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風の交差点⑤。

 

「けど、あの人たちもなんであたしたちなんて狙ったのかな?お金なんて、ちっとも持ってないのにね」


「ふふ。ご飯食べる前ならちょっとだけあったけどね・・・」


「んーまぁそうだけどさぁ」


 お菓子をぽりぽりとかじりながら、二人は特に飾ることなくそう言いました。

魔法の本を本棚へ片づけたばかりのバロンの指先が、また別の、さらに一回りほど古い本の背に伸びました。ですが、彼は結局何も持たずにテーブルに向き直ります。


「教会の、『新規プレイヤー応援プロジェクト』だね。グリフォンももらったかい?」


バロンの言う新規プレイヤー応援プロジェクトとはその名の通り、神聖教会が意欲的に行う、この世界を訪れたばかりのプレイヤーを対象とした支援キャンペーンの一つです。

この際、対象者には領内で使用できるグリフォンと少額の通貨が与えられる代わりに、そのプレイヤーの情報が教会のデータベースへと送られ、本人が望むのであれば、騎士団への入団が認められます。プレイヤーの情報と申し上げますと、何やら巧まざる陰謀の気配を感じ取ってしまう方もいるかもしれませんが、名実ともに、騎士団の入団資格を与える事も含めて、プレイヤー達を一人でも保護するための活動の一環である。と、どうかご理解ください。


「うん。それと・・・・あ!勧誘用紙・・・みたいやつ」


「紙?ああ!入団希望者用のクエストペーパーだね」


「う・・・うん・・・」


勧誘用紙、そう口にしたクーコは表情を曇らせます。ぱかりと開いた記憶の蓋から、すっかり忘れていた過去が姿を現したのです。それは教会都市を訪れるきっかけとなった出来事でした。

件のキャンペーンに則り、新規プレイヤーの出現ポイントに待機していた騎士たちから手渡された入団希望用紙に、クーコは深く考えることもなく、それも三人分です。『入団を希望する』の方にうっかり〇を付けていたのでした。

当初、紙媒体という前時代的な手法を用いる神聖教会騎士団と名乗る組織に対してクーコは、学校の部活動に毛が生えた程度の、名前だけが立派な細やかな組織という印象を自然と抱いておりました。ですので、彼女は部活動の助っ人よろしく、手伝いが必要なら自由の利く範囲で協力をしてあげようと、純粋に慈愛の精神から加入を希望したのです。

ですが、その認識は、今この瞬間に覆ることとなりました。

訪れた騎士団の本拠地とも呼べるこの教会都市は、彼女の生まれ育った小さな港町よりもはるかに複雑で、文明的にも思いもよらない程に高度な発展を遂げていたのです。


神聖教会騎士団。


今現在、その名前の持つイメージは、放課後の部活動のような和気あいあいとした人の集まりから、能力に優れた政治家や立派な国家公務員で構成される大真面目な組織へと、いつの間にか格上げされていたのです。

クーコには懸念事項が一つだけありました。それは外でもないミズキの存在です。

自分や、要領が良くて、可愛くて、賢いカゼハだけならともかく、まさかあのミズキにまでそんな役割が務まるはずがない。いいえ、むしろ務まって欲しくないという思いこそが本当でした。

彼女にとって、ミズキという人物のイメージ像は、優しくて、うそつきで、家事だけが取り柄の、孤独でかわいそうな社会不適合者であるべきだったのです。

と言いますのもミズキは、女性に、特に、仕事熱心で自立した大人の女性にとても人気があったのです。

部活動のような、程度の知れた集団ならいざ知らず、生真面目な公務員集団へと格上げされた騎士団に、見す見すミズキを放り込む行為など、クーコにとって、飢えた狼の群れの中に一匹のうさぎを放つようなものでした。彼はあっという間に、狼たちの牙によって八つ裂きの憂い目にあってしまう事でしょう。


