伸び代
すでに十二月。
このままでは今年のランキングを制するのは不可能。そう判断した三郎は、押し付けられた新人をどうにかすることに決めた。
ニューオーダーの地下には訓練施設がある。実弾の使える射撃レーンもあるが、大部分はエアガンしか使えないアスレチックエリアだ。もちろん殺し合いは禁じられている。負傷者を出した場合もペナルティがある。安全には最大限配慮しなければならない。
三郎と天愛羅はジャージ姿でそこにいた。
「じゃあ模擬戦やるぞ。俺もお前も武器はエアガンだけな」
「なんか痛そう」
「死なないから安心しろ。怪我もさせない」
「ならいいんすけど」
言いながら、天愛羅はエアガンの銃口を覗き込んだ。たとえ玩具でも絶対にやってはいけない行為だ。しかもまだゴーグルさえつけていない。
三郎はその手をつかんだ。
「覗くな。失明するぞ」
「えぇっ? でもオモチャですよ?」
「オモチャでもダメだ。二度とやるな」
「はぁ」
銃を使わない三郎でもそのくらいのことは分かる。天愛羅にしても最低限の講習は受けたはずなのだが、まったく理解していないらしい。
アスレチックエリアには遮蔽物が並べられている。想定されているのは市街地と屋内での戦闘。
コンクリートの壁には、あきらかに実弾でついたとしか思えない傷もあったが、あくまでここはエアガンしか使えないルールだ。
「ダミーの敵も用意しておいた。見つけたら撃て」
「ダミーって人形ですか?」
「そうだ」
「そんなんで訓練になるんすか?」
「なる。いいからやれよ」
「はぁ」
ともあれ、三郎とて戦術のプロではない。ほとんど反射神経だけで生き延びている。指導者としては怪しいところがあった。
かくして始まった訓練であるが、それなりに効果があった。
はじめ天愛羅は訓練だと思ってあきらかにナメていた。だから三郎は最初から本気でエリアを駆け回り、とにかくBB弾を撃ち込みまくった。痛かったのであろう。天愛羅は次第にムキになってきた。
「ちょっとは手加減してくださいよ!」
「断る。現場じゃ誰も手加減しないぞ。死ぬからな。お前、何発撃たれた? 実戦では、同じ数だけ体に穴が開く」
「そんなこと言ったって、三郎さん速すぎなんですもん」
「見たらすぐ撃てよ」
「それが間に合わないんですっ!」
生きているから苦情も言える。しかし実戦なら抗議する前に死体になっているところだ。
泣き言を繰り返す天愛羅へ、三郎は容赦なくBB弾を撃ち込んだ。
「もうやだぁ」
やがて天愛羅は、試合放棄とばかりにへたり込んでしまった。
まだ三十分やったかどうかというところだが、三郎も安全装置をかけた。
「この辺にしておくか。お前、俺に何発当てた?」
「一発も当たってないです……」
「で、お前には何発当たった?」
「おぼえてませんよ!」
「俺もおぼえてない。つまり、おぼえきれないほど死んだってことだ。それがお前の実力だ」
すると天愛羅はキッと睨みつけてきた。
「分かってます! 分かってますけど、三郎さんランカーでしょ? いきなりこんなのムリですって!」
「まあたしかに、俺は最強だ。そこは悪いと思ってる。だが実戦ってのはこういうものだ。自分がどれだけザコか分かっただろ」
「けど、風が使えるようになったらもっとできますし……」
ついには仮定の話に逃げ込んでしまった。
三郎も溜め息だ。
「前髪は切れるようになったのか?」
「まだですけど、もうすぐできますから!」
「じゃあ切れようになったら教えてくれ。現場に出るのはそのあとだ」
「えぇっ? ひどくないですか?」
「お前のために言ってるんだ。もし実弾でやってたら、お前死んでるんだぞ?」
天愛羅はしかし、それでもごねる。
「そのときは三郎さんがサポートしてくれますし……」
「可能な限りそうするが、お前の盾にはならないぞ。俺だってそんなので死にたくないからな。とにかく、自分を風使いだと思うなら、もっと風を操れるようになれ。歩いてるときでも、風を意識しながら歩くとか、とにかくそういう訓練をしろ」
