レガシーコードと特技。
二人は丸一日たっぷりと睡眠を取った後、目を覚ましました。
この二人の目覚めは、ある種の使命感によって引き起こされたもの。入念に、そうなるように工夫を凝らされた静けさの中、これまでの旅の思い出を振り返るような無駄話など致しません。
それぞれがテキパキと顔を洗い、歯を磨き、服装を整えて、二人はとある人物に会うために絢爛豪華なお部屋を後にします。
人々の談笑と、絶え間なく流れる音楽。
ヨークシャー型浮きシップは現在、優雅な午後のひと時を過ごしているようです。
二人が会いたがっていた人物。
それは言うまでもなく、このシップのオーナーであるガンズロット氏でした。
身に余るような素晴らしい体験を味合わせてくれたお礼に。自分たちに何かできる事は無いか?と、詰め寄るジゼルを、ガンズロット氏は若干引き気味になだめると、彼女の提案をやんわりと断ります。
シップのクルーの皆様はガンズロット氏がこの旅の為に直接スカウトした。言うなればその道のプロの方々です。一日中、常に仕事が絶えないご多用な現場であるにも関わらず、交代で休みが取れるほどの完璧な体制が既に組まれておりました。
いくら善意と言えど、今更になって経験の無い素人を起用するなど、ガンズロット氏にとってリスクでしかないのです。
がっくりと肩を落としたジゼルに対して、ガンズロット氏はせめてもの償いとして、もっとも親しい間柄の乗客を一人紹介しましたが、彼らはもれなく、気ままな旅を楽しむやんごとなき方々です。必然的に似たような現象がただただいたずらに繰り返されてしまうだけとなりました。
よって。
たらい回しにされた報恩の心は最終的に、2階のダンスホール兼メインサロンに隣接するギャレー。つまりは、お客様達の美味しいお食事をご用意する為のキッチンの、小さな倉庫の前の、お芋の皮むき作業へと流れ着く事となりました。
旅の料理人を思わせる背の高いコックは、ちゃらちゃらとした服装に身を包んだまま、へらへらと嬉しそうに、神聖な調理場へと足を踏み入れようとする二人の若者を強い態度で叱責しました。
差し出されたのは長袖のワンピースにエプロン、三角巾。目元は未だにほんのりと腫れています。
「急に怒鳴る事・・・無いのに・・・ねぇ?セイムさん?」
コックの姿が見えなくなると、ジゼルは途端にそのような事を口にします。剝いたばかりのお芋を水を張った盥の中にそっと転がして、セイムが答えます。
「とても真面目な方なんですよ。でも、あまり無理しないで下さい。なんでしたら、僕がやっておきますから。あなたは部屋で休んでいてください」
思い出すのは、昨日のジゼルの姿です。
その一方で、他人の気持ちにも自分の気持ちにも疎い彼女は、まるで自分が役立たずとでも言われているような気がしてしまいます。
つるりと剥けたお芋のとなりに、地中から掘り起こした石ころのようなお芋を転がしてつんと鼻を持ち上げます。
「無理なんて!していませんっ!」
「そうですか?」
「そうですよ!まったく・・・少しくらい上手に出来るからって、調子に乗らないで下さいね?セイムさん?」
「ごめんなさい、そんなつもりはなかったんです。けど、ジゼルさんの剥いたお芋もとても美味しそうですよ?コロコロしてて、小さくて、食べやすそうで、それに。とても味がしみそうです」
「褒められたって!少しもうれしくなんかありません!ふんっ!」
と、言いつつも。
彼女はそっぽを向きながらお芋を剝くという離れ業をついうっかり披露してしまいます。
昨日までは、そのような姿を羨望の眼差しで見つめていたセイムでしたが、今回はばかりはそうはいきません。痛々しいほどに強がる彼女を気づかいます。
「手元を見ないとあぶないですよ」
・・・しかし。
「ふんっ!ふんっ!・・・・・いちゃ!!」
「ああッ!」
よそ見をしながら刃物など扱うから、ジゼルは指を切ってしまったようです。
さっと隠されてしまった指先をセイムは覗き込みました。
「ジゼルさん大丈夫ですか?見せて下さい」
「むっ!近い!離れなさい!」
「あ。ごめんなさい」
「これくらい何ともありません!」
「そう・・ですか?よかった」
小さなナイフと言えど、刃物の扱いには細心の注意を払わねばなりません。
ジゼルは、思いのほか深く切れてしまった指先をちゅっと咥えて、生意気にも手際よく作業をこなすセイムをじっとりと睨みつけました。彼は下を向いたまま大人のように静かな口調で言います。
「あとで、絆創膏を貰ってきますね?」
「平気です!これくらい。もう!心配性なんですから!あなたは!」
「ぁ・・・ごめんなさい」
しゃりしゃり・・・。しゃりしゃり・・・。
しばらくの間。美味しいお料理の為の。仕込みの音だけが二人の間に響きました。
くすんだ皮が、小さな山のように積まれていきます。ナイフは、感心してしまうほど、とてもよく切れる物でした。
やがて沈黙に耐えられず。彼はついつい本音を口走ってしまいます。それが不器用なこの少年にとっての不器用なりの歩み寄り方だったのです。
「・・・ドロシーの事、誰も知らないみたいです」
ぷちり。
と、どこかで何かが切れる音が聞こえたような気がしました。
セイムのマネをして、剥いた皮が一本になるように苦心していたジゼルのそれがぷっつりと切れたのです。
この日は一日中。まるで思い通りに行かないジゼルはこの時。身勝手にも大変苛立っておりました。
あれほど、平気だ。と息巻いておきながら。
もっと自分の事を考えて欲しい。と。今さらになってセイムに腹を立て始めます。
目の前で自分が指を切ったばかりだと言うのにドロシードロシーと。いったい彼女は何者なのかと。胸の内に強い感情が湧いてきます。
しかし。相互理解への道は往々にして長く険しいものと相場が決まっております。彼女がかつて所属していた組織においてもそうでした。
なのでジゼルは。年長者として相応しい余裕をもって、まずは、記念すべき第一歩目を踏み出すことにしました。
「ところでセイムさん?」
「はい」
ドロシーさんとどのようなご関係なのですか?
