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屋烏の子  作者: 沖宮綾華
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8.ヤサさんと弟と


 ファミリーレストランで麟くんを見送ってから、わたしは写真部で撮った写真を送っている。

 理由はないけれど、麟くんとの繋がりが途切れてほしくないと思っているのだろうか。それとも、お父さんが「もう死んでるんじゃないか」なんて言うから気になっているのか。

 既婚者麟くんはわたしからのメッセージに三秒以内に既読をつける。でもメッセージは返さない。


「そういえばお父さんたちの家にいたヤギさんはどうなったの?」

「ゴンザブロウのことか?」

「なんて? あ、お母さんが名付けたのか」

「あのきつねみたいだからやめとけって言ったんだがな。言い負けた。あのヤギなら、あの家を所有する人に譲ったぜ」

「え、もう買い取り相手が見つかったの?」


 甘い匂いが漂う店内で、わたしはお気に入りのモザイクテーブルを撫でる。これはわたしが大学祝いに買ってもらって、花屋さんの角に置いているのだ。漁業の近くにあったホームセンターで一目ぼれして、ずっと欲しかったテーブルは美しい花の世界に溶け込んでいる。


「で、なんか相談か」


 わたしが休みの日はお父さんが仕事をしていることが多い。でも遠慮なく一階に下りて、簡単な作業を手伝っている。

 ただ、包装するのは苦手なので、お客さんが注文した花を集めることくらいしかできない。不要な棘を切る作業は怖くてやろうとも思わない。


「うーん、うー…ん」

「ムリして言うことじゃないけどよ」

「お父さんってお母さんのどこが一番好き?」

「普通じゃないところ」


 顔とかじゃないんだ、とどこか納得の答えに頷いた。お父さんにとっての普通は「会社員」で「大学卒業済」らしい。つまりは学歴社会について重く受け止めているんだろう。あと、周輔さんが常軌を逸した行動を取っているのでわかりづらいが、お母さんは怖いもの知らずらしい。


「鏡花だって散々ヘンって言われただろ。普通じゃない家庭ともな」

「そだね、いっぱい言われた」

「俺は逆に誇らしく思えてきたぜ。晴花はいつまで経っても子どもみたいで母親らしくないおかげか、俺はいつまでも晴花を女として見れる。教育熱心ってわけじゃないから、俺を第一優先してくれるし。俺の夢を叶えるために陰口言われても歌を作り続けて、大切なばあさんの家を手放しても、俺の手は離さなかった。迷いのない行動は危ういが、俺は全部嬉しかった」


 わたしは胸ポケットに差し込んでいた携帯を取り出した。眠りにつくまで彼女の電話番号を見つめ続けたけど、まだお店に行く勇気が出てこなかった。


「俺は服装に文句つける趣味はねえけどよ、テニスプレイヤーみたいな服どうかと思うぜ」

「襟付きでかわいいってお母さんが」

「せめてピンクはやめとけ。あと、短いズボンも気になる。いつまで膝小僧を出すんだ?」

「世の中にはおへそを出す人もいるけど」

「俺には理解できない。鏡花、おまえへそは出すなよ。前にへその緒の痕が消えないって嘆いていただろ。見せるもんじゃねえ」

「ムリして取っちゃったから赤くなって、傷になっちゃったんだ」


 麟くんはその傷跡を撫でながら「ほかの人に教えないでね」と言った。わたしの傷は普通に庭の掃除をしていたときに、服が濡れてタンクトップ一枚になっていたらお父さんとお母さんに知られた。麟くんとの約束を破ってしまったけど、事故なので仕方ない。


