援してくれて、まだ5歳だった私の稽古にも、忙しいのに付き合ってくれましたよね……」
懐かしいな……私にとって、両親は憧れだった。
困っている人を放っておけないお父様を、私に沢山の愛情を注いでくれたお母様を、ずっと愛し続けている。
「だから……きっとお父様は、本当は私がここに居てはいけない事を分かっているんですよね?」
私の言葉に、お父様は頭を撫でるだけで答えない。
「二人のことは大好き……今でも寂しくて、愛しくて、胸が張り裂けそうになります。でも、皆を守る為に戻りたい。私自身を誇れるような、そんな騎士になる為に!」
これはきっと、敵が作り出した都合の良い夢なのだろう。
そうして目の前にいる二人は、私の記憶が作り出した幻だ。
ずっとここに居たいな……二人が生きていたら、沢山話したい事があったのに……
私は涙を拭い、二人から離れた。
お父様とお母様は、少し寂しそうな顔で私を見ている。
「ヴェロニカ……行くのね」
「そうだな……僕は止めないよ。ヴェロニカを尊重する」
再び溢れそうになる涙を堪え、私は二人に笑顔を見せた。
「ありがとう」
腰に携えた乱咲剣レイブロッサムを手に、剣身へと魔力を込めてそれを地面に向ける。
「フラワーラプソディ」
巻き起こる桜風の中、ひとひらの桜が視界を遮ったかと思えば、そこには既に二人の姿は無かった。