召喚士は救われたい。
「――というわけなんだ。今回もよろしく頼む」
「ぬわぁにが“というわけ”よ! 私は行かないぞ!」
アルビン大陸は今日も陽気な気候に包まれていた。
その肥沃な大地に栄えた、ハイトーン共和国。歴史は古く、他国と比較しても文化レベルは頭一つ抜きんでており、この国に住む民は皆自由を謳歌していた。
中でも最も力を入れているのが教育機関だ。ハイトーン共和国が誇る軍事力の礎となるのが、アルビシオン士官学校である。数々の名門家系から優秀な兵士を輩出――強固な兵団を造るための基礎を担っている。
その校舎の一角。日夜、教鞭を揮う教師たちが常駐する研究室棟に気だるげな男の姿があった。
ラウド・バルクーナ。
ボサボサの黒髪に、常に寝不足なのか目の下のクマはいつまでも消えることはない。猫背気味な身体は細身で、不健康そうな雰囲気が漂うが、締まるところは締まっていた。彼はとある教師の部屋をノックするなり、部屋の主の許可も無視して入室した。
外の陽気とは真反対な部屋の湿っぽさと埃臭さが籠る、まるで図書館のような本棚に囲まれた室内。床にも本が散乱し、使用者のずぼらさがそこかしこに窺えた。
ラウドは、こちらの顔を見るなり「うげっ」という露骨に嫌な顔をする失礼者に精一杯の作り笑みを浮かべながら、簡単に用件を伝えた。
反応は芳しくない。速攻の否定はいつものこと。彼女の性格はよく知っている。
「お前が来ると碌なことがない。帰れ帰れ!」
「まぁまぁ、そう言うなって」
「私は忙しいの!」
机を激しく叩く女性の名は、レイナ・ヒュリスト。透き通った水色の長髪と白磁を思わせる肌。切れ長の瞳に整った鼻筋は十分美人だ。この学校に長く勤める歴史教師である。黒を基調としたスーツは教師然としているのだが、本人曰く、これしか持ってないらしい。
「私はようやく今日の授業を終えて、リラックスタイム真っ最中なの。これから学食の人気ナンバーワンメニュー“メルン豚の爆盛り丼”を食べて、優雅に読書を勤しむつもりところだったのに」
「毎度思うが、お前の細身のどこにそんなに食べ物が入るんだ」
「お前と違って、思考による消費エネルギーが高いのよ。教師も大変なの」
「燃費悪いなぁ。だから栄養が身体に行き渡っていないのか」
「これでも節制している方なんだから。いいことでしょ」
自慢げに胸を張るレイナに、どこか蔑んだ瞳をラウドは送る。
「そうか……。頭ばっかに使い過ぎて、肝心な部分は貧相のままなんだな……」
「こらっ、何を納得している! 私はスレンダーボディーなだけだ!」
残念そうに目尻を拭う仕草に、レイナはムキになって立ち上がる。
レイナは決して痩せているわけではない。
そう、メリハリがないだけなのだ。実は一番気にしている胸元の平坦さを指摘されると、過剰に反応するのである。
「とにかく、私の楽しみの邪魔をしないでよ。魔術の研究で忙しいんだから」
「そんなのいつだってしてるだろ?」
「過去の歴史を紐解くのは大事な使命なの。そこから未来は変化をもたらす。お前には分からないだろうけど」
チェアに再び腰を下ろし、ラウドから背を向けてレイナは読書を始めた。
五年前、この大陸では大規模な戦争があった。
――通称、魔術戦争。
魔術が一般化したことで、魔術師の人口が増加。それと共に悪用する者が後を絶たず、軍は大掛かりな粛正を行った。魔術師は軒並み狩られ、人権すら剥奪を余儀なくされた。
以降、魔術は禁忌とされ、一応の平和が維持されている。
レイナはその研究者でもあった。
「なら、今に目を向けようじゃないか。実はな、一年ほど前、とある村に予言者を騙る人物がやって来たそうだ」
「予言者ぁ?」
レイナの怪訝な目線がラウドに向けられる。
