03
夜。
私が椅子に座って本を読んでいると急にやって来た兄がベッドに寝転び呑気にあくびをしていた。
「あのねえ……いくら実の妹のベッドだからって有りえないわよそれは」
よく考えてみたら兄だけは怖くない。
ずっと一緒にいたからとか、単純に信頼しているとか、好きだとか色々あるけれど、都合のいい脳だなと不思議に思う。
「あのさ、木村と溝口って本当に友達なのか?」
「違うわ、木村さんが勝手に言っているだけよ。あとはお兄ちゃんが勝手に勘違いしただけね」
「ふはは、やっぱり予想通りだな。それと、お兄ちゃん呼びの方がしっくりくる」
「い、いまそのことはいいじゃない……」
いま読んでいるライトノベルの中の兄妹みたいで嫌なんだ。
私は別にヒロインに自分を重ねたりしない。
悲しいことがあったりしても吐露したりしないで抱え込む。
信頼している相手――例え相手が兄だろうとお母さんだろうとお父さんだろうと変わらない。そもそも作中のメインヒロインみたいに可愛くないし。
「木村はもう友達のつもりだったようだけどな」
「どうしてかしらね。たまたま空き教室で会っただけだったのにあの子は……」
「なんか惹かれたんじゃないか? しぃの雰囲気とかそういうのにさ」
よく周りから言われた。
喋りかけてくるなオーラが漂っているとか、威圧感が凄いとかそういうことを。
敢えて話しかけてきているのだとしたら、木村さんはとんだ性悪女ということになる。
別に私は内側に寂しさを抱えていて、自信がなくて人に近づけないというわけではない。取捨選択しているだけだ。
ひとりでも全然寂しくないし、悪口を言われても相手が男の子じゃなければ平気だし、暇つぶしのために利用できる本と、帰って来られる家、そして兄と両親がいてくれればそれで十分。
ただ、別になにもかも拒むわけじゃない。来る者拒まず去る者追わず、というのが正しいだろうか。
「お兄ちゃんに興味を抱いていたわよ」
「それは――ま、細かいことはどうでもいいな」
「なによ、妹にすら言えないことなの?」
「ああ、相手がしぃだからこそ言えないことだ」
別に年下、妹の同級生を好きになったって馬鹿にしたりはしない。そんなのは兄の自由だから。勿論、木村さんに悪いことをしようとしていたら許さないけれど。
「ただな、溝口と良くないことをするのはやめろよ?」
「良くないことって言うけど、お兄ちゃんがしていることの方がよっぽど悪いと思うわ」
脅迫とかそういうのはやめてほしい。
何度も言うが相手が優しい人間だからこそなんとかなっているだけなのだから。
「心配なんだよ」
「大丈夫よ、溝口くんはそんなことできないわ」
「どうだかね……ああいうタイプこそ内に凄いの抱えてそうじゃないか?」
「お兄ちゃんこそ木村さんに良くない感情を抱いていそうだけれどね」
木村さんはどことなくライトノベルに出てくるキャラクターに似ているし、ライトノベルをこよなく愛す兄的にはぐっとくる女の子じゃないだろうか。
「なわけないだろ。年齢=彼女いたことない俺だが、そこまで落ちぶれちゃいないぞ」
「告白されているのに全て断っているからじゃない」
木村さんの言っていたことは的を射ている。
実際に女の子からは「格好いいから紹介して!」と言われることが多い。そう頼まれたときだけは兄の妹で生まれてきてしまったことを後悔しているのを兄は知らないだろう。
「ま、俺が好きな人は特殊でな、告白したら迷惑をかけるだけだからさ」
「驚いたわ……一応、そういうことが考えられるのね」
「あ、当たり前だろ!」
「なのに妹のベッドに寝るのね、迷惑がかかっているのに」
「別にいいだろ。変なことをするわけでも――悪い、下りるわ」
え、別にこっちは威圧したわけでもないし言ったわけでもないのだけれど……。
あの後から頻度はそう多くないものの変に気を使われるようになった。
被害にあった後はなんか兄も怖くなって壁を作っていたから、それが影響しているのかもしれない。
わざわざ市外の駅まで電車に乗って迎えに来てくれたのは兄だったというのに……本当に申し訳ないことをしたと思う。
「とりあえずさ、木村とは友達になってやれ」
「まあ、悪い気はしない……かしらね」
最初に会話したときだって明るく積極的な彼女のおかげでスムーズに会話ができたわけだし、無意識がああいう子を求めていた可能性がある。
良くも悪くもワンクッション挟まないでいてくれるというか、ごちゃごちゃ考えている間にも話しかけ続けてくれているというか、私にマイナスな思考をさせないように無自覚にしてくれているというか、とにかく私にはできないことを彼女は自然にやっている。
「ちなみに、喧嘩とかになったら俺もID交換してるしフォローしてやるからさ」
「ふふ、そんなこと言って、結局は木村さんと仲良くしたいだけなんじゃないの?」
「そうだな」
意外とふたりとも惚れ性なのかもしれない。
兄は「連絡してみろ」と残し部屋から出ていった。
勝手に登録されていたじゃないと思い出し、アプリを起動して『時雨煮』をタップ。
「よろしく……で、いいのかしら」
とりあえず送信。
――30分くらい経ってやっと返信がきた。
「写真? あ、ふふ、上手な絵を描くのね」
それはひとつ前に読んでいたライトノベルに出てきたメインヒロインのイラストだった。ちょうど私が彼女と話したときに読んでいた物なので、なんとも言えない感慨深さがある。
『見てくれたっ?』
『ええ、上手ね』
『え……』
えってなにかしら。
『水嶋に褒められて最悪!?』ということ?