「恋煩いか?」

「同性なんだけど」

「デリケートな話題だったか」

「逃げないでよお父さん」


 花びらを摘まみながら紙に何かを書いていたお父さんが髪を掻きむしる。むかしの癖が抜けないのか、鉛筆で記入しているのが古臭くて素敵だ。


「お父さん老けた?」

「おい、俺に対してもデリケートな話題は慎重に話すもんだぜ。どのへんが?」

「目の下が青いっていうか、具合悪そう」

「晴都のせいだ。夜泣きがひどくってな。あと、晴花のあやし方が不思議でつい眺めてたら朝日を拝んでることがある」


 晴都とは弟の名前だ。麟くんの腕に抱かれていた赤ちゃんみたいに、あったかい布に包まれて日々を謳歌している。笑った顔がお母さんに似ているとお父さんは喜んでいた。

 わたしは携帯を握りしめたまま、家を離れてバーに向かった。連絡もなしに行くのはどうかと思ったけど、いきなり電話する勇気がなかった。

 手ぶらで訪れたわたしを彼女はくわえたばこの姿で受け入れて、二階に案内してくれた。

 床には大量の酒瓶が転がっていて、窓が閉め切られているせいか、彼女の吸うたばこの匂いで充満していた。


「あたしヤサ。ベッドと酒しかないけどゆっくりしていって」

「ヤサって本名ですか?」

「源氏名みたいなもん。本名は優子だけど好きじゃないからヤサにして。あと敬語むずがゆいからやめてくれ」

「ヤサさん」


 本当に転がった酒瓶とくしゃくしゃに丸まったブランケットがのったベッドしかない。屋根裏部屋で見るような光景だ。

 四隅にたまった埃、天井に張り巡らされたクモの糸。ベッドに腰かけるヤサさんの手にはテキーラの瓶。洋画でもテキーラを好んでいる人がいたことを思い出した。


「このベッド湿ってるけどいい?」

「慣れてま、…慣れてるよ」

「意外と爛れてんだね」


 ニヒルに口角を持ち上げてヤサさんはわたしにたばこを差し向けた。とりあえず受け取ってみると、憧れのシガーキスを体験する。

 でも浮かれていたのはニコチンを吸うまでだった。すぐにむせたわたしにヤサさんは笑って「ウブだ」とからかう。


「日焼けしてるのはなんで? サーフィンでもしてるの? 体もすごい鍛えられてる」

「朝に日光浴してんだ。バイクで山道走ったりジムにも行ってる」

「へえ、カッコいい」

「そうか」


 湿ったベッドに寝転んだヤサさんは器用にたばこをくわえたまま、煙が行く先を見つめている。わたしはベッドに腰かけたまま、その煙を視線で追いかけた。

 わたしの背中にヤサさんが触れる。また喉で押し殺したような低い笑い声が、ヤサさんの感情を表したような部屋に響いた。


「あんた、女が好きなの?」

「そうじゃないと思う」

「好きな男に振られた?」

「わたしが振った側になるのかな」


 たばこを灰皿に押しつぶしたヤサさんはテキーラの瓶を呷った。わたしはたばこをもう一度吸ってみる。今度はむせなかった。


「賢い女なら寄ってくる男を利用して生きていけばいい。あたしはそうしてる。金ずるの男には体を差し出すし、慰めてほしい奴には胸を貸してやる。あたしも人肌が寂しいときがあるからね、そこそこに満たされる」

「それができなかったら?」

「あんたが真面目だっただけさ」


 テキーラを飲み続けるヤサさんはちっとも酔っていない。わたしは彼女が酔っ払ったらどうなるのかが気になった。

 綺麗に染められた短い髪、たばこを挟む細い指先は赤で彩られていて、どこにも隙がなさそうだった。


「そういえば写真、持ってきたよ」

「ふうん、適当に風景でも撮ってるんだと思ったけど。虫なんてよく撮るね」

「苦手?」

「いや、いいんじゃね。空の風景と合わさって意外に綺麗に見える。もっとグロいもんだと思ったがこれは見れる」

「よかった」


 鳥が空を自由気ままに飛ぶ姿が撮りたかったけど、わたしたち人間にスピードを合わせてくれない。まだ身近にいる虫のほうが撮りやすかった。部長さんはわたしの何に惹かれて次期部長を勧めているんだろう。


「ヤサさん、彼氏とかはいる?」

「不特定多数かな。特定の相手なんて決めたくないね」

「それはどうして」


 麟くんが歩み寄らなかった理由を知れそうで、つい詰め寄ってしまった。ヤサさんはわたしを押しのけずに笑う。


「たったひとりに裏切られたら殺したくなるからさ」




 それから大学に通いながらも、ヤサさんのもとを訪れる日々が続いた。たばこくさいわたしをお父さんは「やべえ奴とつるんでるのか」と嫌そうにしていたけど、お母さんは特に何も言わなかった。

 弟の面倒を見るのが忙しいのではなく、音楽活動とお父さんのメンタルケア、弟の暴れっぷりに疲労しているだけだろう。


「新築は克服できたの?」

「強制的にな」


 大好きなふたりと弟、そしてわたしの四人で囲む食卓も日常となりつつある。

 ふたりの世界にまだ大人の手が必要な弟と、いつでも出て行けるわたしがお邪魔している。大学生活が終われば、必然とふたりの世界から追い出されることは勘でわかっていた。ふたりは何も言わないだろうけど、わたしの意識が「ふたりの世界から出ていかなければ」と思ってしまうのだ。


 お母さんがミルクを弟に飲ませながら口を開くと、お父さんがタイミングよくご飯を運んであげる。

 揚げたてのから揚げやメンチカツが並ぶことはほとんどなく、健康食品みたいな和食が多い。煮魚や刺身を食べるとき、ふたりはそろって「鏡花のくれた魚のほうがうまい」と言ってくれる。


「この家に来たときはブルーシートに覆われていてな。まるで事故物件みたいな見た目だったぜ」

「そのほうが入りやすいかと思って」


 お母さんは照れ笑いを浮かべた。つられて弟も楽しそうに笑うので、お父さんやわたしまでほっこりする。


「新築特有の匂いは晴花が作ったにおい袋で消されていたし、家具はどれも見慣れた手作りのやつだったから。どこにも新築らしさがなかったから、受け入れるのは早かったな」

「わたしが来るころにはブルーシートが外されてたけど」

「一週間で外せたんだ。店も開業したかったし」


 見違えるように明るくなったお父さんは、日焼けした頬を持ち上げた。ヤサさんとは違う焼け方だけど、ふたりともどこか似通っている。


「そういえば今度写真部の人とキャンプ行ってくるね」

「出来婚はやめろよ」

「わたしもさすがに抵抗するよ」

「一応防犯グッズ持っていく?」


 お母さんが弟をゲップさせながら聞いてきたので、そのミルクくさくて、でも安心する匂いが漂う弟を見つめた。わたしにはちっとも似ないかもしれない、ふたりの愛の証。いつまで経っても弟に対しては愛情を抱けない。

 麟くんのもとを選んだ子どもと同じように。


「…持っていこうかな」



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