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屋烏の子  作者: 沖宮綾華
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4.高校卒業編


 きょうも元気に周輔さんが暴れていてなによりだ。人間ストレス発散がうまくできなくなったら人に当たってしまうからね。

 大好きなお父さんとお母さんのもとを離れて三年目。高校三年生を無事に迎えたわたしは、受験戦争に巻き込まれている最中だ。

 実は東京の高校に行きたいとわがままを言ったのは、みかんちゃんがいるからではない。(りん)くんがいるからだ。

 麟くんは中学生のときに出会って、学校では一言も話さないけど、帰り道に落ちあって麟くんの家で話すような仲だ。

 パソコンが大好きでいろんなサイトを作ってみたり書き込んだりしていたけど、情熱を向けすぎたあまり、自分のことをおろそかにしてしまう。

 親がご飯を用意しないご家庭で、自分のことは自分でやる環境で育ったので、化学や実験も大好き麟くんは体の限界を調べるといってろくに食事をとらない。学校の給食を食べれば十分らしい。そのせいで植物の茎みたいに細い体だったし、お母さんみたいに肌が白かった。

 麟くんの家に行っていたころは、わたしがカップ麺のお湯を作ったり、簡単に卵焼きを作った。真っ黒に焦がすことが多かったけど、麟くんはもしゃもしゃ食べていた。

 寂しいときは体温を欲するので、そういうときはわたしの心臓の音を聞かせてあげた。お父さんがお母さんの心臓の音を求めるみたいに。

 麟くんは時々年上の女の人と付き合ったり、別れたりを繰り返した。あんな田舎町でよく年上の女の人が見つかるなと感心したけど、麟くんのお母さんのバイトで知り合ったらしい。

 そんな危うい麟くんが東京についてきてくれと言ったので、わたしは大好きなお母さんから離れて、昼ドラカップルの周輔さん家にお世話になることを決意したのだ。


「もうお世話になるのも終わりなんだけどね」

「よくあんなDVカップルのところにいれるな。女の人ボロボロだったよ」


 一人暮らしを始めた麟くんのアパートにお邪魔していたわたしは、積みあがったお皿を洗いながら頷く。


「誰よ、そいつ」

「鏡花」

「は? あんた、いまさっきまで私と愛を確かめあっていたじゃない! 知らない女を家に入れるなんてさいてーよ!」

「知ってるやつだし。お前が早く出て行ってくれるかな」


 まだ高校生なのに麟くんは彼女さんが豊富だ。きのうは別の女の人をアパートに招いていたけど、麟くんはお互い合意の上だという。

 きのうはお風呂に入っている間に彼女さんが来て、わたしが門限のために晩御飯だけを作って麟くんの住むアパートを出た。

 きょうはまさか彼女さんとベッドにいるとは知らずに普通に来て、特にすることもなかったので洗い物をしていたのだ。

 湯気が出そうな勢いで出て行った彼女さんを見送ると、麟くんはパンツしか履いてない姿で近寄ってきた。


「最近卵の黄色い部分が見え始めてるから、そろそろ卵焼きは完璧に作れそうだね」

「そうかな、今度お母さんの家に帰ったら自慢しよ」

「…俺が行ったらどうなる?」


 麟くんをご紹介するときに「ご飯作ってあげてる友達です」って言えばいいのかな。お母さんに会いに行ったときに「彼氏できたらあたしいっぱいご飯作るよ」と意気込んでいた。でもお母さんは包丁を握らせてもらえないので、大半はお父さんが作ってる。


「喜んでくれると思うよ」

「ろくでなしだって言うよ」

「そうかな、お父さんとは気が合いそうだけど」

「17歳でお前を産んだ人だっけ」

「産んだのはわたしの知らない女の人だけど、そう。お父さんが17歳のときにわたし生まれたの」


 ひとまずお皿を片付け終えると、きのうはできなかったメンタルチェックをしたいのか、麟くんがわたしの手を握ってベッドに連れ込んだ。


「うえ、なんか湿ってる」

「我慢してよ、俺も気持ち悪いし」

「あした晴れそうだから干そうかなあ」


 時々麟くんは服を引きちぎって、大粒の涙を零しながら「俺なんか生きていたっていいことない」と呟くので、そういうときはわたしの小さな胸を貸してあげる。そこに顔をうずめている間に麟くんは眠ってくれるし、わたしも麟くんの匂いが嫌いじゃないので、あっという間に眠れるのだ。

 引きちぎられた服はカーテンにしたり、ハンカチにしてみたりといろんな工夫を重ねている。麟くんは「嘘だろ」と驚いていたけど、わたしの危うい針裁きが気になったのか、手伝ってくれるようになった。お気に入りだったタンポポ色のスカートは座布団のシーツにされたけど、麟くんが気に入ってくれたのでまあいいかと許してる。