「なに、そのキナ臭さは」
「だろ?」
ラウドは深く頷き、続ける。
「その、とある村――カナエリ村というんだけどな。長年ひどい干ばつに見舞われていたようなんだ。水源が無いのでは生活がままならない。村人はどうにか近隣の村から水を工面していたらしいんだが、それでは金銭が掛かり過ぎる。困り果てた、そのとき――予言者を名乗る男が現れたんだとさ」
「依頼人はその村人?」
「ああ。名前はスマックさん。村長じゃない、普通の村人さ。水の確保については昔から嘆願がある度、国も少しばかり支援してたんだがな。どうも今回はちと様子が違ってな」
「予言者が現れて大変なんですなんて、直接来られても軍も困るわよね」
「そうなんだよな。それで俺が選ばれたわけなんだが」
ハイトーンの軍人であるラウドには度々こうやって問題処理係として案件が回ってくる。斥侯部隊に所属しているわけではないのだが、各地の小さな揉め事を解決していく内に、いつの間にかこういう任務を請け負う専門の人間になってしまっていた。特にエリート出身でもないラウドには、自由に立ち回れると軍上層部は考えたのだろう。
「予言者は自らをオッザムと名乗った。そいつは特に何かをするでもなく、ある特定の場所を指定してそこに水源があると言ったそうだ。村人たちは半信半疑のまま、一応その場所を掘ってみると本当に水が湧き出たらしい。そうして村は窮地を脱したんだ」
以降、オッザムは村の英雄としてそこに住むことになった。そこまで聞けば、単なるいい話なのだが、問題はそれからだった。
「オッザムはそれからも予言を行った。火事や地震、病気などそのどれもがことごとく的中した。村人たちは逆に気味悪がって、オッザムの機嫌を損ねないよう、どこか神格化して崇めるまでになったんだと」
「そんな悪い予言ばかりされちゃね。でも胡散臭さ全開ね」
「どうだ、興味が湧いたか?」
「別に」
とは言いつつ、レイナの身体はしっかりラウドの方を向き、本も置かれている。
「でも、どうせならもっとイイことを伝えたらいいのに」
「もっとメリハリボディが手に入れられるようになるとか、いい男に巡り合えるだろうとか?」
「そうね。お前なら財宝のありかとか、運命の女性に出会う場所とかな。どうせ、依頼料に目がくらんで碌に考えもせず引き受けたんでしょ」
「軍からの正式な依頼だ。困っている人は放っておけないだろ」
もっともなことを言いつつも、ラウドはズバリな指摘を受けて内心冷や汗をかく。軍人といえど下っ端でしかないラウドの生活は苦しく、毎月の生活費で懐事情はいつも寂しい。常時金欠なラウドには、こういった特殊な任務は是が非でも成功させたいのだ。
「調査にはお前一人で行けばいいでしょ。それとも何? それが魔術と関係でもあるの?」
「分からん。でもお前のその知識が役に立つかもしれない。だから一緒に来てくれないか」
「無理ね。こちらには何のメリットもないもの」
今度は真剣な表情でお願いするも、レイナはやはり拒否した。
「それじゃ。学食が私を待ってるから」
「……分かったよ。邪魔したな」
肩を落として、ラウドは部屋を出ようとする。そして、まるで独り言のようにドアに向かって小さく呟く。
「あーそういえば、カナエリ村には名物があったな。“エルダードチキンの香草焼き”だっけ、確か」
「…………何?」
「それに予言で湧いた温泉との相乗効果で、村の女性は全員豊満なスタイルだとか。観光がてら行ってくるかぁ」
誰かさんに聞こえるように、出まかせをわざとらしく言うラウド。そして、それを耳にしていないはずはないレイナは、ガサゴソと全く関係のない書物を手に取って、上下逆さまのまま読む素振りをしながら平坦な口調で言った。
