04
翌日。
私はずっと悩んでいた。
いや、普通にすっと近づいて「昨日はごめんなさい」と謝れば済むということを分かっている。けれど場所が教室で、となれば話は別だ。
教室にいる際はほとんど席を離れない。トイレとか移動授業とかではない限り椅子に貼り付いているのがデフォルトとなっている。
そもそもほとんど話さない。クラスの大半は私の声を聞いたことはあまりないだろう。
「水嶋さん」
はぁ、結局この子が来てくれるのを待つ形となってしまった。
「昨日はごめんね? なんか怒らせちゃったみたいで」
「ち、違うわ、ワイファイにし忘れていたから慌てて消したの」
よくよく調べてみたらあのアプリでは通話してもあまり容量が発生しないと分かったのだけれど。
「え、怒ったわけじゃないの?」
「当たり前じゃない。それどころか上手いイラストを入手できて嬉しいくらいよ。ほら、壁紙にして――」
「ぎゃあああ!? やめてやめてやめてー!」
「……なんでよ、素敵じゃない」
自分がしていることの意味が分かっているのだろうか。
彼女が慌てれば慌てるほど、自分を否定するようなものだというのに。
「だ、ダメだって……もっと上手くなったらそのとき改めてあげるからさ……いまはやめてくださいぃ……」
「ちょ、なんか苛めているみたいじゃない……」
そうでなくてもクラスでのイメージがあんまり良くないんだからやめてほしい。けれど彼女だけが悪いというわけではないから大人しくやめておいた。そもそも教室には私と彼女くらいしかいないからあまり心配する必要はないのかもしれないが。
「はぁ……はぁ……もう帰ろ?」
「え、ええ」
そういえばまだ友達認定したわけではないのに、出会ってから一緒にい過ぎてしまっている。
でも兄は言った、木村さんとくらいは友達になってやれって。
ここで言うべきことなのかは分からないが、どうせなら友達だと割り切ってしまったほうが楽なときもある。
「木村さん」
「……はぃ」
「まだ私のことを友達だと思ってくれているのなら……私もあなたのことを友達だと改めて――」
「当たり前じゃん! ありがとう!」
「て、手が痛いわ……」
「あ、ごめんっ」
どの言い方をしても偉そうな感じになってしまうから正直助かった。私如きが「ふんっ、友達になってあげるわ」なんて言えるわけがないし、こういうときだけは彼女の積極的さに感謝しかない。
「あ、帰りにスーパーに寄っていい?」
「別にいいけど、なにか買いたい物でもあるの?」
「うん、人参、じゃがいも、玉ねぎ、豚肉、福神漬かな」
「ふふ、カレーね、それなら早く行きましょう」
――というわけですぐにスーパーへとやって来た私たちふたりではあったが、……正直に言って空調のせいで体が冷える。
「あとは豚肉~」
「お肉は重要よね。で、外で待っていてもいいかしら」
「え? 一緒に選ぼうよ~」
「いえ……寒いのよここ」
昔、親とはぐれて長時間店内にいた結果風邪を引いたことがあった。なので、できる限りいたくはないのだ。
「そうかな? うーん、それじゃあ外で待ってて。あ、先に帰っちゃ駄目だからね」
「ええ」
ひとり外へ出ると生ぬるい空気が私を包む。
それでも寒いのよりは全然マシで、読書でもして時間をつぶそうとしたときのこと。
「あれ、水嶋さんじゃん」
「み、溝口くん……」
彼と遭遇し少したじろぐ。
が、横をに立っている女の子が気になって、怯んでいた総時間は少しでいられた。
「あ、この子は僕の妹で雫って名前なんだ」
「初めまして、水嶋椎那です」
「……お兄、私は先に中に行ってるから」
「あ、ちょ――ごめん、普段は明るいんだけどさ」
そ、そうかしら……総合的な彼女の様子が表れていたようにも思うけれど……。
それとも対私だったから? とマイナス思考に陥っていると、
「ごめんね、僕に話しかけられるのも嫌だよね」
もっともっとマイナス思考をしている方がいた。
