第4話 攻めるなら今
「捕虜を一介の兵士にくれてやるなんぞ、出来る訳なかろう」
「やっぱりそうですか……」
「はっ! 冗談だよ。本気にするなバカものめ。お前は特別扱いしてやるよ」
本来はありえない事ではあったが、ガルシアは言葉どおり壱成を特別扱いした。
先の戦いで目玉が飛び出るほどの活躍をした兵士なのだから。
「ありがとうございます」
「ま、ほどほどにしろよ。建前上はウチの国も協定を遵守する事になってるからな」
「協定? なんすか、それ」
「やっぱ知らなかったか。ベロクライナ=ナガタスカル協定と言ってよ、元々は冒険者ギルドと国が結んだ協定なんだがな。今じゃ敵兵を捕虜にした時の取り扱いなんかも決められちまってる」
不必要にむごい仕打ちを与える事や性的な暴力を働いたりする事を禁止する、などといった項目が定められているのである。
「そんなものがあるんですね」
「今回は一人で攻め込んで来たんだろ? どうせ命令された訳じゃなく勝手に行動しただけだから、敵さんも気付いちゃいねぇさ。好きにしろ」
黙ってりゃ分からねぇさ、とでも言っているような雰囲気である。
「しかし壱成よ。ミシェルに手を出さねぇからてっきり女にゃ興味ねえんかと思ったぞ。まさかこんな特殊な趣味だったとはなぁ。わっはっは!」
最後にとんでもない言葉を残してガルシアは去って行った。
◆
テルルの村にも監禁場所はあった。壱成が数日前に一度投獄されたような場所である。
アルルの村よりも少しだけ狭い。
今は中に老婆が収容されていた。
コツコツと響く音が老婆の耳をピクリと動かす。
まるで可愛い小動物のように。
しかしその皮膚は酷くただれており、所々、膿のようなものも湧き出している。
悲しい事に、顔のパーツも不揃いだ。およそ、人間の範疇を超えている。
ヌ・ムベス国ウカルル村に所属していたサラナ=メタモリゼ中尉は、戦いに敗れ捕虜となっていた。
彼女の前に姿を現したのは、その原因を作った男、壱成である。
「気分はどうかな」
「……」
悲しいかな、凶器すらない場所では人は簡単に死ぬことも出来ない。
捕虜になるくらいなら死を選びたかった彼女は、今は死よりも過酷な状況に支配されていた。
「殺すがよい……」
再度、サラナは言った。
もう何度目の言葉であろうか。
「よし、なら手を出してくれ」
壱成の言葉に彼女は一瞬戸惑った。
今まで何度となく殺せと言い、全て無視されてきたのだ。急に態度を変えるのは何故かと思った。
とはいえ、危害を恐れる場面でもない。サラナは静かに手を壱成へと差し出した。
チリチリと痛みが右手を伝う。顔をしかめる程の痛みではない。
何かをされている。
自白を強制する魔術か何かだろうか、と彼女は思った。しかし今や、秘密にしておく必要のあるものなんて何もなかった。だから何の恐怖も無い。
やがて掴まれていた手が解放される。
サラナは解放された右手を見て驚愕した。
「なんじゃと!?」
醜くただれていた皮膚が綺麗な人間の手に変貌していたのである。
面積は僅かではあるが、それゆえに極めて美しさが引き立っている。まるで十代の肌ではないかと思う程に。
「良く考えたら、死を望んでるなんて好都合だよな。どうやって君を説得しようと考えていたのがバカみたいだ」
「???」
「君は捕虜なんだ。それに此処では『何とか条約』なんて有って無いようなものらしい。つまり、君の体はオレが好きにしても良いということだね」
サラナの思考はまるっきり追い付いていなかった。
この男は何を言ってるのか?
ただただ戸惑い、身をすくめる彼女の腕を強引に引き寄せた壱成が粒子操作を仕掛ける。
壱成は、動かれては面倒だと思い最初にサラナの意識を刈り取った。
◆
翌朝、サラナはベッドの上で目覚めた。
長い長い悪夢が終わったかのようだ。それ程に気分が清々しい。
何故か?
