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屋烏の子  作者: 沖宮綾華
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2.小学校編


 十歳を迎えた。いやあ、人生ってあっという間だな、と大人ぶってみる。薄っぺらな胸を張ってみた。お母さんはその言葉を聞いて歯を見せて笑ってくれた。


「きょうは二分の一成人式だからね、ケーキ用意してあるから。またあとでね」

「わあい! ね、お母さんにあとでお手紙あるから、大声で読んであげるからね」

「大声はやめてくれ」


 座布団に座りながら、お母さんは二分の一成人式のお知らせの紙を、両手で大事そうに握って見つめている。その手紙を渡してから一ヶ月くらい経つけど、学校行事に参加できるのが嬉しいらしい。お母さんの膝の上に寝転がったお父さんは、嬉しさで赤らんだお母さんの顔を眺めている。


「今回もスーツ着ないの? ふたりとも似合うのに」

「おばあちゃんのおさがりならあるんだけどね」

「葬式用だろ」

「そうだった」


 晴花ちゃん呼びを卒業し、やっとお母さん呼びができるようになった。わたしの誕生日にプレゼントの代わりに呼びたいといえば、お父さんは「お前のメンタルはダイヤモンドでできてるのか」とびっくりして、諦めたのか、わかったと頷いてくれたのだ。


「周りのお母さんたちはみんな正装っていう服着てくるみたいで、わたしのクラスではヘンテコグランプリのナンバーワンはまた海桜一家かって予想してたよ」

澄都(すみと)くん、ついにナンバーワン手に入れちゃったよ」

「お前の歌だってナンバーワンだよ」


 お母さんはお父さんのもともとの苗字で呼ぶことが多かったけど、わたしが晴花ちゃん呼びを卒業してから、お父さんを下の名前で呼ぶようになった。お父さんの本名は楓喜澄都と言うみたいだ。

 お母さんが言うには「照れちゃってなかなか呼べなかった」らしい。ふたりは今年で27歳になるそうだ。周りの子のお母さんたちよりずっと若いふたりは自慢である。


 お迎えに来てくれる藍実(あいみ)さんはお母さんのひとつ下の妹さんらしいけど、お父さんは大嫌いなんだそうだ。だからお迎えにくるたびに大声で怒鳴って元気に発狂するんだけど、めげずに迎えにきて「いつでもうちの子になっていいから」と言ってくる。わたしのお父さんとお母さんは変わらないのに、藍実さんはあきらめないのだ。


「ッチ、また来たな。警察に突き出してやる」

「鏡花ちゃんのことが気に入ったのかなあ。藍実、子どもできないって嘆いてたし」

「子どもも何も結婚してねえだろ」


 靴を履いて玄関を出る前に、お母さんからほっぺにキスをもらう。お父さんは一度もしないし、お母さんの背中にくっついたまま、ちっとも動かない。お見送りに来てくれるだけ優しいんだけど。

 門のところに藍実さんは待っていて、真っ赤な車に背中を預けてる。運転席には藍実さんの彼氏である根室周輔さんが乗っていて、わたしに気づくと手を振った。


「おはよう鏡花ちゃん、元気そうだね。学校まで送るよ」

「遠慮します、歩けるので」


 わたしがそう断ると、周輔さんが「晴花は家にいるか」と訊ねてくる。いませんって言うと「嘘つくな」と怖い声で怒るので、仕方なく車の後ろに乗った。お母さんが断っても迎えに来るし、お父さんが警察に電話しても藍実さんたちはめげずに迎えに来るので、受け入れたほうがいいのではないかと提案したのはわたしだ。


「晴花は元気か」

「とっても」

「アイツとまだ離婚しねえのか」


 離婚なんて子どもに言っちゃダメなんですよ!とお母さんが周輔さんに怒っていたけど、お母さんの怒る顔ってチワワみたいに可愛いのでなんの効果もない。お父さんは「ウッ」とうめいて、しばらく黙り込んでしまうので効果があるのだろうけど。

 お母さんに執着、依存してるらしい周輔さんはこうして迎えに来ても、お母さんのことばっかり聞いてくる。藍実さんが助手席で一言も話さないのがホラーだ。でも学校の友達もどきに言っても「あんたの周りは全員ヘンよ」と言うので、もう受け入れるしかないのだ。