「ふむふむ。なになに、カナエリ村周辺には? 魔術の歴史から見ても、重要な土地? そっかー、それならば仕方ない。これは利害の一致ね、そう仕方ない。よし、私もついて行ってやろうじゃないか」
やはり、ちょろい。ラウドは心の中で握り拳をつくる。
◆ ◆ ◆ ◆
明朝。事前に馬車を調達しておいたラウドは夜明けと共に出発。なんだかんだとラウドの嘘を信じたレイナもちゃんとついてきており、馬車の揺れに文句を垂れながら持参の書物を読んでいる。
ハイトーン共和国が誇る、脚力の強い軍馬でもカナエリ村までは時間がかかる。整備された街道から林道を抜けて、到着した頃には昼間になっていた。
「どうも! お待ちしておりました」
村の入口で二人が馬車から降りると、慌てたように男が一人駆け寄ってきた。みすぼらしい服をまとった年齢にして四十代ぐらいの男だった。
「遠路はるばるお越しいただきありがとうございます」
「もしかして、あなたがスマックさん?」
「はい。この度は私の依頼を受けていただきありがとうございます」
にこりと愛想よく笑みを浮かべて、男は頭を下げた。こちらが軽装とあって、依頼人に怪訝な目で見られることも度々あるのだが、彼にはそういった疑いの眼差しはない。信用とも取れるが、それだけ事態が困窮しているためでは、とラウドは受け取った。
「おい」
と、ラウドの背後にいたレイナが小声で軽く小突く。
「なんなの、この村は。ひどく寂れているじゃない。ほんとにあの伝説のエルダードチキンはあるのか?」
彼女の中では既に伝説級の料理になっているらしい。彼女は無視して、首を捻るスマックにラウドは気にするなと手を振った。
「それで依頼の件なのですが」
「はい。どうぞお入りください」
閑散とした村内を、スマックに案内されながら歩く二人。村人の姿はあまりなく、ひどく静かだ。途中、農作業に勤しむ老夫婦を挨拶を交わしたぐらいで、レイナの言うように寂しい印象が強く感じる。
「一年前、あの予言者が村を救ってくれました。そこまではよかったんですがね」
声音を落として、スマックは現状を伝え始めた。
「依頼ではその予言者――オッザムが悪い予言ばかりしているとか」
「ええ。我々住民はすっかり参ってまして。彼の予言は必ず当たりますから、また困りものなのです。ですが、予言は予言。それは仕方がないのですが」
「と、仰いますと?」
「予言の力をいいことに、オッザムは我々から金銭を要求するようになったのです。献金と称してね。多額の金を積めば、予言は回避できると」
「ええ? そんなのお金でどうにかなるものなの?」
キョロキョロと周囲を見回していたレイナが訊く。
「実際なっているから参っているんです。我々も生活が豊かではないし、お金を貢ぐには限度がある。でも予言は止めない。まあ予言ですから、将来起こることを言語化しているに過ぎませんし。お金を払って危機を脱せられるなら……と」
「お金を払わなければどうなるんですか?」
「もちろん、被害をそのまま被ります。場合によっては命も落とします。おかげで住人も随分減りました」
「それは怪しいですね」
ラウドが唸る。
「ですので、あの予言者の調査をお願いした次第でございます」
村の奥には噴水があった。辺鄙な村にしてはいやに目立つそれは、水源が発見された際に造られたものだとスマックが説明してくれた。この村唯一の名所と言えなくもない。
噴水の前に全身ローブの人影があった。その人物は噴水に向かって手をかざし、何やらブツブツ唱えているようだった。
「あれです。あの男がオッザムです」
「んん? 何じゃおぬし等」
