心のやけど。
ジゼルは、川にかかる橋の上を風のように駆け抜けます。
そのあまりの速さに、いっしゅんで追いつけないと判断したプレイヤーたちは彼女に向かって遠くからの攻撃をしかけました。
「俺たちじゃ、追いつけない。・・・追え・・・泥バエ・・!」
「うわあおい!あぶねえだろ!」
「泥バエだ。泥バエを出しやがった」
「着地を、狙え」
それらは、エレメントを利用したものや、大きくて、危険なボウガンを用いた攻撃です。
背後から襲いかかるそれらを、ジゼルは見事な身のこなしで全てよけてしまいます。ですが、エレメントを利用した技の中には、この、泥バエのように、必ず相手に命中する。と言うような、たいへん物騒な性質のものもありますから、彼女も次々と自分に向かって飛んでくるそれらを瞬時に見分けて、必要とあらば、両手に持った見えない剣でそれを打ち落としました。教会騎士の中でも、とくにエレメント操作に長けた者しか扱う事が出来ないとされるハーモニックソードです。
そのような、素晴らしい技の数々とは裏腹に、ジゼルの心は、痛々しいほどに乱れていました。
「・・・どうして?どうしてっ!お姉さま!どこですか!?」
彼女はあっという間に橋の向こう側へと辿り着きます。しかしこのままではすぐに追いつかれてしまうでしょう。彼女は雨のように降り注ぐ攻撃の全てをよけながら、近くにあった装置にまきつけられている丈夫そうな太いロープに目をやります。祈るような気持ちでそちらに駆け付けると、すきとおる透明な刃を一度振り下ろします。高速に流れるエレメントを利用したハーモニックソードは、この時も抜群の切れ味をはっきします。それは丈夫そうな太いロープをいとも簡単に切ってしまいました。
少し離れた場所でそれを見ていたプレイヤー達が怒鳴るような大きな声でいいます。
「くそ!跳ね橋が上がるぞ!!!」
「間に合わねえ!!!」
「引き返せ!船を出せ!」
ジゼルは知りませんでしたが、これは、雨の多い季節にそなえた装置の一つでした。切れたロープがするすると上空へ吸い込まれると同時に、橋を支える建物の一つから船のような形をした物が落ちてきます。それは瞬く間に川の流れに引っ張られて、水の流れる力によって大きな橋の半分がゆっくりと持ち上がります。
彼女を追って来るプレイヤー達も半分になりました。さらに、彼らの見渡せる景色がまるっきり変わってしまったことも見逃せない事実です。ジゼルは、高くつまれた荷物のうしろや、持ち上がった橋の影に身を隠すように、まっすぐとある場所へと向かいます。砦のすみのほうにある。かすかに感応波が漏れ出ているうす暗いどうくつです。
「・・・どうして。・・・どうして?」
ジゼルはどうくつの入り口で思わず足を止めてしまいます。暗やみを怖がらない人間などおりませんから、これは仕方のないことです。
明るい場所と暗い場所。その境目でいっしゅん足を止め、気がついたとき。ジゼルは泣いていました。振り返れば、陸からはぎらぎらと光る刃を構えた人たちが、川からは近づき次第こちらを狙おうとする人たちが見えました。
ジゼルは、そのどちらも、これ以上見たくありませんでした。彼女はなにかに追いたてられるようにどうくつへ足を踏み入れます。
「・・・ライトアップ」
暗やみでジゼルがそう唱えると、彼女の手の平から小さな光の玉があらわれました。
「お姉さま・・・?お姉さま・・・・?どこにいらっしゃるんですか?」
ほのかな光と、かたくて冷たい壁の感触をたよりに、ジゼルはどうくつの奥へと足をすすめます。彼女はひきつづき、今にも消えそうな声で言いました。
「・・・わたしです。ジゼルです。お姉さま?」
じっさいにはあっという間。ジゼルにとっては長い長い時間をかけて、たどり着いたその場所で、彼女の目に飛び込んできたのは目を疑うような光景でした。
「・・・お姉さまっ!?」
「あ・・・
ぁあ。たすけて」
うす暗くて、せまいその場所に居たのは小さな檻に入れられた沢山の人と、彼女がお姉さまと呼ぶ女、それから、鹿頭のカトウです。
その、あまりにもひどい光景にジゼルはせき込んでうずくまり、かたかたと震えてしまいます。
壁に揺れるほのかな光の中で、女の顔がジゼルへと向けられます。その顔は冷めきっていました。彼女は、カトウの鋭い角を持ったまま彼の大きな体を引きずり。ゆっくりとジゼルの前を通り過ぎて行きます。
「このような人の悪意の満ちた場所に、あなたを連れて来てしまうなんて・・・」
その声の、あまりあるほどの冷酷さにジゼルは胸を冷たい何かでつらぬかれたような気がしました。そんな彼女の目の前を、赤く光る瞳がゆっくりと通りすぎます。その瞳の持ち主はかすれた声でただ一言、痛い。と、言いました。
ジゼルは立ち上がって、すがる様に女の後を追いました。体はひどくふるえて、でもそのおかげで息が出来ているような状態です。
「まって!お姉さまっ!カトウさまが!・・・痛がっています・・・!」
