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Metro de Romance メトロでロマンス  作者: 小鳥乃きいろ
#METRO
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#METRO

#metro


 なんでこうなった!俺は足早に六本木から地下鉄の乃木坂駅への道を急いでいた。俺の名前は茂木剛志。モギじゃないモテギタケシだ。15歳という年齢は、終電を逃すかもしれない時間帯に、こんな所を歩いていることを許してくれない。制服の詰め襟を着ているし、カラオケでノドがガラガラなので、パトロール中の警察官に職質されたらヤバイ。キョロキョロと視線を泳がせていた事に気づいて、ハッと挙動不審な自分に駄目出しする。目を足元に落として歩くことに集中した。誰にも声を掛けられませんように、とっとと安心な地下に逃げ込めますように。


 ドン、と誰かにぶつかった。

「馬鹿野郎!気をつけろ!」

 酔っ払ったサラリーマンが酒臭い息をかけてきた。俺はイラッとしたが無言で先を急いだ。

「ガキがこんな時間にウロウロしてんじゃねえよ!」

 絡まれるとめんどくさい。俺は小走りにそこを離れた。深夜だというのに六本木は道行く人が途切れない。この時間は遊び終わって帰る人達のラッシュアワーだ。スマホをチラ見して時間を気にしながら終電に急ぐ人、タクシー待ちに並ぶ人、滅多に来ない空車を待ちわびて交差点で車の流れを見つめる人、定員オーバーで乗れるか分からない深夜バスに並ぶ人、そんな人達が溢れている。俺はそんな人達に混じって急いでいた。


 今日は中学卒業の打ち上げでカラオケに行った。中高一貫の私立男子校で高校の募集はしていないので全員持ち上がりだ。新高校一年生でも普通の新学期と変わりない。せいぜいクラス替えがあるくらいだ。そんな変わり映えのしない学生生活に彩りを添えたいと、カラオケを企画したのは確かに俺だ。でも鈴鹿啓太が勝手に近くの女子高から女の子を連れてきて合コンにしやがった。たまたま余裕のある部屋だったから入れたが、人数が合わなくて俺はあぶれるし、知らないうちに酒がテーブルに出ているし、最後は俺が会計している間に全員消えてるしと、散々な打ち上げだった。アイツら100パーお持ち帰りしたな。いつもの合コンだったら、むしろ俺が率先して一番可愛い子と抜け駆けするのがパターンだ。でも今日はなんだかダチだけでワイワイしたかったんだよ。それをあのバカチンが…。ヤベ、ループした。


 気が付くと地下鉄乃木坂駅の入口に着いていた。階段を急いで下りながら腕時計で時間を確かめる。あれ?過ぎてる?改札を抜けホームに走る。不思議な感じがしたけど、その時はなんでか分からなかった。焦って走ったけど、間に合わなかったのか電車はいない。俺は荒い息をつきながら辺りを見回した。終電のはずなのに誰もいない。乗客がいないのは終電が出た後だからかもしれないが、駅員もいない。そういや改札にも誰もいなかったかもしれない。さっき感じた違和感は多分そのせいだ。

「まぁいいや。」

 誰もいないからか、自分に言い聞かせるように声が出た。ここまで駆け下りてきたが、また地上に戻るのもかったるい。俺は手近なベンチに腰掛けて一休みすることにした。そのうち誰かが出ていけというだろう。終電を逃した以上、始発まで時間を潰すか、タクシーで帰るしかないが、この時間に六本木近辺でタクシーを捕まえるのも至難の技だ。どこかで始発まで待つか。

「ふあ?あ。」

 そろそろ駅員に追い出されるだろうな。と思いながら、耐え切れずアクビが出た。ショボショボし始めた目を擦って、追い出されるまで座っていようと目を閉じた。


 目の前に地下鉄の車両が停っていた。目を開けて眠っていたのか、寝ぼけていただけなのか、気が付くと地下鉄の開いたドアを見つめていた。アタマの中にはたくさんの『?』マークがグルグルと渦を巻いている。この車両はいつホームに入ってきた?俺はいつからこれを見ている?大体いつ目が覚めたんだろ?時計を見ると十分も経っていない。

 パンパンッ!