「晴花の初恋は俺なんだ。俺と結婚するはずだった。なのにアイツのせいで晴花は人生を誤った」

「晴花ってば中卒で、ずっと家に引きこもって可哀そうよね」

「何が可哀そうなんだよ、そういう藍実のほうが可哀そうだ」

「…なんでそんなひどいこと言うの?」

「先に言ったのお前だろ」

「私、あなたの恋人なのよ? いつになったらプロポーズしてくれるの?」

「お前が晴花を脅すから付き合ってやってんだろ。俺もいい加減頭にきてる。その気になれば弁護士だって」


 とんでもない話がふたりの間で繰り広げられるたびに「昼ドラを生で見てる自分はすごいなぁ」と思ってる。

 一方通行の愛ってこんな感じなんだな、と思ったり、周輔さんってヘンなんだなと、いままで自分が言われた言葉を思い返したりする。学校に着くまでふたりはいつも口喧嘩して、わたしを降ろすときもずっと怒鳴り合う。お似合いだと思うけど、周輔さんの気持ちが藍実さんに向かない限りどうにもならないことは知ってる。


「また短髪王子様とわがままお嬢様に送ってもらったの?」

「どっちも美男美女だし、声もきれいだから、ある意味眼福ってやつよ」

「うちだったらメンタル崩壊してるわ」


 教室でお友達のみかんちゃんと話してるときは、あんまり心臓がドキドキしないから、休憩しているんだなと思う。

 お父さんといるとき、周輔さんたちといるときはいつだって心臓は暴れている。学校が休憩ポイントなんだろうか。一番落ち着くのはお母さんの傍にいるときなんだけど、それを聞いたお父さんは「いい加減晴花大好きを卒業してくれ」と残酷なことを言った。


「みかんちゃんって素敵なあだ名だと思わない?」

「あんたくらいよ、今時あだ名をつけるなんて。先生から何回も注意受けてるのにやめないし」

「仲良しさんって感じがして好きなのに」


 毎日放課後職員室に呼び出されて「きょうは体調に変わりないですか」と聞かれる。メンタルチェックもされる。

 でもきょうは二分の一成人式という行事でお母さんたちが会いにきてくれる。わくわくしていると、みかんちゃんが「見て」と窓を指さした。クラスの子も窓に視線を向けていて、授業をちっとも聞いていない。


「晴花! お前、なんで顔見せにこねーんだよ! せっかく仕事の合間を縫って会いに来たのに」

「わあ、久しぶりの母校だ。図書室の壁に相合傘を描いてた人いたけど、さすがに消されちゃったかな」

「見に行こうぜ」


 赤い車はまだ立ち去っていなくて、それどころか校庭に止められていた。ほかの保護者はまだ来ていないのに、一番乗りで来るなんて。続けて校庭に軽トラが入ってきたと思えば、まぎれもなくお父さんとお母さんだった。運転席から転げ落ちる勢いで周輔さんが降りてきて、軽トラに詰め寄る。でもお母さんは車から降りても図書室を指さして、お父さんの手を握ったまま、周輔さんを気にしたそぶりはない。


「…海桜さん、学校のプリント見せましたか?」


 担任の先生がチョークを持ちながら、わたしの名を呼んだ。頭のてっぺんでお団子に結んだ髪が特徴的な先生は、幼稚園の先生と一緒でわたしをいつもかわいそうな子だという。視線もヘンな子だという女の子とおそろいだ。クラスの子たちがにやにやしながらこっちを見ているほうがヘンなのに、どこの子も一緒なんだなと思った。


「見せました、でもお母さんがはしゃいじゃって、早く来ちゃったんだと思います」

「二分の一成人式は午後の二時から学校で受付するんです。いまは九時を少し過ぎたところなんですよ」

「ちょっと説明してきまぁす」


 授業を抜け出すことなんてないから新鮮だ。素敵なきっかけをくれたお母さんに感謝しつつ玄関に向かうと、何の準備もされていない玄関でふたりそろって首を傾げていた。


「あ、鏡花ちゃん。受付ってどこかな。玄関って紙には書いてあったけど」

「お前授業はどうした」


 お母さんは白いスーツみたいな、オシャレな服を着ていた。結婚式で新郎さんが着るみたいなやつだ。どうして袖と裾が長いのか聞いてみると、お母さんのお父さん、つまりわたしのおじいちゃんの正装を着てきたらしい。わたしが正装の話をしたから唯一家にあったものを着てくれたそうだ。