『ぁ~~・・・・』


そんな幻聴が聞こえた瞬間、自身の顔からさーッと血の気が引いていくのが分かりました。


『じゃあね。僕はご飯を食べさせてくれる人の所に行くよ・・・』


やがてたくましい想像力が、そのような極端な幻まで生み出してしまいます。

この幻の質の悪さは、去り際のその一言に限って、一切の嘘が無かった点にありました。


「・・・ん?空子?どうかしたの?おトイレ?」


クーコの異変に気付いたカゼハが心配そうに尋ねます。


「風葉・・・ごめんね」


「?」


クーコは、謝らずにはいられませんでした。不審に思ったバロンも、念のため本棚に一度目をやって、彼女の様子を心配します。


「クーコちゃん大丈夫かい?」


「平気」


すっかり意気消沈したクーコをバロンは気遣ったものの、一旦は適切な距離間を保つことを優先します。言葉を変えて言えば、バロンはクーコの発言を信用したのです。

気を取り直したバロンが尋ねます。


「そっか、ならいいけど!それで、入るのかい?騎士団」


「え?」


はいるのかい?


クーコは耳をそばだてました。バロンが口にしたのは紛れもなく、何かを尋ねる時に用いられる疑問形であったためです。その一言で、クーコの脳細胞が一気に活性化して、一つの可能性を導き出しました。

つまりはこうです。

(用いられた言語形態は疑問形、つまりは、入団に関する選択権はまだこちらが握っている。考えられる可能性として、現在の状態は入団(仮)のような状態で、おそらくは正式に組織の一員に加わるためには、直接本部に赴いて人事担当者と挨拶をするような、ある種の通過儀礼とも呼べる行事を行う必要があるのだろう。そう考えれば、入団希望用紙が地図になっていたのにもおのずと納得がいく。入団を認めるためには対象者を本部までたどり着かせなければならないのだから。

で、あるならば、あの〇は現時点では何の強制力もない。つまりはノーカウント。今までのすべての行いはノーカウントなのだ!)

と。いう風に、たった一つの発言から、ほとんど思い込みに近い解釈によって強引に結論を急いでしまいました。

しかし不幸にも、とても聡明なクーコは、この即席の論法が始めから破綻していることに薄々勘づいてもおりました。そもそもバロンは、入団希望用のクエストペーパーに〇を付けていた事実を知りません。この〇が、契約書のサインのように、何よりも効力を持っている可能性も十分に考えられたのです。もしそうであったのならば、クーコの行為は、やはり取り返しのつかない行いだったと呼べたでしょう。


「うーん」…チラリ


困ったクーコは、あざとく人差し指を顎に当てたり、物憂げに天井を見つめます。それはあたかも、思案にふけっているかのようなポーズでしたが、その実、カゼハの姿をこっそり確認していました。勝手に〇を付けた事実をカゼハも当然知っていたためです。


「ふふ・・・赤いのも、たべちゃお」


心配をよそに、のんびりとお菓子を食べているカゼハの姿に、クーコはひとまず安堵のため息をつきました。どうやら、非難の意思表明は無さそうです。クーコは体にたまった熱を静かに吐き出します。

熱くなった頭を冷やしてよくよく考えてみれば、この世界が現実世界以上に堅苦しいとも思えませんでした。足りない代金を労働で支払う事を許してくれたレストランや、蛇の頭を持った人、それに木の上に隠された秘密基地などが、多くの人々に容認されている事実がクーコの考えを後押しします。

