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Metro de Romance メトロでロマンス  作者: 小鳥乃きいろ
#プロローグ
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#プロローグ

挿絵(By みてみん)


#プロローグ


 ちくちくするなあ。頭に被った昔ながらの麦わら帽子は、おでこと耳のところに藁がちょびっと飛び出していて、小学3年生の子供の柔らかな皮ふをちくちくと刺す。

 暑いなあ。小さな細っこいからだをだぶだぶのティーシャツと短パンに包み、背中には小さなリュックという身軽な服装。でもセミの声が鳴り止まない長い山道を歩いていたら、おでこや首筋はあっという間に大洪水になっている。何より背中のリュックが濡れた背中に張り付いて気持ちが悪い。でもノドはカラカラだ。口の中が乾いてヒリヒリする。

 足も痛いなあ。どれくらい歩いてきたのだろう。山道をバスで登った後、足で山に登るなんて。普段履きの運動靴だけど、山道は前後左右に傾いているし、石や岩や木の根が地面に顔を出していて、足の裏が熱くて痛くなってきた。僕は立ち止まって、後ろを歩く『じいじ』を振り返った。


「どうした?ノドでも乾いたか?」

 じいじは額に汗をにじませているけれども、息は乱れていない。ちょっと休めるならなんでもいい。僕は首を縦に二回振った。じいじは首に掛けた白いタオルで額を拭うと、あたりの道を見回した。細い山道は林中の斜面の途中で座って休めるところはない。少し考えてから口を開いた。

「もう少し歩くと、梅の木…じゃなくて、レモンの木があるんだ。レモンは知ってるな?じいじがレモネードを作ってやっただろう?黄色くて酸っぱいあのレモンだ。そこでひと休みしよう。レモンがなってたら、じいじが絞ってやる。きっと酸っぱいぞ。」

 じゅわ。口の中がレモンの絞り汁の酸っぱいのを思い出してつばが溢れた。じいじの作ってくれたレモネードはほっぺたがキリキリするくらい酸っぱかった。身体も酸っぱいのを思い出して反応したのか、キュウってなってゴクリとつばを飲み込んでしまう。

「じいじ、やめてよ。キュウってなっちゃう。」

 口からつばが溢れていないかと、手で口元をグイッと拭う。うん、大丈夫。ヨダレは垂れてない。じいじはその様子を見ると、満足そうに笑った。

「さあ、行こう。座れるところで水分補給だ。そら、行った行った。」

 あれ?レモンの木じゃないの?僕は少し訝しげにじいじを見たけど、じいじは早く行けと手を振るばかりだった。ノドの渇きが気にならなくなった僕はちょっと元気になってまた歩き始めた。


 じいじと遊ぶのはいいけど、こんな山の中をいつまで歩くんだろう。お家で遊んでいる方がよかった。少し開けた場所に出ると道ばたの石に腰掛けて水筒の水を飲んだ。レモンの木なんか無かった。じいじはウソをついたんだ。僕は水筒の栓を閉めながら、じいじを横目で見た。じいじは僕を見ながらニコニコと微笑んでいる。僕はちょっとムッとして言った。

「レモンの木は?」

 じいじは相変わらずニコニコしたまま、そうだねえと呟いた。

「ウソじゃん。」

 じいじはまた、そうだねえと呟くと僕から目を周囲の林に移した。

「…」

 僕は頬を膨らませて、水筒をリュックにしまった。じいじはたまに僕の分からないことをする。ビックリすることが多いけど、つまらないこともある。


「…カブトがいるな。」

 じいじが林の中にある少し離れた木を指さした。カブトムシがいるらしい。大人は男の子は虫が好きだと思っているみたいだけど、僕はちょっと苦手だ。それにカブトムシなんて大して珍しいモノじゃない。じいじは立ち上がって、取ってくると言う。

「え、いいよ。」

 僕は断ったけど、いいからいいからと言いながら、薮の中に入ってしまう。なんだよ、自分が取りたいんじゃん。全くどっちが子供か分からない。僕はじいじのことは放っておいて座っていた。

 ふと足元を見た時、黄色いスズメバチと目が合った。いつからそこにいたのだろう。目の前数センチの近い地面に、伏せるようにしている。目が合ったのが分かったのだろうか。しばし睨み合った後、翅をブルブルと震わせ始めた。ゲゲゲ!ヤバイ!これはヤバイ!

「じ…」

 僕はじいじの方を見たけど、随分薮の中に入っているのか、姿が見えない。ここはハチを刺激しないようにしないとイケナイ。じいじはハチを見かけたら静かに立ち去るようにと言っていた。僕はゆっくりと立ち上がると、ハチから目を離さずに静かに動き出した。静かに静かに、最初の一歩がなかなか出なかったが、その後は段々と早足になった。数メートル離れたところで、ハチはパッと飛び立った!こっちに来る!

「うわ!」

 僕の足は勝手に走り出した。とにかく離れなきゃ。幸い、足元は細いが平坦な道で、僕は林の中を全速力で駆け抜けた。

 ガッ!僕は何かに蹴つまずいて転んだ。

「うわっ!あぶっ!痛てっ!」

 一瞬ふわっと宙に浮くと、そのまま身体がクルッと回転した。背中のリュックがいいクッションになって衝撃を吸収した。ゴロゴロと転がって木の根本にぶつかってようやく止まった。