「はい……」
*
バーへ戻り、三郎はコーラをおごった。
天愛羅はまだしょげていたが、そのぶん反省しているようだった。
「三郎さん、ありがとうございした。あたし、自分の実力がよく分かりました」
「そうか」
このまま引退してくれればだいぶ楽になる。
が、天愛羅はそんな性格の女ではなかった。
「やっぱり、風使えるようにならないとですよね。道歩いてるときとか、洗濯物干してるときとか、ちょっと意識してやってみます」
「おう……」
妙に前向きなのだ。三郎には対処できないタイプだった。
すると、天愛羅はがばりと顔をあげた。
「あ、分かった! 名案ですよ! なんかエーテル高まるヤツ売ってる人いるらしいじゃないですか? それ使ったらパワーアップするんじゃないですかね?」
「やめろ。手を出した瞬間、検非違使に目をつけられる」
「えっ? ヤバいんすか? なんかフツーに売ってますけど」
「フツーに売ってるが、そのぶんかなりヤられてるんだよ。絶対に手を出すな。なにが起きるか分からんからな」
深海というドラッグを使えば、エーテルが高まり、一時的に共感能力が手に入る。海とも交信できる。しかし雑多な情報の波が押し寄せてくるから、脳への負担が大きい。結果は保証できない。
なお、この界隈でクスリをサバいている星という男は、懲罰として検非違使からたびたび強制労働させられていた。それでも殺処分されないだけマシというものであろう。
コーラを飲み干し、天愛羅はテーブルに突っ伏した。
「ところで三郎さん、いつになったらアニメ鑑賞回やるんすか?」
「はっ?」
「びょーどーちゃん、全話録画してるんすよね? あたしにも見してくださいよぅ」
「そのうちな」
本当にぐいぐい来る。まるで親戚のようだ。実際に遠縁ではあるのだろうが。まだ会って一ヶ月ほどだ。
ふと、テーブルに男が近づいてきた。スラリとした黒人男性。機構のサイードだ。
「いまいいか?」
「ああ」
三郎が席を促すと、彼はすっと腰をおろした。
「初めて見る顔だな。新人か? 俺は機構のエイブラハム・P・サイードだ」
すると天愛羅は、途端によそ行きの顔になった。
「あ、あたし六原天愛羅です。三郎さんの親戚というか、まあ、そういう感じのやつです。はい」
「ああ、ファミリーか」
なんか察したような顔だ。
三郎は先を促した。
「用件は?」
「ちょっと聞きたいことがあってな。あんたら、東京娑婆苦って団体知ってるか?」
「なんだそれ?」
「春日次郎のやってた宗教団体だ。ちょっと前に世間を騒がせたブラックアウトってテロリストがいただろ? その表の顔ってところだな」
ブラックアウトなら三郎も知っている。神を使ったテロを計画した団体だ。三郎自身も勧誘されたし、姉の一子に至っては率先して参加していた。苦い思い出だ。
サイードは細いタバコに火をつけ、あまったるいにおいを出した。
「その東京娑婆苦が、こないだ初めて組合に仕事を出してな。それを受けたのがあんただったってわけだ」
「へえ、そうかよ。それで? なにか問題でもあるのか?」
「いや、問題ってほどじゃない。いまはまだな。庁舎からファイルを回収しただろ? 中は見たか?」
「見るかよ。興味もないしな」
余計なことに手を出すと、余計なことに巻き込まれる。だから最低限のことしかしない。この業界での処世術のようなものだ。
サイードはしかし紫煙を吐きながら、ふっと笑った。
「じつはそのファイルについて、検非違使が異様に警戒してる。あいつらが作った資料だから、中身がなんなのかも知ってるんだろう。下っ端はともかく、上の連中はな。こっちはなにが起きてるかも分からない状態だ。なんでもいいから情報が欲しい。価値ある内容なら謝礼も払う」
「情報なら蛇から買えばいいだろ」
「その蛇がアテにならないんだ。ともかく、思い出したことがあったらなんでも言ってくれ。できれば一番にな」
タバコをもみ消し、サイードは行ってしまった。
