#父
#父
痛い。さっきから、アタマのてっぺんがズキズキと疼いている。なんでこんなに痛いんだろう?痛くて痛くて目を開けるのもだるい。血でも出てるんじゃないか。俺はゆっくりと右手を頭に持っていこうとした。ズキン。
「ッ!イタタ!」
少し頭が動いたのだろう。でもちょっと動いただけで頭の芯に響くような痛みが走った。俺は動かそうとした手を止めて力を抜いた。手はパタリと布団の上に落ちたが、その僅かな振動も俺の頭にジンと響いた。
「布団?」
俺は手で布団の感触を確かめた。ピンと張ったシーツとマットレスだ。体には薄い掛け布団がかかっていた。ここはどこだ。何となく消毒臭い気がする。俺は少しずつ目を開いた。白い天井と味気ない照明が俺を見下ろしている。痛みを我慢して周りを見た。白いカーテンが俺の周りを囲んでいる。どこかの病院の一室のようだ。少しずつ頭がはっきりしてきた。
「…受粉?…いや…待って下さい。…ええ…。」
カーテンの外に誰かいる。久しく聞いたことのなかった声がした。いや、留守電では二三日に一度くらいは聞いているかも知れないか。親父の声だった。どうやら電話をしているらしい。マナー違反だぞ。病院の病室で電話するなんて。いやマナー違反じゃ済まないな。場合によっては患者の生命を危険にさらす行為だ。俺は思いっきり罵ってやりたかったが、口を開いただけで襲ってくる頭痛に声が出せなかった。
「…違います。息子は関係ない!…え…家内のことは言うな!…」
なんだ?誰と話しているんだ?俺のこととか、母さんのこととか、親父が話すことなど絶えて久しい。しかし、何を怒っているんだろう。もう少し話しを聞きたい。俺は身じろぎして身体の向きを変えようとした。
「ピンポーン♪」
動かした手が枕元に置いてあったナースコールのボタンを押してしまった。うわ、最低だ。親父が立ち上がってこっちに歩いてきた。
「…いえ、こっちも息子が怪我をしましてね。」
親父は電話で話しながら、サッとカーテンを開けた。俺を見下ろす目は冷たく、無表情でじっと見ている。親父はいつもの濃紺の細身のスーツを来ていた。恐らく仕事の途中だったのだろう。短めのカットでキッチリ固めた髪は風でなびくこともない。切れ長の目が細いフレームの眼鏡の奥に覗く。こけた頬にしては、ガッシリした顎が頑固さを感じさせる。エリート国家公務員はさもありなんという風貌だ。
電話からは小さく向こうの声が聞こえる。その声が何となく気になった。
「茂木さん?どうかされましたか?」
ナースコールに応えた看護師さんがスピーカーから呼びかけてきた。親父はまだ電話をしているが、話は終わらせるようだ。
「…どうやら意識が戻ったようです。…こちらから連絡します。…はい…はい…いいえ。…ではまた。」
親父は電話を切って。そして、俺に覆い被さるように乗り出して、枕元のマイクに向かって話しかけようとした。タバコの匂いがムッと押し寄せる。俺は匂いを嫌って顔を背けた。とたんにズキンと痛みが走って頭を抱えた。チッと親父が舌打ちをしたようだが、そのままマイクに声をかけた。
「剛志の父です。意識を取り戻したみたいです。」
事務的に事実だけを告げるその声には感情というものが欠如していた。怒ったり、イラついた時、親父は感情を殺す。恐らく悲しい時も。昔からそうだ。最近になって少しだけそれが分かるようになってきた。
「そうですか!分かりました。先生をお呼びしますね。ちょっと待っててください。」
看護師さんの方が嬉しそうに話しているように聞こえた。会話が終わると、タバコの匂いは俺から離れた。俺は抱えていたアタマを離して、親父の方を向いた。痛みは少し軽くなってきたようだ。親父はベッドサイドから少し離れて、お見舞い用に用意された椅子に腰掛けて話しかけた。
「おい、オマエまた女の子にちょっかい出したそうだな?」
一瞬何を話しているのかわからなかった。
「は?」
いきなりかよ。ちょっとは心配しているかと思っていたが、本当に自分の体面のことしか考えてないんだな。どうせカネで解決するんだろ。
「だが、今回は相手が悪かったな。オマエの手が届く相手じゃない。あっちの世界…。あ…いや…。」
?。珍しく歯切れが悪い。親父は少し言いよどむと、眼鏡に手をやってちょっと上げた。
「とにかく、問題を起こすな。いいな。」
親父の目が話は終わりだと告げている。ほどなく、看護師さんが現れた。医師もやってきて問診が始まった。気が付くと親父は消えていた。