目深に被ったフードからは判断しにくいが、恐らく若くはない。しゃがれた声で、オッザムがこちらに目を向ける。
「オッザム! お前のせいで村は大混乱だ! これ以上迷惑をかけるというのなら出ていってもらう‼」
声を張り上げるスマック。フードから覗く口角が、ゆっくりと持ち上がった。
「そうか。軍に助けを求めたのか。だがな、私はこの村を救っているだけだ。それの何がいけない?」
「その点には感謝しているさ。だがな、お前はそんな救世主としての立場を利用し、金儲けを始めた。貧しい我々から搾取していく悪魔になったんだ!」
「この村の運命は徐々に悪い方向に流れつつある。それを私は食い止めようと動いているのだ。なぁに、些細な対価ではないか」
激昂したスマックが掴みかからんばかりの勢いで足を踏み出そうとしたところで、ラウドが制した。
「オッザムさん。あなたの予言の真偽はともかく、私たちはこの村の調査に来ました。あなたについてもね。しばらく滞在させてもらうつもりですが、結果如何ではあなたを連行させていただくかもしれません」
「私の力を疑うか。しかし、村人は私の予言を待っているのだ。それを邪魔しようというのなら――」
言葉を切って、オッザムが両腕を広げた。唇が凄まじい速度で動き、言葉にならない呟きが紡がれる。
まるで呪言のようなおぞましさに、ラウドとレイナの背筋が凍る。
「お前らはこれから、もがき、苦しみ、息も出来ぬほどの地獄を味わい、やがて惨たらしい死を迎えるであろう……」
声高にオッザムは言った。さながら神父が天啓を受けるように、あり得ぬ超常的な力を受けた上での発言。
これが予言。
到底芝居とは思えぬ迫力だ。
「ばっ、馬鹿馬鹿しい。そんなもので私たちが――」
思いっきり強がりを見せるレイナだが、顔は引き攣って後退りし始めている。ラウドが声をかけようとした束の間、道端の小石に引っかかって勢いよく転倒。後頭部を強打した。
「ぬおぉぉおおお……。まさかこれが予言の力……」
「いや、それは単にお前がマヌケなだけだ」
もんどり打つ女教師の姿に、冷静なツッコミを入れるラウド。
そんな彼らが滑稽に映ったのか、オッザムが肩を揺らしながら静かに笑う。
「信じられぬか。ならば証明してやろう」
オッザムが自信めいた口調で、噴水の近くに建つ民家を指差す。直後、住人であろう中年男性が外へ出てきた。
「私は数日前、あの者にも予言した。“近いうちに心臓が止まり死に至るだろう”とな」
生唾を飲んで、ラウドは隣のスマックを横目に見る。スマックは重々しく首肯した。どうやら本当らしい。
「あの者もお主らと同様、私の力を信じぬ愚か者だ。だが――見よ」
ラウドが視線を戻す。その中年男性には既に兆候が表れていた。息苦しいのか胸元を押さえ、足元はふらついている。やがて膝をつくと、中年男性は天に救いを求めるように手を伸ばし、ゆっくりと倒れていった。
「なっ……⁉」
ラウドはすぐさま中年男性の元に駆け寄った。抱き上げてみたが、力無く、ずっしりとした全身の重みだけがのしかかる。
確かめるまでもない。
苦悶に満ちた表情は、紛れもなく死を意味していた。
高らかに笑うオッザム。ラウドは唖然とするしかなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
――夜。
この村には宿がないため、スマックの家に泊まらせてもらうことになった。
二階に寝床を用意してもらい、荷物を置いた早々に、レイナは「調べたいことがある」と言って出て行ってしまった。彼女なりに思うところがあったのか、詳細は教えてくれなかった。
小一時間程して夕食時。運ばれた料理皿でテーブルが埋め尽くされる丁度そのときに、レイナも姿を現した。
