おれの母ちゃん53歳
年を取っていても、太っていても、美人ではなくとも、小さい頃から自分のお母さんを誇れていた人は、とても素敵です♡
おれの母ちゃんは、五十三歳。
今、おれは十一歳。
だから、母ちゃんはおれを四十二歳の時に産んだ計算になる。
おれは、そのことを知られたくない。
本当にだれにも知られたくない。
まえの学校で、さんざん「おばあちゃんか?」と言われ、からかわれたからだ。
母ちゃんには、悪いと思っている。
でも、馬鹿にされるのはがまんならない。
この町に四月に転校してきてから、友達はたくさんできたけれど、一度も家によんでいない。
ところが、今日担任のさくら先生が言ったんだ。
「授業参観がありますから、ご家族のだれかにこのお知らせを見せてね」
「かっちゃん。授業参観なんてめんどうだよね」
そう言う隣の席のひとしに、「そうだな」と余裕ぶってこたえながら、おれはそのプリントをくしゃくしゃに丸めて、見つからないようにごみ箱に捨てた。
「おい、かつじ!どういうことなんだ!」
その日の夜、父ちゃんのかみなりが落ちた。
転校生のおれの家には、授業参観の案内がじきじきにさくら先生から電話できたらしい。
おれは、からだがぶるぶるした。
この世で何が一番こわいって、そりゃ父ちゃんだ。
父ちゃんは、工事現場の監督をしている。
だからってことはないが、めっぽう力が強い。
殴られたら、絶対次の日学校には行けないだろう。
母ちゃんは、だまっておれと父ちゃんを見ている。
とうちゃんは、おれをにらみつけて、どすのきいた声で言った。
「理由をいってみい」
言いたくなかった。
でも、父ちゃんも母ちゃんもおれの嘘を見抜くことに関して天才的勘が働く。
嘘は、絶対ばれる。
ばれれば、もっと怒られる。
おれはふるえあがる声で、やっとこさ言った。
「授業参観に母ちゃんに来てほしくなかったから」
ごくり。
父ちゃんの怒りが大きくなるのを肌で感じた。
母ちゃんは、ウンともスンともいわない。
「なんでじゃ?」
「歳をとっているから」
おれが言い終わると同時に、父ちゃんはばんっとテーブルをたたいた。
が、しばらく間をおいて、びっくりするほど落ち着いた声を出した。
「かつじ。それでいじめられとるんか?」
「いや、ともだちはたくさんいる」
「そうか。ならいい。しかし、父ちゃんから命令だ。明日、学校から帰ったら、母ちゃんの集金の仕事に一緒に行け。いいか、父ちゃん命令だ」
母ちゃんは、以前は専業主婦だったけれど、この町に来てから新聞の集金の仕事を始めた。
『ぜったいいやだ。クラスメイトの家も回るかもしれないんだぞ?』
そう心の中で叫んだ。
しかし、父ちゃんの命令は絶対だ。
口ごたえできるはずもなかった。
次の日、学校から帰って、おれはゆううつな気持ちで玄関を出た。
母ちゃんが、くつをはきながら、しんみり言った。
「かつじ。お母さん、かつじの気持ち、すごくわかるよ。お母さんもおばあちゃんが遅く産んだ子だったでしょう。若いお母さんにあこがれていたもの」
おれは、泣きそうになって、それを隠すように笑って言った。
「さぁ、どの家から回るの?」
「まずは、隣町からだよ」
『隣町か……』
隣町に住んでいるひとしや、学級委員の宮西さゆりの顔が浮かんだ。
ばちっ。
おれは、顔を両手でたたいて二人の顔を無理やり打ち消した。
母ちゃんは、隣町につくと、まず花たちがきれいに咲いている家を訪問した。
「こんにちは~!!山野辺しんぶんで~す!!」
人のよさそうな、小太りの八十歳くらいのおばあちゃんが出てきて、言った。
「あら、川野さん。待っていたのよ。はい、お金。お茶、飲んでいってよ」
「嬉しいです。でも、今日はちょっと連れがいるもので」
「え?連れ?」
おれは、仕方なしに玄関のドアから見えるところに立って、
「こんにちは」とあいさつした。
「おまごさん?」と言われるのではないかと、びくびくした。
が、予想に反して
「まぁ、さすが川野さんの息子さんだわ!あいさつがきちんとできるのね。感心だわ。川野さんから、ときどき話を聞いていたのよ」
という答えが返ってきた。
そのおばあちゃんは、おれに無理やり缶ジュースを握らせて、笑った。
「お母さんには、本当にお世話になったの。私が急に胸が苦しくなって具合が悪くなった時、病院まで連れていってくれたのよ」
次の家の人には、お饅頭をもらって、こう言われた。
