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引きこもり少年。

ドロシーはばったりと床に倒れます。セイムには、それがとてもゆっくりに見えました。耳の奥の方はびりびりと痛みます。今、何が起きたのか。また、なにを見ているのか。彼にはほとんど理解できませんでした。ただ彼は、湧き上がる感情に任せて、ピストルの先の、細い糸のような煙にふっと息を吹きかけている男のもとへと向かいました。

「あなたは最低の人です!」

そう口に出した時、彼の心に沸き上がったのは途方もない罪悪感でした。本人が気がついていないだけで酷い吐き気もしていました。ですが、それをはるかに上回る激しい感情が、この時、彼の体を動かしていました。セイムは、出来る事ならば、この男を今すぐ引き裂いてやりたいとも思っていました。もちろん、そんなことは叶いませんので、せめてこの男に、それを伝えるべきだと思っていました。ですが、困ったことに、この時セイムは、言葉ではなく、行動に頼ってそれを伝えようとしてしまいます。

まるで似合わない表情を浮かべたセイムがずんずんと歩み寄って来るのを、男は横目で興味なさそうに眺めていました。

彼の両手が、男の小さな上着にかけられてぐっと力が込められます。男はびくともしませんでした。

「・・・あなたは!」

食いしばった歯の間からそんな声が絞り出されます。セイムは知りませんでしたが。この時、男はそっと女たちに目線を向けて、こっそりと映像を記録していました。すべての準備が整うと、男は持っていたピストルでセイムの顔を思い切りぶちました。セイムの体がぐらりと揺れて、両手からも力が抜けると、彼の体は軽々と持ち上げられて、壊れたシップに叩きつけられてしまいます。わずかに原型をとどめていた部分も四方八方に勢いよく弾かれて、それはもう、見るも無残なただの残がいと化してしまいました。

酷い痛みが顔と背中に、それから胸にも走りますが、彼は立ち上がります。彼は2度ほどむせました。その時です。

「セイム?」

それは紛れもなく、ドロシーの声でした。

彼は幽霊でも見るような気持ちでドロシーの方を見て、彼女の細い腕が、しっかりと上半身を支えているのを見ると、さっきまでのはげしい感情がまたたく間にしぼんで、顔から血の気が引いていく感じがしました。ドロシーは、今にも泣きそうな顔をしています。その原因が自分に有る事をセイムは知っていました。彼はゆっくりと、ふらつきながらドロシーのもとへと向かいました。

「ドロシー。僕はてっきり・・・」

セイムが目の前でがっくりと膝をつくと、ドロシーは、自分のお腹や胸の辺りを両手で確かめて。

「・・・うん。へいきみたい」

と申し訳なさそうに言いました。彼女はそれからすぐに怒りだします。

「あーーー!!!!!また壊したッ!!!!!」

ドロシーはそれから、んもー!!といいました。

それを見ていた男たちが、もうこれ以上は我慢できないと言った様子でいっせいに笑いだします。

彼らはしばらくの間笑っていました。その間、ドロシーはずっと腕を振り回してぷりぷりと怒っていましたが、セイムが無事だったので、とりあえずは良しとしました。

男は気が済むとピストルを元々あった場所に戻して、

「空砲だよ。ばーか」

と、言いました。

男はそのまま振り返って、酒場の出口へと向かいました。女たちも楽し気にその後に続きます。

「客に掴みかかるなんざ、最っ低の店だな。もう2度とこねえよ。それからお前、覚えとけよ」

そうして、彼らはこの日最後のお客さんとなりました。


 セイムはしんと静まり返った酒場の中で、じっと壁の方を見ていました。これは、じっさいに壁を見ているわけではなく、彼が見ていたのは、記憶の中にある自らの行いでした。

ドロシーが心配そうに何度か肩をゆらしましたが、セイムは目を開いたまま動くことが出来ませんでした。ドロシーのささやくような声がだんだんと、いつもの元気なものになりかけた時です。


どんっどんっどん!!


酒場の外で、さっきと同じような音が3回鳴り響きました。

「のりムシッ!」

ほとんど反射的にドロシーが立ち上がって、外へ飛び出そうとします。

そんな、ドロシーの小さな手に、セイムの手がすっと伸びました。

「セイム?どうしたの?早く行かないと!あの人たちぺらぺらになっちゃうよ!?」

ドロシーの手をぎゅっと握ったまま、セイムはしばらくぼーっとしていましたが、すぐに正気を取り戻して、酒場のランプを持って外へと向かいました。


 ドロシーの予想通りです。4人は酒場から少し離れた場所に停めてあったシップの近くでのりムシにかこまれて、ぐにゃりぐにゃりと動くおそろしい人影となっていました。

「うりゃー!うりゃうりゃうりゃー!!」

ですが、ドロシーにとって、この作業はもう慣れたものです。セイムも彼女にならい、オイルランプをかざしました。すると、たちまちのりムシたちはじゅうじゅうと音を立てて、香ばしく焼けてしまいました。

「ふぅ・・・良かったね!お客さん!!あっこれ食べるー?おいしいよ!」

ドロシーも一安心です。彼女はさっそく焼きたてののりムシを口に運んで、誰に伝える訳でもなく、くりぃみー、と、言いました。

息を荒くして、尻もちをついていた彼らにセイムが近づいて、そっとオイルランプを差し出しました。

「のりムシは、5メートルほども跳ねるそうです。よかったら。これを持って行って下さい」

彼らは何も言わずに、むしり取るようにそれを受け取ると、高そうな新品のシップに乗り込んで、どこかへと飛び去ってしまいました。

「またねー!!今度は虫に気を付けてねーッ!」

ドロシーは、それが見えなくなるまで手を振って見送りました。


 次の日、セイムは2階の部屋から一歩も外に出ませんでした。

彼はベッドの上で横になったまま、ただただ、窓の外だったり、壁だったり、天井だったり、頭が沈み込んだ枕のすみっこだったりをながめていました。

下の階から聞こえてくるドロシーの声から察するに、酒場は昨日に引き続き大盛況のようです。それは、昨日新たにグリモアに投稿された一本の動画のえいきょうを強くうけた結果でもありました。

それはいったいどういう訳なのかと言いますと。きのう最後に訪れたお客さんの、取り巻きの女の一人が、自分の思い通りに行かなかった腹いせに、昨日の出来事を全編ノーカットで公開していたのです。まさに、捨てる神あれば拾う神あり。そぼくな小さな村は、あらたに数名の住民を迎えるまでになりました。

セイムはといいますと、その話を、2階のベッドの上で、ひっそりと息をひそめて、ただただ何も考えられないまま、枕に聞き耳を立てて聞いていました。

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