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屋烏の子  作者: 沖宮綾華
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1.幼稚園編




 きょうも元気に父が発狂している。


 青くてぴかぴかしている瓦屋根が轟くこともあれば、土壁をちょっと震わせるときもある。


 五歳を迎えたばかりのわたしは、きょうも父のすすり泣く声を聞きながら、晴花ちゃん特製のフレンチトーストを頬張る。



「おまえ、アイツを許すなよ。二度と門を開けるな、家に通そうとするな、いいな」


「そうだねえ。うんうん、魅力的なお土産があったからうっかり開けちゃったけど気を付けるよ」


「そうしてくれ」



 晴花ちゃんの胸に顔をうずめて体を震わせている父に、ちょっとあきれてしまう。晴花ちゃん困ってるのに、お父さんってば泣き止まないんだから。わたしが何か言おうと口を開いたら、晴花ちゃんがこっちを見た。相変わらず家をあまり出ないせいか、晴花ちゃんは顔中が真っ白だ。まるでおしろいを塗っているみたい。



「鏡花ちゃん、ご飯足りそうかな。お腹空いてたらオレンジも剥くよ」


「ううん、じゅーぶん!」


「そう、じゃあそろそろ幼稚園に行こうか。トイレ済ませてくれるかな」



 そうだ、幼稚園。髪を引っ張ってくるブサイクなアイツと笑い方が汚いあの子が、わたしをいじめたくてうずうずしているんだった。


 ちょっと高さがあって怖い椅子から、そろそろと下りる。いつもなら晴花ちゃんが「よっこらせ」と言って下ろしてくれるけど、きょうはお父さんがひとりじめしてるから手助けしてくれない。お父さんは晴花ちゃんの胸に顔を押し付けたままだんまりだ。



「晴花ちゃん」



 トイレを済ませて黄色い帽子を両手に持ったわたしは、座布団に座って、お父さんの大きな体を撫でている晴花ちゃんを呼んだ。


 幼稚園に通う子たちのお母さんの中で一番若い晴花ちゃん。確か、晴花ちゃんは22歳だと言ってた。お父さんと同い年。



「お母さんって呼びたいの、いいでしょ」


「ダメだ、晴花はお前の母さんじゃない。晴花ちゃんで我慢しろよ」



 タンポポみたいに綺麗な髪を揺らしながら、ようやく体を起こしたお父さん。冷たい声って言うより、たくさんお仕事をして疲れ切った人の声に近い。鏡花ちゃんの親ってどっちもヘンね、と言ったあの子のお母さんは、お仕事の帰りに迎えに来ているみたいで、お化けみたいな顔色だった。あなたのお母さんの声のほうがずっとヘンだけど、と言わなかったわたしはえらいと思う。



「でも楓喜(ふうき)。そろそろお母さん呼びにしないと、あたしだけ家族の仲間入りできてないみたいで悲しいよ」


「…そういうから、俺の苗字を捨てて海桜にしただろ。俺は海桜家に入った、でもお前は母親にしない。それが籍を入れたときの約束だ」


「ま! いじわる! あたしお母さんって呼ばれたい…お願い、きょうは楓喜の好きな洋ナシのパイ焼くから」


「……とりあえず幼稚園送るぞ」



 お母さん呼びを許されなかったらしく、晴花ちゃんは頬をふくらませた。ガムを噛んだときみたいにふくらんだ頬をお父さんがつっついた。


 幼稚園に着くと、いじわる軍団の一員が晴花ちゃんに挨拶した。お父さんは軽トラから降りてこないけど、しっかりと晴花ちゃんの様子を見守ってる。お姫様を守る騎士ってやつに似ていて、いいなぁと思う。



「おまえの親ってどっちも立派な仕事してねーんだろ!」


「お野菜そだててるし、晴花ちゃんは歌を作ってるんだから。りっぱだもん」



 ふぐみたいにふくらんだお腹を持ってる父親の息子だから、そんな悲しい言葉が飛び出すんだ。あのふくらんだお腹にはきっといいものなんて詰まってない。晴花ちゃんはわたしの言葉に嬉しそうに頷いた。肩辺りで切られた晴花ちゃんの髪がちょうちょみたいに揺れる。



「あんたのおかあさん、いっつもへらへらしててヘンよ。おかあさんって呼んでないのもヘンだし」



 ヘンっていっぱい言わないでよ、と思うけど、いじわる軍団のリーダーである女の子には逆らえない。何か言い返したらメンドウなことになって、幼稚園でひとりぼっちになっちゃうから。晴花ちゃんは「あたし笑顔が自慢なの」と胸を張ってる。ヘンって言葉をたくさん言うリリちゃんはそっぽを向いた。



「晴花ちゃん、あなたの家噂になってるわよ。子どもの教育によくないから、ちゃんとお話合いしたほうが…」


「フーン、ソウナンデスネ」


「あなたのおばあちゃんも悲しむわ。本当におばあちゃんの許可を得て、あの家に住んでるの? 畑仕事だってあんな素人に任せて」


「勉強になりました。ありがとうございます、失礼します」



 リリちゃんのお母さんが晴花ちゃんに何か話し始めたけど、晴花ちゃんは棒読みで返事して適当に頷いた。相手は怒ってますって顔に変わったけど、晴花ちゃんはもう視線を向けずにわたしを見つめた。ちゃんと屈んでくれる晴花ちゃんは優しい。