「お母さんって親切な方なのよ。私、コンタクトを玄関で落としちゃったのね。それを一緒に探してくれたの」
次の家の人には、アイスをもらって、こう言われた。
「お母さんって優しい方なのよ。側溝に落ちた我が家のワンちゃんを助けてくれたんだから!」
本当にたくさんの人が母ちゃんにお世話になったと話してくれた。
そうでない人からは、「お母さんの笑顔が良い」だの「お金を出すのがおくれても、嫌な顔をせず、何度もたずねてくれる」だの色々褒められた。
そして、息子のおれにもすごく優しい。
「母ちゃん、この町の人全員に何かしてあげるいきおいだな」
おれはそんな冗談を言えるほど、何だか嬉しくなっていた。
母ちゃんは、「大したことはしていないんだけどね」と笑った。
そうだ。
おれの母ちゃんは、面倒見がよくて、親切で、誰に対しても優しいんだ。
それなのに……
「母ちゃん、ごめ……」
「かっちゃん!」
おれは、その声に一瞬心臓が凍った。
おそるおそる振り向くと、そこにひとしがいた。
さっきまでの嬉しかった気持ちが急にしぼんだ。
母ちゃんと他人のふりをしたかったけれど、そうはいかない。
「かっちゃん、何してるの?」
「おう、ひとし。えっと……」
かんねんして、母ちゃんのほうをむくと、母ちゃんがいない。
『あれ?母ちゃん?もしかして、おれに気をつかったのか?』
「ちょっと、ここら辺に用事があってな」
おれは、やっとの思いでそう言った。
「宮西の家の前で?もしかして、宮西に用があるの?」
ひとしが目をきらきらさせながら聞いてくる。
「え?宮西って?宮西さゆり?」
「告白みたいなことするの?」
「ばか言うな!」
そう言いながらも、ちらっと宮西の家の門の中を見てしまった。
『あ!母ちゃん!』
あやうく声を出しそうになった。
玄関のドアの向こうに母ちゃんがいた。
一緒に話しているのは、おそらく宮西のお母さんなのだろう。
目元がそっくりだ。
そして、すごく若くて、きれいだ。
歳の離れたお姉さんと言っても、通用する。
おれは、ますます焦って、ますますみじめになって、どうしてよいのか分からなくなった。
「川野君と山田君!」
突然の声に、おれたちは、ぎょっとした。
宮西が、学校から帰ってきたのだ。
なんて間が悪い!
「学級新聞作りをさくら先生から頼まれてさ。遅くなっちゃった。私に何か用?」
「いっいや、べつに」
おれたち二人は情けなくも、それ以上言葉が出てこない。
「用があるのは、かっちゃんだろう?」
とひとしが横っ腹をつっつく。
「ちがうよ。おれは……」
宮西も、興味深げにおれを見る。
告白だなんて思われたくない。
でも、母ちゃんのことも知られたくない。
どうすりゃいいんだ。
絶体絶命ってこういうことをいうのか?
おれは、今すぐ逃げだしたい気持ちだった。
あはははは。
笑い声が家の中からする。
『母ちゃん、笑っている場合じゃないよ』
おれは、自分の運の悪さを呪った。
「あれ?あの人……」
笑い声につられたのか、ひとしが母ちゃんを見て言った。
『あぁ、もう隠し通せない』
おれは、なるたけゆっくりと振り向いた。
「やっぱり!あの時のおばさんだ!」
ひとしは、ずかずかと宮西の家の玄関に入っていった。
宮西が「あら?何だか特ダネの予感」とひとしに続いたので、心配になったおれも後を追った。
「おばさん、探していたんだよ。あの時はありがとう。妹のあやこ、元気にしているよ」
「まぁ、あやこちゃんのお兄さん。元気にしているのなら良かったわ」
「家のお母さんが、ちゃんとお礼をしたいって。連絡先も言わずに行っちゃうんだもん」
『母ちゃんとひとしが知り合い?』
おれは、何が何だか分からず、きょとんとしていた。
「かっちゃん。このおばさん、おれの妹の命の恩人なんだ。赤信号で突っ込んできた車から、妹を助けてくれたんだ。自分だってケガをしたかもしれないのに」
ひとしが、早口で報告した。
宮西が、感激した様子で言った。
「それ、すごい!詳しく聞かせてください!学級新聞に載せたいわ!」
母ちゃんが、困ったようにおれを見る。
宮西のお母さんが、更に言う。
「川野さんがすごいのは、それだけじゃないのよ。いつも気持ちよくあいさつしてくれるのはもちろんだけど、道端に捨ててあった空き缶を、さりげなくごみ箱に入れるのを、お母さんたまたまこの前見かけたの。それに、スーパーのカートが駐車場に置きっぱなしになっていることあるでしょう?それを危なくないように、さっと元の位置に戻しているのも見たわ。簡単なようで、なかなかできないことよ」