『電話かけるね!』
確かに打つのに時間がかかるし助かるけれど。
「あ、もしもし!?」
「お、落ち着きなさい」
別に私は逃げたりなんかしない。
悪口を言うなら直接ぶつけてもらおう。
「間違えたの! あれはまだ人に見せられる代物じゃなくて……ボクの写真を贈ろうとしたんだけど……」
「どうして? 素敵なイラストだったしあのときのことを思い出せて良かったわよ?」
そもそも顔写真を送られてきてもどう対応すればいいのか分からないし助かった。友達――同級生の写真を待ち受けにしていたらいよいよもってヤバイ認定されてしまう。
「――っ、だ、ダメだから! まだ見ちゃダメなやつ……」
「そう……勿体ないわね、イラストサイトとかにアップロードした方がいいんじゃないかと思うけれど」
「よ、よく知ってるね」
「ふふ、作中に出てくるヒロインのイラストを探したりしている内にそういうサイトに繋がったのよ」
最初はなんでこんな本を読まなければならなければならないのかともやもやしていた。
だってその大体は主人公が男の子で女の子が好きになる設定だったから。
最低なことをしたり悪いことを言っても嫌わないでいるヒロインに「どうしてよ」とツッコんだことは多々ある。
だというのにいつの間にか魅入られていて、兄が買ってきた新巻を取って先に読むことすら多くなっていた。ちなみに兄は「布教用だから大丈夫だぞ」とサムズアップしていたから問題はなかった。
なんでもそうだけど偏見というのは良くない。批判するにしてもしっかり中身を知ってからだ。
「へえ、やっぱり水嶋さんはオタクだ」
「別にいいわよ。だからって弊害はないもの」
いいじゃない、なにかを好きになれるって。
人は簡単に好きにはなれないけれど、本なら話は別だ。
それに悪口を言ってくるわけじゃない。しかも、あの中には沢山のストーリが詰まっている。魅力的な物を魅力的じゃないなんて言う天の邪鬼じゃなくて嬉しいくらいだ。
「と、とにかく、あのイラストは消したから」
「無駄よ、もう保存しておいたもの」
「うそ!?」
「本当よ」
後で壁紙に設定しようと決めた。
やり方がよく分からないので兄に聞く必要が出てくるが。
「まぁ、水嶋さんならいいや。だって友達いないもんね」
「そもそも友達がいても送らないわよ。私だけが独占できている感じで気分がいいもの」
「ボクがネットにアップロードとかしていたらどうするの?」
「その場合でも同じよ、私が1番の閲覧者になれたことが嬉しいから」
著作権というものがあるし、やっぱり駄目だと言うのなら大人しく消そう。
「あはは、なんか恥ずかしい」
「あなたは誇っていればいいのよ。そういう得意なことがあるのは羨ましいもの」
「嬉しいことを言ってくれるね」
「お世辞じゃないわよ? 自分で言うのもなんだけれど私、面倒くさいと思ったらそもそも話すらしないわ」
「でもさ、今日は全然話してくれなかったよね、それって面倒くさいって思われてたのかな?」
「なにを言っていいのか分からないだけよ。家族以外と話すのは慣れていないの」
「そうじゃないと友達0とか有りえないもんね」
怒っているのだろうか。
何度も友達0を強調されるのは複雑だ。
「切るわ」
「えっ、お、怒っちゃった? こういう冗談を言い合うのが友達なんじゃないかなって……」
「そういう冗談は悪手よ。誰にだって触れられたくない、突かれたくないことがあるでしょう?」
「そっか……ごめんね」
「直してくれればそれでいいわ。それじゃあね」
「え、結局切るの!? うわーんっ、まっ――」
消してからディスプレイを眺める。
「危なかったわ……」
4Gモードのまま通話していたら通信容量が酷いことになってしまうと兄に教わっていたのをつい忘れてしまっていたのだ。
だからこれは嫌だから切ったわけじゃない、のだということを明日説明しておこうと決めたのだった。