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沙ニ抗ス  作者: せんのあすむ
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五 理想と現実

 中国大陸に当時住んでいた少数民族、回族ムスリムは、西アジアと深い繋がりがある。繰り返すが、回族らの外見は漢民族と同じで、日常言語も漢語であるが、イスラム教を信仰し、生活習慣もイスラム風であるという点で大きく異なる。


 当時の回族は、同じイスラム教を信奉していながら、考えの違いによって二つの系統に分かれていた。我が国の主な宗教といえば仏教だが、その仏教も様々な派閥に分かれていることを考えれば、二つなど少ないほうかもしれない。


 それらは、フフィーヤ、ジャフリーヤなどと呼ばれて、前者は馬来遅、後者は馬明心をそれぞれ祖としていた。前者のフフィーヤのほうがより温厚で、つまり悪く言うなら清朝の支配を甘んじて受けていたため、


「フフィーヤなら、こちらが下手に出れば味方につけることも出来る。だから放置しても差し支えは無かろう」


と、蘭州へじりじりと進んで行きながら早数年、兵士達とともに屯田しながら宗棠は考えていた。


 兵士たちに屯田させることによって、現地の農業その他の産業も発展することになる。特に不毛とされていたこの地方では、銅が採れたし綿がよく育った。これは現地の住民にも喜ばれたし、実際に他の地域との物々交換までできるようになっている。幼い頃に彼が祖父に教えられ、その後も独自に研究していた農学が、ここで大いに役に立っているというわけだ。


 さらに宗棠は、現地住民の生活の糧を得るその他の方法として、


(後は何らかの軍需工場でも作るか。朝廷のためにもなる)


 とまで構想していた。彼ほどの人物が、清政府に仕官してからは、支配者側としての立場からしか物事を見られなくなったのは、大変に惜しいことである。もしも誰かがそのことを指摘したら、


「清という国に属している以上、その政府の考えに従うべきだろう」


 と、彼は言って、耳も貸さなかったに違いない。これはこの大陸に昔から暮らしている人の、先祖代々変わらない常識らしい。


「国に属している以上、国の考え方に従うべきであり、独自の宗教など持つべきではない。でなければ民族が団結することは難しい」


 そういった画一的な考えから、代々この大陸を支配していた王朝はイスラム教徒など、他の宗教を信じる少数民族を支配していたわけで、これでは、


「我らをこれ以上弾圧するのをやめよ」


 と、その民族がたびたび蜂起するのも無理はない。


 今回、清国内での捻軍に手を貸していたのは、過激派であるジャフリーヤのほうで、現在は馬化龍が指導者となっている。馬化龍は宗棠よりも二つほど年上で、かつては清側の将軍をたびたび戦死させたことさえあった。「イスラムの自治を認めさせる」「信教の自由を得る」と、自民族に勇ましく理想をぶつける馬化龍の言葉は、何より血の気の多い若者達を刺激したのだ。


「腐り切った支配者からの真の独立を」


 というスローガンには、もちろん根拠もある。


 当時の回民は、三つの大きな道路で分けていた行政区のうち、東トルキスタンつまり新疆地方に在住していた。それらの行政区を大雑把に述べると、イリ地方管轄の天山北路、タクラマカン砂漠を中央に抱くタリム盆地のクチャ、カシュガルなど八つの都市を管轄する天山南路、ウルムチ周辺管轄の東路の三つということになる。


 このうち、東路の民政に関しては清の管轄下にあり、当然ながら軍隊も配備されている。この三路を統括していた者はイリ将軍と呼ばれ、霍城県にある恵遠城に拠点を置いていた。霍城県は、それぞれ北では天山地方、南ではイリ川、西ではカザフスタンに面していたから、まさに中国大陸の西の果てである。


 綏定城、寧遠城、恵寧城など「イリ九城」などと呼ばれていた、これら九つの砦に分かれて配置されていた軍隊を維持するためには、清中央政府からの支援金だけでは到底足りない。しかし度重なる中央政府の失政で、支援金も滞りがちになる。それに従って現地回族たちへの搾取もいよいよ厳しいものになる。それでも金はまるで足りず、代々のイリ将軍は、自分の裁量一つで自由に出来る官職を売ったりなどして、やっとのことで軍隊維持費を賄っている、という有様だったのだ。


 民には重税を課す、売官行為はする、こういった役人が将軍なのだから、現地住民の清政府への不満と不信は高まる一方であるし、


「そのような人間のいる国が、大きな顔をして我らを支配しようとは片腹痛い」


 そう非難されるのも当たり前である。


 いつの世も、地に足をつけていない理想論は、妙に輝いて見えるものだ。しかし今の清は、往時ならばともかく、


「官僚どもは腐りきっているし、農民どもが反乱を起こしているから、攻め入るのも容易だ。今こそ」


 と、蜂起にあたって馬化龍が言い放ったように、事実そうだったのだから、たちまち蜂起軍は勢いを得て甘粛地方へ攻め入ってきた、というわけなのである。


 が、それも、宗棠が陝西から捻軍を追い払ったため、一時の勢いはなくなって今はいわゆるこう着状態に入っている。宗棠の粘り強い戦略で、現地住民も清政府軍を歓迎するほうへ回ってしまったから、馬化龍たちは甘粛地方のさらに北部、金積堡へ撤退したのだ。


(この状態を破るきっかけのようなものがあれば)


 考えながら、宗棠は鍬を振るう手を止め、空を仰いで金積堡への道を思い描いた。春とはいえ、やはり西方の空気は南方に比べて格段に乾燥しているように感じられる。


 大陸中央から見て北西に位置するこの省には、言うまでもなく件の河西回廊がある。古く漢の代には涼州と呼ばれ、諸葛亮が成都から遠征した天水も、蘭州への道沿いにある。 


 さらにその先の武威、酒泉を経て安西で北と南に河西回廊は別れる。この北方の道を辿ると玉門関に着く。南の道を辿ると陽関に着き、その途中に高名な敦煌莫高窟があるが、この時代にはまだ発見されるに至っていず、忘れ去られた存在となっている。砂漠とはお隣同士であり、まさに不毛の地と呼ばれるに相応しかった。


 時折砂漠へ巡察に出て、沙混じりの乾いた風に髭を吹かれるたびに、彼は、


(湖南は、福建省はどうなっているか)


