ゼロ・ポイント
組合の仕事はめっきり減っていた。
ザ・ワンはアメリカに引き渡されてしまったし、野心のありそうな組織はどれも衰退してしまった。問題を起こしそうな連中も、それぞれ取引先を見つけてうまくやっている。
平和だ。
六原三郎は頭を抱えていた。
仕事がない。
もう十二月だ。そろそろ新たなランキングが発表される。だというのに、今年はロクに稼げていなかった。このままではランキングの頂点に立つことなどできない。
「クソ、誰でもいいから問題を起こしてくれ……」
つい不穏な独り言がもれた。
話を聞いている正面の女も、さすがに苦い表情だ。名を六原天愛羅という。はるか昔に里を出たという家の娘で、ここ最近、能力に覚醒したのだとか。それで一子を頼り、三郎へ回された。
歳は十九。キャスケットに黒縁メガネにブラウスという若い格好をしている。
「三郎さん、デカい仕事狙ってます? あたし初心者なんで、あんまヤバいのは困るんすけど」
「安心しろ。そのときは俺だけでやる」
「えー、なにそれぇ。優しく指導してくださいよぉ。一子さん、三郎さんならそうしてくれるって言ってましたよぉ?」
「……」
三郎は辟易していた。
この女、同じ一族というだけでやけに馴れ馴れしい。構って欲しいだけの姉はすぐに落とされたかもしれない。しかし三郎は違う。こんなにぐいぐい来られては困るのである。
きっと木下も見ている。誤解されれば婚期が遠のく。
そもそも、このトーシロは業界に入ってくるべきではなかった。
ある日そよ風を起こせるようになり、自分には風使いの才能があるのではと一子に相談したばかりに、じゃあ三郎のところへとたらい回しにされてしまった。
一番問題なのは、本人にやる気があるという点だ。
それまでは普通の学生だったのに、能力に目覚めてしまった。その後この業界の存在を知ってからというもの、自分の輝く場所はここだと決めてしまった。
天愛羅はいまも銃をいじくっている。とりあえず分解したはいいが、もとに戻せなくなって難儀しているようだった。
「なあ、それさ……」
「興味あります? あたしのヘケコホちゃん」
「なんだそれ? 銃に名前つけたのか?」
「あたしもよく分からないんすけど、ヘッケラーさんとコッホさんが作ったらしいんすよ。なんかカップルみたいで可愛いし、これ使ってこうと思って」
よく分からないことを言いながら、スプリングを床へ落とした。
「それ、直せるのか?」
「えっ? いや、大丈夫っすよ。あたし、細かい作業とか得意ですし……。それに、もっと風が使えるようになれば、最終的に銃とかいらなくなるし」
「……」
このまま現場に出したら死ぬ。そしてもし死なせてしまえば、姉からどんな仕打ちを受けるか分かったものではない。絶対に現場に出すことはできない。なにか理由をつけて留守番させなければ。
「風を使いこなすのは簡単じゃない。神経を研ぎ澄ませて、風の流れを『見る』んだ。見えたら、気力でつかんで振り回す。最低限、これができないと使い物にならない」
「あー、それなんとなく分かります。あたしこないだ、もう少しで前髪切れそうだったんすよ。今日あたり行けちゃうかも」
「……」
三郎が五歳児のころでさえ、もっとまともに風を扱えた。この女の才能は怪しい。少なくとも実践に活かせるレベルではない。
銃の扱いも危なっかしい。射撃がヘタクソなだけなら組合にもたくさんいるが、味方だけでなく自分まで撃ちそうなヤツは貴重だ。そういうのはすぐに死ぬ。
彼女の第一声はこうだった。
「あ、大丈夫です。あたし、バレーやってたんで体力には自信ありますから」
しかしレギュラーではなかったという。運動神経ではなく身長の問題かもしれないが。彼女の背はさほど高くなかった。
ふと、くりくりとした金髪の女がしなやかな足取りでやってきた。
「仕事受けない?」
キャサリンだ。もとは機構の艦長だったはずだが、左遷されたのか自分から志願したのか、ずっと組合で事務員を続けている。
三郎は手で追い払った。
「いまそれどころじゃない」
「誰にでもできる簡単なお仕事があるんだけど?」
「ふざけんな。見ろこのザマを。銃がバラバラになったまま、もとに戻る気配がない。片付くまではなにも受けないからな」
「ちょっと貸しなさいよ」
