06
「なに、やっているの?」
と、問われても無意識に惹かれて頬に触れてしまっていただけだ。そこに変な感情はないし、というか木村さんがここにいる理由が分からないし、あの別れ道からも結構離れているしで困惑状態に陥る。
「し、失礼しますっ」
「あっ、雫ちゃん!?」
そんな帰り方をされたらなにかがあったと証明されたようなもの、もう少しくらい落ち着いて状況を説明してから帰ってほしかった。
「ふぅん、名前で呼んでるんだ」
「溝口くんの妹さんなのよ、溝口って呼ぶよりいいでしょう?」
「どうだかね~、単純に気に入っているからじゃないの?」
笑顔が素敵な女の子なうえに礼儀もしっかりしている。なにより友達になってくれた子だ、優しくしたいと思うのは普通のことだと思うけれど。
「それよりどうしてこんなところにいるのよ?」
「ふぅ、水嶋さんの家に行ったらあの子と出てきたから気になってちょっとね」
「尾行なんてしないで連絡してくれたらいいじゃない」
声をかけてくれれば足を止めたし事情を説明することだってできた。けれど、そうやってコソコソされていたら対応すらできなくなる。――ゆえに変な罪悪感を感じている自分だが、今回ばかりは悪いのは木村さんだ。
「やましい関係とかじゃないんだ?」
「当たり前じゃない。それにこんな魅力もなにもない私に興味を抱くわけがないわ」
仕草1つにとってもそう、木村さんや雫ちゃんほど可愛くもないし、そもそも友達すらいないし。
そんな人間をどうやって気にいろと言うのだろうか。まず間違いなく私なら私みたいな人間を選びはしない。
自分のことは自分が1番分かっている。常識知らず、魅力もなくただ生きることだけしかできないそんな人間のことを。
「ま、そういう関係じゃないと分かれば他はどうでもいいよ」
「良かったわね、と言うべきかしら?」
「さあ。帰ろうよ、あの別れ道までさ」
「ええ」
沈黙が私たちを包む。
そも、私たちは常に一緒にいるわけではない。
それにいくら友達がいない私と言えども、クラスメイトと会話したりすることは結構ある。
自分でも不思議に思うが、なにかと近づいて来てくれる人もいるのだ。恐らくは横にいる溝口くんや、来てくれる木村さん効果だろうが。
だから女の子と一緒にいるくらい日常茶飯事と言っても過言ではないというのに、なぜ彼女はこのタイミングでだけ気にするのだろう。
「ねえ、頬は柔らかかった?」
「ええ、もう1度触りたいくらいの魅力があったわっ」
自分のとは違う。
ぷにぷにでつるつるで、友達がいないというのも勝手に線を引いて意識していないだけだと私は予想した。
だってあんな魅力的な笑みを浮かべられて、可愛い仕草や可愛い言動をできる、礼儀正しい子が友達0なわけないじゃない。私とは違うのだから。
「ならボクの触る?」
「いいわ、別に意識して触っていたわけではないもの。気づいたら手で触れていたのよ、申し訳ないことをしたと思うわ。あなたのせいで謝罪することができなかったじゃない……」
「ボクのせいじゃないでしょそれは」
そんなことは分かっている。
せっかく優しくしてくれた子が去っていくのは嫌だからだ。もう「ひとりでも平気よ」なんて言ったところで、虚言でしかない。
人の温もりを知ってしまったからこそ慎重に行かなければならないのに私は良くないことをしてしまった。
いきなり大して知らない人間から触れられたら嫌だろう、この人は私だってなにをやっているんだって怖くなるだろうし。
だから正直に言って、いまこのまま家には帰りたくなかった。ひとりになると自分が犯した失敗のことを何度も考えてしまいそうだから。
「ねえ」
「うん? あ、もう別れ道だね」
……利用しようとする私は最低だけれど、それでも結局のところこれは任意だ。
受け入れてほしい。けれど、断ってもほしい。「いいよ」と答えてくれれば嬉しいし、「無理だ」と断ってくれたらホッとする
「……この後、暇……かしら?」
「どうして?」
「ひとりになりたくないのよ。お兄ちゃんは友達と出かけてくると言っていたから」
「うーん、どうしようかなー。いや、暇だよ? だけどさ、それを受け入れるメリットがないでしょ?」
確かに彼女の言うとおりだ。