 己の故郷を思い、海の青さを思い、


(出来ることなら俺の目の黒いうちに、強い海軍を創り上げておきたいものだ。李のヤツが統率している海軍だけでは列強どもに対抗できん)


 さらに彼が閩浙総督時代に手がけていた海軍のことを思う。


 跡継ぎを探すから、と言ってくれた大将、曽国藩からも、その後何の連絡もない。


(よほど難航しているらしい。まあ、俺の跡継ぎであるから、致し方ないが)


 苦笑いしつつ自らその大地へ鍬を振るい、土から飛んできては己の頬に付着する細かい石の欠片を、無造作に払い落としていた宗棠は、


「先生! いや、総督閣下!」


 その声に顔を上げた。見ればかつて捻軍を追って北京へ行ったはずの劉松山で、後ろには二、三の兵士を従えている。


「先生、で良い。ご苦労だったな」


「はい、先生。捻軍を平らげるのに、思ったよりも時間がかかりました。こちらへ来るのが遅れて申し訳ございません」


 彼はやはり慎ましくそう言い、白い歯を見せて微笑しながら、宗棠の手から鍬をそっと取り上げて自ら土を耕し始めた。


「なんの、君が来てくれたなら、俺とてようよう枕を高くして眠れようというものだ」


 宗棠も首に巻いていた手ぬぐいを解き、額の汗を拭いて笑う。


「君の戦いの模様を聞かせてくれ」


「はい」


 宗棠が言うと、耕す手を止めないまま劉は頷いて、歯切れ良く語り始める。


「東捻軍は、あの折に山東省で李(鴻章)将軍によって包囲され、それを率いていた任柱は部下の裏切りで死亡、勢いづいた李将軍は膠莱河で東捻軍を全滅させて、頼文光を捕らえられました。これにてほぼ東捻軍の討伐は終了。そして」


 そこで土からにゅっと顔を出したミミズを避けて鍬を置き、一息ついた後、


「西捻軍のほうですが…我等は饒陽にて邱遠才、張禹爵の二人の将を討ち取った後、天津に迫っていた張宗禹へ攻めかかって、駭河まで追い詰めました。しかし」


 劉は続けようとしたが、眉を少ししかめて宗棠を見上げる。宗棠が先を促すように、黙って頷いたのを見ると、


「それ以降、本日に至るまで張宗禹の姿が見当たらないのです。捻軍の者に聞いてみても、誰も知らぬ存ぜぬとの一点張りで。我々の中からは、ひょっとして駭河へ身投げでもしたか、などと、冗談ともつかぬ意見も出る始末」


 それが昨、同治七(一八六八)年八月のことなのだと劉は言う。


「それはよい、それはなあ」


 宗棠が思わず声を上げ、手を叩いて笑うと、


「笑い事ではありませんよ。李将軍などは、未だに血眼になって張の行方を捜し求めているのですから」


 劉もまた、苦笑交じりに答えを返した。


 すると宗棠は再び、


「張には俺もかなり手こずらされたことは認めるが、ヤツも所詮、農民上がりの才も度胸もない男だったということだ。李はクソ真面目なヤツだからな。俺と同じで自尊心の高い李には、皆が言う、張が身投げしたという意見に素直に従うことが出来んのさ」


 と、腹を抱えて笑う。劉がやれやれ、といった風に微苦笑を漏らすと、


「まあ、アイツがいれば、この大陸の東はまず安心だろうが」


 宗棠は二つ頷きながら言った。李鴻章のことは、それでもちゃんと認めているらしい。


 いささかホッとしながら劉も再び笑って、


「左先生や李将軍の洋務運動が効いたのか、母后(西太后)陛下も西欧諸国へ柔らかい姿勢で応じておられます。国内においては捻軍を掃討し終えましたので、朝廷の威勢はわずかながら回復していますが…」


「恭親王殿下がおられるし、現帝陛下もそろそろ成人に近くなっているというのに、あの女はまだ政治に口を出しているのか」


 女の分際で、と、宗棠が言い掛けると、「先生」と、劉松山はそれを遮った。


 今はその女が権力を握っているのである。いくら常識では考えられないとは言っても、それを口にすれば宗棠の首などすぐに飛ぶ。よって、


「それより、こちらはどんな具合です?」


 少しだけ頬を引き締めて、劉松山は慌てて話題を変えた。すると宗棠も苦笑して、


「いや、こちらとて大した進展はないよ。ようよう回族の過激派どもを金積堡へ押し込めたところさ」


「それでもそれが出来たのは、先生だからでしょう」


「ははは、あまり持ち上げるな。もっと西のほうでは、ヤクブ・ベクとかいう輩が新疆の西半分を占拠している。何とかしたいと思いながら、今はそれを何とも出来ぬ俺なのだよ」


 劉が言うと、宗棠は照れて、土くれにまみれた両手で顔をごしごしと擦った。


 半ば白くなりかけた顎鬚に、その土の塊がぱらぱらと落ちる。それもまた手の甲でぱっと払って、


「だが、この蘭州に軍需工場を作りたいと俺が漏らしているのを聞いて、山西の喬家が経済援助を申し出てくれている。もしも朝廷から勅許が出たら、の話だが、そうなった場合には、俺としてはありがたくそれに乗っかりたい。あちらにとっても西方貿易路の安全が保障されることになるからな。持ちつ持たれつ、といったところだろう」


「なるほど。しかしそれだけではありますまい」


 再び土を引っかきながら、劉は宗棠を見上げて、「分かっているのだ」とばかりにニヤリと笑った。


 喬家当主の喬致庸は、宗棠と同じように先帝に対して限り無い同情を注いでいるという噂である。宗棠も自分と同じように人一倍先帝に対する愛惜の念が強く、愛国心が強いと見たからこそ、喬は協力する気になったのに違いない。


 しかし、分かっていても持ち前の頑固さと意地でそれを言わないところが、なんとも宗棠らしい。口にするとなると、どうしようもなく照れてしまうのだろう。そしてそんな宗棠だからこそ、