交際していらっしゃるのですか?
それとも婚約をしていらっしゃるのですか?
彼女の事をいったいどう思っているのですか?
好きなのですか?わたしより。と。
臆病なジゼルに、いきなりそれを尋ねる勇気はもちろんありません。お芋とナイフを握りしめたまま、黙り込んでしまいます。
これはジゼルが持つウィリの一つである『鉄の握力』がなせる業。
お芋の方はやがて粉々に砕けてしまいました。
「・・・」
「・・・あの、ジゼルさん、なんでしょうか?」
はっと我に返って、ジゼルは砕けたお芋を慌てて隠します。過剰なほどに厳しいあのコックに見つかってしまえば大変です。
持ち上げた視線で例のコックを探して、真っ白で大きな背中が、ぐつぐつと煮えたぎる大鍋の方を向いていることを確認すると、ほっと一息つきました。
「・・・ふぅ」
「ジゼルさん?」
「あ!なんでしたっけ・・・?」
ジゼルは会話をなんとか取り繕います。
「あ!そうです!そうそう!あなたのウィリ!わたくしは初めからそれについてお伺いしたかったのです!確かエレメント活性を持っていましたね?」
そう切り返しました。
プレイヤーが持つウィリについての話題は、SWEの世界に置いて、信頼関係を築く上でのいわば『おきまり』です。
誰かと語り合う事で、自分自身、良くわからないそれについての理解をより深めるチャンスが必然的に生まれますし、思いもよらない新たな使い方を閃くかもしれません。多くのプレイヤー達にとって、そのような経験は有益なものとなります。
よって、コミュニケーションの常とう句といえど、なかなか侮れない効果がありました。
エレメントについて、ろくに考えたことの無いセイムのような人物であっても耳をかたむけてしまいます。
ナイフからジゼルへと関心がすっと切り替わりました。人知れず、彼女は悦に浸ります。
「はい、一応・・・でも」
セイムは作業を中断し、言葉尻を濁らせました。
彼が持っているエレメント活性の等級はB-。他人に自慢できるようなものではありませんので当然と言えば当然のリアクションであったのかもしれません。
しかしジゼルとっては、これは単なるコミュニケーションの一環です。B-という等級も彼女は既に知っておりました。極めてじれったい風を顔に浮かべて半ば強引に突き進みます。
「どの系統なのですか?風ですか?水ですか?」
ジゼルはプレイヤーが扱えるエレメントの中でも最もポピュラーな物から順番に聞いていきます。
ですが、セイムはすっかり困り果てたように眉をひそめました。
「それが・・・僕にも良くわからなくて」
「分からない?」
「はい」
わからない。
その答えに、ジゼルは呆れてしまうと同時に俄然やる気に満ち溢れておりました。
一刻も早く部屋へと戻り、この世間知らずに基礎から教えてやらねばならない。そう思います。
そんなジゼルをよそに、セイムはなんとか自分でも良く知らない自分のウィリについての説明に励みます。
「そうだジゼルさん。ちょっと手を貸してくれませんか?多分、目には見えないと思うんです。けど、ジゼルさんなら何かわかるような気がします」
「・・・えっ?」
了承を待たずして、小さな手はそっと奪い去られてしまいます。ウィリによって守られたその手は年相応の柔らかいものです。
突然の接触にジゼルの胸は高鳴りました。
一方でセイムはさっそく両手に意識を集中させ、実に久しぶりに、自らのウィリを能動的に発動させようと試みました。
「・・・」
(ドキドキ・・・!)
