殺意の理由
有力な情報も、しかし有効に扱えなければ意味がない。
翌朝、三郎はひとりで渋谷の東京娑婆苦を訪れたのだが、あえなく門前払いを食らった。
黒羽アヤメに会えなかったどころではない。建物に入ることさえできなかったのだ。「帰らないと警察を呼ぶ」とまで言われ、すごすご退去するしかなかった。
依頼を受けていない状態では、なんらの保護も受けられない。通報されれば、普通に逮捕されることもある。
それで三郎は、昼間からニューオーダーで飲むことにした。今日は珍しく天愛羅の姿もない。だからひとりだ。
日の高いうちから飲むビールは最高だ。
飲んでいると、サイードが来た。
「ひとりか?」
「あんたが来るまではな」
「そう嫌うな」
サイードはドリンクも持たず、ただ暇つぶしといった様子で椅子に腰をおろした。それから「吸うぞ」とだけ言い、返事も待たずタバコに火をつける。
「機構は暇なのか?」
「暇そうに見えるか? まあアタリだ。ゼロの正体が誰なのか、いまだに分からない。普段なら聞いてもいないことを一方的に教えてくるナインもいない」
「黒羽アヤメに聞きに行った」
これにサイードは目を見開いた。
「会えたのか?」
「いや、門前払いだ」
「なんだよ、ぬか喜びさせやがって」
「そう言うんなら、中に入る方法を教えろ」
「ムリ言うなよ」
しかしサイードは、以前ならこの手の暇つぶしは別のテーブルでやっていたはずである。同じ機構出身のペギーとスジャータの席だ。とはいえ、そのふたりは、いまや検非違使のメンバーになってしまった。無闇に接触するわけにもいかないのであろう。
「酒は? 飲まないのか?」
「そうしたいところだが、まだ勤務時間中だ。こっちは、あんたと違って自由業じゃないからな」
「じゃあ豆でも食え」
「遠慮しておく」
そうしてしばらく三郎はビールで、サイードはタバコで時間を潰した。特にすることもない、穏やかな時間だった。
店内を眺めていたサイードが、ふと、向きを変えた。
「そういや、キノシタの話は聞いたか?」
「お父さんが病気だって?」
「循環器系の疾患らしくてな。気の毒に、あまり長くないらしい」
「そうなのか」
なんとかしてやりたいとは思うが、おそらく医者が手を尽くしているはずだ。三郎の出番はない。
「黒羽がやってる再生治療とかいうのは使えないのか?」
「怪我には使えるが、病気にはどうだろうな……。特に臓器移植は、まだ安全性の保証されていない分野だ。ヘタに移植して半分妖精になってもマズい」
「それでも死ぬよりはマシだろ」
「そうかもしれんが、うちの教義とは相容れん。本人も移植を拒むだろう」
「カルトってのも大変だな」
「まあな」
サイード、もはやカルト呼ばわりも否定しない。
機構の教義によれば、神の救済を受けるのは「純粋な人間のみ」となっていた。妖精になってはマズいのである。
彼はタバコをもみ消し、立ち上がった。
「そろそろ行くぜ。邪魔したな」
「おう」
ひとりになってみると、暇である。ビールがあるとはいえ。
グラスが空になったタイミングで、三郎はカウンターへ向かった。
「マスター、同じのくれ」
「かしこまりました」
彼はビールサーバーを操作し、新たなビールを注ぎ始めた。
その作業中、三郎はこう尋ねてみた。
「アヤメに会いに行ったんだが、門前払いされちまった。なにかいい方法はないか?」
「では縁故のかたを頼られては?」
「縁故って?」
「六原さまは、さやかさまと親しくなさっていたはず。彼女でしたら万事うまく取り計らってくださるのでは?」
「ほう……」
さやかは孫である。しかしあのアヤメが、それだけで会う気になってくれるだろうか。
テーブルに戻った三郎は、ビールを飲みながらスマホでさやかに連絡をとってみた。アヤメに会いたいと。
するとさやかからは用件を聞かれた。
>いったいどんなご用ですの?
>ナンバーズ・ゼロについて聞きたい
三郎は小細工ナシで、率直に用件を投げた。
さやかの返事はこうだ。
>それは素敵なご提案ですわね
>すぐにでも決行いたしましょう
>いまどちらにいらっしゃいますの?