「先生。私でできる事があれば、何なりとお申し付け下さい」


 年に似合わず頬をうっすらと赤く染め、「フン」などと言ってそっぽを向いてしまったその横顔に、劉は微笑ましく思いながらそう言うのである。


 すると宗棠は、


「金積堡の奴らを、何とかできないか」


 ため息と共に正直に漏らす。こんな時、宗棠贔屓の人間は、「たまらなく彼が好き」であることを改めて認識するのだ。


「甥(錦棠)を伴うことをお許しくださるなら、私が行きましょう。まずは霊州を落としたいと思います」


 よって、劉松山もそう申し出た。何せ相手は、同治四(一八六五)年正月に、


「相互の平和を誓う」


 と言って、清側の役人と内部で反発している人間を同時に招いておきながら、その場でそれらの人々を殺してしまうような過激派である。


 宗棠が総督を拝命してこちらへやって来たのは、それから五年も経っていない時分だったのだから、当然ながらそのようなわずかな年月で、馬化龍らジャフリーヤの考えが変わっているとは、到底思えない。


「なるほど、先生がここに来られて数年にしかなりません。しかし」


 ためらう宗棠に、劉は相変わらず愛嬌たっぷりに笑って、


「先生の外堀作戦は確かに効いているはずです。主将格の馬はともかく、立てこもっている他の兵士たちはどうでしょう。私は先生のところへ来るまでに、先生のお言いつけどおり、私は陝西の綏徳県を回って、そこに立てこもっている回民どもを征伐してきたわけですが」


 言うと、宗棠は先を続けろというように、再び無言で頷いた。それを見て劉も頷き、


「周辺住民たちは皆、先生と先生の率いる軍隊を慕っていました。戦をするだけではなく、住民の生活を考えてくれる大将であると。未平定のこの蘭州でも、霊州でも、恐らく噂は伝わっているでしょうから、その評価は変わらないと思います。正直、私も最初は、屯田すると先生が決めて、それが朝廷に容れられた時、いつもなら素早く断を下すはずの先生らしくないと思いました。ですが、今回は何と言っても異民族が相手。遠回りなように見えた先生のやり方が、実は一番近かったのだと、今では皆が認めています。よって」

 

 そろそろ決断の時だ、と結んだ。

 

「うん。俺も奴らを征伐して、もっと西へ進みたい…太古より、我が国へ異国の文化を運んできた陸路を、生きているうちにこの目で見てみたいとも思う。だが、何故か今は、単純に攻め入ることには気が進まん」


 劉に言われるまでもなく、宗棠も、なかなか金積堡へ攻め入らない己自身を不思議に思っているのである。


 馬化龍が生きている限り、金積堡はいつまでもジャフリーヤの本拠地である。彼らと手を結んでいた捻軍を掃討し、その勢力を削いで、彼らによって占拠された都市を清側へ着々と奪い返しつつある。勢いに乗って金積堡まで攻め入ってもよいのだが、


「虫の知らせ、というものかな。今少し、時間が欲しいような気がするのだ」


「ははは、それこそ先生らしくない。金積堡も、これまで我々が相手にしてきたような城と、似たようなものではありませんか」


 科学を信奉しているはずの宗棠にしては、珍しく非科学的なことを口にする、と、劉はそこで声を上げて笑った。


「傾きかけた清帝国を立て直すために働く…先生の理想は、私の理想でもあります。むろん、私ごとき、先生の足元にもおよびませんが、それでも先生の理想を果たすためのお手伝いをさせて頂きたいのです。どうぞ私と不肖の甥へ一軍をお授け下さい。その折には、先生も後ろから応援してくだされば、私としても安心です」


「君もなかなか口が上手い」


(やはり、俺の後、福建の海軍を任せるならコイツだろう)


 そこで宗棠もようやく笑った。甘粛へ来て早数年、現地住民たちから募った兵士たちへも、十分な訓練を施してある。


(民族統一…非業の死を遂げられた先帝陛下のために。我々の理想を果たすために)


「よし、では行こう、金積堡へ」


 そう考えて、彼にもやっと重い腰を上げる決心がついた。心の中で密かに頼りにしていた劉が来たから、というのもあるし、(いずれはやらねばならぬこと)と、改めて自分へもカツを入れた結果でもある。


 一度決断すると行動が素早いのも彼の持ち味。総督府を出発すると、瞬く間に霊州を奪い返し、ついに甘粛省北部、ムスリム過激派ジャフリーヤの本拠地である金積堡へ迫った。この間、わずか数ヶ月しかかかっていない。


 素早く行動できたのは、もちろん宗棠が地元産業の発展に力を入れたためもあるし、先ほど彼の話の中でちらりと出てきた喬家の援助も大きい。


 喬家は、陝西省東隣りの山西省において、一番の豪商であると認識されている。ことに当主の喬致庸は、先だって援助を確約したのは言葉だけではない、ということを示すためにわざわざ総督府に宗棠を訪ね、


「これも先物投資ですよ」


 と言いながら、財産のほぼ半分の白銀を宗棠のために投げうった。


 いわゆるシルクロードの一部であり、貿易というだけではなく、文化の交流においても重要な国際通路である河西回廊の安全が、もしか宗棠によって確保されたら、彼らも安心して商売に精出せる。


「そうなれば、総督への出資など軽く取り戻せましょうから」


 恐縮する彼に、商売敵に陥れられて死んだ父親による、莫大な借金を抱え込んだこともある、苦労人の喬致庸はカラカラと笑った。


 多大な負債を負い、破産寸前になりながらそれでも喬は諦めなかった。太平天国の乱で途絶えてしまった茶の販売路を再開拓し、ロシアへ輸出することで再び巨万の富を築き上げたのであるから、これもただの「世間知らずな二代目の若旦那」などではない。


 さらには、


「販売のために大量の銀をいちいち運ぶのも、危険で非効率的であるから」


 と、現代の為替手形に近い証書の全国流通を目指し、票号(銀行のようなもの)を独自に開設したいとさえ目論んでいた。


「とはいえ、そのためにはまだまだ総督には働いてもらわねば、ロシアともイギリスとも安心して貿易は出来ませんが」


 と、そこで喬は言葉の中にちくりと針を含ませた。己と貴様は対等の立場だということを忘れるな、というわけである。この点、やはり転んでもただでは起きない商人らしい。


 事実、当時は同じように蜂起して、今は馬化龍よりも力を蓄えたヤクブ・ベクという人物が、イギリスやロシアの援助を受け、新疆地区、特にカシュガルを占拠していた。清帝国としても、喬致庸個人としても、最終的にはヤクブを取り除き、新疆地区を清側の手に取り戻すという点において、目的は一致していたといえる。