 気付けに両手で頬をはたいた。大丈夫だ。目は覚めている。改めて、目の前の地下鉄車両を眺める。普通の車両ではなく、少し流線型っぽいフォルムをしている。そういや、この路線は私鉄に乗り入れていて、直通特急が走っている。たぶん、それだろう。でも、それは青い車両でもう少し四角い形だった気がする。このオレンジ色の入った車両は私鉄だけの運行じゃなかったかな?それに先頭車は一階がパノラマ席で二階が運転席だったけど、地下鉄に入るのかな?と、思って車両を眺めると、屋根の上には運転席が地下鉄の天上スレスレに収まっていた。一階のパノラマ席もありそうだ。ありそうだというのは、窓が全てマジックミラーのようで中の様子が全く分からないからだ。それに一両編成?普通は何両かの車両が連結されているはずだが、この編成は一両しか無い。アタマの中の『?』マークは増えるばかりだ。


 中はどうなっているのかな。俺は立ち上がって、開いたドアの前に立った。別にどうってことはない。ドアは一両編成の車両の一番後ろにあった。一枚のスライドドアで、中を覗くと普通に明るく照明されている。一般的な特急列車のように前室になっていて、客室とはもう一枚のドアで繋がっている。どうせ終電は無くなったし、私鉄に直通ならウチの近くの停車駅で降りてタクシーの方がいい。行き先が合っていたら、これに乗って行こう。とりあえず中を見たくなって、俺はドアをくぐった。車両の真ん中に左右にドアがあるが、客室と思われるドアのスイッチに手を伸ばした。ご丁寧にドアにある窓もマジックミラーだ。俺がドアに触れると、ドアが自動で開いた。


 客室内はやや落ち着いた照明がされていて、シートの色はオレンジ色だ。座席は片側二席、通路を挟んで合計四席の座席が十数列並んでいる。座席の幅も前後の席との間隔も余裕があり、柔らかそうなシートはゆったりと座れそうだ。先頭はやはりパノラマ席で広いフロントガラスがある。もっとも地下鉄の暗い中では宝の持ち腐れだが。俺は客室に入ってパノラマ席に向かった。後ろで外側のドアが閉まったことには気が付かなかった。先頭のフロントガラスに近づくとなんだかワクワクしてきた。いやいや、単なるガラスでしょ。ガキじゃないんだから。なんて自分に軽くツッコミをいれてしまう。照れ隠しに何気なく横を向いた。窓からは駅のホームが見える。やっぱりマジックミラーだったんだ。なんでだろう?と考え始めた時に気が付いた。

「動いてる?」

 俺は咄嗟に入ってきたドアに向かって走った。ゆったりしたシート間の通路が狭く感じて、何度か座席にぶつかった。ようやくたどり着いた客室のドアが自動でゆっくりと開くのがもどかしい。

「とっとと開けよ!」

 開き始めたドアのすき間から前室に転がり出ると、果たして車両のドアは閉まっており、窓からはホームが途切れて暗いトンネルに進行するのが見えた。

 カタタン、カタタン…。

 ポイントを通過する音が小さく聞こえる。ああ、やっちまった。俺はガックリとうなだれて座り込んだ。


 こうしていても仕方がない。ちょっと落ち込んだ後、俺はふうと息を吐くと立ち上がった。諦めたというか、今日の運の無さを受け入れることにした。いや、零時を回ったから二日目か…。窓の外は地下鉄構内のトンネルで、疎らに取り付けられた照明灯がフラッシュのように光っている。あらためて客室に向かうドアを開く。窓から入る明かりが無くなったからだろう、さっきより薄暗い室内にトンネルの照明が流れ星みたいだ。先頭のフロントガラスには、暗いトンネルと、行く先を照らすヘッドライトの弱々しい光りと、道しるべのように流れる照明灯が映し出されている。せっかくだからパノラマ席に座ろう。俺は通路を進んで最前列の席に座った。


 あれ?座る時に何かが視界に入ってきた。オレンジ色の毛玉のようなモノが視界の隅っこに入った。最前列、俺が座った席の通路を挟んで反対側に人が座っていた。窓側のシートに斜めに座って、窓にもたれるようにして女の子が眠っている。問題はその服装だ。レイヤーさん?最初に目についたのはオレンジ色の髪の毛だ。たぶんウィッグとかなんだろう。明るいオレンジ色の髪をショートボブにしている。マスクをしているし、目を閉じているから顔はよく分からない。まつげも髪と同じオレンジ色。長いしフサフサしてるからツケマだろう。そして服装は黒の軍服だ。昔のナチス親衛隊のような出で立ちだが、ボトムスは短いスカート。女の子だと分かったのはスカートだったからだ。足元は膝までの革のブーツがピカピカ光っている。隣の席にはやはりSSっぽい帽子と黒い革のコートと手袋が置いてあった。エロいな。B級シネマに出てきそうなコスチュームだ。コレでムチでも持っていたらR指定になってしまう。