「鏡花ちゃん、お迎えに来るからね。幼稚園で大事なのは自分の意見をはっきり言うことと、お友達を傷つけないことね。寂しくなったら迎えに来るからムリしちゃだめだよ」


「うん、晴花ちゃん大好き」


「あたしも!」



 リリちゃんのお母さんは真っ赤なリップを塗ってて、服装もいろんな色が混ざってて派手だけど、なんだか怖いイメージだ。


 それに比べて晴花ちゃんはおさがりだというエプロンとワンピースを着てる。お父さんの髪と同じタンポポ色だ。いつも青白い顔してるから何も塗ってないことだけはわかる。



 つまんない幼稚園を終えると、先生が玄関に向かうわたしを引き留めた。きっと晴花ちゃんはもう迎えに来てくれているのに、どうして通せんぼするんだろう。きょうはクレヨンで絵を描いて、部屋のすみっこで昼寝して、朝顔の水やりをやっただけなのに。



「鏡花ちゃん、おうちが辛かったらいつでも幼稚園においで。ああいう若い親の、しかも訳ありの家の子なんて、みんな大変だから。先生たちはいつでもあなたの味方よ」


「はーい」


「お母さんにも、もっとちゃんとするように言っておくから、鏡花ちゃんは心配しなくて大丈夫だからね」


「ハーイ」



 晴花ちゃんとおそろいの適当な返事を返して、今度こそ玄関まで一直線で向かった。先生たちの言ってる言葉って、本当に晴花ちゃんとお父さんと同じ言葉なんだろうか。ヘンって、みんな言うけど、どっちがヘンなんだろう。お母さんって呼ばせてくれないところ以外はお父さんのことが好きだし、晴花ちゃんは全部大好きなのに。



「晴花ちゃん! ただーいまっ」


「あ、鏡花ちゃん、おかえり!」



 幼稚園の駐車場に止まってた軽トラに手を振る。晴花ちゃんがお父さんの腕を掴みながら走ってきた。髪がぼさぼさだから、ふたりしてお昼寝してたんだろうか。いいな、わたしも幼稚園でお昼寝するんじゃなくて家にいたかった。それでふたりの間に体をねじこんでお昼寝するの、幸せなんだろうな。



「海桜さん、ちょっとお話が…」



 晴花ちゃんにぎゅっと抱きしめられて幸せを満喫してると、余計な声が降り注いだ。


 前髪を明後日の方向に曲げて、髪のあちこちをはねさせてる男の先生だ。なんだか嫌な視線を晴花ちゃんに向けてる。



「ここで話せよ、なに」



 お父さんが晴花ちゃんとわたしを一緒に抱きしめた。時々お父さんは土の匂い以外に甘いバニラの匂いがするけど、きょうはその匂いがした。この匂いのときは晴花ちゃんとデートに行く日だとお父さんから教わった。



「あの、言葉遣いとかお子さんも真似してしまうので、態度を改めていただきたいのと、ご近所トラブルで警察沙汰になったのは本当でしょうか」



 先生は男の人なのにお父さんに怯えてるような、いつでも逃げれるようなポーズを取ってる。お父さんは「俺は何歳になっても学生服を着ても違和感ないんだぜ」と自慢していたくらい若いし、顔立ちも芸能人みたいにカッコいい。どこに怖がってるのか、わたしにはわからなかった。



「楓喜の態度ってこれが普通だもんね。そうだ、このあと不良が態度を改める映画でも探してみる?」


「あー、なんか最近新作で出てたな。いいぜ、まだ時間あるし、日も落ちるのが遅くなってきたしな」


「…そういう会話、やめていただけませんか。真剣に、お話しているんですが。子どもにも影響がでますよ」



 唾をごっくんと飲んだ先生が一歩近づこうとした。わたしが晴花ちゃんの首に両腕を回すと、お父さんがいつも引っ付いてる胸に顔を押し付ける。うん、確かに落ち着く。枕よりもずっとあったかいし、晴花ちゃんの心臓の音が眠りを誘う。



「そういやお前の父親って議員やってんだったか。幼稚園の先生やって父親の世話もしてえらいですね」


「楓喜、きょうの晩御飯はハンバーグ食べたいな。チーズも入れてさ」


「そうするか。じゃあな、二度と指図すんなよ」



 先生は「これだから若くして子どもを作るヤツは。頭が小さいのか」と呟いた。晴花ちゃんが「モデル体型って言いたいのかな」と笑う。お父さんは先生をじっと見つめていたけど、晴花ちゃんの言葉に笑って立ち上がった。そのまま晴花ちゃんの細い腰に触れる。



「鏡花、こっち」


「いいよ、もう眠そうだし」


「買い物袋とは違うんだぜ」


「へへ、幸せの重みってやつだ」


「ほんとか?」



 あったかい晴花ちゃんから引き離されると、お父さんの薄い胸に顔をぶつけた。晴花ちゃんより心臓の音がゆっくり聞こえるし、体はありえないくらい冷たい。お父さん生きてる?って聞きたかったけど、あまりにも眠たくて声が出なかった。



「ちょっとチャイルドシートはないんですか? 軽トラって子どもが頭をぶつけたら…」


「晴花、ドア開けてくれ」


「はぁい、あ、ごめんなさい」



 いつもトゲトゲした言葉をぶつけてくる誰かのお母さんが、お父さんの心臓の音を聞いてるわたしの耳に入り込んできた。


 うるさいなぁと思うけど、お父さんがあっさりとムシして、晴花ちゃんがさりげなく遠ざけてくれたのでぐずらなくて済んだ。


 ヘンな家族、近寄らないほうがいいわ、あの子がかわいそう、と知らない声が聞こえる。かわいそうってなんだろう、ヘンって言葉を何度も言う人のほうが、ずっとかわいそうだと思う。わたしは賢いから言わないだけで、晴花ちゃんが泣いてしまったら、きっとわたしはお父さんと一緒にとびかかるのに。いつだって攻撃する準備は整っているんだからね。バカにしないでほしい。




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