 ともかく、宗棠が陝甘総督として赴任した頃には、その管轄下にあった前任のイリ将軍が回民を抑えかねて自殺させられ、恵寧城や恵遠城などが回民軍の支配下に落ちていたという、清側にとってはなんとも厳しい状況だったのだ。


 その上、老獪なロシアは、清政府が回民の反乱鎮圧のために援助を申し出てもハッキリとした返事をしなかった。もしかすると回民の反乱が成功し、清と自国との国境の間に新しい国が出来るかもしれない。その場合に成立する、「新たなご近所」との関係に配慮したためである。ロシアやイギリスに限らず、結局はどの国も自分の身だけが可愛いのだ。


(とはいえ、俺の戦いに今、ロシアやイギリスが介入してこないだけでもありがたいと思わねばならんか)


 金積堡を見上げて、今日も総攻撃の命令を下しながら、宗棠は苦笑いを漏らしていた。


 彼が金積堡へ到着し、馬化龍とその側近どもを包囲できたのが同治八(一八六九)年である。それから一年と四ヶ月あまり、


「落ちませんね。なかなかしぶとい」


 城壁から砲弾を浴びせるなど、未だにしぶとく抵抗を見せ続けているムスリム教徒たちを見上げながら、劉松山もまた、ため息を着いていた。


「そうだな。我等が陸路を断っているのだから、諸外国とも連絡は取れん。したがって弾丸や食料もそろそろ尽きる頃ではないかと思うのだが、厄介だな」


(特に、ロシアに来られたら、まことにややこしいことになる)


 考え考え、宗棠は答える。


 彼が警戒しているのは、動向のはっきりしないロシアが、いつ何時北から攻めかかってくるかの一点であり、


(そうなっても、十分に対抗できるだけの策はあるが)


 そう考えながらも、彼にしては珍しく気弱になっていることを宗棠自身も認めている。


 なぜなら、心のよりどころである宗教で団結している人間ほど手ごわい敵はいない、ということを、先の太平天国で嫌というほど知っているからだ。


 そのことは、包囲してから一年以上経っても、未だにジャフリーヤたちが頑強な抵抗を見せていることでも明らかなのである。そしてそれも、宗棠がなかなか馬化龍へ手を出せなかった理由の一つだったのだ。


 宗棠ほどの人物であれば、金積堡を包囲するだけならば容易かったろう。しかし、問題はそれからなのである。繰り返すが、硬い団結力を誇る相手を降服させるのには、何と言っても時間がかかる。


「ロシアが来る前に、ケリをつけたい」


 だもので、彼は繰り返しそう零した。先ほどの条約締結の際にロシアが見せた老獪さは、清人に決定的なロシアへの不信を植え付けた。加えて、清側が要請した回民鎮圧援助に対して、ロシア側が渋りを見せていることもある。どんな形にしても、ロシアが介入してくることだけは避けたい。


「夜にまぎれて突入しましょう。主将の馬さえ捕らえれば、何とかなるのですから」


 まだ四十歳前の劉は、じれてついにそんなことを言った。


「私と甥にお任せ下さい。決死隊を率いて攻め入ります。今ならきっと、大丈夫です」


「…君は」


「先生は、清のためにまだまだ必要な人です。こんな戦で失うわけにはいきません。先生が失われたら、我々はそれこそ多大な罪を負うことになります」


 己の前に膝を付き、真摯な眼差しで見上げてくる劉に、宗棠は思わず言葉を失った。


(ここへ来るまでに、ずっと感じていた不吉さはこれか)


 悪くすると、劉松山は命を失うかもしれない。そのことは劉とて百も承知なのだろう。しかし、劉はもう、宗棠にとっては大事な後継者である。


(失うわけにはいかぬ)


 その迷いを見て取ったのか、劉は、


「私は武人です。戦場に死場を得ることほど、名誉なことはありません」


 にっこり笑ってそう言うのである。


 武人、というその言葉に、


「そうだな。そうだ」


(俺も、武人だ)


 老いた宗棠の体中の血が、かっと燃え上がった。


「…よろしい。君に、頼む」


 彼が言うと、再び劉松山は白い歯を見せて笑ったのである。


 そしてその翌日、宗棠は物言わぬ彼と対面することになった。劉の猛攻は、敵の勢力をかなり削いだが、


「敵の砲弾を受けました」


 自ら叔父の遺体を担いできた劉錦棠は、むしろ淡々とそう告げた。


「よって僭越ながら、私がその後の全軍の指揮を取りました。緊急のこととはいえ、越権行為に当たることをしてしまい、まことに申し訳ございません、先生」


「臨機応変に事に当たるのが、軍の大将とそれに近しい者の勤めだ。君には何の罪も無いよ。むしろ混乱を食い止めながらの帰還を、俺は高く評価する」


 横たえられた遺体に取りすがって号泣したいのを辛うじて堪えながら、


「劉松山配下の者どもは、これよりそのまま錦棠を将とするように」


 宗棠は命令を下した。それを聞いて、甥の錦棠ならばと、故劉松山の部下の誰もが安堵しながら休息を取りに散っていった後、


「すまなかった」


 劉松山の遺体が、戸板に載せられてどこかへ運ばれていく。その部下達の姿をじっと見送っている錦棠へ、宗棠はそう言って頭を垂れた。


「そんなことは止めて下さい、先生。叔父は息絶える前に笑っていました。先生の手伝いをもう出来ないのは残念だが、敵の勢力はかなり削いだはずだ、先生の理想の礎になるなら本望だと」


「笑っていたか」


 錦棠が言うのを聞いて、宗棠は喉の奥で小さく呻く。


「…松山の官位は、君が全て継ぐように。朝廷へは俺から話を通しておこう」


 それ以上は何も言えず、宗棠は野営の天幕の中へ引っ込んだ。


(これが、現実だ。理想を追いすぎて足元を固めるのを忘れたか。口先だけの阿呆め)