「おお、まさかこれは!」
「お前、まるで狙ったかのようなタイミングで戻って来たな。さては匂いに釣られたか、この卑しいヤツめ!」
「エルダードチキンの香草焼きです。せっかく来ていただいたんですから、これぐらいはおもてなししませんと。さぁ、どうぞどうぞ」
丸焼きにされた鶏肉に香草が包まれた大胆な料理が、大皿に乗っているのを一目見て、興奮するレイナ。さっそく口に入れようとナイフとフォークを手にしたところで、ラウドが待ったをかけた。
「そういえばお前、馬車で酔っただろ。ほれ、酔い止めがあるから食事前に飲んどけ」
「アンタな……そういうのは乗る前に出しなさいよ」
ブツブツ言いながらも、ラウドから差し出された錠剤をちゃんと受け取ってレイナは口に含む。
夕飯を食べながら、ラウドはふと手を止め、こう会話を切り出した。
「それにしても、あの男何者なんだ? 信じられん」
「あれがオッザムの恐ろしいところなんです」
スマックが嘆息する。
「ああやって予言するだけで本当にその通りになるんですから」
「案外、被害者は持病があって発作を起こすタイミングを狙った……とか」
「彼にはそんなもの無かったはずですよ。インチキだと疑いたくなりますが、全部現実に起こるんです。どんなカラクリがあるのやら……」
人智を越えた超常現象を間近で体感した人間は、もれなく畏敬の念を抱く。この村にはそれが蔓延している。オッザムの狙いもそこだろう。力云々の正体は別にしても、金銭目的で人の命を弄ぶのは許せない。
とはいえ、のんびりもしていられない。調査期間も制限がある。軍本部も大して問題視していなかったから、ラウド一人だけを派遣したのだ。
どこかで尻尾を出しさえすれば――。
◆ ◆ ◆ ◆
食事も終わり、満足のいく情報も得られぬまま一日が過ぎようとしていた。
食事中、一心不乱に料理を貪っていたレイナが、満腹の余韻に浸りながら欠伸をかみ殺す。
「ふぁ~あ。さぁて、じゃあ寝ようかな。調査はまた明日改めて……って、ラウド?」
背中を丸めて微動だにしないラウドに、レイナが呼びかけるも返答なし。
ぐらり、とラウドが揺れた。そのまま落ちるように床へ倒れてしまった。
「ちょ、どうしたのさ!」
「う、ぐ……」
顔を歪めて苦しそうに呻くラウド。ふとレイナの頭によぎったのは、夕方の光景。あの中年男性と同じ反応だ。
「こ、これは……」
と、今度はレイナにも同様の苦しみが襲ってくる。胸は焼けるように熱く、呼吸ができない。全身に激痛が走り、その場に膝を突く。
「くく……」
意識が朦朧とするレイナの耳に届いた、くぐもった声。
それは笑いだった。それも噛み殺したような嘲笑。霞む視界で見上げた先で、スマックが肩を小刻みに揺らしていた。
「はーはっはっは!! かかったな、馬鹿め!」
顔を歪ませ、狂ったように仰け反って哄笑するスマック。
「さっき貴様らが食べたものの中にはな、毒が仕込んであったんだよ!!」
「な、なぜ……」
痺れる唇で、どうにか言葉を絞り出す。スマックがうずくまるレイナの髪を無理矢理掴んで、顔を引き寄せる。
「教えてやろうか。それはな、俺とオッザムが手を組んでいるからさ」
「…………!?」
「奴は、魔術戦争の生き残りでな。傷ついて村の前で倒れているのを見つけて介抱してやった。それが始まりさ。それから奴はこの村の状況を知って、魔法で水を出した。水源を発見したなんて真っ赤な嘘。それからだ、金儲けを思い付いたのは」
「じゃ、じゃあ予言者っていうのは……」
「俺がそう仕立て上げたのさ。最初だけなんだよ、奴が力を使ったのは。それ以外、なーんもしちゃいない。協力して、口からの出まかせを俺が裏で実行していたんだよ」
「なぜ、そんなことを……」