まるで同じ痛みを感じているかのように、ジゼルがそう言いました。
しかし、女はいつものようにゆっくりと、ゆっくりと、光差す方へと向かいます。彼女は出口の近くで振り返り、手を差しのべました。
「ジゼル。わたくしに。付いてきなさい」
「でも・・・!」
「ジゼル」
「・・・はい」
「付いて来るのです」
「・・・はい。お姉さま」
ジゼルはぽろぽろと涙を流しながら差し出された手を取りました。
どうくつから女が現れると、その背後からまっすぐに、鋭い刃が迫りました。それは短く小さなもので、激しい痛みをともなうもう毒がぬられていました。女はそれを軽くかわします。
それを見るやいなや、今度は上から突き刺すように鋭い刃、下からは足元を払うように土の刃が迫ります。ですが。
「ブラストインパクト」
女が一言そう唱えますと、それらは全て、見えない力によってはじき返されてしまいました。土の刃は粉々に砕け散り、上から降りてきたプレイヤーたちは見上げるほど高い位置まで飛ばされてしまいます。
そのまま女は何事もなかったのかのように、なにもない空中を一歩、また一歩と進み、やがて、その体はふわりと浮かび上がりました。
それらは一瞬の出来事でした。
あっけに取られていたプレイヤーの一人が女の方を指さして叫びます。
「カトウだ!カトウが居る!」
はっと正気を取り戻した別の者らも口々に声をあげました。
「なんだ?シップが引き上げてるのか?!」
「逃げた方がいい!逃げた方がいい!あいつはやばい!」
「カトウだ!カトウだ!カトウをやれ!」
その言葉に、いったい何人のものが納得したのでしょうか。ふわふわと浮かぶ3人目がけて、一斉に攻撃が行われます。ですが、それらは、3人にたどり着くよりもずっと手前で、すべてがじゅうじゅうと音を立てて蒸発してしまいます。その間に、打ち上げられた人たちがばたばたと音を立てて落ちてきました。
「ジゼル、見なさい。そして、わたくしと同じようにするのです」
半分がはね上がった橋の中央あたりにたどり着くと女はそう言いました。
見る見るうちにあたりのエレメントが彼女を中心にうずを巻きはじめます。常識から大きく外れた膨大な範囲、それから量です。
ジゼルはまるで理解が出来ませんでした。その言葉にも、今なお続けられる攻撃の意味も、何もかもです。彼女は、泣きながらいやいやと首を振りました。それから、弱弱しく叫びました。
「だめ、お姉さま!お願い!皆さま・・・どうして」
次の瞬間。
『ワールド・オン・ボルケニオン』
一瞬、ほんの一瞬、それすらもなく、辺り一帯のエレメントはしゃく熱へとその姿を変えてしまいます。木や水、空気、土に含まれるエレメントが一滴残らず絞り出されて、その全てが熱に変わったのです。恐ろしい悲鳴が足元から聞こえます。その中には当然、すぐそばにいたカトウのものもありました。
たまらずジゼルは耳を塞いでうずくまります。冷たく冷え切った女の顔に向かって叫びます。
「お姉さま!やめて!お願い・・・」
「ジゼル。見なさい」
「いや!」
「見なさい!あなたはわたくしの後継者。わたくしの技をよく見て、さらなる力でこれを上書きするのです。さあ。おやりなさい。あなたにはそれが出来るはずです」
「出来ない・・・わたしにはできません・・・!お姉さま!」
いつものように甘えようとするジゼルを、女は冷たく突き放します。
「いいえできます。あなたにはその素質があります。与えられた強い力があります。才能が有ります。それを善良な人々のためにふるうのです。わたくしのように。そして、あの都市に住む資格のある者をあなたが選ぶのです」
「そんな・・・」
「あ・・・・ああ・・・・アツイ・・・ッ!アつイ!」
「カトウさまっ!どうして・・・どうして」
すると今度は、言い聞かせるように女が穏やかに言いました。
「ジゼル?大丈夫。これは現実ではないのです。彼らはまた戻って来れますよ?本当です。さ、練習だと思って。やってごらんなさい?ね?わたくしのことを信じて、あなたなら、きっと出来ますから。ね?ジゼル」
聞きなれた優しい声に、ジゼルはようやく自分のよく知る人物と再会できたような気がして。今回もその期待にきちんと応えるために、一生懸命に涙をぬぐって立ち上がりました。
すると、木も草も人も地面も、目に映るすべてが燃えています。彼女はまたすぐに泣きだしてしまいました。
やがて、プレイヤー達の声が段々と小さくなり、彼らの体は小さな光の粒となり消えてしまいます。回復出来ない程のダメージを追った時にプレイヤー達に訪れる現象、これにはログアウト現象という名前が付いていました。
鹿角砦も、工夫がこらされた立派な橋も、プレイヤー達も、たくさんの荷物も、ヒスイ色に輝く川も全てがあとかたもなく消えてしまいました。肩を揺らして泣き続けるジゼルから少しだけ離れた場所で、最後に、ぼろぼろになったカトウが小さな光の粒となり消えました。