 床机へどっかりと腰を下ろし、深々とため息を着きながら、彼は己を嘲笑った。


 彼としてはこれまでも、なるだけ己の配下の兵たちを損なわないよう、傷つけないような戦をしてきたつもりである。だが、己の後継者と見ていた人物を失って、さすがの宗棠も今回ばかりはかなり堪えた。


(ジャフリーヤのヤツどもも、無駄な抵抗は命を失うだけだと何故分からない。分からないから戦をするのか。太平天国の奴らもそうだったが、宗教のために戦えば、それらの神とやらが救ってくれると本気で思っているのか。現実は違う)


 老いて節くれだった両手で、彼は己の顔を乱暴にごしごしと擦る。金積堡を包囲し続けて、気が付けば同治九(一八七〇)年の十二月が間近である。大陸北西の晩秋の風は、頬どころか体中に突き刺さるかと思えるほどに冷たく、天幕の裾を時折乱暴にはためかせる。


(これも、現実だ。劉は死んで、老い先短い俺が生きている。まだまだやらねばならぬことが山ほどあるのに、反乱一つ制せず、俺はまだ、このような場所をうろついている)


 天幕が跳ね上がる音がして、ひときわ大きな風が吹いた。それに釣られて彼がふと顔を上げると、


「先生、どうかあまり思いつめないで下さい。叔父の死を悼んで下さるのは、親族として大変光栄ですが」


 火を入れに来たのだ、と言い言い、錦棠が松明を左手に持って近づいてきた。


 どうしても風が強くて、すぐに消えてしまうのだと苦笑しながら、松明の火へ右手を大事そうにかざし、天幕の中央へ積み上げてある焚き火へとその火を移す。


「私にとって叔父は、親以上の存在です。その叔父が、唯一尊敬していた人間が左宗棠です。その先生が間違ったことをするはずがありません」


「…うむ」


 二十四歳とまだ若い錦棠の真摯な眼差しを、しかし宗棠は受け止めきれずに俯いた。


「どうぞ先生、総攻撃を私へお命じ下さい。私ごときが先生へ申しあげるのも僭越ながら、敵を叩くのは、敵が弱り切っている今です。叔父が作ったこの機会を、どうか逃さないで下さい。あとわずかできっと、金積堡は落ちます。そしてそれが何よりの、叔父への供養になります」


「そうだな」


 錦棠は決して宗棠を罵らなかった。むしろ逆に励ますのである。そこに宗棠は、亡くなった劉松山が己に寄せていた深い信頼を改めて感じ取った。


(若造に諭されるとは…湖南の今臥龍が情けない。やらねばならぬ)


 考えて、老いた頬に苦笑が浮かぶ。


「よし、それでは君に総攻撃を任せよう。俺もゆく」


 こうして宗棠は再び立ち上がった。


(清帝国を立て直すことが出来る人間の一人に、俺がいる。俺がおらねば、西方は混乱したままだ。俺しか出来ん)


 そう考えることは、たとえようもなく傲慢であり、他人に漏らせば反ってくるのは失笑ばかりであることなど、十分自覚している。彼はいつものごとく、敢えてそう考えることで、己の心を奮わせたのだ。


 そして同治九年も明けて、翌十(一八七一)年。


 再びの猛攻撃を受けて、金積堡内は大変に混乱した。ここに立てこもっている人々も、もともと、正規に軍隊としての訓練を受けていたわけではない。よって、戦い方としては流賊に近かったのである。


 それでも曲がりなりにも今まで勝利を収めていたのは、ひとえにイスラムを信仰する人間達の団結力のおかげで、その人間達も先だっての劉松山の攻撃を受けて半数以下に減り、さらには食料、弾丸も尽きかけているのだから、


「口先だけのきれい事を並べおって」


 と、今まで抑えていた不満が爆発するのも致し方ない。何よりも、文字通り「腹が減っては戦は出来ぬ」のである。劉錦棠の献言は、偶然とはいえ当たっていた。


 なにより、親以上に慕っていた叔父を殺された錦棠の攻め方は、まことに凄まじかった。弱っている相手をとにかく力押しに攻め、金積堡の城壁を破壊した上で、ついに同治十年三月、ジャフリーヤの主将であった馬化龍を捕らえたのである。


「…貴様が馬化龍か」


(こいつも、確か俺とそう変わらない年だったはずだが)


 縄打たれ、自分の前に引き据えられてきたジャフリーヤの主将を見下ろしながら宗棠が問うと、ほぼ全てが白い髪の毛を震わせて、馬化龍は彼を見上げた。


「いかにも。俺が馬化龍だ」


 ろくに食っていなかったのだろう。薄汚れている頬はげっそりとこけ、目ばかりがただ、憎しみに光っている。


「俺は、清帝国の法にのっとって、貴様を処刑せねばならん」


 その目をまっすぐに見つめながら宗棠が続けると、


「するならとっととすればよい。処刑しようとする人間に、なぜいちいちそのようなことを断る」


 フン、と、鼻を鳴らし、馬化龍はその目に軽蔑の光すら湛えて言葉を返す。


「貴様に問いたいことがあるからだ。何故、フフィーヤのようになれぬ。命を無駄にする」


「俺が戦ったのは、貴様らに俺達の信仰と自治を認めさせたかったからだ。俺に賛成する人間が多数いたが、そんな人間も、貴様らと戦うことで命を惜しんだことはない。何故、貴様らにそれが分からん。いや、分からんだろうな」


 宗棠の問いに馬化龍はそう答え、声を上げてひとしきり笑った。そして、


「貴様らから見れば、西方の、ほんのちっぽけな土地だろう。そんなちっぽけな場所に住む人間が、ささやかに信じているものを、何故貴様らは認めようとしない。俺は、俺の信じるもののために戦った。貴様らにただ、俺達のことを認めさせたかった。だがその小さな理想さえ果たせずに失敗した。それだけのことだ…悔いはない」


 再び目を光らせて彼は宗棠を睨みつけ、自ら首を差し伸べたのである。


 宗棠が陝甘総督に任じられて六年余り。こうして、ようやくムスリム過激派の中枢は撃破された。


「後は残党のみだ。陝西、甘粛両省にあり、未だに反乱を企てている回民どもは、全て掃討するか、西方へ追い散らせ」


 この結果、この地方に住んでいた回民の大部分が、中国大陸を逃れたという。それら回民過激派が、再び清帝国に対して反乱を企てることのないように、宗棠の取った政策は「洗回」と呼ばれた。要するに、回民分散移住政策である。