こんなにも奇天烈なものの多くが許されているのなら、たかが〇三つくらい、せめてミズキの分だけでも、許されるのは当然だ。当たり前のようにそう考えます。

しかしこの時も、やはりクーコは聡明でしたので、一方で寛容な世界の比較となる、もう一方の現実世界もろくに知らない事実に気が付いて、内心頭を抱えてしまうのでした。


「赤いのはなんだかトマトに似てるかも?空子も食べて?はい」


「・・・うん、トマト」


「ね?」


最終的にクーコは、得意の力技と、大好きなミズキの処世術に倣いまして、いざとなったら3人で逃げてしまおう。そう結論付けました。

思えば、提出物を紛失したまま学年を積み重ねた経験など一度や二度ではありません。そういった度重なる経験が、彼女の心を強化していたのです。だから今回もきっと大丈夫、風葉だっているのだから。繰り返し自身にそう言い聞かせて、誰と戦っているのやら、誰を欺こうとしているのやら、少しも分からないまま、ようやくバロンの質問に答えました。


「ど、どうしてもって言うなら、別に()()()()()()()いいけどねー」


不安定な声がそう告げたものの内心では、入団を拒否すれば黒づくめの追手が差し向けられたり、何かしらの罰則が課せられたりすることに一抹の不安をぬぐい切れずにいるクーコなのでした。


さて、長々とご説明しましたが、簡潔に述べますとクーコは、何かにミズキを取られたくなかったのです。



 クーコの発言が意外なものであったのでしょうか、僅かな不安を滲ませながらカゼハが尋ねます。


「そうなの?クーコが入るなら、私も入ってみようかな・・・?でも、危ないかもしれないけど、私はもっと冒険したいな・・・みんなで。空子は嫌?」


カゼハの提案に、クーコの心は再び活力を取り戻しました。それはカゼハの提案が自らの理想に同調する形をしていたからというのもありました。けれど、それとはまた別の、もっと大きな、彼女なりの理由もありました。

というのも、今までクーコは、自分の我がままにカゼハを付き合わせてばかりでした。事実この世界にやってきたのも、元をたどればクーコが半ば強引にカゼハを巻き込んでいたのです。そんなカゼハの口から珍しく、具体的な要求が飛び出したのです。クーコにとって、これほど本気になるべき理由はありません。

そのような決して語られる事の無い経緯を経て。折角なら、カゼハの背中を押すだけでなく、共に未知の世界へと旅立ちたいという強い思いが、勇気と共にわいてきます。

たとえ、黒づくめの追手に会おうとも、罰則を課せられようとも、やはり3人で逃げてしまえばいいのです。


「風葉がしたいんならいいよ!冒険でも!なんでも!」


クーコは、この時も欲しかった言葉を与えてくれるカゼハをもっと好きになりました。

日頃の感謝の気持ちも込めて、カゼハの提案を全面的に支持します。

すっかり元気を取り戻したクーコに、カゼハも嬉しそうに答えました。


「・・・!そうなんだ、ありがと、空子」

「ううん!本当は冒険したかったから!あたしも!」

「ふふ、知ってたよ?」


微笑ましい光景を前に、バロンは満足そうに頷きました。彼は二人の自由を間違っても奪ってしまわないように、慎重に言葉を選びます。


「たしかに騎士団に入れば、生活の心配はないし、実力者も多いから危ない目に合うことも少ないかもしれない。ユニオンとしては一番歴史があって、統治も行き届いてる、騎士団が管理するこの街は清潔で安全、おまけに物流もピカイチさ。それに比べて冒険が危ないのも事実だ。毎日の食べ物に困ることだって、思わぬ危険に遭遇することもある。グリフォンがつかえない場所じゃ道にだって迷うはずだ。けどね、だけどね冒険は・・・」


クーコとカゼハは固く口を結んで続きを待ちました。

バロンはゆっくりと視線を持ち上げて続けます。


「冒険はね、さっき言ったことが全部いい思い出にひっくり返るくらい、とても楽しいものなんだと思うよ」


少なくとも僕はね。バロンはカップを傾けて照れくさそうにそう言葉を結びました。


「ねえバロン?」


一時翼を広げた沈黙が部屋の中を一周回った頃、カゼハが口を開きます。


「あなたは、どんなウィリを持っているの?」


それは図らずも、この世界において最もポピュラーな、あなたをもっともっと知りたいという意思表示でした。


「僕の?そうだな・・・僕のウィリはね・・・」


バロンはおもむろに立ち上がり、家の入口、つまりは床に備え付けられた木の板を持ち上げます。双子が見守る中梯子に手をかけると、彼はその見た目からは想像もつかないような素早い動きで梯子の上を滑るように移動しました。


