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屋烏の子  作者: 沖宮綾華
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3.中学校卒業編


 海桜鏡花、15歳。中学3年生の最後の冬を迎えた。来年には高校生になるんだけど、ちっとも実感が湧かない。

 いつもの居間に座布団が五枚。お父さんは肩を上下に動かしていて、お母さんはそれを押さえるように抱きしめている。

 わたしはお母さんの隣に座っていて、目の前にいるふたりを見つめた。


「もう限界なの。お願い。周輔を壊さないで。あなたたちがここにいたら、私も周輔も幸せになれない。でも私子どもができなくても、幸せを諦めたくない。そうなったら一番この世で大嫌いな晴花でも、頭を下げるわ。鏡花ちゃんを置いて、遠くに行って」


 藍実さんは雨音みたいな声を零した。ひな祭りで飾られている女の人みたいな、綺麗な黒髪を背中まで伸ばしている。お母さんは相変わらず短い髪を維持し続けていて、お父さんはよく摘まんだり離したりしていた。いまはお母さんの髪に触れるのではなく、体全体を抱きしめているけれど。


「晴花、行くな。楓喜と離婚しろ。俺を選んでくれ。お前はずっと誤ってきた。お前の両親を殺した男といて、どう幸せになるんだ」


 お父さんが言葉にならないようなうめき声を上げた。びっくりして飛び上がってしまったわたしを見て、お母さんは目を細める。


「周、あたしは澄都くんが好き」

「いいや違う、それはストックホルム症候群って言うんだ。お前はバカだからな。知らない言葉だろう。加害者を好きになってしまうやつだ」

「あたしはね、澄都くんとお野菜作りながら、歌を作る人生がとっても幸せなの。周の言う言葉はちっともわからないけど、あたしはこのままがいいの」


 今度は周輔さんがうめいた。丸太を半分に割って作られた素敵なテーブルを叩き、大粒の涙を流している。お父さんはそれを見て「うわ汚ねえな」とぼやいた。でもすぐにお母さんの胸に顔をうずめて、浅い呼吸を繰り返しながら平穏を取り戻そうとしている。


「晴花が周りの人間を不幸にするようにね。鏡花ちゃんはこのままじゃ中卒になっちゃうの。あんたと同じよ。でも、私と周輔の家に来れば高校に通わせてあげられるし、大学の勉強にも付き合ってあげる。大学は就学金制度があるから構わないわ。高校のお金はあとで返せばいい。何か紙にでも書いておきましょう。貧乏なあんたたちには贅沢な選択肢でしょ」


 お母さんは「そうねえ」と和やかな顔でそれを聞いているので、わたしも「そうだなあ」とぼんやりした頭で聞いた。

 お父さんと周輔さんはうつむいて黙ったままだ。いや、お父さんは歯をむき出しにしていまにも吠えそうだけど、お母さんが優しく抱きしめているから耐えているのだ。障子の向こうには真っ赤に熟されたトマトと緑の蔦が見えて、さらに奥には野次馬大好きなご近所さんが携帯電話片手に見ている。


「お母さん、わたしたち動物園のパンダとか、ゴリラとか、あとライオンと同じ扱いだよ」

「あら、本当。入場料でも取っちゃおうかな。そのお金があれば鏡花ちゃんも携帯買えるもんね」

「携帯も買ってあげられないなんてかわいそうね」


 毒を吐き捨てた藍実さんは「で、どうすんの」と圧をかけるように言った。お母さんがレンタルショップの新作コーナーで「パッケージに情熱を感じる」と言って借りた任侠映画で聞いた声と一緒だ。たぶん、お母さんはいま「映画の現場ってこんな感じなのかな」と思ってるに違いない。


「鏡花ちゃん」

「うん」

「あたしは鏡花ちゃんと一緒にいたいんだけど、その代わりに高校に行かせてあげられないの。一年我慢させちゃうけど、それでもいいなら一年後に高校に行かせてあげられる。でも鏡花ちゃんはお友達と東京の高校に行くって嬉しそうに言ってくれたでしょう。もしそうしたいなら藍実や周に頼んで、来年お友達と一緒に高校に通える代わりにお母さんたちとは離れ離れになっちゃうの」


 お母さんは大切なおばあちゃんの家を売り払う。そしておばあちゃんの家を周輔さんが買う。藍実さんは猛反対だったけどそこは譲れないらしい。そして周輔さんのお金はお父さんの通帳に入る。お父さんたちはそのわずかなお金で、どこか別の場所に移る。