両手を目の前にかざすと、他人の手かと思うほど綺麗だったからである。
牢の中で不思議な体験をしたまま意識がなくなった。
そして次に目覚めて両手を確認すると、ただれた皮膚は跡形もなく綺麗になっていたのである。手の一部だけではない。腕をまくると、どこまでも綺麗なのだ。
上半身を起こし、身に纏っている衣服に注目する。
決して高価なものではないが、ちゃんと洗濯された清潔な衣服である。
今までの事は、本当に悪夢だったのかもしれない。
サラナはベッドから起き上がると姿見の前へと進んだ。
いよいよ顔を確認する事になる。
否応なしに鼓動が高鳴ってしまう。もう心臓が張り裂けそうである。もしかすると、綺麗になった顔を見て自分は失神してしまわないだろうか。
そんな不安さえ覚えるのだ。
しかし直後に、彼女は気を取り直した。
皮膚は綺麗になったとしても、顔の各パーツ自体が非常に不揃いなのである。こればかりは、さすがに骨格の作りからして歪んでいるためどうしようも無いだろう。むしろ逆にバランスが悪くなっていないかと気になったのだ。
こんな綺麗な肌なのに、醜く歪んだ顔に不揃いな各パーツ。
もしかすると今までよりも更に気持ち悪くなるのではないか。
両極端の思考に翻弄されながらも、彼女は最後の一歩を踏み出した。
ゆっくりと姿見に写る自分の顔を視界に入れる。
「ひゃぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!」
上位悪魔が放つ咆哮よりも魔力があるのではないかと思うほど、大きな叫び声が部屋中に響き渡った。
失神を通り越して気が狂ってしまいそうである。
はたして姿見には女神が写っていた。
自分の顔を女神などと言えるほど、サラナはナルシストではない。当然だ。今までが今までだったのだから。
これは断じて自分ではないと嘘偽りなく思えるから、女神のように美しいと言えるのだ。
あの男は体の構造から全て作り変えたとしか思えない。
それ程までの変貌であった。
彼女が驚きのあまり上げた叫び声は、当然部屋の外まで響いていた。
壱成はある程度予想していたものの、遥かに上回る驚き様に少し心配になった。
思わず扉を開けて部屋に突入しようかと考えたくらいである。
しかしおそらく、いや、間違いなく彼女が次に確認する部分の事を予想して突入は踏みとどまった。
壱成の予想通り、サラナは姿見の前で身に纏っている衣服を外していく。
手足だけでなく胴体部分も完全に改造されている事を知り、サラナは思わず生唾を飲み込んだ。
とうとう彼女の手が下着へと伸びる。
そして一糸纏わぬ姿が目の前に映し出される。サラナは自分の顔が高揚して赤くなっている事を認識した。
女である以上はその身を犯される心配が付いて回る。
しかし自分には無縁のものだと考えていたし、今までは実際に無縁であった。だから今、生まれて初めて芽生えた感情が体全体を包んでいた。
(あの男は、私の身体の隅から隅まで余す所なく手を加えたのだ……)
当然のことながら全てを余す所なく見られているはず。
以前なら見られた所で何の羞恥心も芽生えなかっただろう。どうせ気持ち悪いと思われるだけだったのだから。それが今や、羞恥に顔を染めている。
体の変化は結果的にサラナの心まで変えてしまったのである。
彼女はそれ以上、細部の確認をすることはなかった。いや、怖くてできなかったと言った方が正しいかもしれない。
壱成としても、女性のデリケート部分について細部まで把握している訳ではなかった。女性経験が無い訳では無かったが、形を詳しく再現しろと言われて出来る程、熟知はしていなかった。だから彼女が詳しく確認すると、もしかすると違和感があったかもしれない。
しばらくの後、何とか歩けるほどに気分が落ち着いたサラナが部屋から出て来るのを見て壱成が声を掛けた。
「気分はどうかな」
「……」
牢に入っている間じゅう、さんざん行われたやりとりだ。
壱成が気分を聞き、サラナが沈黙する。
そして、その後に決まって「殺せ」と懇願した。
だが今は言葉が出ない。
今更「殺せ」は無いだろう。かと言って「ありがとう」もおかしい。