『!!』


「僕の・・・ウィリは・・・ッ『梯子の達人』!・・・梯子の達人はッ・・・どれだけ素早く・・・梯子を上り下りしても・・・疲れないッ!!!!!」


目にもとまらぬ速さで上と下とを往復しながら彼はそういいます。

まるで、見えないロープで釣られているかのような奇妙な挙動に二人は唖然としました。その反応が意にそぐわなかったのか、やがてバロンは気まずそうに動きを止めました。


「ま・・・まぁ」


役に立たない()()()ウィリだよ。

彼はいつものようにそう口にしようとしました。彼にとって、このような経験は一度や二度ではありませんでしたし、誰かを失望させることに、彼は慣れすぎていたのです。しかし、そんなバロンの心境をよそに、二人は双方の瞳にきらきらと、いっぱいの星の光をたたえます。


「すっごーーーい!!!」「だからわたしたちよりも早くここに来れたんだ!」


「え?」


バロンは信じられないという気持ちになって、再度自らのウィリを二人に見せつけます。


「梯子の達人ッ!!」


『!!!!!!!!』


するとバロンの疑念を吹き飛ばすかのように、やはり二人は大喜びで、もう一回もう一回とせがみましたので、バロンもそれに応えてあげることにしました。


「早く登れるのは梯子だけなの?木の蔓とか壁は?」

「前にテレビで見た消防士の人よりもすごく早い!」

「うん!」

「・・・」


あまりにも眩しい視線にバロンは段々と照れくさくなってきました。たまらず彼は、床板をぱたんと閉じて二人から隠れてしまいました。穴があったら入りたい。そんな所でしょうか。


「・・・あ」

「今度はなに?!」


素晴らしい舞台劇の幕間のように、二人の胸は躍ります。やがて、ゆっくりと開いた床板から、顔を上気させたバロンが申し訳なさそうに現れました。


「バロン!」


カゼハがついついそう口にしてしまいます。クーコは今にも何かを吐き出しそうに口を開いて結局何も言えませんでした。


「ごめんよ二人とも、僕のウィリはこれだけなんだ」


それを聞いてクーコは激しく落胆します。


「えー!」

「ちがうよ空子、きっと、もっとすごい、私たちに見せられない秘密のウィリがあるんだよ?!」


珍しく鼻息を荒くしたカゼハの意見に、クーコはどうしようもないほど楽しい気分になりました。


「そっか!そうだよね・・・ごめんね。あたしたちだっておじさんからしたら怪しいかもしれないし、全部は見せられないんだ」

「うんうん!情報戦が、始まっているッ!既にッ!」


カゼハは素早く頷いて、バロンに羨望のまなざしを向けました。

バロンはほっと一安心して、テーブルに残っていたお茶を一気に飲み干します。


『・・・』


言うまでもなく、それは双子の熱い視線の中での行いです。期待に応えてあげたい気持ちは山々でしたが、バロンは話題を切り替えることにしました。


「実はね、僕のウィリよりも二人には知っておいてほしいことがあるんだ」


きっと二人は、眩しいくらいに目を輝かせていたに違いありません。情けないと自覚しつつもバロンは目を伏せたまま、ポケットから取り出した革の小物入れをテーブルに乗せました。


「これ、僕が最初から持ってた物なんだけど・・・」


バロンは、おもむろに小物入れに手を入れて、ゆっくりと中身を取り出します。現れたのは何の変哲もない一枚のビスケットでした。次に彼は、それを口に運んでサクサクと音を立てながら食べました。お茶を飲み干してしまった事を僅かに後悔しながら続けます。