「大学、本当についてくるの?」

「そのつもりだよ。寮暮らしか一人暮らしか悩むけど」

「俺の家に住んどけばいいよ。家事してくれるなら大学行かなくていいし」

「まあ、いろんなバイトしてみたかったしそれでもいいけど。立派な大人になるために大学に行かないと、見返せないからね」


 何それ、と麟くんが眠そうな目を向けてきたので、周輔さんたちに言われた言葉を思い返した。


「お父さんがね、畑仕事してると周輔さんが土を投げたり、ひどいときは石を投げるもんだから。お母さんがバッティングセンターに連れて行ってストレス発散させることもあるんだけど。お父さんはカビっぽくて、冷たくて、誰も寄り付かないような刑務所がお似合いだって周輔さんが言い続けるの。お母さんはそれを聞いて、蔵の掃除したときにここは刑務所かなって思うくらい汚かったんだって話をすり替えたんだけどね」

「ひっでー人だ」

「お母さんはとってもポジティブだから、どんなことを言われても気にしてないんだけど。たぶん、そんなところにお父さんは救われたんだけどね。傷つかないわけじゃないから、わたしが周輔さんを刑務所に入れてやるって意気込んでたんだ」

「叶いそう?」

「ムリかも。一緒に暮らしてたら情がわいちゃって」


 門限までに帰らないと藍実さんが近所の目を気にして、泣きながら「教育が行き届いていない親だと思われたくないから守って」と言ってくる。迷惑をかけているんだろうと察したわたしは、家に帰れない日は電話するようになった。

 きょうも家には帰らないつもりだったので、与えられた携帯で連絡を取ってある。


「あの家で目覚めると、いつも周輔さんが泣いてるの。どうして晴花は傍にいてくれないんだって、お母さんの写真抱きしめて、リビングでうずくまってる」


 でも、これでも周輔さんはマシになったほうだ。わたしがお世話になる前は会社に行く前に、お母さんに電話して、お願いだから会って話がしたいとせがむ。いつもお母さんが朝から電話しているのが不思議だったけど、相手は周輔さんだったとわかればすっきりした。

 会えないとわかったら会社の休み時間に電話して声を聞くし、会社が終わればすぐにお母さんの家に行く。お母さんの家というより、お母さんのおばあちゃんの家だけど。夜の九時すぎに青ざめた顔で周輔さんが我が家を訊ねに来たのも慣れっこだったけど、よく会社と家を往復できるなと驚いた。

 しかし、お母さんと会えなくなった現在。周輔さんはお母さんの住んでいた家に休日引きこもって、家中歩き回って、疲れたように倒れる。藍実さんはそんな周輔さんを見ても好きらしい。そもそもおばあちゃんの家ってことは藍実さんにとっても実家みたいなものなんだろうけど、どうやらお母さんと違って藍実さんは一緒に暮らしていなかったようだ。


 麟くんの寝息を聞きながら、どうやって周輔さんに罰を与えるか考えた。

 藍実さんにも罰を与えなくてはいけないけど、お母さんが女の人には優しくって言ってたから。あんまり大事にはできない。

 子どもができないのだと藍実さんは言ってたけど、あれは周輔さんが応じてくれないから作れないという意味だったのかもしれない。


 夏休みを迎えたわたしは、休みを全部お母さんのもとで使うために、周輔さんの家に置いていた荷物を全部持ってきた。

 お父さんはそれを見て「夜逃げか」と笑っていたけど。

 麟くんはバイトがあるので、休みの日をうまく使って三連休にした。それを全部使ってわたしの実家に来てくれるらしい。


「彼氏じゃないけど大事な友達の麟くん。それで麟くん、このふたりは自慢のお父さんとお母さんだよ」


 麟くんはお母さんとお父さんの若さに驚いていた。ふたりは今年35歳になるけど、まだ学生服を着ても違和感がない若さを保ってる。


「メガネがとっても素敵だね。なんか知的な感じがする」

「褒めてんのかそれ」


 お母さんが麟くんのメガネを褒めていて、お父さんが突っ込みを入れるのはいつものことだ。ただ、麟くんは見たことがない家庭の姿に目を瞬かせたまま動かない。


「鏡花、またバイト辞めたのか」

「そうなの。長続きしなくて」


 県境にある森林に囲まれた名も知れぬ場所で、お父さんとお母さんはひっそりと暮らしている。

 おばあちゃんの家とそっくりなんだ、とお母さんは嬉しそうに言っていて、でもわたしはちょっと違うなと家を見て思った。

 野菜はまた一から育て始めて、ヤギが囲いの中でのびのびと暮らしてる。お母さんの大好物であるにんじんは一番に植えてくれたそうで、お父さんをたくさん褒めていた。お父さんはまんざらでもない様子だった。


「落ち着くね、ここ」


 家のあちこちを案内したわたしに麟くんが言った。五百万で買った家はあちこちに穴が空いていたし、隙間風が入り込んできて、いたるところにゴミや廃材が転がっていたらしいけど、ふたりはいつも幸せそうだ。虫と同居してるのも当たり前だと思ってる。