「うん…。」

 と、彼女が小さな声を出して身じろぎをした。うわ、ヤバイ!じっと見入っていた俺は誰もいないのを確かめるように腰を浮かして、キョロキョロと辺りを確かめた。地下鉄は相変わらず暗いトンネルの中。フロントガラスには照明灯の列が果てしなく続いている。俺達しかいない客室は静まり返って、レールの継ぎ目を通過する音が時折小さく響くだけだ。女の子は目を覚ますこともなく、それ以上動くこともなく眠っている。ただ、身じろぎしたからだろうか、口元を隠していたマスクが外れていた。キレイな顎のラインとスッと通った鼻筋と可愛いピンクのリップがあらわになっていた。まるで眠り姫のように穏やかな表情で静かに寝息を立てている。


 なんだ?なんなんだこの状況は!何かのドッキリか?おれは試されてるのか?このまま見ていたら危険な気がして、彼女とは反対側の窓に目をやった。浮かしていた腰をドッカリとシートに落ち着けると、この状況を整理しようとした。深夜、駅員も誰もいない地下鉄の駅。終電の後に来た地下鉄。誰もいない路線違いの特急列車。眠りこけるレイヤーらしき女の子。しかも可愛い…っぽい。俺は念のため、自分のほっぺたをつねってみた。

「イタッ…。」

 ベタなやり方で夢かどうかを確かめたが、痛かったし目も覚めなかった。ということは地下鉄のベンチで見ている夢ではない。普通じゃない何かに巻き込まれている気がする。ブルッと身体が震えたのはそんな未知への恐怖もあったのだろうか。


「寒ッ。」

 客室内の温度が若干低いのか、少し寒気を覚えた。俺は女の子が気になった。今まで知り合った女の子は冷え症が多くて、ちょっと気温が下がると寒い寒いと文句を言っていた。足先や指先が冷たいとか、二の腕が寒いという人もいた。俺は意を決して女の子に目をやった。案の定、彼女は細い腕で胸を抱きしめ、格好いい長い脚を引き寄せて、少し背中も丸まった格好になっていた。このままじゃ風邪をひきそうだよな。隣りの席にはコートが置いてある。掛けてあげた方がいいよな。

「うん。」

 コートを掛けるだけだ。なんてことは無い。俺は自分に言い聞かせながら、席を立った。通路を横切って女の子の隣りの席からコートを取って広げた。あれ?マントじゃん?袖は無くて、襟元に少しファーをあしらった、暖かそうなマントだった。まぁ、どっちでもいいか。マントの表面は革のようなのに、恐ろしく柔らかく軽い。何で出来ているんだろう。気になったが、彼女にマントを掛けてあげないといけない。俺は彼女の肩からマントを掛けようと座席の間に一歩踏み入れた。


「失礼します…。」

 つい声が出た。黙っていると、なんだか変な気分になりそうだった。近づくと柑橘系の甘酸っぱい香りがしてきて、何だかドキドキしてきた。ヤバイ、手が震える。なんで?俺はとにかく早くマントを掛けて彼女から離れようと思った。震える手でマントを掛けようと近づいた。

「フゥ…。」

 彼女が息をついた。

「ひ…。」

 俺はびっくりして彼女の吐息をおもいっきり吸い込んでしまった。今までの香りより濃くて甘ったるい蜜のような香り…。ドクン。途端に俺の身体を衝撃が襲った。俺はマントを彼女の肩に落とすと、突然身体を襲ってきた衝動に抗うように、窓とシートのヘッドレストに手をついて踏ん張った。

「くっ…。」

 まるで身体中の血が沸騰しているようだ。動悸が速まり、こめかみがピクピクしているのが分かる。なんだコレ!俺は彼女の顔から目が離せない。ヤバイ!ヤバイ!どうなってるんだ。


「ん…。」

 彼女が身じろぎした。眉間にシワを寄せ、目が虚ろに開く、ゆらゆらと視線をさ迷わせた後、俺の姿を認めるとパチリと目を見開いた。その目は燃える炎のような橙色で、キュッと音を立てるかのように瞳孔が締まり、強い意志を持って俺を射抜いた。

「なにをするか!」

 俺は突然突き飛ばされ、通路に転がった。ガツンとシートにぶつかって口の中を切ったみたいだ。鉄の味がする。ちくしょう、まだ収まらねえ。転がされて、ちょっと傷が付いたくらいでは動悸は収まらなかった。なんだ?