「プレイヤーが生まれると、ウィリの他にもいくつか装備品が与えられる。服とか、武器とか、それは人によってそれぞれ違う。ほとんどの場合は、何の効果も無いただの装備品なんだけど中には、この『無限ビスケット袋』みたいに、不思議な効果を持ったユニークアイテムもあるんだ」


「無限・・・」「ビスケット袋?」


「そう、仕組みは分からないんだけど、このポーチからはビスケットが無限に出てくるんだ。君たちも試してみるかい?」


「触ってもいいの?」


「もちろん」


クーコが恐る恐る手を伸ばしてビスケットを1枚取り出します。続けて2枚3枚と、ポーチからは次々とビスケットが出てきました。それらは、あれよあれよという間に小さな山になりました。またもや二人は大喜びです。


「特に、何のバフ効果も無いビスケットだけどね。お腹がいっぱいになるだけさ。けどこんな物でも、世間じゃ結構な価値があるんだ。それで、君たちお金もないのに何で狙われたんだろうって言ったよね?多分なんだけど、カゼハちゃんのリュック、そのせいなんじゃないかって僕は考えてる」


「え?このリュック・・・?そういえばあのお姉さん・・・」


「ちょっといいかい?」


「いいよ?バロン」


「ありがとう」


バロンは立ち上がると、本棚から両手いっぱいの本を取り出してどさりと床に置きました。

そして、カゼハのリュックの中にそれらを一冊ずつ入れていきました。


「やっぱり」


「・・・全部入っちゃった」

「・・・うん」


静かに佇むリュックをそのままに、バロンは深いため息をついて席に戻りました。

彼は、体にたまった熱を吐き出して、わずかに声を震わせながら言いました。極度の緊張がそうさせていたのです。


「僕も最初見た時はまさかと思った。けど今確信したよ。これは等級で言えば『神話』クラス、つまり、数あるユニークの中でも最高クラスのレアアイテム。『無限リュック』だ」


しんと言葉を失った二人に、バロンは同情のまなざしを向けました。

『無限リュック』は、その名の通り無限の収納量を持ちつつ、収納物の重さを0にするまさにSWEの神秘とも呼べる摩訶不思議な性質を持ったアイテムであると同時に、プレイヤーの初期装備でしか生成される事の無い極めて貴重なアイテムの一つでもあります。

その性質上、所有者は必ずと言っていいほど短命で悲惨な運命を辿ります。無限リュックの存在を知る者にとってそれは多くの場合略奪の対象となり、時にそれは、数万人規模のユニオンを束ねる権力者の身代として扱われたという噂まであるほどです。バロンが必死になって二人の元へと駆け付けたのも、そんな噂話を知っていたためでした。

教会都市までの道中が無事であったのも奇跡に近い幸運だったのかもしれません。彼は、偶然起きなかった災難の数々を思い浮かべずにはいられませんでした。その度に彼は、体の芯に引きつる様なうそ寒い痛みを覚えておりました。

しかしながら、無知というものは時にどのような危険であっても跳ね除けるだけの強さを持ちます。天からもたらされた思いもよらない幸運に、二人は歓喜の悲鳴を上げるとともに、まるで二人でしか理解できない言語で会話するかの如き速さで、身振り手振り、今後の希望に満ちた物語を語りました。

バロンが納得するまでに、長い時間は必要ありませんでした。目の前の現実ただそれのみが、他の何よりも過去を物語るのです。晴れやかな表情で彼はつぶやきます。


「君たちが」


二人はピタリと会話を止めました。


「君たちが無事で、本当によかったよ」


バロンの口からそんな言葉が自然とこぼれました。


「バロンのおかげだよ?」


「そうそう!ありがと!」


バロンは、眼がしらに熱いものが込み上げてくるのを感じました。もう年かな?そんな風に考えます。


「そうだ。街を案内するよ」


まがいなりにも大人としての威厳が彼にはありましたので、現在の自分の状況を子供たちに気取られないようにそう言います。すると二人は快く、バロンの提案を受け入れました。