 そうしなくてはいけないようになったのは何が原因だっただろう。近所の視線や声、警察の人と知り合いになり、学校の先生に毎日メンタルチェックされるのは慣れっこだ。べつにヘンなことじゃない。

 でも、周輔さんが東京で働きながらお母さんの様子を見に来て、それを怖がった近所の人が警察を呼んで。周輔さんが逮捕されちゃうかもって話まで進んでしまったからか。藍実さんが突然家に押しかけてきてお母さんに包丁を向けたからか。


 外の野次馬には警察も混じっている。

 何なら玄関のところにもいるし、障子のすぐ傍にも待機している。でも家の中には意地でもお父さんがいれなかった。

 本当なら周輔さんたちもいれたくなかったらしいが、もうおばあちゃんの家は周輔さんのものになった。出ていかなければならないのはお母さんたちだ。


「ねえ、お母さん。思うんだけど、わたし周輔さんや藍実さんのこと、お母さんから聞いた昔話しか知らないの」

「そうねえ、お母さんもいまのふたりは知らないわ」

「知らなくていい」


 お父さんが口をはさんだことによって、周輔さんの突っ張ったままの空気が緩んだ。目の下が真っ黒で、瞳に光がなくて、首がほっそりしているのにどうして働けるんだろう。前にお母さんは「お化粧じゃないかしら」と言った。確かに化粧でごまかしているのかもしれないけど、同じ会社に周輔さんがいたらわたしなら距離を取ってしまう。


「周輔さんはべつにわたしをお母さんの代わりとして見ないんでしょ」

「当たり前だろう。お前の血に晴花のDNAは一切ない、触りたいとも思わない」

「藍実さんはわたしにお母さんをかぶせて殴ってこない?」

「大切な我が子同然の鏡花ちゃんを殴るなんて、そんなことするはずがないでしょ。晴花だけよ!」


 野次馬から「どっちもどっち」「狂気の幼なじみはいまだ改善せず」と声が溢れた。警察の人は口を閉ざしたまま様子を窺ってる。


「うーん、高校を卒業したいし、友達のみかんちゃんと東京に行きたいから、周輔さんたちのところにお世話になろうかな。雀の涙くらいだけどバイト代は入れるから」

「決まりね。バイト代は自分のために使いなさい。学費は全部晴花が払うべきよ」

「俺も親だから一緒に払う」


 藍実さんの言葉を聞いたお父さんがそう言うと、ようやくお母さんの胸から顔を上げた。まったく、32歳になってもお母さんの胸が大好きなんだから。そう言うと決まって「晴花が好きなんだ」と返される。いつまでもラブラブでうらやましい。周輔さんもうらやましいからこんなに執着するんだ。


「いいのか、鏡花」


 確認するみたいにお父さんが訊ねてきた。お母さんから離れるのは寂しいし、ふたりのやりとりを聞いてほっこりするあの時間がなくなってしまうのは、とても残念だ。でもふたりをバカにした周輔さんたちをただ置き去りにするのはつまらない。

 やられたらやり返す。必ず倍以上に。わたしたちはヘンじゃないし、かわいそうでもない。

 それを知ってもらうために、まずはこっちから歩み寄るべきだ。周輔さんたちのことを知るべきなんだ。


「わたし、人間観察大好きだからね。いろんな話をお土産代わりに持って帰るよ」

「そうか。殺されそうになったら先手を打てよ。正当防衛として扱われてお前は刑務所に入らない」

「わかった、肝に銘じておく」


 よし、と頷いたお父さん。周輔さんはお母さんを見つめた。まるで迷子の子どもみたいな表情で。


「晴花、考え直せよ。お前の籍が汚されたのはもうどうしようもないが、まだ手遅れじゃない。何度だってやり直せる。お前の大切な人を奪ったそいつを許すなよ」

「周、あたしとっても幸せだよ」


 お母さんとお父さんは傍らに置いていたトートバッグを手に取ると、玄関に向かった。お母さんの肩にトートバッグがかかる前にお父さんが奪って、空いた手を握り合う。警察の人は「本当にいいのか」と再三聞いていたけど、わたしがちゃんと自分の声で答えた。


「お父さん、お母さん。わたし立派な人になってみせるね。自慢のふたりの子どもだから」


 ふたりは同じような表情で笑って、それからちょっと泣いてしまった。



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