「・・・」
「・・・きゃっ?!」
僅かな沈黙の末、ジゼルはさっと手を引きました。下を向いたままのセイムに対して、彼女は驚きを隠せません。
「ぴりっと・・・しましたわ・・・?静電気みたいに」
「ええ、とても小さな力しか出せないんです。僕のエレメント活性の等級は・・・」
「まさか!・・・雷の?エレメント?!」
「・・・・。わかりません。もしかしたらそうなのかもしれません」
雷のエレメント。
無知とは、時に恐ろしいものです。
事の重大さを知るジゼルは、驚きのあまりついうっかり声を大きくしてしまいます。
「何をおっしゃるのです!雷のエレメント操作は大変貴重な物なんですよ?・・・あ!」
反射的に向けられる視線の先には、鋭い睨みを利かせる恐ろしいコックの姿がありました。
「・・・ごめんなさい」
コックは厳めしく鼻を鳴らしてスープをひと口味見します。
「大変貴重な物って・・・本当ですか?ジゼルさん?」
随分前から声を押し殺していたセイムに、彼女もようやく合わせます。内緒話をするように、こっそりと、それでも興奮を隠しきれずに告げました。
「それはもう!神聖教会の教皇様だけがそれを操る事が出来たとされているほどの物ですよ!!セイムさん!」
思いもよらない報告に喉から、え!と、声が漏れてしまいます。
「教皇様が・・・?」
「ええそうです!セイムさん!すごいっ!!ふふふ!」
とんでもないお宝を偶然見つけてしまったような面持ちでジゼルは両手を鳴らします。
「そうですわ!早速!あなたが発動した技の『レガシーコード』を決めましょ!?ね?セイムさん!」
まるで流れ星のように。今にも飛び出してくるのではないかと思えるような煌めきを両方の目に宿して、ジゼルはそう要求します。セイムは首をかしげました。
「レガシーコード?なんですかそれは?」
「そんなことも知らないのですかあなたは!仕方のない人ですね!全く!レガシーコードというのは、SWEの世界そのものに刻まれる『言葉の力』で。プレイヤー達から産み出される力の流れを形作る仕組みのようなものです!ふぅむ・・・そうですね、まずは分かりやすく『ルーン』から説明しないといけませんね?」
「るーん?ナツミさんがやっていた・・・?」
「誰です?」
「い!いいえ!」
「ふむ」
ルーン。そして、レガシーコード。
ジゼルはお芋を一つ手に取ると、さっきまでの姿とはまるで見違えるような動きでその表面に不思議な模様を刻み込みます。
「これは、ルーン。プレイヤー達が扱うレガシーコードを形に変換したものです。さまざまな技を発動させるための。いわばプログラムのようなものですね、セイムさん、これを持って!」
「はい」
「では、風よ。と、唱えてみて下さい」
「はい。風よ・・・!」
言われた通りにセイムがそう唱えます。
すると。刻まれたルーンがほのかに光りを放ち。お芋のまわりに強い空気の流れが生み出されました。
これは『そよ風』のルーンが正常に発動した際の現象です。
ルーンの発動という初めての経験に、セイムは呼吸を浅くして慌てふためきます。
「風が!?ジ・・・ジゼルさん!風が吹いています!すごい!これがレガシーコードなんですか?!」
ジゼルは腕を組み、うんうんと頷きながら答えました。
「そうです、正式には『ルーン化したレガシーコード』の力です。ルーンは、『一度刻まれてしまえば誰でも簡単に扱える』。『精度に優れる』。『半永久的な感知式トラップなどに利用できる』。『キャストする事で遠隔発動できる』。などの様々な利点があります。因みに威力は刻まれたルーンの精度に強い影響をうけます。一方で、レガシーコードを用いた技の発動に必要なものはプレイヤーの声。それと発動者の適正と理解。つまりは、エレメント操作総量、エレメント操作精度、エレメント操作強度によって、まず発動できるか否かが決定され、前述した複雑なルーンを正確に刻むと言う工程を一切省略する事ができるほか、同じ技でも威力を弱めたり強めたり、柔軟に使い分けることができるのです!」
「なるほど・・・じゃぁレガシーコードというのは、『魔法の呪文』のような物・・・・?なのでしょうか?」
この見解は、非常に的を得たものです。思わずジゼルも頷き、そのさらに先にある理解を促すために捕捉します。
「ざっくりですが、そう考えていただいて差し支えありません。レガシーコードとは、いわば水を貯めた風船を投げつけるまでの工程を半自動で行ってくれる音声認識システムのような物。引き起こされた事象と名前。その二つがセットになって初めて『技』となり、わたくしたちプレイヤーは真の力を発揮すると言われています。強い『力』の発動には、それに相応しい素敵な『名前』が必要となるのです・・・!」
「・・・僕は、いったいどうすればいいんですか?」
不安を極めて、セイムはそう尋ねました。
偶然にも世紀の瞬間に立ち会ったジゼルは、大変誇らしく腕を組むと大きくうなずきます。
「・・・ライドザライトニング!」
「へ?」
「あなたが引き起こした事象の名です。記念すべき、恐らく史上初となる。雷の力を有した技の名であり。この世界に登録されるレガシーコードです」
「ライドザ・・・ライトニング・・・・?」
『ライドザライトニング』。
この世界に、また新たなレガシーコードが刻まれた瞬間でした。
ふんすと鼻息を漏らした後にきらきらと目を輝かせたジゼルが今度はセイムの手を取りました。
「さぁ!セイムさんっ!わたくしの説明を思い浮かべながら!もう一度発動してみて下さい!ライドザライトニングっ!プレイヤーの真価とは、世界の助けを得る事によってはじめて本来の力を発揮するのですよ?ですから!ねっ!?あなたの真の力をこのわたくしに是非とも見せて下さいな!」
「は・・・はぁ」
すっと呼吸を整えて、セイムは唱えます。
「ライドザライトニングッ!」
・・・ぴりぴりぴり!・・・・ぴりぴりぴりぴり!