 総督としてそれを命じながら、しかし宗棠の胸にあるところは、


(信じるもののために戦った、か)


 馬化龍の放った最後の言葉だった。


 理想のために散ることに悔いはない、と、馬化龍は言った。宗棠は既に蘭州において、武器の製造工場である蘭州製造局と、中国における事実上最初の紡績工場となる甘粛紡織総局を作ることの勅許を得た。さらに山西の喬家の援助も受けて、着々とその工事を進めている。


  それもこれも、己にかつて目をかけてくれた咸豊帝のため、ひいては清帝国のためで、


(俺の理想は、傾きかけている清帝国を立て直すことだ。つまり、俺の信じているところ、心のよりどころは清帝国ということになる。すると)


 密かに西方の新疆(東トルキスタン)を取り戻すことと、その場合に起きるだろうヤクブ・ベクとの戦いのことをも思い描きながら、


(ムスリムの神とやらを信じることと、清を信じることは、どちらも同じことである、ということにならないか。信じるもののために戦う…俺とヤツは、同じではなかっただろうか。いや、同じではない。同じであってはならないはずだ)


 生じた考えを振り切るように、彼は北京のある東方の空へ目をやり、頭を下げた。


 今回新たに得た領土の土には、これまで彼が耕してきた土地と同じように、今日も強い風に運ばれてきた乾いた沙がかぶさっている。それをじっと睨みつけて、


(俺は先帝のために働く。ただそれだけだ。俺は、奴らとは違う。現実を見ているはずだ。まだまだ抵抗を続ける回民どもがいる。俺はそれらを先帝のために、掃討せねばならん)


 再び鍬を振り下ろす。


「左総督」


 その手が、己を呼ぶ声にふと止まった。顔を上げると、かつて劉松山がやってきた方角から、左右にぞろぞろと護衛団を引き連れた山西の喬致庸が、にこにこしながらやってくるのが見える。


「今回のご活躍、皇帝陛下にはさぞお慶びのようで、私からもお祝い申しあげます」


「いや…今回は、俺が活躍したのではないよ」


 素直な賞賛の言葉に、内心消え入りたいような思いで宗棠は答えた。


「それに、まだまだ西寧にも粛州(現・酒泉市)にも、反乱を起こしている回民どもが残っている。フフィーヤの馬占鰲は我らの降服勧告を素直に受け入れたが、その他はそう素直に降服してくれぬ」


「ははあ、なるほど。では、河西回廊の安全はまだ確保できぬ。西域との交流の道が再び拓ける日は未だに遠い。我らの援助はこれからも必要、ということですかな」


「そうだ。お恥ずかしいことだが、貴君にはまだまだお骨折り頂かねばならん。今後の我々の進路としては」


 歯に衣着せず、ずばりと痛いところをつく喬家の主に苦笑しながら、宗棠は地面に転がっていた木の枝を取り、


「回廊を西へ。右は不毛の砂漠であるし、さらに険しい山を越えねばならんから、回廊を進む間は敵もわざわざそれらを攻め入っては来るまい。よって、まずは西寧を落とす。この将には既に松山の甥、劉錦棠を任命するよう、朝廷にも上奏済みだ」


 それでもってがりがりと地面を引っかきながら、簡単な地図を喬致庸へ書き示した。


 フフィーヤが彼の降服勧告を受け入れたのは、同治十(一八七二)年のことである。こちらの気候で生まれ育ったフフィーヤの回民を加えたので、彼らへ訓練を施せば十分な兵力になる、と宗棠は続け、


「先に、劉松山の攻撃によって陝西省から逃れた回民どもが、西寧の共同体に多数かくまわれている。だからこれらを先に叩く。俺の予定では数ヶ月。それ以上の時間はかけぬ。それから、まだ粛州に残っている回民どもを掃討する」


「総督は彼らへ、もうすでに降服を勧めなさった、のでしょうなあ」


「それは何度も」


 喬致庸と宗棠は、そこで顔を見合わせてほろ苦く笑った。ちなみに、河州で共同体を営んでいた穏健派のフフィーヤたちは、宗棠の降服勧告を受け入れたので、洗回を免れてその場所に暮らし続けている。


 短気な彼が、回民を分けて移住させる、という政策を採ったのには、


(我らとて、決して分からず屋ではない)


 彼自身は認めたくなかったろうが、やはり馬化龍の言葉が心のどこかにあったからに違いない。よって、西寧で共同体を形成している回民へも、


「降服すれば、そのまま共同体を営むことを認める」


 と、何度も使者を送っているのだ。


 だが、宗棠の言うところに従って降服するということは、回民にとっては清帝国への従属を意味する。つまり清の支配下での自治を認められただけで、彼らの頭の上にいるのは相変わらず清帝国である。中央アジアにおけるムスリム独立国家として認められたことにはならない。


「認めてやる、とは何様のつもりだ」


 というわけで、それら共同体に住む回民たちの態度は、より頑なになるばかりであった。


 西寧において、回民たちは現在、馬桂源という名の若者を指導者に頂いている。そのもとに、かつて陝西で回民軍として暴れまわっていた白彦虎・禹得彦などが匿われていた。彼らもしきりと清との徹底抗戦を画策しているという。


 宗棠が陝甘総督として西方にやってきてからも、回民蜂起を鎮圧することは出来ないと見ていた清政府が、その懐柔策のために、同治六(一八六八)年には馬桂源を西寧府知府(知事)に任命さえしているのだから、


「見ろ、奴らは俺達を恐れている。俺達を制しかねて弱腰になっているのだ」


 回民過激派たちはそんな風に言い合って、いよいよ清政府を見下す、という結果になっていた。宗棠のことも、


「今回の陝甘総督も、今までと同じで、我等が少し脅せばすぐに逃げてゆこうよ」


 などと過小評価している。


 これまでに北京から西方へ派遣されてきた将軍達が、いずれも輸送や食糧の点で失敗しているので、今回も「沙と険しい山々が守ってくれる」「不毛の砂漠の前に彼奴らは逃げる」などと嘯いていた。