「俺が見た感じ、お父さんのほうは普通だったと思う。それでずっと苦しんでる感じだったけど、お母さんが普通じゃないからこそ救われたみたい」

「そうかなあ、普通がわかんない。お父さんなんて年中発狂してたけど」

「だって、自分の運転してる車に突然反対車線から車が突っ込んできて、自分以外が全員死んだ。それも死んだのはお母さんの両親だ。酔っ払い運転をした相手も死んだ。唯一、助かってしまった罪悪感は一生消えないよ」


 そういえばそんなことお父さんが言ってたな、と思い出す。でもお母さんがちっとも気にしていないというか、毎日「澄都くんといれてとっても幸せ」とはにかむので、記憶が曖昧になっていた。


「お父さんのこと知ってたんだ」

「地元では有名だったからね。俺の母さんが言ってた」


 麟くんのお母さんは情報網を近所のあちこちに張り巡らせている人で有名だ。野次馬大好きな人たちに紛れて聞いていたんだろうか。お父さんが事故を起こした当時は、わたしと麟くんは赤ちゃんで育児が大変な時期だったけど余裕があったのか。


「ね、きょうはね、鏡花ちゃんとお友達が来てくれるって言うから、おいしいお鍋にしようと思うの! 具材もけっこう豪華なんだよ」

「夏なのに鍋?」


 座布団に座った麟くんがびっくりするので、わたしとお父さんはつい笑った。


「日が沈むと寒くなるし、まだ壁が完全に修復できてないから隙間風と一緒にご飯を食わなきゃならないんだよ。だから鍋でちょうどいい」

「へえ…」


 お父さんの説明を聞いた麟くんはずれたメガネを指で押し上げると、テーブルに触れた。前の家で気に入っていた家具は、全部周輔さんの願いで置いてきた。いまにも死にそうな声で「晴花を奪わないでくれ」と家具を抱きしめられたら、誰だって持っていけない。

 新しい家に、新しい家具たちがちょっとずつ増えてきた。家具を買うお金がないからとお父さんとお母さんはよく雑誌を見て、木を割って作ってる。不格好なテーブルはふたりが一ヶ月かけて、ちまちまと削ったり磨いたりしてできた一級品なのだ。


「ふたりのこと、聞きたいです」


 家では引っこ抜かれたにんじんみたいにくったりする麟くんだけど、この家では珍しくはきはきと喋った。

 テレビもない、電話線も繋いでない、世界から遮断されたような家で暮らすふたりだけど、全然閉鎖的じゃない。

 お母さんはまんまるとした毛玉を傍に置いて、せっせと編み物をしている。テーブルの脚につけたいそうだ。

 お父さんはそれを幸せそうな顔で見つめる。麟くんがいるからと引っ付いていなかったけど、それも三十分経てば我慢できなくなったのか、平然と膝に寝転んだ。


「そうだねぇ、澄都くんのことは全部覚えてる。眩しい光だったから。初めて会ったときは誰にでも優しいなぁって思ってて、どっかの国の王子様だったりして、とかも思ってたけど」

「化けの皮を剥いだらとんでもない男だったんだ」

「澄都くん、ある日ね、あたしが病弱だったから家に帰る途中で倒れちゃったんだけど、すぐに駆け寄って助けてくれたのが始まりなの」

「あの時手を貸さなかったら、こんなことにはならなかった」


 困惑したような麟くんの視線がこっちに向いた。お父さんはあらゆることに悔やんでるけど、お母さんから離れる気はさらさらにない。一ミリでもあったなら、わたしが産まれた時点で離れているはずだ。


「たくさんデートしたなぁ。病院に行った帰りとかに近くのショッピングモールに寄って、鏡花ちゃんのお洋服買ったりとかね。全部楽しかったよ」

「タピオカ挑戦はもうごめんだ」

「あたし喉に詰まらせなかったよ」

「心臓が持たない。あの黒い食べ物がお前の喉を通るたびに俺の寿命は縮まった」


 お出かけした当時を思い出したのか、お父さんの声が弾んだ。テーブルの靴下にしてはずいぶんと頼りない細さだけど入るんだろうか。やめどきを見失ったお母さんはどんどん靴下を細く、長く編んでいく。お父さんの額に靴下の先端が当たっていたことに気づいて「あ、ごめんね」「いい。それよりハイソックスにでもすんのか」「ちょっと長すぎたね」と笑い合う。


「小さなことで幸せに思えるって、いいな」


 麟くんはちょっと寂しそうにつぶやいた。イチゴみたいに熟された麟くんの髪が気分に応じてなのか、ちょっと垂れ下がった。


「わたしは麟くんとあのアパートで一緒に眠るの、幸せだよ」


 それから、麟くんに言われた「友達なら一生離れないだろ」と、強くわたしの手を握りしめたこと。一生恋人らしい言葉や関係性になれなくても幸せがあると教えてくれた麟くんのことが、私は。




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