「野望があったのさ、俺もオッザムも。だから俺の提案を奴はすんなり受け入れた。オッザムは魔術師としてまた世に躍り出たい。俺は奴は有名にさせることでもっと金を集めたい、そういうことだ」
雑に放り投げられ、レイナは地面に叩きつけられた。身体に毒が回り手足の指先の感覚も無くなっている。正直、オッザムの言葉も上手く聞き取れない。
「お前らを呼んだのも同じ理由さ。共和国内にオッザムの噂が広まれば、力見たさにもっと人が集まるからな! ひゃは、ひゃひゃひゃ!」
奇声のようなスマックの笑い声が家中に反響する。
そこへ。
あまりに冷徹で静かな声が、鋭く斬り裂く。
「なるほどな。それが全容か。大して面白くもない真実だったな」
心臓を鷲掴みにされたような表情で、スマックが振り返る。そこには数分前まで倒れていたラウドが平然と立っていた。
「お、お前なぜ……!?」
「俺は元・暗部の人間でな。子どもの頃からの訓練で毒物には耐性があるのさ」
ハイトーン共和国軍には裏の歴史がある。
通称、暗部。正規軍とは異なり、訳アリの特殊任務をこなす部隊の名だ。表立って活動しない彼らは軍内部でもその存在を知る者は限られ、また構成員もどれだけいるのか記録としても残されていない。
任務は多岐にわたり、諜報活動や時には暗殺さえある。個人での活動が多いため、実力は正規軍の隊長クラスに匹敵する。
「レイナ。お前もそろそろ薬が効いてくる頃だろ」
ラウドの呼びかけに、レイナの指先が微かな反応を示した。そして、ゆっくり身体を起こす彼女にスマックは声にならない悲鳴を上げた。
「……やっぱり、あれは毒を中和するためのものだったのね」
食事前にラウドが渡した酔い止め薬。
こういった特殊な任務をこなしてきたラウドには、最低限の保険として常備しているアイテムが幾つもある。毒消しもその一つだ。人間の闇の部分を長年見てきた男の信条として、他人を信用することはまずない。
「……ったく、それでもかなり危なかったわよ。まだ少し身体が痺れてるし」
「どうしてお前ら……。まさか最初から気付いて……!?」
「あの“エルダードチキン”。あれは大陸の北方にしか生息しない稀少な鶏だ。そして、あの地方にはもう一つ有名なものがある。それが“マンギャン草”。食べた者を即、死に至らしめる毒草だ。お前さん、恐らくはあっちの出身なんじゃないか?」
任務の為に各地を回るラウドの武器は、圧倒的な情報量にある。その地域ごとの特色は脳内に全て記憶され、彼自身の優秀さを示している。事実、共和国軍の上層部でも彼への信頼は厚い。この時代、情報は何にも代えられない価値になるからだ。
「私からも一つ」
レイナが微笑みを浮かべ、人差し指を立てる。毒消しの効力で淀みなく彼女は言った。
「被害者の遺体を調べに行ったとき、お前が被害者に何かを飲ませていたのを目撃した人がいたの。死ぬ丁度一時間前にね」
「火事は放火、地震は多分この辺りで行軍でもあったんだろ? ま、推測の域だったからな。半信半疑だったんだが、見事にゲロってくれて助かったよ」
「ぬぐぐぐぐぐ……」
「私は、オッザムが魔術師だってのは見抜いてたけどね」
胸を張るレイナに、ラウドは疑惑の眼差しを向ける。すっかり信用していたのはどこのどいつか、という目で。
「う……うおぉぉおおおおお!」
追い込まれたスマックがレイナに襲い掛かる。
軍人として軽装ながら武装しているラウドよりも、どこぞの事務員のような警戒心皆無なレイナに狙いを定めたのだろう。咄嗟の判断としては間違いない。だが、追い込まれた者の精神状態を熟知するラウドにとって想定内の動き。
ラウドは両脚に巻いたレッグポーチから短刀を素早く抜く。逆手に持ち替え、腰を低くし、床を蹴った。