 訳の分からない俺の前にすっくと立ち上がった人影は、フロントガラスの向こうの暗闇を背に、そのオレンジ色の髪を鮮やかに翻して俺を見下ろす。

「我が名はバレンシア!神なる森の王にして母なるシトラの娘である!何者か!」


 一瞬、俺はこの動悸はやっぱりこの子のせいじゃないかと、思い直してしまった。俺と同じくらいの背丈で、スラリとした身体と長い四肢。黒い軍服は彼女の細い身体を更に引き締めている。さっき俺が掛けたマントを肩に羽織り、こちらを振り向く時には細い身体を守るようにフワリと広がった。そして、今や露わになった面差しは黒い軍服とのコントラストで一層白く見えた。オレンジ色の髪と瞳と、さっきより色付いて見える口元がモノトーンの景色に映える。そして、キリリとした目、ピンと伸ばした背筋、踏みしめる長い脚が、王者の風格を感じさせる。


 一方で、俺は短いスカートと長靴の間にのぞく白い肌にドギマギしている。それに…中二病か?という疑念も湧いてきた。レイヤーさんみたいだし、そういう設定なのかも…。

「訊いている。何者か?」

 彼女は一歩前に踏み出してきた。俺は動けずにいた。

「くっ…。」

 ドクドクと血液が身体中を駆け巡っている。俺は胸を押さえた。そうしていないと、身体が勝手に暴れ出してしまいそうだ。


「…どうした。具合でも悪いのか?」

 彼女は俺を探るような目をして、また一歩近づいてきた。俺は全てを見透かされているような気がして、彼女から目を逸らした。クソ、なんでこんなにドキドキするんだ。近寄って来んな!こんな状態じゃ、何をするかわからないぞ。

 急に、俺の顔に影が落ちて、甘酸っぱい香りがした。ハッと俺が顔を上げると、そこに彼女の目があった。急激な接近なのに彼女の目は落ち着いて俺の目の中を探っている。俺の方が恥ずかしい。彼女はずいっと更に顔を寄せてきた。彼女の髪が額に掛かり毛先が皮膚をチクチクと刺激する。今や鼻先に触れんばかりの距離で彼女の静かな吐息が、甘やかに俺の嗅覚をくすぐる。


「お前は、誰だ?」

 そう言った彼女の吐息を、俺は再び吸ってしまった。ドクン。心臓が早鐘のように高鳴り、意識に霞がかかったように現実感が薄れていく。彼女の唇が欲しい。それだけが俺の望むすべてだった。俺は食虫植物の甘い蜜に誘われるちっぽけな虫だった。死の顎が閉ざされてしまうことがわかっているのに、生きたまま蕩かされる残忍な罠だとわかっているのに、一滴の蜜を味わうため、死の淵に赴く愚かな虫だった。ああ、もう、どうでもいい。俺は床についていた腕を上げると彼女の肩を抱き寄せ、声を出そうとした彼女の唇を塞いだ。バランスを崩した俺は彼女を道連れに床に倒れこんだ。つい、強く抱き締めてしまったせいで彼女が吐き出した吐息を、俺は全部吸い込んだ。


 甘い。俺は身体の求めるまま、彼女の唇を味わっていた。比喩では無く本当に甘いのだ。さっきまで血の味だったのが、甘い蜜の味と甘酸っぱい香りで充たされていく。もっと欲しい。もっと味わいたい。俺がより深く求めようと、彼女の背中に手を回そうとした時、彼女の手が俺の胸を押しやり、唇をもぎ離した。

「ふはっ!」

 二人同時に息を継いだ。彼女の手は唇を離すことは出来たが、背中に回した俺の腕を振りほどくことはできなかった。まだ至近距離にある彼女の顔は呼吸出来ない苦しさからか、唇を奪われた羞恥からか、それとも怒りからか、ほんのりと赤く上気している。目は驚いて見開かれた後、一瞬惑うように視線をさ迷わせ、俺と目を合わせると徐々に怒りの色に染まった。


「…キサマ…!?」

 俺に何か罵ろうとした時、ハッと気づいたように口元に手を当てた。

「マスクが!」

 自分がマスクをしていないことに初めて気がついたようだ。キョロキョロと辺りを見回すと、通路に落ちているマスクを見つけた。そして、しまったって顔をして俺を見た。

「お前…私の呼気を吸ったのだな。」

 口元の手は外さないままで喋ったから、少し聞き辛かったが言っている事は分かった。手で口元を隠しているからか、その後彼女の目に現れた表情が、彼女の動揺が読み取れた。悔恨?憐れみ?優しさ?