慌てて手を振ってそんなことないとアピールをしておく。
彼も兄と同じ――とまでは言えないが、そんなに怖い子じゃないことはこのちょっとの間で気づいていたから。
「ねえ、私にだけ冷たいってわけじゃないわよね?」
「うん、それは大丈夫だよ。時々、人見知りなんだ」
「それなら良かったわ。溝口くんとの時間を邪魔してごめんなさいって謝っていたと伝えてくれないかしら」
「分かった。うーん、だけど珍しいな」
「妹さんが?」
「うん、いつもはもっと明るいんだけど」
ちょっと見てみたい気もする。
木村さんと来ているのではなかったら間違いなく尾行して、バレて、嫌われていたことだろう。――冗談はともかく、少しだけモヤっとしたのは確かだから。
「おっまったっせー! って、また溝口くんが水嶋さんを痴漢しているの?」
「しー! 人聞きの悪いことを言わないでよ! 下手をしたら僕の社会生活が終わるんだから!」
「あれ、違うんだ、なら良かったっ」
「はぁ……木村さんは明るくていいけど時々疲れるよ……」
とぼとぼとした足取りで溝口くんは店内へと入っていった。
「こら、ああいうのは駄目よ、溝口くんにされたんじゃないんだから」
「む」
「そんな顔をしても悪いのはあなたでしょう? ……ああもう分かったわ、荷物を持ってあげるから腕をつねってくるのはやめなさい……」
「ありがとっ!」
それで別れ道まで持ってあげて、
「はい、気をつけて帰るのよ」
「え? ボク、このまま水嶋家に行こうと思っていたんだけど」
「は?」
「この通りっ、暁さんからも許可をもらっていますっ」
「は……?」
私は家までの道をとにかく走って、家に着いたらドアをバコンと大きな音を立てつつ開いた。
「お、おい、どうした?」
「出会ったばっかりなのに頻繁に誘うのはどうかと思うけれど」
それともこれが普通なのかしら。
気になったのならとにかく接触の機会を増やしたいと思うの?
「ああ、時雨のことか」
「な、名前呼び……」
「あいつが名前で呼べってうるさいんだよ」
なぜだかもやっとして複雑さを抱えることとなった。
どうして私にはそう言ってくれないんだろう、そんな初めての感情が私の中を占める。
友達とかって別に表面上だけだったとか? あの子って言うときは言うし、その逆も有りえるんじゃないの?
「来たよ暁さん!」
「おう。お、きちんとカレーの買ってきてくれたんだな。ほら、金だ」
「え、全然多いよ? 3000円も貰えないよ」
「いいんだよ、取っておけ」
いつの間にか敬語でもなくなっている。おまけに対私より兄が優しい気がした。
「カレー作ってくるからふたりで待ってろ」
「はーいっ」
「……ええ」
木村さんはあくまでにこにこと笑みを浮かべお札を見ている。
まあ臨時報酬みたいなものだし嬉しい気持ちは分かるが……。
「ね、このお金でデザート買いに行こ」
「……いいわよ、それはあなたのお金なのだから」
「いや、暁さんも食べたいかなって」
「兄さんは甘いのが好きだから、あなたが買いたいならいいんじゃないかしら」
そのお金をどうしようともう彼女の自由。
買いたいと言うなら止める権利は私にはない。
というか、いまの私は複雑を抱えているだけで精一杯なのだ。
あんな気持ち、初めてだったんだ。
「もう、どうしてそんな冷たい顔なの?」
「え?」
「声だって冷たいし、全然こっち見てくれないし」
「そんなことはないわよ」
デザートとかそれどころじゃないんだ。
なんで私には言ってくれなかったのって嫉妬に近い感情を抱いている自分がおかしくて気持ちが悪くて仕方ないんだ。
「……いいから行こ? 行ってくれないと水嶋さんのだけ買ってこないよ?」
「別にいいわよ、カレーだけでお腹いっぱいになってしまうわけだし」
「……ぜ、絶対に買ってこないんだから!」
「あ……どうしていちいち誘うのかしら」
あなたにとっては私なんておまけでしょう?