疾風のように駆け抜ける。
直後、スマックが血しぶきを撒き力なく崩れ落ちた。
「鮮やか」
「行くか」
「ええ」
この村に起こったすべての事象は、紛い物でしかなかった。魔術戦争によって残った燃えカスが起こした、エゴ。各地に未だくすぶる、残り火はこうやってアイデンティティを示そうと行動を起こす。
魔術師。
対峙する相手が彼らであったとき、決まってレイナは表情を曇らせる。憂いを帯びたような、怒りも悲しみも含んだ――苦悶の顔を。
ラウドは軽くレイナの背中を叩く。
◆ ◆ ◆ ◆
夜の空気は少し冷たかった。
風があるせいか、木々のざわめきが静かな村には不気味な音色となって辺りを包み込んでいた。
オッザムはこんな時間になっても、まだあの噴水にいた。
この小さな村には、共和国のような華々しい灯りなどあるはずもなく夜ともなれば完全な闇と化す。家屋から漏れるランタンのような申し訳程度のような光はあっても、それが村の奥にまで届くわけはない。
それでも、オッザムの周囲は光があった。噴水だ。まるで蛍のような燐光が空気と合わさり、ゆらゆらと飛んでいる。
それが魔法によるものだというのが何よりの証明だった。
ラウドが捕縛したスマックをオッザムに投げつける。
「これは……そうか」
「お前らのやったことは立派な殺人だ。言い逃れは許されない。同行ではなく、強制連行させてもらうぞ」
「欲深いからだ。金に目がくらんで焦るから、簡単に見抜かれる」
汚物でも見るかのような目で、オッザムは吐き捨てた。
「悪事がばれたっていうのに余裕なのね」
「確かに私はこの男に協力した。だが私の真なる目的は、そんな即物的なものではないからな」
「魔術師としての地位復権か」
「そうだ! 我々はあの戦争によって何もかも失った。無害な魔術師たちさえも危険分子とみなされ、差別され居場所を失い、挙句に殺されていった。そんなこと許されると思うか、全てはお前らのせいなのだ軍人共!!」
オッザムの嘆きが魔力になって放出される。噴水の水が飛沫を上げ、空へと高く舞い上がる。まるで意志を持ったそれは、踊るように形作られ、一つの物質へと変化する。
「……ッ!?」
長い頭部にはめ込まれた真紅の瞳。あらゆる方向に湾曲した長い胴体。まさしく大蛇そのものだった。
「ふははははははは!! どうだ、臆して言葉も出ぬか!!」
これだけ高出力の魔力の塊を見せられれば、ラウドも容易には近づけない。所持している短刀では玩具同然だろう。
どうする。これは想像以上に厄介な案件だったか。
強く歯噛みしたラウド――と。その横を、レイナはまるで散歩でもするような足取りで進み出た。
「よく練られた魔力ね。犯罪者にしておくには惜しい人材だわ」
「……ほう、分かるのか。どうやら同業かね」
「そんなところよ」
「ならば、なぜそんな男と行動を共にする? そいつらは悪魔だ! 自分たちの覇道の邪魔になると我々を排除した殺戮者なのだぞ!」
感情を露わに、オッザムが吼える。殺意が魔力に乗り、水蛇が甲高く鳴いた。いわれのない弾圧。そして敗戦。抱え続けた嘆きの奔流がオッザムの力の源だ。
レイナは哀しげに首を振ると、小さく呟いた。
「残念ね。その才能をもっといい方向に導ければ、やり直せるはずだった。ごめんなさい。私にその資格は無いのだけれど、これもまた私が為すべきことなの」
「お主、何を言って……」
周囲の空気が一瞬にして張り詰める。
呼吸も困難なほどの冷気が、木々を、大地すらも蝕む。異常気象のようだが、その発生源はレイナ。彼女を中心として、膨大な魔力が渦を巻いているのだ。
「お、お……!?」