「オレはヴァレアス国アルル村所属、第三小隊の伍長、壱成だ」
壱成がまず、名乗りを上げる。
「わ、私はヌ・ムベス国ウカルル村、中尉のサラナ=メタモリゼである」
戸惑いの連続であったサラナも、こうやって軍事的なやりとりが入った事をきっかけに気持ちに落ち着きが生まれた。
それにより、疑問もよぎる。
(この男、階級は伍長だと? あれだけの実力を持ちながらなんと低い階級なのか)
「やっと口を開いてくれたか」
「……すまぬ。その……そなたが伍長というのは本当なのか?」
「不服、かな?」
「そうではない。そなたの実力があまりに高いのでな……それに、捕虜の尋問なぞ伍長に任せられる物ではないはずじゃ」
「ははは。それは、オレの上司が適当だからだよ、きっと。そもそも伍長になったのも今日だしな。昨日まではタダの一等兵だったんだ。三階級特進ってヤツだな。はははっ」
「なんと……」
サラナはすっかり観念して全てを話した。
ヌ・ムベス国での自分の処遇、ウカルル村での出来事も含む、今までの経緯。そして最後に単騎で乗り込んだ理由など。
「……なるほど。なら本当に一度、命を捨てたんだね」
「そういう事になるな」
「なら、どうかな? 生まれ変わるってのは」
「は?」
意味が分からず、呆けた顔を見せるサラナ。
「まずは名前を変えるんだ。外見も変わったから、万一ウカルル村の奴らに見つかっても君だと気がつく事は無いだろうし」
サラナ=メタモリゼの名前から少し変えて、ラーナと名乗る事になった。
家門名は当然無しである。
「なんと、ここは牢のある建物だったのか」
部屋を出て少し歩いた彼女は小さく驚いた。
「そうだよ。地下室が牢になっていて、一階と二階は生活スペースらしい。変な造りだよな。多分、罪の大きさによって監禁場所を変えるシステムなんじゃないかな」
家全体が監禁施設のようなものである。
鍵が無いと家の外に出る事ができない。壱成が持っている鍵で出口の扉を開いた。
「良いのか? 私を外へ出しても」
「許可はもらっているからね。オレの部下になるという条件が付くんだけど」
ラーナを連れた壱成は、ガルシアへ面会させる。
ガルシアの驚きようは当然であった。
その後、兵の宿舎へ向かい、ミシェルをはじめ兵士達へ仲間として紹介された。
これで正式にラーナがヴァレアス国の兵士となったのだ。
壱成にとっては二人目のゲームキャラ扱いであるが。
今度は生身の人間だけれども。
◆
「黄魔石だとぉ? んな高価なモン、田舎の戦で使うなよな勿体ねぇ」
ガルシアがラーナから先日の戦について状況を聞いていた。
「今は更にCランク冒険者を追加し、必死に集めた魔石で再度兵士の製造に注力しております。明後日には、ここへ攻め込んでくるでしょう。数は八百ほどと推察いたします」
「懲りねぇ奴らだな。だが八百は確かに大群だ。前回は何とか勝てたがな。果たしてそう何度も勝てるかねぇ」
Cランク冒険者一人増えたところで戦力が倍増する訳では無いが、こんな小規模の合戦だと何が起こるか分からない。事実、前回の戦いでは壱成とミシェルのお陰で兵力差を覆して勝ったようなものだ。パワーバランスが少しでも変われば真逆の結果になるとガルシアは危惧していた。
ラーナの言葉どおり、二日後にウカルールの軍がテルルの村へと攻め込む。
数も彼女の言葉どおり八百ほど。
ガルシアは一抹の不安を抱いたままの戦闘となったが、彼が危惧する程の事態には全くならなかった。新たに戦力として加わったラーナが、これまた飛び抜けた実力だったからである。
半ば、勝てるかもと思っていたものの、こうして実際に壊滅した相手の軍をみると改めて不思議な気分になっていた。
反対にウカルール村長はさすがに凹んだ。
立て続けに兵が壊滅したからである。今回ばかりはストンジャガスからの追加持ち駒も出てこなかった。兵も尽き、魔石も尽きたのである。
「今が攻め時です、中尉」
ラーナが進言する。
当然のことながらウカルル村にはもう戦力が殆ど残っていない事を見抜いていたのだ。下手に時間を与えると、また魔石を集めて兵士を補充しかねない。攻めるなら今、である。