>ニューオーダーだ
>だと思いましたわ
やれやれという顔文字までついてきた。
昼間から飲んだくれているのがバレている。
*
三十分後、三郎はジャガーの後部座席にいた。
「ずいぶん早いな。ちゃんと学校は行ってるのか?」
「ご心配なく。春休みですので」
前にもどこかで聞いたセリフが返ってきた。
さやかはゴシック調の服を着て、すました顔で座っている。手を重ねて膝の上に置き、いかにもお上品な感じだ。
助手席には護衛のマゴットもいる。こちらもさやかの趣味を押し付けられたらしく、ゴシック調の服をあてがわれている。幼いころの一子そっくりだ。
三郎は窓の外を眺めながら尋ねた。
「じつは朝一番で乗り込んだんだが、門前払い食らっちまってな」
「当然でしょう。事前にアポイントもなしに押しかけるなど、礼儀知らずもいいところですわ」
「礼儀ね……」
いったいどこに行けばそんなものを教えてもらえるのか、三郎には分からない。
やがて自動車が止まり、東京娑婆苦に到着した。
女執事が降りてきてドアを開く。
「では鬼塚さん、行ってまいりますわ」
「どうぞお気をつけて」
そこは今朝三郎が乗り込んだ表口ではなく、裏口だった。事前に話は通っているらしく、インターフォンを押した瞬間に担当者が駆けつけた。
「大変お待たせしました、黒羽さやかさま。どうぞこちらへ」
メガネをした事務員ふうの中年男性だ。宗教団体とはいうが、特別奇妙な格好をしているわけではない。
内部は絨毯の敷かれた、文化会館ふうの建物だった。
応接室へ通されると、別の事務員から即座に煎茶が出された。しばらく待っていると、やがて黒羽アヤメが杖をつきながら現れた。ブルドッグのようなしわだらけの老婆だ。かなり背が低い。
「なんだい、躯喰みのガキも一緒とは。穢らわしい。まさか、あたしを殺しに来たんじゃないだろうね」
そうは言うが、アヤメは一時期、一子のクローンであるマゴットを護衛として身近に置いていた。本気で嫌悪しているなら、自分の命をあずけたりしないはずである。
三郎はふっと鼻で笑い飛ばしただけで、進行はさやかに任せた。
「まあ、お婆さまったら。冗談がお好きなんですから」
「ふん。お前がコソコソと裏でなにをやってるか、知らないわけじゃないんだよ。自分の孫でなけりゃ、とっくに墓場行きだよ」
「そうおっしゃらず。久々の対面ですもの。仲良くしたいですわ」
「年金が支給されるたび孫に金をせびられるってのはこういう気持ちなのかねぇ。あぁ、嫌だ嫌だ」
さっきから文句ばかりだが、それでも会うと決めたのは自分である。きっと会いたかったのであろう。
さやかは茶をすすり、静かにこう続けた。
「お婆さま、ナンバーズ・ゼロってご存知? 最近、ちまたを賑わせてますの。先日などは、十億の仕事を出したのだとか」
「ああ、知ってるよ。うちのビジネスパートナーだからねぇ」
これがウソでなければ、アヤメはゼロの中の人ではないということだ。ほかにいる。
さやかは笑顔のまま尋ねた。
「そのかた、どんなかたなんでしょう?」
「ハハ、それが知りたくて来たのかい。けど残念だね。あたしも正体までは知らないよ」
「どういう意味ですの?」
「そのまんまの意味さ。ナインあたりは知ってるんだろうけどね。なんだかあっちに引っ込んだまま出てこないじゃないのさ」
「では、どなたとやり取りを?」
この問いに、老婆は顔をしわくちゃにして笑った。
「バカなこと聞くんじゃないよ。教えるわけないだろう」
「いじわるですのね」
「お前がもちっといい子だったら話も違っただろうけどね。悪い子には教えてやれないね」
いくら身内とはいえ、どう動くか分からない相手にはさすがに慎重だった。
さやかも笑みを引きつらせている。
「わたくし、悪い子ですの?」
「ああ、悪い子さ。あたしの命令に逆らうどころか、命まで狙おうってんだからねぇ。とんだ出来損ないだよ」
「そんな……」
さやかはついに黙り込んでしまった。
三郎はずっと茶をすすっていたが、その湯呑をテーブルに置いた。
「おい、婆さん。そんな言い草ないだろ。自分の孫娘だぞ?」