魔力の余波を全身に浴びて言葉を失うオッザム。己とは桁違いの魔術師だと認識し、愕然とする。
そうして、レイナの前方に冷気が集中――巨大な氷柱が大地に突き刺さった。それだけではない。極めて透明度の高い氷柱の中に女性らしき人影があった。
「ま、まさか、それは……!」
眠るように身体を丸めた女性が氷柱の殻を勢いよく破った。氷片が激しく散り、光の粒子が舞う。
人間なようで人間ではない。この世のものとは思えない美貌を持った青白い肌をした女性。大きさも、レイナの二回り以上ある。
「召喚獣……!? き、貴様、召喚士か!」
「そう。古来より神々は自分たちを模した人形を造った。それが召喚獣。魔力を元素として構築された召喚獣は、ありとあらゆる天変地異を引き起こす。それを封じる役目を担うのが召喚士。魂と引き換えに彼等と契約を交わし、力を借りることができる」
レイナは厳かな声で答えた。
「そんなもの、実在するなどと聞いたことがない! 召喚士と言えば我々魔術師の始祖と呼ばれる存在だぞ!?」
「私たちの力は強大過ぎる。世界に影響が及ばぬよう、徐々に歴史の闇に埋もれようと自ら姿を消しただけ。数は少なくなったけど、能力を受け継いだ子孫はあちこちにいるわ」
「馬鹿な……!!」
驚愕しながらオッザムは、それでも怒り狂ったように叫ぶ。
「ならば、生きているならば何故、あの戦争に参加しなかったのだ!! 貴様らがいてくれさえすれば勝利など簡単だったのではないか!?」
「臆病者を許してちょうだい。貴方を裁く資格がないと言ったのはそういう意味。私たちは決して表舞台に立ってはいけないの。また別の諍いが起こるから」
哀しげに声を落としてレイナは瞳を伏せた。
戦争の敗北者として苦汁をなめてきたオッザムは、わなわなと肩を震わせながらありったけの魔力を注ぎ、水蛇を強化した。そして命令を下す。
「死ねぇぇぇぇええええええええ!!」
「やりなさい、ダイアナ」
レイナが指を鳴らす。小気味のいい音を聞き届けた氷の召喚獣が両手を天に掲げる。大気を冷気の魔力へと変え、手のひらへと凝縮。勢いよく前方に解き放つ。氷の波動が砲撃の如く放射される。
「ヒッ!?」
「加減はしてあげる。だから大人しくしてね」
水蛇を容赦なく吹き飛ばし、オッザムを飲み込む。彼の象徴でもあった噴水までをも粉砕して、数十メートル先までの氷の道が生まれた。
雪の結晶が降り注ぐ凍えるような寒さは、もう何十年と降り続いたような歴史の重さがあった。
◆ ◆ ◆ ◆
翌日。事件も解決し、帰りの道中。
馬車に揺られながら、ラウドは荷台でのんびりと寝転がっていた。幌の中は陽の光を和らげ、時おり小石で跳ねる揺れもなんだか心地いい。
このままひと眠りしようか――そう思っていたとき、ふとレイナが思い出したように叫んだ。
「は!? しまった!」
「ん?」
「誰でも豊満なスタイルになれる温泉に入り忘れた!!」
「まさか本気であれを信じてたのか、お前」
アホだなー、とラウドが呆れた視線を送る。
「にゃにぃ!? また私を騙したのか!!」
「ああでも言わんとついて来ないと思ったからな。にしても単純で助かった」
「お、ま、え……!」
「はっはっは」
「だからお前はモテないんだ! 占い師から永久に女難の相があるって言われたんだってな! ぶぁーか!」
「なんでそれを知っている!? テメェも同じだろ、この万年男日照り女が!!」
幌の外で御者が複雑な顔をする中、とても男女の会話とは思えない罵り合いが永遠に続く。
最強の兵士と伝説の召喚士。
互いに反発する関係だが、解決率だけは凄まじい。帰路に着けばまたすぐにコンビを組むことになるのだが、それはまた別の話。
彼らの日常は、こうしていつものように過ぎていく――。