 お父さんはいつも着てる薄っぺらい長袖のシャツとジーンズだ。赤い車はまだ止まっているから、周輔さんたちはどこかでもめているんだろう。


「受付が二時からで早すぎるって先生が言ってたよ」

「そうなんだ。ごめん、澄都くん。早く来すぎちゃった」

「お前は悪くねえだろ。家のインターホン壊す勢いであいつらが押しかけてきて、仕方なく逃げ回った結果、学校なら安全だろってことで早く来たんだから」

「そうだね。警察の人に言ってもびっくりさせちゃうもんね」

「もう慣れてそうだけどな。お前が使ってた通学路に行ってみるか」

「そうしよ」

「え、わたしも行きたい!」


 慌てて靴を履き替えてふたりを追いかけると「きょうだけだぜ」とお父さんが言った。堂々と校庭を突っ切るのかと思えば、玄関の裏にある門から行くらしい。この小学校には帰る道が三カ所用意されていて、お母さんはいつも校庭を突っ切って帰っていたらしいけど、きょうはその道から行かないそうだ。残念だ。


「遠回りになるんだけどね。裏の門から帰っても同じ道に出れるんだよ」

「楽しみだ。お前の帰ってた道を歩けるなんて」

「澄都くんってば、昔はそんなこと言ってくれなかったんだけどね。いまはたくさん本音を言ってくれるから、あたしとっても幸せなんだ」


 お父さんと手を繋がないわたしは、いつもお母さんを真ん中にして歩く。お母さんの両手をわたしとお父さんで握っているのは、何ら不思議なことではない。でも周りの子はヘンだって言う。わたしもお父さんもお母さんが一番大好きだからこうなっているだけで、理由はちゃんとある。十歳になったと自覚したあとから、だんだん周りのことが気にならなくなっていた。


「誰かと帰ってたの?」


 懐かしいらしい帰り道を、ゆったりとした歩きで進んでいくお母さんを見上げる。ランドセルを背負っていないだけで、異様なくらい自由を感じた。いつもワンピースを着るお母さんがきょうはズボンだったので、手を離して抱き着いてみた。お母さんは「コアラみたい」と笑う。


「周とか藍実とね。ふたりはいつもあたしの前を歩いていて、よくその背中を追いかけてたなぁ」

「へえ! お母さん部活とかは?」

「ずっと帰宅部だよ。周たちは野球部とかマネージャーでね、ふたりが終わるのを教室で待ってたんだ」

「先に帰ればいいのに」

「帰ったら周が泣いちゃうからね。あたしはその分勉強できたし、いや~な呼び出しがあっても勉強で忙しいって追い返せたんだよ」

「ふふ、すごいね! さすがはお母さん」


 お母さんのちょっと寂しいようで不思議な青春に笑っていると、お父さんもつられて笑った。


 隙間が空いた木々に生い茂る葉っぱを見上げながら、コアラみたいな形でくっつくわたしをお母さんは優しく撫でる。幼稚園と小学1年生のときに愛用していた黄色い帽子を卒業してから、頭はいつもがら空きで夏はフライパンより熱くなる。


「お父さんは何部?」

「俺も晴花とおそろいの帰宅部」

「いいなぁ、わたしもおそろいにしたいのに先生がダメって言うんだもん」

「最近の学校は教育熱心だねえ」


 不意にお父さんがわたしの脇に手を入れて、そのまま持ち上げた。コアラごっこが強制的に終了してしまった。

 また歩き出したふたりは夏が迫っているというのに、ぴったりと体を寄せあったまま、お母さんの懐かしい帰り道を歩き進める。


「澄都くん、夢だったもんね。この帰り道を一緒に歩くこと。ちゃんと小学校から出て、途中から中学校の帰り道につながってるから、そこに合流したら家まで歩くの」

「ああ、叶うなんて思ってなかった。これでこの町に未練はねえな」

「お父さん、この帰り道を歩きたかったの? それなら迎えに来てくれたらよかったのに」


 驚いて振り返ったけど、お父さんは気まぐれだから迎えに来ることはめったにないことを思い出した。

 ずいぶんと近くにあったお父さんの顎には小さな黒い点が見えた。ひげが残っているのか、それともあえてそうしているのかはわからないけど、触ってみるとざらざらしていた。波が押し寄せる砂浜とおんなじだ。


「晴花と幼稚園から、いや、生まれたときからずっと一緒にいたかった。それができないなら晴花が幼少期から過ごした時間を体験したかった。それを鏡花、お前が叶えてくれた。毎日感謝してるぜ」

「そっかあ、よかったね!」



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