別に彼女ならいいよと答えてくれる! なんて期待して縋ろうとしたわけではない。
そのため、私もそれ以上は言わずに家へまでの道を歩き始めた。
私たちは所詮この程度の関係だ。
私が線を引いているからなのか、単純に彼女が私のことを友達だと心から思っていないのかは知らないが、どちらにしても人間というのはメリットがないことには途端に興味を失くす。
私だってそうだ、だからとやかく言わなかった。そもそも頼る側の人間が偉そうに言える権利はないし、断る権利は彼女にあるのだから。
「待ってよ」
でもこうなれば話は別。
今度は彼女が頼む番、となれば私にも断る権利というのができるわけで。
「嫌よ、さようなら」
なにを自惚れていた。ただ2週間とか一緒にいたくらいで簡単に自分の考えを曲げるな。
来る者拒まず去る者追わずでしょ、これからもそれを貫いていくだけ。
「待って」
「離しなさい、あなたは断ったじゃない。人間が選び得る選択をしただけじゃない」
「うん、メリットがなければ基本的に人は受け入れないよね。それでボクは断った、だから帰ろうとしたってことなんでしょ?」
「ええ、よく分かっているわね」
取捨選択、私でもしていることだ。
いくら私に話しかけてくれた善人とはいえ、その内側全てがクリーンというわけでもないだろう。
もうこの子の中で私を不必要な存在だと割り切っていてもおかしくはない。
というか私に近づいている動機も結局は兄に近づきたいからではないだろうか。
「ふふ、おめでとう。あなたは私のことをよく分かっているわね」
「よく分からないよ、水嶋さんのことなんて」
分かられた気になられるよりはマシというもの。
ただ、言い方に少し気をつけてほしい。その言い方だと理解することすら無駄みたいに聞こえるからだ。まあ、無理もないが。
「それでなんの用なの? 私の腕を掴んでお散歩かしら」
「仕方ないからボクの家に連れて行ってあげるよ。ひとりは嫌なんでしょ?」
「仕方ない?」
「うん、だってそうしないと拗ねちゃうから。それですぐに嫉妬しちゃうんでしょ? 暁さんから全部聞いたよ」
思わぬ伏兵、裏切り行為。これから兄に言うのはやめようと決める。
「いいからほら、行こうよ!」
逆らうことはしなかった。
それすら無駄だ、無駄だと判定を下したことを私は自分からしたりはしない。
「ほら、水嶋さんの家よりは小さいかもだけど入って」
そんなところで比べたりするのも無駄。
「ご両親は……いないの?」
「うん、共働きだからね」
学校では絶対に見えない彼女の姿がそこにある。
なにをするにしてもてきぱきとこなす。飲み物の準備とか、座布団を部屋から持ってきたりとかする動作が限りなく速い。
「あなた、もっとゆっくり動くタイプかと思っていたわ」
「あはは、家では気が休まるからね。学校は変に気を遣ったりしないといけないから、それをしなくていいときは休ませてるんだ。そうしてないと不安で仕方なくて……」
「不安? あなたが?」
「なっ、失礼な反応だなーもう!」
だっていつもにこにことしているんだ。
クラスでだって人気者で、彼女の周りには常に人の群れがある。あの短い休み時間に席を立ちわざわざ来てくれる子までいるくらいだ。それは私に対してだって同じこと。
なのに本当はそういう気持ちと戦っていたなんて言われてもいまいち信じられない。
――違う、私が信じたくないんだ。彼女は素でそういう状態でいる人間であってほしいと願っている。なぜ? 対木村さんだとよく分からない感情ばかりが浮かんでくる。
「なるほど、確かに触りたくなる気持ちも分かる!」
「ふぁにひゅるの……」
「あの子と負けないくらい柔らかいと思うよ」
あんな可愛い子と比べられても虚しくなるだけ。
「本当に無意識だったんだよね?」
「ええ、気づいたら触れていたのよ」
「気になるとかそういうのは?」
「柔らかそうだなとは思ったわよ?」
「そういうのじゃなくて、あの子をさ」
「ないわよ、そもそも出会ったばっかりなのよ?」
なんでこの子がそれを気にするのか分から――待って、もしかして惚れ性なのかしら? 出会った人の見た目が良ければ気になってしまう性質……。
「ちなみに、雫ちゃんに彼氏はいないそうよ」