兄でも誘えば私が代わりにカレーを作っておいたのに。
「あ、不慣れゆえに……フォローしてあげるの忘れていたわ」
そりゃそうよ、気になる人に積極的でいられる人ばかりではないのだから。
「戻ってきたらそれとなくやってあげるわ」
――それから兄が作ってくれたカレーを食べて、ふたりが談笑しているところを見ていたのだが、
「でね? お母さんに変な寝言だったよ、なんて言われちゃってさ」
「はははっ、いいじゃないか、女子ならそれくらいお茶目だった方が」
正直に言って、私のフォローなんていらないくらい楽しそうだった。
「あ、デザートを買ってきたよ? 暁さんも食べて。どこかの誰かさんの分はないけど!」
「おいおい……それならしぃには俺の分を分けてやるよ」
「いいよっ、素直じゃないのが悪いんだもん」
「そういうわけにはいかないんだ。しぃには常に笑顔で楽しく過ごしてほしいからな。誰かだけないとかそういうのは1番避けたい」
「……っていうか買ってきてるし……」
「それならそうと先に言えよ、素直じゃないのは時雨も同じだな」
兄も木村さんも同じように優しいが、いまはお互いにだけ意識を向けていてほしい。
だから私は席を立ち、
「お風呂に入ってくるわ」
「食べてから行けばいいだろ?」
「今日はもうお腹いっぱいなの。それに、疎外感を感じて嫌なのよ」
自分がそういう雰囲気を滲み出しているに過ぎないのだが。
洗面所の入って服を脱ぐ。
「……木村さんと違って出るところが出ていないわね……」
残念さを感じながら浴室に。
長い髪を適当に洗って湯船につかると、自然と息が零れた。
「しぃ」
「え……」
今ごろ、木村さんと楽しくやっているところだと思っていたのに。
「ちょ、裸……」
「別にここは開けない。どうしたんだ、いつものしぃらしくないぞ? 少なくとも家内での雰囲気じゃないな」
「ええ……なんかよく分からない気持ちが出てきていて……」
「よく分からない気持ち?」
「……お兄ちゃんにだけ名前で呼ぶように頼んだのがもやっとしてて……」
「はっはっは! いいじゃねえか、そういう気持ち」
「良くないわよ……こんな気持ち、よく分からないし……」
そんなことは自由なのに嫉妬してしまっているのが最高に醜い。
「とりあえず、あともう少しくらいは時間があるから話してみろよな」
「うん……」
「はははっ、その話し方もいいな。昔はそうだったからな」
「……もういいから戻ってて」
「あいよ」
出ていってからすぐに浴室から出て、風邪を引かないように拭いていく。
「水嶋さん」
「あ、……さっきはごめんなさい。せっかく誘ってくれたのに……」
「ううん、ボクも意地悪しちゃったから」
「で、でも……もう少しくらい後にしてくれれば良かったのに……」
こっちはまだやっと拭き終わったくらいだ。
ということは当然、なにも来ていないわけで。
「ね、描いていい?」
「は……?」
「イラスト、にしていいかな?」
「む、無理よ! いまだって恥ずかしくて仕方ないのに……」
そもそもガン見しないでほしい。
こんな大して膨らんでもいない胸を見たってつまらないだろうし。
「じゃあ服を着た後に描かせてもらうね」
「それならまあ……」
「ありがとっ。それで部屋で食べようね、シュークリーム!」
「まだ食べていないの?」
「あ、当たり前じゃん、水嶋さんと暁さんとボク、3人で食べようと思っていたんだもん」
「ふふ、ありがと」
とりあえず私がしなければならないことは服を着ることだ。
なのですぐに着て、ふたりで部屋へと移動したのだった。