 一足先に土を踏んだカゼハは、薄い幕の向こう側に広がる世界を眺めておりました。ふと、心に優越感がひょいと顔を出しました。はっと我に返った彼女は心機一転、背筋をうんと伸ばします。


「よっと」


木の上からすたりと飛び降りてきたのはクーコでした。目線を持ち上げたその鼻先に、珍しく無防備な胴体が見えましたので、クーコはそれをさっきのお返しと言わんばかりに軽くくすぐりました。するとあらあら、何という事でしょう。不意を突かれたカゼハはたまらず身もだえしてしまいました。


「・・・もう!空子ったら。人がいっぱいいるんだよ?」


「えー!いいじゃん。どうせ見えなんだし!」


「もぅ」


その背後で、バロンがゆっくり降りてきます。


「入るのもそうだけど。出るのも結構、緊張するんだ」


「だるまさんが転んだみたいだね?」


小さな歯のすき間から息を漏らしながら、クーコが返します。バロンは思わずにやりとして、人の意識の流れを確認しました。


「そうだね、少し似てるね・・・さて」


都市はこの時も、大変な賑わいを見せておりました。重要なのは、慌てず、騒がず、意識がこちらに側に向いていない間に何食わぬ顔でさっと飛び出してしまう事でした。そして、そのチャンスは、3人が思っていたよりもずっと早く訪れます。

何かのきっかけで、人々の意識が都市の中央側一方に向かって吸い込まれるように集中したのです。


「あ!今ならいけるんじゃない!?」


勘のいいクーコが早速飛び出そうとしましたが、バロンは慌てて彼女を制止しました。あまりにも整然としている人々の反応とどことなく漂う緊張感に、長年の経験が危険信号を出したのです。

まもなくして、あれだけ聞こえていた足音は鳴りを潜め、話し声は遠慮がちに、だんだんと小さくなり始めました。

双子もそれに気がづいて、その場に居合わせた人たちと同じ方向を注視します。

するとどうやら、中央の塔から伸びる道を何者かが歩いてきているようです。

それは、3名からなるプレイヤーの一団(パーティー)でした。


「・・・勇者だ」


『勇者?』


「ああ」


バロンがそう口にした時、例の3人組が颯爽と肩で風を切りながら横切っていきました。まばゆい光を放つ鎧に銀の鉢金、剣に盾、翻る深紅のマント。先頭を行くその人物の後ろにピタリと張り付くように、明るい髪色のフェンサー風の女性が続き、そのさらに後ろに、異国的な衣装に身を包んだ魔導士風の女性が続きます。3名のいずれもが、均整の取れた長身に加えて、目が覚めるような美貌を兼ね備えておりました。

特に双子の目を引いたのは、最後に通り過ぎて行った魔導士風の女性です。

彼女は、指先を除く全身をローブで包んでおりましたが、ローブそのものがとてもとても薄い布で出来ていましたので、実際のところ、ほとんど下着姿という破廉恥極まりない姿をしていたのです。


「かっこいい・・・」「モデルみたい」


・・・。


(軽い咳払い)