また面倒なことが始まるのかもしれない。金になるならいい。しかしそうでないのなら三郎にとっては迷惑でしかなかった。
ふと、天愛羅が座ったまま小さく跳ねた。
「うわー、凄い。なんか映画みたい。あたしらの仕事、ちょっとヤバくないですか?」
「ヤバくない。いつものクソ展開だ。どうせロクな金にならない」
「えぇっ、なんでそんなドライなんすか? もしかしたらデカい仕事来るかもしれないじゃないですか?」
「来てもどうせデカいクソ仕事だ。期待するだけムダだぜ」
金払いに関しては、機構もかなり渋い。というより、景気のいい仕事を持ってくるのはナンバーズくらいのものだ。同じクソ仕事なら、ナンバーズから受けたほうがいい。
あの現場にいたのだ。きっと絡んでくる。
天愛羅は脳天気に銃の手入れを始めた。
「でも、いろいろ準備しとかないとですね。あ、もちろん分かってますよ? あたしの実力じゃ厳しいって。でも伸び代ありますし、やる気もあるし、頑張れば行けるんじゃないかっていう……。三郎さん、何年でランカーになれました? あたしもできればランカーになりたいんすけど」
「……」
気持ちの切り替えが早すぎる。
*
しかし結局、なんらの動きもないまま一年が終わってしまった。
当然、店に貼り出されたランキングの結果も満足のいくものではない。
1.ドン・カルロス
2.カメレオン
3.枕石居士
4.六原三郎
5.マリー
6.砂原次男
7.青村雪
8.ブルーマンデー・ホリオカ
9.フラッシュバム
10.杉下耕介
あくまで前年の賞金額からの算出なので、生死を問わず名前が記載されている。
頂点を狙うなどと豪語していた三郎だが、去年の三位から順位をひとつ落としてしまった。
こうなった以上、高額の依頼をバンバン受けて、なんとしてでも順位をあげねばならない。たしか五千万で黒羽アヤメの殺害依頼が出されていた。いや、それだけでは足りない。去年は八千万ほど稼いでこの順位だ。トップを目指すなら倍は稼がねばならない。
そう勢い込んで決意を新たにしていると、テーブルへ天愛羅が来た。
「あ、三郎さん! あけおめでぇーす! ランキング見ました? 凄いですよ! 名前載ってましたよ!」
「去年より下がってるんだが……」
「いいじゃないですか。上に三人しかいないんですよ? もう神ですよ、神。元気だしてください。あたしなんて、大学留年しそうなのにこのテンションなんすから」
「いや、お前は学業に専念しろ……」
大学中退でも小学校中退よりはマシだとは思うが、それでも卒業できるならしたほうがいい。
しかし天愛羅がやけに上機嫌なのには理由があった。
「聞いてくださいよぅ。あたし、ついにやっちゃいましたよ! なにやったか分かります?」
「金でも拾ったのか?」
「違いますよ! ほら! ほらほら! 見て分かりません?」
キャスケットを持ち上げ、やたら顔を近づけてくる。
「なんだよ? せめてヒントくれよ」
「いや、もう答え出てるでしょ!? 前髪ですよ! 前髪! 女子が髪をカットしたのに気づかないって、それ一番ヤバいやつですから」
「床屋行ったのか?」
「違います! 風の力で切ったんです! あ、でもそのあとハサミで整えましたけど。どうです? 凄くないですか?」
「おう……」
そもそもたいしたことではない上に、ハサミでカットしたというのでは、目で見て分かるわけがない。
消沈する三郎をよそに、天愛羅はさらにテンションをあげた。
「あ、でもお金は拾いませんでしたけど、野菜は拾いましたよ! なんか郵便受けに三本もゴボウが突っ込まれてて、なんだよこれって思って」
「……」
三郎の家でも同じようなことが起きていた。きっと一子が現れて、そっと野菜を置いて帰ったのであろう。勝手に中に入り込んでこないだけマシであるが、相変わらず行動が怪しすぎる。
しかし三郎、料理ができない。ゴボウなどもらってもどうしようもないのだ。なんならそのまま齧るしかない。
(続く)