これにアヤメは、ギロリと目だけを動かした。
「んんっ? いまお前のペットが喋ったのかい?」
「俺のことはどう言ってもいい。お前がクソだってのは矯正しようのない事実だからな。ただ、孫にまでそんな態度はどうなんだ? 家族だろ?」
するとアヤメは口元をへの字に歪ませ、茶をすすった。
「生意気な口を聞くようになったねぇ。こんなことなら、中造の家ごと焼き払っておくんだったよ」
黒羽中造は、幼少期の三郎をかくまってくれた老人の名だ。
このアヤメという女、身内だろうが、一族だろうが、自分に従わないものにはとことん厳しい。
さやかが慌てて割って入った。
「いえ、いいのです。わたくしが悪いのですわ。お婆さまのお言葉に従えないから」
「麗子なんかにお前をあずけたばかりに、反抗的なところばかり似ちまって……。せめて亜弥呼がグズでなけりゃ、もっとマシな子に育てたはずなのにねぇ。なんでこうデキの悪い娘ばかりが産まれちまうもんだか」
三郎、本来なら無償奉仕などお断りなのだが、いまは無料でもいいからこの老婆の首を刎ね飛ばしてやりたい気分だった。
とはいえ、それはさやかも望むまい。
すると、しょげているさやかを見て、アヤメも少しは正気に戻ったらしい。バツの悪そうな顔で目を泳がせた。
「ま、反省してるならいいさ。あたしはそろそろ失礼するよ。こんなところにいたら、悪い空気で肺がやられちまう」
それは黒羽が六原を愚弄するときに使う言葉だ。風使いは風邪を運んでくる。だから一緒にいると病気になるというのだ。
もちろん三郎は無視した。そんな言葉は聞き慣れている。
黙ってその背を見送ると、アヤメはしかしドアの前で足を止めた。
「ゼロの仲介人が誰なのか、名前は言えないが、ヒントだけはやろうかね。六原三郎、それはあんたが殺したいと思ってる相手さ」
「俺が? お前以外に」
「そうさ、あたし以外に」
アヤメはうるさそうに顔をしかめ、今度こそ行ってしまった。
殺したいと思ってる相手は、そう残っていない。すでにファイヴは殺した。姉のことは許した。麗子の殺害依頼は取り下げられた。アヤメはそのうち殺る予定だ。これ以外の誰かということになると、三郎には思い当たる人物がいなかった。
さやかがそわそわしている。
「どなたですの?」
「いや、誰だか分からんな。殺したいヤツで、まだ死んでないヤツ……。あの婆さん以外だとすると……」
「あの、まさか、わたくしじゃありませんわよね?」
「違う」
「じゃあ……」
三郎は頭を抱えた。
「ダメだ、全然分からん。もしかして、こないだ仕事を妨害しやがった検非違使のことか? でも殺したいってほどじゃ……。ナインのヤツもギリギリ殺したいとは思えないし、いつも金をむしり取ってくる蛇も……いや、違うな。ランキングの上にいるヤツらも、殺したくないかと言われれば怪しいところだが、まさかそいつらじゃないだろうしな……」
殺意の理由を見つけようと思えば、必ずしも不可能ではない。しかしどれも後付けだ。そんなものが動機になるのであれば、殺害依頼の出されたすべての人物が候補に上がる。
三郎はがばりと顔をあげた。
「分かったぞ。あの婆さん、ウソをついてやがるな」
「えぇっ?」
「一休さんみたいなトンチを出して来やがったんだ。きっと答えなんて最初からありもしないのによ。俺は騙されないからな」
「……」
さやか、ついに閉口。
しかし三郎の推理力ではこれが限界であった。
もしどうしても殺したい相手を用意しろというのなら、ファイヴを生き返らせねばならない。あるいは深海でも吸って、あの世で見つけてくるか。
そんな非現実的な案しか出てこないのである。
三郎は茶を飲み干し、湯呑を置いた。
「帰るぞ。作戦を練り直す」
「はぁ……」
収穫は皆無ではなかった。
アヤメはゼロの正体を知らないが、仲介人を通して取引しているという。そしてその仲介人は、三郎が知っている人物。
話の流れからするとナインではない。もっと別の誰かだ。
また旧庁舎へ行き、確認する必要があるかもしれない。
(続く)