宮西は、興奮しながら母ちゃんを見上げた。
「すばらしいです!是非、学級新聞に掲載させてください!」
「そうだよ!妹もよろこぶよ!」
「川野さん。ここら辺の方達、皆さん、川野さんの行動を褒めているわ。子供たちの良いお手本になるのではないかしら?」
宮西のお母さんまで、すすめている。
あまりの盛り上がりように、おれは、思わず声を張り上げた。
「はっきり断りなよ!」
『しまった』と思った時には、遅かった。
ひとしと宮西と宮西のお母さんが顔を見合わせた。
「おばさん、かっちゃんの知り合いだったの?」
何も言えずに固まっていた母ちゃんは、おれをまじまじと見つめてから、こくんと頷いた。
『え~い。ばれちゃしかたがない』
「母ちゃんを学級新聞に載せるなんて、絶対だめだ!」
「母ちゃん???」
ひとしと宮西が顔を見合わせた。
宮西が、おれを見て言う。
「この方が、川野君のお母さんとは驚きだったわ。でも、どうして学級新聞に載せではだめなの?」
「それは……、それは……」
覚悟を決めて、おれはつづけた。
「それはつまり……、母ちゃんが、母ちゃんが五十三歳だからだよ!!」
「「は?」」
と、ひとしと宮西が同時にひょうしぬけしたのが分かった。
宮西が言う。
「確かに、みんなのお母さんより年上だけど……。でも、こんな立派なお母さんをクラスのみんなに自慢したくないの?」
おれは、ほっとしたようなむっとしたような複雑な気持ちだった。
『だからといって、クラスメイト全員にばれるようなことはしたくない』
が、ひとしまで、宮西の味方をする。
「そうだよ、かっちゃん!ヒーローに年齢は関係ない!」
それでも、おれはだまっていた。
だってだって、母ちゃんの年齢がばれたら馬鹿にされるのはおれだけじゃない。
母ちゃんもだ。
母ちゃんが悲しむのだけは、ぜったいにいやだ!
だまっているおれに、宮西は怒ったようだ。
おれに、少しせめるようにいいはなった。
「年齢だけでお母さんを見ているなんて、川野君のお母さん、かわいそうだわ」
おれは、くちびるをきゅっとかんだ。
母ちゃんとの帰り道、母ちゃんとおれはしばらくだまって歩いた。
学級新聞への掲載は、結局母ちゃんが断った。
年齢とかではなくて、自分のしたことは当たり前のことだからと。
宮西は、それでも母ちゃんにしつこく言っていた。
「川野君のお母さん。気が変わったら、いつでも連絡ください」って。
母ちゃんが、のんびり歩きながら、のんびり言った。
「ひとしくんとさゆりちゃんだっけ?よい友達だね」
「うん」
おれは、母ちゃんに言った。
「母ちゃん、ごめん」
「あやまることなんてないよ。お母さん、今日はたくさんほめられたんだから。歳は五十三歳ってばれちゃったけれどね、あはは」
そうおどけたあと、母ちゃんは静かな声で言った。
「かつじの気持ちは、お母さんが一番わかっているから。だからね、あやまることなんてないんだよ」
『あぁ、おれの母ちゃんは、本当にどこまでも優しいな』
おれは、自分がますます情けなくなった。
家の近くの曲がり角で、汗臭い匂いをさせた父ちゃんとばったり会った。
「おう、母ちゃん、今帰りか?」
「あら、お父さん、お帰りなさい」
「まだ、家じゃないけどな」
「父ちゃん、お帰り」
「おう、かつじ。しけた顔してんなぁ」
おれの顔を見て、父ちゃんががっはっはと笑った。
そして、おれの耳を引っ張りながら、ひそひそ声で言った。
「今日、母ちゃんと集金に行ってどうだった?父ちゃんが、なんで七つも年上の母ちゃんと結婚したかわかっただろう」
その言葉を聞いて、おれは思わず顔が赤くなった。
そして、ばっと家に向かって全速力で走り出した。
家はもうすぐだけど、どこまでも走れそうな気がした。
風が熱い。
身体が熱い。
でも、心はもっと熱かった。
父ちゃんの更に大きな笑い声が背中を追ってくる。
おれは、ひとしや宮西や宮西のお母さんとのことを思い出していた。
それに、今日会った人たち全員の言葉と笑顔を。
そして、とどめは……
父ちゃんだ。
「母ちゃん、おれ、母ちゃんさえよければ、学級新聞に載せてもらってもいいよ。みんなに知ってもらってもいい」
走りながら、言ってみた。
おれの母ちゃんは、五十三歳。
今、おれは十一歳。
その事実は変わらないけれど、事実に負けない何かが芽生え始めた夕方だった。
おわり
最後までお読みくださり、ありがとうございました!