「はわっ!」
・・・分かっていても、あの痛みにはなかなか慣れないものです。
ジゼルは反射的に手を引いたかと思えば、何かを誤魔化すように視線を泳がせます。さっきと何も変わっていない。それが正直な感想でした。
そうとも知らないセイムは、見ている方にも緊張が伝わりそうなくらいに肩を張って、控えめに顔を突き出します。
「・・・どう、でしたか?ジゼルさん?僕のライドザライトニングは?」
言葉に詰まったジゼルでしたが。親切な先輩方にかつての自分が散々そうしていただいたように、彼をほめて伸ばす事にします。
最も、ジゼルの場合。見ている人々がそうする他ない力を彼女に見せつけられてしまったからでしたが、ほめて伸ばすという行いの持つ本来の意味は何ら変わりありません。
まずは、当人のやる気を引き出させる事が最も重要なのです。
「え・・・ええ。初めてにしては上出来ですよ?セイムさん!あまりすごいので。まだ、胸がドキドキしているくらいです・・・本当ですよ?」
苦しそうに、若干顔を引きつらせて彼女はそう言いました。
「そうですか!良かった・・・!あの、はなまるは頂けないんでしょうか?」
「えっ!?」
知ってか知らずか、セイムは追い打ちをかけるように、厚かましくはなまるを要求します。
これは、大したことない理由ではなまるを大量生産してきてしまったジゼルもちょっぴり悪いのです。
まるで別人を疑いたくなるくらいに、表情を明るくするセイムを前に、為す術が無く要求に応えます。
「え!?ええ!もちろん!わたくしからはなまるをさし上げますよ?セイムさん?よくできましたね♪」
「やった!」
世界の力を借りた素敵なレガシーコードを用いたとしても、セイムのエレメント活性の等級がB-であることに変わりはありません。
それでも、発動者のやる気の問題か、その威力は先ほど見せたものに比べてだいたい2割ほど強力なものになっておりました。
なんだここは?お花畑か?
唐突に、そんな嫌味が聞こえたような気がしました。あの厳めしいコックです。
深く差している人影の中で、ジゼルは慌てて作業へと戻ります。
「・・・ちょっと!?セイムさん!?」
「はい。でもジゼルさん」
「へ?」
ジゼルがコックの顔をゆっくりと見上げます。するとその顔は怒っているのですが、先ほどと怒りの種類が僅かに異なるような気がいたしました。
「・・・あの、何かわたくしたちに御用でも?」
ジゼルが恐る恐るそう尋ねると、コックは太い首の上に乗っている顎先をちょいちょいと動かします。
その先では金色の光がキラキラと弾けて、その場の雰囲気にぴったりの上品な音楽も聞こえています。広い空間に楽し気な会話が弾んでいるのが二人のいる場所からでもわかりました。
どうやら、隣接するホールでこれからダンスパーティーが始まるようです。
ことの他察しの良いセイムは、このコックの良心をすぐに理解します。
すっと立ち上がるとすぐにジゼルの手を取ります。
「いきましょう!ジゼルさん!」
「え?!行くって、けど、セイム・・・?この格好では・・・!」
「大丈夫です。すごく似合っていますから!さ!早く!」
「あっ!もぅ・・・」
新たな必殺技を得たセイムに怖い物など、困難な状況など何一つありませんでした。
片付けは後で必ずします。
そう言い残した彼を、コックは厳しい態度で叱責し、煌びやかなホールへと送り出しました。




