序章 第八話 辺境のシンドラー
ミズホ卿、正式な爵位名をミズホ辺境伯という。
日本人であったころの名は上脇勇一。愛称は「ゆうちゃん」である。
彼が、自らを「迷い人」(輪廻の輪を迷う者)であると自覚したのは2歳のころだった。
生まれ変わった意識はあったが、この世界が過去生きた世界とは別の異世界である、と認識するまでに時間を要した。
前世の彼はエルフやホビット、ドワーフなどが登場するファンタジーな物語が大好きだった。
ファンタジー系のネトゲにもはまったし、自宅の棚にはフィギュアが何体か並ぶほどには拗らせた。
大学を卒業し、アルバイトで入り浸っていたゲーム制作の会社に就職し、デスマーチを続けるうちに、やがて本当に過労で死んでしまう。
世の片隅で、現代社会のルールという、強烈な牢獄の中で、決して英雄にはなれないはずの、しかし心だけは英雄の男の魂が、この世界の女神に見いだされるのは必然だったかもしれない。
地方領主の三男としてこの世界に生まれたことも彼には幸運だった。
女神から授かったスキルを活用し、かつそれに留まらずありとあらゆる努力を、人の何倍も何倍もした。
あこがれの剣と魔法のファンタジー世界に転生したのだ、今生を全力で生きずして何が男かと。
おそらく、これが物語ならば間違いなく主人公は彼だったろう。
諦めず足掻くかのような泥臭い生き方に、一人二人と共感者が集まり、仲間となっていった。
6年前13歳の秋のとある日、狂ったエルダードラゴンが王都を襲撃するのを予見し、仲間と共にこれを駆逐するにあたり、叙爵、辺境に領地を賜る。
その未開の地をコツコツ開拓して、その功績をもって昇爵し、現在は伯爵で、さっそうと登場… とはいかず…
なにしろ幼女まみれであった…
「はくしゃくさま、おひさしぶりです」
「ゆー にいちゃん、これにあう?」
「きれいなひと…ひめさまはにいにのこいびと?」
ミリアはこのうえなく盛大に半眼である。一応首を横にふっておくことを忘れない。
とりあえず、前世なら事案だな、と…
「こら、あなたたち伯爵様が困ってるでしょ!はいはい仕事するよ?ミリア姫さまもすいません」
大人びた台詞だが、彼女も11歳、耳長族のフェミナは薄いグリーンの髪をポニーテールにしている。いろいろちっさい。
そうなのだ…
もし里にいれば、そしてこのような境遇に遭わなければ、ミリアだって姫なのだ。
姫の呼び名に、ミリアの耳がピクリと揺れる。
タリア(7)、リノア(6)、ソニア(7)の耳長族幼女メイドトリオは、はじめてのコロシアムにきゃいきゃい言っている。
ちなみに耳長族の女の子には、名前の最後に「ア」がつく娘が多い。日本語で言うなら「○○子」の「子」の意味を持つ。
「タリア、リノア、ソニア…怪我が治って良かったな。これからはここが職場だ。夜に屋敷にひきあげるまでよろしくね」
伯爵は笑顔で小さなメイド達の頭をなでりこなでりこする。
「は、はくしゃくさま♥」
「ゆーにいちゃん、髪をセットしてね?」
「にいに、くすぐったい」
「こら、あんたたち言葉づかい!ちゃんとする!」
なにげにフェミナが厳しい。
「「「はーい!」」」
「…まったく、この子たちは… ほらついといで。伯爵様、姫様、では行ってまいります」と、ペコリと挨拶をすませば、フェミナの後ろに彼女達はくっつき、カルガモさながらに出ていく。
「ちゃうねん」
ミリアの半眼と目が合った伯爵はなぜかエセ関西風である。
「いえ、私は何も申しておりません…」
ミリアもちょっと面白くなってツーンとしてみた。
ミズホ辺境伯のこめかみを、冷や汗が一滴。
「ミリアよ、あの娘たちは孤児じゃよ。親が連れていかれて、子供たちだけで森をさ迷っておったところを卿がな」
援軍は思わぬところから来た。
「レオナルド…」
伯爵ちょっとじんわり。
「卿がな、餌付けをして連れてきたのじゃ」
「なんだか台無しだよっ!」
「まあ、冗談はこのくらいにしておくかの。」
賢者は光るのと、抉るのは得意のようだ。
「卿はな、元々ミリアも無条件に助けるつもりだったのじゃよ。」
「私を?」
このころには、ミリアと呼ばれて反応出来るほどには、絵美里の魂もミリアに馴染んでいた。
「条件をつけなければ、差し伸べた手を払うような危うさがあった。実際禁呪を発動して今のミリーになったがな…」
「卿は耳長族…エルフが好きでの。伯爵の領地には3800人の耳長族が匿われておる」
賢者の言葉にミリアは真剣な顔になる。
「ミリー … いやミリア姫、どうか力を貸してほしい。私は彼らを助けたい」
土下座でこそないものの、テーブルに頭がつくほど、半身を傾けた。
「名ばかりの商会を経由して各地からエルフ達を奴隷の名目で疎開させてはいるが、私の力にも限界がある。頼むこの通りだ」
「顔をあげて伯爵…私に何ができるかはわからない。ただ…一つ教えて?何故私達は伯爵様に、そこまでしてもらえるの?」
少し躊躇うも、伯爵は毅然と答える。
「エルフのみんなが好き…では理由にならんかな?」
そこから、伯爵の気持ちが言葉に溢れて止まらない。
この世界に転生して、ずっと憧れていたファンタジーの住人になって、毎日がキラキラしていたのに、大好きな世界に生きているのに
エルフ達が酷い仕打ちを受けるにつけ、自分が転生した意味や、自分自身の生きる意味も一緒に否定されたようで、許せなかったと
こんなのは一ミリもファンタジーなんかじゃない
エルフは神秘で、幸せでないと…だから力の及ぶ限り助けようと…
涙もこぼれ、何言いたいのかよくわからないし、かなりエゴでもあるが、その気持ちの根っこは伝わる。
ピュアな人なんだな…
あれは何ていったっけ…
シ…そう、シンドラーのリスト。
この人はそれをやってくれていた。この異世界で。
気がつけばミリアは、えぐえぐする伯爵の頭を撫でていた。