 味わった事の無い衝撃に二人が思わず口にしてしまいます。すると気のせいでしょうか?赤く彩られた唇が微笑(びしょう)をたたえた気がしました。


「何しに来たんだろう・・・?」


大勢の意見を代弁するかのようにバロンは低い声で言いました。

気を取り直して歩き出す人々様子を眺めながらバロンは続けます。


「とりあえず、行こうか?」


バロンの僅かな動きから、双子は大人の気遣いを敏感に感じ取ります。後ろ髪を引かれる思いを双方の胸に宿しつつも、街の中央へと向かう流れへと身を繰り出しました。




 ~神聖教会領、同所・通称、教皇の闇市~


「ぁーあー、さっきのあれ、ぜったい『無限リュック』だったのになー!」


街の空を眺めながら、売り子は今日だけで何度目にもなる呪詛の言葉を口にしました。

それを聞いたもう一人の売り子はむっとして、鈴が転がるような美声をもって応戦します。


「そんな事あるわけないでしょ?大体、無限リュックなんてただのおとぎ話じゃない。ツチノコや徳川の埋蔵金とおんなじよ?あるわけないわ、本当におバカさんなんだから。それに、もし本当に無限リュックだったとして、いったいどうするつもりだったのよ?まさか私に盗賊まがいの真似をさせるつもりだったんじゃないでしょうね?」


「まさか違うよ!お金に困ったらいつでも頼れるように『仲間になろう』と思ってたんだよ!」


「何が仲間よもう!情けないんだから!」


「ちぇー、自分だって結構ノリノリだったくせにー」


「でも参ったわね。この調子じゃ、今日も野宿かしら?」


「この街の宿代高すぎるよー!」


「全くね・・・・あ!いらっしゃ・・・・・?!」


善人であれ、悪人であれ、人には様々な都合というものが存在します。たとえ思い通りにならなくとも、仕事はきちんとこなす、それが彼女の信条だったのかもしれません。

新たなお客さんを前に、いつものように明るく声をかけた売り子でしたが、その姿を見るや否や驚いて、短い悲鳴のような声を上げてしまいます。


「あ!いらっしゃーい!お兄さん達すごい装備だね!何探してるの?もしかして・・・?ゲップ盾?」

「ちょ・・・!ウフフフフ。ちょっと失礼しますね?」


お客さんをカウンター越しに待たせて、二人は密談を開始します。


「どうしたんだよ?」

「勇者よ!」

「え!?今のお客さんが!?あのたった3人で如実に死を(デッドマンズ・)語る死体(デストーカー)を壊滅させたって言う?」

(ウンウンウン!)

「あの、たった3人で東部リピートエクスプロア(ダンジョン)を全部制覇したっていう?」

(ウンウンウン!!)


興奮を隠しきれない言葉に、売り子の一人は真剣な表情で素早く頷きました。

背中を向ける店主を前に、勇者は鋼のような沈黙を貫いております。


「・・・」


「でもなんで?」

「知らないわよもう!」


「失礼」


その時です。聴くものに意志の強さを感じさせる声が辺り一帯に響きました。それは気高く、若い女の声でした。慌てて二人は向き直ります。気が付けば、沢山の野次馬がお店を囲むように弧を描いて、事態の行く末をかたずを飲んで見守っておりました。

衆人環視の中、彼女は一切委縮すること無く続けます。


「私はロロ、この度は勇者様のお導きにより。あなた方にご協力をお願いしたくここに参りました」


その一声で一同がざわめきます。

いつの間にか前衛を務めていたロロの姿は可憐そのものでした。身にまとう装備の全てが、見る者を驚嘆させるほどに完成されており、また、優美な物でありました。

しかし、それら見事な装備品の数々も、彼女の美貌の前では霞んで見えてしまうくらいです。その肌は磨き上げた大理石のように光を反射し、まつ毛は川を流れる黄金のようで、瞳は夏の空のように無垢でした。


「協力?」

「私たちに?」


「はい、左様です」


まるで忠誠心が服を着て歩いているかのように、ロロは堅苦しく告げました。

突然の出来事に思考の整理が追い付かない二人は、若干取り乱しながら答えます。


「あ、ああ!つまりそれってパーティーの招待?だよね!?」

「え!ええ!どうやらそうなの・・・かしら?」


ロロが無言のままこくりとうなずくと美貌の中に一筋の幼さが現れます。それはまるで、刃に落ちた雪の結晶のように儚く消えてしまいました。集った人々は一様に息を呑みました。