「…少年、歳は幾つだ?」


 俺はさっきより幾分落ち着いていた。心臓はまだバクバクとやかましく動いているが、アタマにかかっていた霞は晴れている。彼女の質問にも普通に答えられた。

「15だ。もうすぐ16になる。」

 別に云わなくてもいいのに一言余計だった。彼女はクスリと笑みを見せたが、そうかと言うと俺の腕の中で口元を隠していた手を伸ばして俺の髪に触れた。その目には後悔しているような、悩んでいるような色が見えた。大人なんだな。俺は不意に彼女が本当は歳上なんだと意識した。多分、だから余計な一言を言ってしまったのだ。優しげに俺の髪に触れる彼女の手は心地よいけれど、俺は彼女を抱きしめてもう一度キスをした。髪を撫でていた彼女の手は俺の頭を抱き、唇はより深く俺を受け入れていた。やっぱり甘い。さっきより幾分落ち着いていても彼女は甘かった。味覚として甘いのだ。不思議だと思いながらも、それを味わいたくて仕方がない。彼女も俺を味わっているのだろうか?さっき口の中を切ったから、少し血の味がするだろうな。と思ったら少し可笑しくなった。いきなり彼女がぱっと身を離した。両手で俺の頭を挟み、驚いた顔で俺の目に、顔に、何かを探すように目が動く。そして言った。

「…お前は…茂木の縁のものか?」


 なんで?何故そこで俺が嫌う家名が出てくるのか。折角晴れてきた俺の頭にかかっていた霞が、怒りと苛立ちの色に染まっていく。

「…関係ない。俺は俺だ!」

 彼女の目から逃れようと俺は首を捻った。そこに彼女が顔を埋める。髪の香りが鼻をくすぐる。さらさらとした髪が俺の首に流れる。表情は見えないが、俺は彼女が笑ってる気がした。

「…そうだな。少年。キミはキミでそれ以外ではない。…ならば、これは運命だ。貴方に委ねよう。…私のことも。未来のことも…。」

 サラリと俺の襟元を流れて、彼女が顔を上げたのが分かった。彼女の手が俺の頬に触れ、優しく顔を彼女に向き直させ目が合った。彼女の目には何かの決意と、恐れの感情が現れている。初めてなのかな?ちょっと下衆な考えが頭を過ぎった。そんな俺の心など知らず、彼女は身体を少し上にずらして、俺の顔の床に左手をついた。そして、俺の目を覗き込みながら、ゆっくりと顔を寄せてきた。ハラリと頬にこぼれた髪を右手で耳に掛け直す。そのまま、俺の髪を愛おしげに撫ぜると、ゆっくりと目を閉じながら近づく。目を閉じ終わるのと唇が触れ合うのがほとんど同時だった。


 突然、身体が浮き上がるような感覚と共にフロントガラスがホワイトアウトした。大光量のライトで照らし出されたように眩しくて目が開けられない。光自体に圧力でもあるかのように、押し潰されるような圧迫感がある。そして、列車は轟音を立てて加速している。真っ逆さまに堕ちて行くジェットコースターのようだ。

「座って!ベルトを締めて!」

 俺逹は手近なシートに身体を押し込み、彼女の言うがままシートベルトで身体を固定した。急激な落下に身体は揺さぶられ、俺は頭を抱えたくなった。光も強くなってゆく。しかし、熱は感じられず、むしろ冷たく感じられる。身体を透き通らせて、裸よりももっと色々なものが剥ぎ取られて、俺の本性とか深層が露わにされるような、恥ずかしいような、恐ろしいような感覚が俺を襲う。


『大丈夫。委ねてごらん。』

 彼女の声が聞こえる。眩しくて見えないけれど、彼女の温もりを感じて安心する。俺はおっかなびっくりしながらも、強ばった身体から少しづつ力を抜いていった。それとともに光が身体を洗い、意識が遠のいていく。やがてすべては消え去った。

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