「アイタタタ…」

 口からはそんな声が出てきたけど、そんなに痛いワケじゃなかった。慌てて走って、ようやく止まって自分を取り戻して、パニクってしまったことが恥ずかしくて口をついて出た。そして、誰か見ていないか周りを見渡した。相変わらずうるさいセミの声が響いている。辺りは林の中ではあるが開けていて、薮にはなっていない。身体をはたいて土や葉っぱを落としながら立ち上がる。少し視点が高くなって見渡せる範囲が広がった。しかし前後左右が開けているために、道はあるのか無いのか、どっちに行けばいいのか分からない。ふとアタマに手をやると、麦わら帽子が無くなっていた。たぶん、走っている最中に耳元でブンブンいう音が聞こえて、慌てて手を振り回した時に落としてしまったのだろう。

「遭難?」

 頭の中で浮かんだ言葉がポロっと出た。カサッ。麦わら帽子の代わりに、葉っぱがアタマについていた。葉っぱを取って見つめると、じわっと輪郭がにじんできた。


「大丈夫?」

 心配そうな女の人の声が聞こえた。顔を上げると、にじんだ視界の中に僕よりは年上らしいお姉さんがいた。僕は手の甲でゴシゴシと目を擦った。ちょっと目にホコリが入った時のように。そしてじっと見ているお姉さんから目をそらした。

「顔が赤いよ?」

 うるさいな。と、思いながらお姉さんを横目で見た。髪の長い色の白いお姉さんだ。なんだか変な白い服を着ている。子供ながらに綺麗な人だなと思った。顔つきや体つきがとても整っている。その目は静かな水面のように見るものを写していた。そしてお姉さんの周りだけ光りが当たっているような気がした。

 ふと、お姉さんが空を仰いだ。僕もつられて上を見たけど、ここは林の中で木々の葉っぱのすき間から少し空の様子が分かるくらいだ。それでも、すき間にのぞいた空はさっきまでの青空ではなく、灰色の雲に代わっていることは分かった。クンクンと鼻を鳴らした。気が付くと林の緑の匂いの中に湿った水の匂いが混じっている。

 ポッ。頬に雨粒が落ちてきた。ザァッと風が吹いて林の木々を揺らした。葉っぱに乗っていた雨粒がバラバラッと落ちてきた。

「ひぁあ!」

 冷たい!雨が降ってきたけど、カサもカッパも無い。僕はその場にしゃがみこもうとした。

「こっち。」

 お姉さんが先に立って歩き始めた。僕はその後ろ姿を追いかける。周りは少しづつ雨脚が激しくなっていくのに、僕とお姉さんはあまり濡れなかった。上手く木の下をつたっているからか、木々の葉っぱが雨粒を弾いてくれたようだ。


 気が付くと僕らは小さな洞窟の入り口で雨宿りをしていた。洞窟の外は土砂降りで、時折空が光り雷鳴が轟いた。洞窟は奥にも続いてるみたいだけど、今は探検どころじゃない。

「じいじ…。」

 僕がいなくなってきっと心配しているだろう。ずぶ濡れになって探してくれてるかも。僕はすごく申し訳ない気がして落ち込んでしまった。

「大丈夫?」

 ポンポンと優しく頭を触られた。いつの間にか隣にお姉さんがいた。すぐ横に並んで腰掛けている。少し雨に濡れた服から何かの果物のようないい匂いがした。僕はちらりと振り返ると、至近距離に女の人の顔があった。見つめる彼女の視線から逃げるように、僕は洞窟の外に目を戻した。大丈夫?という言葉とは裏腹に、お姉さんはあまり心配そうな表情をしていなかった。慰めるように微笑むわけでもなく、ただ無表情だった。

 変な人だ。そんな言葉に彼女を当てはめた。変な人って思ったら、なんだか怖くなってきた。変な人って何をするんだろう。山の中に住んでいて、時折訪れる旅人を食べてしまうヤマンバの絵本を思い出した。僕は隣のお姉さんが恐ろしい顔で僕を見ている気がしてきた。雨が止んだら隠れ家に連れていかれるのかな。実はこの洞窟が隠れ家じゃないのかな。

「寒い?」

 お姉さんが僕を優しく抱き寄せた。怖い想像をしているうちにガタガタと震えていたらしい。お姉さんは最初ヒンヤリとした感触だったけど、触れあった腕や背中からだんだんと温もりを伝えてくれた。恐る恐る振り返ると相変わらず無表情だった。でも恐ろしくはなかった。僕はなんとなく恥ずかしい気がしてきたけど、背中に感じる温もりから離れたくなかった。

「大丈夫。」

 僕の声が告げた。僕の目は雨が木々を洗う様子を写していた。


「お~い。」

 誰かが呼びかける声がした。気が付くと雨は止んでいて、陽の光は少しだいだい色に近づいていた。辺りを見渡すと洞窟の中は僕一人だった。あれはまぼろしだったのかな。僕は立ち上がると、ポンポンとズボンをはたいてホコリをはたいた。と、ポケットに何かが入っている。手を突っ込んで取り出すと、小さな丸い緑の蜜柑のような、檸檬のような果実が出てきた。拾った覚えはないし、持ってきた覚えもない。あのお姉さんかな。丸い果実を鼻先に持っていくと、爽やかな匂いがした。あの人の匂いだ。

「お~い。」

 呼び声が近づいてきた。じいじの声だ。きっと心配している。僕は洞窟から出た。走り出そうとして、ふと立ち止まって振り返る。洞窟には姿は見えないけど、あのお姉さんが見ている気がした。

「また来るよ。」

 僕は呟いた。『またね。』聞こえるはずもない小さな呟きが、どこかで応えた気がした。僕はちょっと嬉しくなって、走り出した。少し涼しくなってヒグラシが鳴き始めていた。サアッと吹き過ぎた風は青い果実の匂いが混じって、彼女の綺麗な緑色の髪で撫でられたみたいだった。葉っぱに乗っていた雨粒が飛ばされて、午後の日差しにキラキラときらめいた。木々のすき間から空を見上げると、懸け橋のような虹が見えた。

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