2曲目にしてバンドは大荒れ
バンドは楽しいことだけではないのです。
土曜日の朝11時、毎週定例のバンド練習の日。僕らはいつも通り南栄のシライミュージックのスタジオで集まった。
この日は大雨、いつも自転車で来ているバンド練習だが、母親に頼み込んで車で送ってもらっていた。近所のショウも一緒に車に乗って行った。
車から降りる前、「おばさん、送ってくれてありがとう、助かりました。」とショウが礼儀正しく頭を下げた。
僕もお礼を言うべきなんだけど、なんか素直に言葉が出てこない。小さな声で「あ、ありがと」とだけ言ったのだが、母親はそれだけで満足げに笑顔を見せた。
「帰りも迎えに来るからね。だいたい2時間半くらいね。」
「うん、スタジオの予約は2時間なんだけど、バンド練習後でみんなで反省会するから、ちょっと遅めに来て。」
僕らがスタジオに入ると、リョウコも車で送ってもらったと言っていた。
「ちぇっ、みんな、良いなぁー。俺は雨の中カッパ着て自転車で来たよ」と、ずぶ濡れで言った。
「あら、ポンタ君、ずぶ濡れねー、風邪引いちゃうわよ。」と楽器屋の奥さんがタオルを持ってきてくれた。奥さん、とにかく優しい。
▲楽譜という呪縛
そんなわけで大雨で足下が悪かったはずだが、誰も遅刻せずスタジオに入った。楽器のセッティングが終わった段階で、音合わせを始める。
「さて、みんな少年ナイフのトップオブザワールド練習してきたよね?それじゃ、やってみよう。」
この曲は僕のギターリフから始まる。僕がリフを奏でる。ただし、少年ナイフの楽譜がなかったから、なんとなくの雰囲気でやってみた。
それでも、リョウコはそれが気に入らないようだ。
「もらった音源とぜんぜん違うじゃん!なんかかっこ悪い。」
「うー、ごめん、カーペンターズの楽譜には、ギターリフないから、頑張って耳コピしたんだけど、やっぱりなんか違うよね…」と僕は謝る。
「そうだよね、楽譜がないんだから、推測するしかないもんね。分かった。ここは我慢しよう。最初からやり直そう。」
そして、ちょっとチグハグながらも、一番の終わりまで行った。だが、ここでも問題が起きた。なんか、ショウのベースがおかしくなった。
リョウコが演奏を止める。
「待って、待って、ショウのベース、どうなってるの?何それ、ぜんぜん音源と違うじゃん、ケイタのギターリフとぜんぜん合ってないよ。」
「うーん、ごめん。カーペンターズ版の楽譜には、こう書いてあって。」
「えー、そうなの?それなら、ケイタが間違っているの?」
そうなのだ。音源と楽譜が違う弊害がここに出たのだ。楽譜がないから、何が正解なのか分からない。
「少年ナイフ版の楽譜がないから、どうやって弾いたら良いのか分からないんだよ。」
ショウが困った顔で言う。
「待って、待って。せっかく少年ナイフ版でやろうって言っているんだから、音源そのままでないとしても、楽譜よりも、やっぱり音源に合わせてやるのが良いと思うんだ。」と僕が意見を述べる。
「ケイタ、だったら、どうやって弾けば良いのか教えてくれよ!」
珍しくショウが逆ギレした。
「どうやって弾くって、少年ナイフの音源を思い出してよ!」
僕も思い通りにならないイライラから口調がきつくなる。リョウコは、どうしたらよいのかと二人の間で右往左往していた。
▲ポンタの発言
そのとき、ドラムのポンタが、スティックを持ち上げてカンカン叩いた。
「いやいや、ケイタもショウも落ち着いてよ。もともとオリジナルの楽譜がなかったんだから、仕方ないだろう?今日誰かトップオブザワールドのカセットテープ持ってきている?もう一度、みんなで音源をしっかり聞いてみようよ。」
バカだと思っていた年下のポンタが正論を言ったので、その場のイライラ熱が一気に冷めた。
「ポンタもたまには良いこと言うじゃないか!」とリョウコがポンタを褒める。
練習スタジオの中だからって、音源を聞いてはいけないとルールはない。むしろ、なんで言われるまで気付かなかったんだろう。
ラジカセにリョウコがマイクを近づける。少年ナイフの脱力した絶妙なサウンドがスタジオを支配する。大音量で聞く少年ナイフ最高だ!
そして、僕もショウも、「ごめん、熱くなっちゃった」とお互いに謝った。
それで、うまく弾けなかったところを何度も聞き返して、ノートに簡単なコードをメモしてみた。僕とショウは仲良くその小さなノートを見ながら、顔をつきあわせて一緒に演奏した。
とは言え、1曲仕上げるのに、2時間の練習じゃ、ぜんぜん足りない。
「延長できないかな?」
僕は楽器を片付ける前に、一人スタジオを出て店員さんに尋ねた。
「すみません、今日、この後、もう30分延長できないですよね?」
「うーん、ごめんね。今日はずっと予約が埋まってて。」
申し訳なさそうに店員さんが答える。
「いえ、こちらこそ、すみません。今から片付けします。」
結局、この日は、不完全燃焼でスタジオ練習は幕を閉じた。あたかも、その日の空模様のようだった。楽器店を出る前に、空を見上げると、雨が僕らをあざ笑っているかのように感じだ。
「ムキー、今日はうまく行かなかったな、イライラするなー。」
「本当、不完全燃焼で嫌だな。帰って頑張って個人練習しよう。」
帰りの車の中で、僕らはもっと練習しようと誓った。
そんな会話を聞いて、子供たちの成長が楽しみだと母親が微笑んでいたのを、僕らはまだ知らない。母はこの日、ショウの家に夕飯のおかずを一品届けるのだと言って出て行ったきり、なかなか戻ってこなかった。母親同士、息子たちの奮闘について語らっていたのだと、僕は大人になってから聞いた。
バンドマンのお母さんって、どんな気持ちなんでしょう?子供の頃、そんなこと考えたことなかったなぁー。親の心子知らずですよね。