 だが、宗棠は、当然ながらこれまでの将とは違う。これまで清政府が西域に派遣してきた将軍たちが、ことごとく失敗している原因を研究した上で、


「何故、前任のやつらの失敗から学ばないのか」


 と、それを呆れ半分に不思議がり、そこから「屯田」「道路整備」という、彼なりに大いに自信のある回答を得たわけで、


「俺が来たからには、もう好き勝手させんさ。笑うやつには笑わせておけ」


 だからこそ、北京で「屯田など、ずいぶんと遠回りする」などと嘲笑われていたとしても平気の平左だったのだ。


 運輸に食糧、それら二つの問題が解決されたら、砂漠で食料が尽きたとしても怖がることはないのである。それにもう、ムスリム過激派において一大勢力をなしていた馬化龍もいない。


 さて、フフィーヤの投降を受け入れた宗棠は、いよいよ西寧へ出発した。彼なりに十分な勝算を得られるとの目星が立ったからだ。


 喬致庸へも言ったように、劉錦棠を西寧攻略における将軍とし、


「逆らうやつには容赦はするな。だが、降服してくる者、民間人は温かく受け入れろ」


 との訓戒を徹底した上で、同治十(一八七二)年八月、真夏の太陽が容赦なく照りつける砂漠において、戦闘を開始したのである。


 河西回廊を西へと向かいながら、その道々で抵抗する回民たちをほふり、その勢いで西寧をも攻めてここを陥落させるまで、わずか三ヵ月。統領陝湟兵馬大元帥、と長ったらしい名前を名乗っていた馬桂源は、その猛攻を支えきれず、白彦虎と弟の馬本源を伴って、バエンロンゴ(現・化隆回族自治県)へ逃れた。


 後に残されたものは、やむなく投降し、西寧における回民共同体も、宗棠の洗回政策を受ける羽目になったのである。


「見覚えのある顔だな」


 投降した将たちの中には禹得彦や馬桂源の叔父、永福がいた。


 かつて陝西省から、自身で追い散らした禹得彦の顔を見つけて、宗棠が思わずほろ苦い笑いとともに言うと、彼は宗棠の顔を見上げて、


「貴様は今臥龍と名乗っているようだが」


 媚びるような笑いを漏らした。


「諸葛亮が南征を行い、南蛮王猛獲と対峙した時には、彼を七度捕らえてその都度解放したと聞く。その結果、猛獲もようやく諸葛亮の心が分かって帰順したというではないか。貴様も今臥龍なら、それくらいの情けを我々にかけて、貴様の国の王化の徳とやらを我々に説いてみたらどうだ」


 縄打たれ、地面へ跪かせられながら、禹得彦は再び媚びへつらうように笑う。つまり、自分を解放しろというのだろう。


(一口にジャフリーヤといっても、色んなヤツがいるものだ)


「どこでその知識を得たのかは知らぬが、それはくだらん物語の中でだけだ。一度己にたてついた人間を二度も許せるほど、人は寛大ではないさ」


 宗棠もそれを聞いて再び苦笑いした。ついで、


「よって、今臥龍であるところの俺は、そこまで寛大になれぬ。すまぬが、貴様の首はもらう。理想を掲げるのは大いに構わん。だが、そのために、己の分をわきまえずに他国を侵すのは、頭の良いやり方ではない」


 と、傍らに控えていた劉錦棠を振り返り、


「お前の手柄にしろ。こいつの処分は任せる」


 そう告げた。


 これでまた一つ、過激派の勢力は消えたわけだ。ここで宗棠は、当初からずっと彼についていた譚鍾麟もまた、朝廷へ推挙して陝甘巡撫代理の地位に就けさせている。


「さて、残るは逃げた馬桂源だが」


 西域の共同体における住宅は、まるで軍隊が野営に張る折のテントのようである。その一つへ無造作に入って、敷物の上へどっかりと腰を下ろしながら、


「まずは、白彦虎を破る。それから、その後は」


 宗棠は、老いてなお鋭い視線を、その場にいた人間のうちの馬占鰲へ止めた。


「君に頼もうか。君になら出来るだろう。これ以上の回民の犠牲を出さぬためにも、詐術は必要だ」


 馬占鰲は、先ほど宗棠の降服勧告を受け入れたフフィーヤ派の代表である。言われて彼は、西域に住む者独特の少し彫りの深い目を伏せたが、


「よろしいでしょう。私が説きます」


 すぐに顔を上げて頷いた。


 過激派と穏健派、理想派と現実派に別れたとはいっても、もとは同じ宗教を信じることで、兄弟のように結ばれていた回民同士なのである。多少訝しくは思われても、馬占鰲が言うことならば、馬桂源たちは信じるに違いない。それに、


(左宗棠は有言実行の漢民族である)


 とも、馬占鰲は思っている。


 それは何より、これまでの宗棠の行動が示していた。降服を受け入れたことによって、自分たち穏健派は別れて住まずにすんでいるし、宗棠の軍隊にいる兵士たちが彼らを蔑んだり、彼ら兵士達の家族である住民たちから略奪したり、ということもない。


 むしろ宗棠は彼らにも「同じ軍隊の兵士だから」と、率いてきた軍隊兵士と同じ待遇を回民兵士達にも与えているくらいで、だからこそ、それを聞いた河西回廊沿道の西域住民達も、続々と宗棠軍に帰順してきているのである。従って馬占鰲も、これ以上の回民の犠牲を出さぬため、という宗棠の言葉を信じた。


(彼さえ処罰することで、回民がこれ以上、洗回させられずにすむのなら)


 と思いながら、馬占鰲が信頼をこめて頷くと、宗棠も深く満足した様子で頷き返す。もちろん馬占鰲も、ここに至っては洗回政策を受けないでいられるのが穏健派だけであるということを、重々承知していた。


 現に、馬桂源に従っていた白彦虎が率いていた軍は、同治十一(一八七三)年二月、大通(現・青梅省西寧市)で宗棠軍に大敗、その折に従っていた兵士達は降服しようがしまいが、甘粛省の南部へ有無を言わさにずばらばらに住まわせられる、という処罰を受けたのだ。情けないことに、大将であるはずの白彦虎自身は、命からがら粛州城へ逃れている。