「え? どうして急に?」
「え、だってあなた惚れ性で惚れてしまったのでしょう?」
「はいぃ? なにを言っているんだか……水嶋さんって時々ばかだよね」
「え……」
確かにテストの点数も成績もいまいちパッとしないけれど、授業に全然集中しない、基本的に寝ている、話しかけても友達とのお話しに夢中で無視をする人には言われたくないが。
「あ、そうだ、暁さんにメッセージを送っておかないと」
やはり兄のことが1番なのね。
別に悪い人だとは言うつもりはないが、ずっと好きでいる人がいるみたいだし茨の道なのは確実だ。
「ま、頑張りなさいよ」
「へ? メッセージを送るのに頑張るとかあるの?」
「そうね、想いを伝えるのとかは大変でしょうし、少しずつそれとなく伝えていくのが案配よね」
「だから勘違いだってっ、そんな感情はないから!」
「素直になりなさいよ。偏屈な生き方は損しかないわよ」
別に私は細かく言ったわけではないのに「そんな感情はないから」なんて言うのは答え合わせではないだろうか。
「ほらっ、やり取り見てよ!」
え、なにこのしょうもないやり取りたちは。
いや、休み時間とかに秘密裏に会っている可能性だって0ではない。
「変な感情はないから! 裏でとかだって会っていないからね!」
「どうしてそこまで慌てているのよ。ますます怪しくなってくるわ」
「ふぅん、もしかして暁さんが好きなの?」
「好きよ、普通に兄として」
支えてくれたのは両親と兄だけだし、全然普通に好きだし一緒にいたいと思う。もし好きな人と上手くいって時間が減ったら寂しいと考えているくらいだ。
「それじゃあ、あの子?」
「だから違うわよ。さっきからしつこいわよ。大体あなたはどうしてそんなことを気にするの」
「さあ~」
「はぁ……私も実は同じような状況なのよ」
「その話詳しく!!」
基本的に分からないことばかりの私でも彼女に言うべきではないことだとは分かった。
「別にあなたが気にする必要はないわ」
「えぇ~! なんでそんな意地悪するの!」
「友達だからってなんでもかんでも言い合えるというわけではないでしょう?」
「友達、友達かあ……にへへ、それだけで十分!」
き、気持ちが悪いわね……。
でも、それだけで喜んでくれるのは素直に嬉しい。ずっと彼女の中での気持ちは低いものだと思っていたから。
「……だから手を握らせなさい」
「え? ど、どうしてそうなる?」
「いいでしょう? 友達でいてあげているのだから見返りを求めるのが普通でしょう?」
「まあいいけど……ほら」
「ええ」
ギュッと握って想像以上の柔らかさにドキッとした。って! なんでドキッとしているの私……。
「あれ、顔が赤いよ?」
「……よく分からないのよ」
「それならこれから知っていけばいいでしょ?」
「分かるときがくるのかしら」
理解できるようになりたい、けれどこのよく分からない気持ちに正体を知らないままでいたい。難しい、自分の内側の気持ちすら統一することができないなんて生きるのが下手くそすぎる。
「水嶋さんは肌が白いから赤くなると分かりやすいね」
「あなただって白いじゃない。特にこの頬――」
「さ、流石に近くない?」
「いいわねこれ、もっと触れたくなるわ」
雫ちゃんのと同じくらいの魅力があった。
だから私の手は一切止まらず、そして止めることなく触れ続けていた。そうしたら段々と赤くなってくる木村さん。
「……も、もうやめて……」
「え、いいじゃない別に、あなただってやったのだから私にもやる権利があるわ」
「こ、こんなに長くやってないっ」
「駄目よ、あと20分くらいはするわ」
「そんなぁ……」
――それでも13分くらいでやめてあげた。
彼女は顔を俯かせており、どんな表情しているのかが伺い知ることができない。
「ふふ、いい手触りだったわよ」
「……水嶋さん嫌い」
「別にいいわ、もう悔いはないもの」
「……嘘だから、勝手に距離を作らないでよね」
「去るのはあなたでしょう? まあいいや、とりあえず今日はもう帰るから」
「うん、それじゃあね」
それじゃあねって私を無理やり連れてきておきながら……。
ま、まあいい、細かいことはどうでもいい。
静かにこの場から退場することにしよう。