「あはは、パーティーね。私たちが、勇者様と?ねぇ・・・?」

「え、ええ・・・パーティ・・・パーティ・・・か」


そう告げるのとほとんど同時に、日頃の商いで鍛えられた瞳が目の前のプレイヤー達をじっくりと吟味します。あるいは、今更そのような事をする必要など無かったのかも知れません。なにせ相手は風に聞く勇者たちです。悩むまでも無く、自分たちなどとは格が違う。二人は早くもそう結論付けておりました。間違っても、自分たちの中に知られざる才能が眠っていたのかもしれない。などと、甚だしい考えは微塵も持ち得ませんでした。

静寂の中にどことなく気まずい空気が漂います。勇者は固く口を噤んでおりました。


「・・・」


しばらくして、沈黙に耐えかねた売り子が口火を切りました。お客様からの無茶な要求を丁重にお断りするのもまた、彼女の大切な仕事の一つだったのです。


「勇者様?私共はとっても光栄に思います。それに嬉しいです。でも、私たちなんてきっと勇者様のお役には立てない。そう思いますの」


間髪入れずにもう一人の売り子も呼応します。


「そ!そうですそうです!なんというか・・・恐れ多い?」


「・・・」


勇者はやはり黙っておりました。

ですが、その答えを聞いた途端、ロロは眉間にしわを寄せ、猛烈な勢いを駆り何かを告げようと試みました。聴衆の何人かは反射的に身構えてしまいます。

もしそれが叶っていたのなら、優しい気性の持ち主などは、凄まじい気迫にあてられて泣き出していたかもしれません。しかし幸いにも、この時はそうはなりませんでした。

勇者と同じくして、事態を静観していたもう一人の女性がロロよりさらに前へと躍り出て、彼女の言葉を遮ったのです。ロロがその美しい顔をいっそうしかめたのは、もはや言うまでもありません。

そんな彼女をお構いなしに、艶のある唇からどこか怪しげな美声が響きます。


「ベラトリス・ベラトリーチェでございます」


物腰柔らかに目礼したベラトリスに、二人も調子を合わせます。仲間であるはずの人物が背後からにらみを利かせる中、彼女はさらに続けました。


「何も、あなた方に荒事を求めているわけではないのです。けれど、このような物騒な場で、こちらの要求全てを語るのはいささか憚れる事かもしれませんし。よろしければお話だけでも・・・いかがでございましょうか?」


「お話」

「だけ?」


「ええ。本日宵の刻。モニュメントグランデの一室において細やかではありますが会食のご用意がございます」


教会都市の中で最も格式高いとされる『旅の宿屋』の名を聞いて、聴衆は息を吹き返したかのようにざわめきました。


「そうねぇ」

「いいなぁ」


「それは何よりでございます。では勇者様。参りましょうか?」


ベラトリスにとって、二人の答えは十分に満足なものだったのかもしれません。先だって売り子の二人に対して、そのあとで勇者に向かい、粛々とこうべを垂れました。しかしロロに対しては、蔑むような冷たい視線を投げかけます。


「あら、そこにいらしたのですね?このベラトリス・ベラトリーチェ、すこしも気が付きませんでした」


勇者は、止まないざわめきの中で静かにマントを翻しました。その後に、ベラトリスとロロがそれぞれ続きます。指先で払われる埃のように、人々は道を空けました。

売り子の二人は、ただ茫然と、その後姿を見つめます。

颯爽と街を行くその姿はまるで、美しい白銀の湖の下に眠る太古の水のように恐ろしく冷たく、底知れぬ気配を漂わせておりました。


今日の平穏は、あるいは薄氷の上に築かれているのだけなのかもしれない。口に出せない不安を、その場に集まった多くの表情が物語ります。


「・・・」


いつの世も、そしてまたいつの時代も、力の強弱にかかわらず人は、内に秘めた野望に身を焦がします。

勇者。

彼の野心は、この時いったいどこに向いていたのでしょうか?





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