 かくて馬桂源はバエンロンゴで孤立し、馬占鰲は、


「陝甘総督、左宗棠は食料が尽きたため、すぐにでも撤退しようとしている。軍の士気も低下している。だから今が追撃の機会だ」


 と、馬桂源側へ嘘の情報を流した。むろん、


(この大陸におけるムスリムを、これ以上減らしてはならない)


 そう考えた結果であり、悪く言えば自分たち穏健派だけが生き延びるためである。馬占鰲にとっては、とにかく回民を存続させることが第一だったのだ。


 当然ながら、事実はその噂とはまるで逆であった。回廊沿道住民達も、自分たちから食料を奪いながらバエンロンゴへ立てこもったムスリム過激派よりも、後からやってきて労わってくれた左宗棠軍を贔屓している。


 そのため、立てこもっている側は正確な情報を得られず、大将の馬桂源は、


「清側に降服した腰抜けとはいえ、同じムスリムが言うことだから」


 と、希望的観測に流されて、のこのこと出てきたところを、てぐすね引いて待ち構えていた左宗棠軍に捕らえられてしまった。これが、同三月のことである。


 その身柄は蘭州へ送られ、馬桂源は処刑された。同時に、彼に付き従っていて、最後まで宗棠に抵抗した数千人もの回民が殺害されたという。


「清を舐めているやつらだ。まだまだ清の威光は衰えていないことを再認識させて、刃向かう気力をなくさせねばならん」


 バエンロンゴを取り戻した後も、宗棠はそう言い、休む間もなくムスリム最後の拠点となった甘粛省粛州(現・酒泉市)へ向かうことを表明している。


 その前に腹ごしらえを、というわけで、馬桂源処刑のために蘭州へ戻ってきた宗棠は、


「まずは補給だ、道路も新たに延ばさねば」


そ のための打ち合わせを劉錦棠や譚鍾麟らと行うことにした。補給を整える一方で、回民達が馬文禄を総大将としてこもり続ける粛州城の包囲を、新たに彼の指揮下に加わった徐占彪と楊世俊に命じてもいる。


 しかし、楊世俊軍は包囲に失敗し、兵力の大半を失ったという。確かに、粛州城は堅固な城壁に守られているが、


(それにしても不甲斐ない。もうちょっと頭を使えばよいものを…さて、どうする)


 その報せを聞いて、苦笑いしながら宗棠が考えている総督府へ、


「我が家の使いの者の報告だが、朝廷内で、新疆地区を放棄するという意見が出ているそうですぞ。左総督には如何お考えか」


 普段は肉付きがよく、従っていつもてらてらと光らせている赤い頬が青黒くなるほど血相を変え、わざわざ訪ねてきたのは喬致庸である。


 いずれは新疆からさらに西方との貿易をと目論んでいるため、常に清政府の動向に目を光らせている、そんな喬の言うことだから、まず真実と見て間違いないだろう。


 詳しく聞かせて欲しい、と、打ち合わせの席へ喬を招いて宗棠が言うと、


「ヤクブ・ベクがカシュガルやマナス、トクスンまでも占拠しているのは、総督にはご存知のことながら…彼の勢力は侮りがたい。よって彼に新疆を与え、朝貢させろという意見の先鋒は、直隷総督の李鴻章殿でありましてな。新疆は放棄し、むしろ海岸線の防備を強化しろと、ご高説をぶっておられる。何よりも欠かせぬのはまず、日本対策であるとな」


「どうやら、俺は一度、北京へ戻らねばならんようだ」


 そして宗棠は、それだけを聞いてすぐに決意を固めたらしい。


 ヤクブ・ベクの後ろにはロシア、イギリスが控えているという噂もある。それが事実であるなら、もしもヤクブの独立を認めてしまえば、新たにできた国を通して、その二大列強が得たりとばかりに清へ干渉してくることは火を見るよりも明らかだ。よって、


「俺は北京へ行く。金順と宋慶へ、まずは粛州城郊外の塔爾湾を占拠するように命じておけ。それで足りねば、張曜にも援軍に向かわせろ」


 宗棠はてきぱきとそう命じた。金順、宋慶、張曜の三人とも、捻軍鎮圧に功績があった人物である。この時は、文祥が言いつけて宗棠の下で働いていた。


 劉錦棠と譚鍾麟が頷いて出て行くのを見届けて、


(今度はあの優等生の足を地に着けさせねばならんとは)


「まず、朝廷へ上書を奉らねばならん」


 側にいる兵士を遠ざけ、彼は早速筆立てを手元へ引き寄せた。


 この時に彼が上奏文の中で言っていたことをかいつまんで記すと、


「古代の周、秦、漢、唐、それぞれの国が栄えたのは、西北の土地を得たからである。それらの国が衰えたのは、西北の土地を捨てて、東南へ移住したがゆえであり、それをもって異民族の侵入を許し、ついには滅亡の憂き目を見たのである。これらの地域を護るということは、北京を護るということに繋がる。現在、その西方の地のうち、イリはロシア人が占拠しており、カシュガルはヤクブ・ベクのなすがままにされている。今、この地区を奪回しなければ、必ず後顧の憂いとなる。これらの地区を放棄するなどということは、ぜひともお考え直し願いたい」


 ということで、つまり西域がいかに清帝国にとって重要な土地であるかを主張し、この地区を断固、武力奪回するべきである、としたのである。


(もっとも我々が警戒しなければならないのは、ロシアだ)


 上奏文を書きながら、宗棠の胸に蘇ったのは、かつて林則徐が残したあの言葉だった。


「これを貴方に。俺より一足先に北京の文祥殿へ奉るため、貴方の家の者をお借りしたい」


 書き上げて喬致庸を呼び、そう告げると、喬も頼もしげに頷きながら、その手紙を恭しく両手で受け取り、


「早速、早馬を立たせましょう」


 短く言い置いて、総督府を足早に出て行った。


「俺もゆくぞ。後は頼む」


 部下達に言って身支度を始めながら、


(確かに俺も理想を追っている。だが…)


 胡麻塩髭の中に、若かりし日のような不敵な笑みを浮かべ、


(その理想は、決してこの手に届かぬものではないはずだ)


 わずかな供とともに彼は、再び北京へと向かっていったのである。



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