キャサリンはフレームを手に取り、そこへ躊躇なくパーツを組み込んでいった。銃はもとの姿に戻った。
「ほら、これでいい?」
天愛羅は目を丸くしている。
「ヤバ……。お姉さん、なにものなの?」
「ただの美人事務員よ。それより、約束通り仕事を受けるのよね? 大丈夫よ、ちょっとお使いに出るだけだから」
*
かくして三郎たちは、まんまと仕事を押し付けられた。
場所は他界。
旧検非違使庁舎の内部から、とあるデータを持ち帰って欲しいという。庁舎はオフラインだから仮に電子データであろうと現地に行かねば手に入らないのだが、今回はよりによって紙のファイルだという。
車を降ろされたふたりは、巨大な円柱のビルを見上げた。薄暗い空間にズシリとコンクリートの塊が置かれている。窓ガラスはほとんど割れているから、廃墟としか言いようがなかった。
「いやー、ヤバいっす。マジで新世界に来ちゃった。凄くないっすか?」
新世界、あるいは他界へは、基本的に民間人は立ち入れない。国際的なルールさえ定まっていない土地である。特別な許可がなければ立ち入ることはできない。
「べつに凄くない。行くぞ。場所は分かってる」
「はぁい」
テンションが高まっているのか、天愛羅はわくわくしたように跳ねていた。
他界の気温は地上ほど変化がない。ずっと肌寒いままだ。季節というものが希薄なのかもしれない。
ふたりは懐中電灯を手に、エントランスから内部へ入っていた。外部電源も存在するのだが、すでに稼働していない。
「ヤバ、これ幽霊とか出てくるかも。三郎さん、あんまり離れないでくださいよ」
「ああ」
「場所はどこなんすか?」
「四十二階だ」
「マジで? 階段で行くんすよね? 足ヤバそう」
体力に自信があるという自己紹介はなんだったのか。
三郎は聞き流しつつ、懐中電灯を動かした。嫌な予感がする。いや、予感というより確信に近い。空気がおかしい。なにかがいる。
三郎は最強を自称している。だからどんな敵が来ても戦うつもりでいるし、勝てるとも思っている。しかし幽霊は別だ。そんなものには対処できない。姉より怖い。
「いいか、俺から離れるなよ」
「分かってますよ」
「絶対にな」
「はい……」
スクリーマーや妖精ならいくらでも切り刻んでやろうと思っている。しかし気配があるのに誰も出てこないというのは不気味だった。
まっくらな廊下を抜け、なんとか階段を見つけた。お化け屋敷にでも迷い込んだみたいだ。
三郎は気配を探りながら、一歩ずつ確実に階段をあがった。天愛羅はもう黙りこくって、ただ後ろから服を掴んでいる。ときおり「ひっ」と息を呑みながら。
そして四十二階の資料室――。
気配の主は、よりによってそこに潜んでいた。
「うわあああああっ!」
天愛羅がパニックになってぶんぶんと銃を上下に振り始めた。
人影に驚いたのだ。
三郎も二度びっくりした。一度目は人影を見た瞬間。二度目は天愛羅の声にだ。しかしよく見ると、そいつは知り合いだった。
「おいおい、急になんだ。静かにしたまえ」
散華長。ナンバーズ・ナイン。包帯で全身を覆っており、その上からスーツを着ている。およそ一般的な成人男性の風体ではない。
三郎は天愛羅の腕をつかみ、おとなしくさせた。
「なぜお前がここにいる?」
「野暮用さ」
「仕事の邪魔をしに来たんじゃないだろうな」
「まさか。ちょっと調べ物をしに来ただけさ。君もそうなんだろう、六番目の友人よ」
乱れてもいないネクタイを直す仕草も相変わらずだ。
「友人じゃない。資料を持ってこいって言われて、それで取りに来たんだ」
「どの資料だ? よかったら手伝うが」
しかしややこしいタイトルなので、三郎の記憶にはない。その代わり、メモを持ってきた。そこには「第零類に関する計画書」とある。
このメモを見せた瞬間、ナインは手にしていたファイルをよこした。偶然にしては出来すぎている。
「お前、やっぱりこれを……」
「たまたま手にとっただけさ。君にやる」
「偶然なんだろうな?」
「ああ、偶然だよ。まったくのね。依頼主は誰なんだ?」
「さあな。なにも聞いてない。ひとりあたり三十万の仕事だし、検非違使だと思うが」
「それはただの最低賃金だ。検非違使以外でもよく使う」
この業界を管轄している検非違使が三十万しか出さないのをいいことに、他の依頼主もだいたいこの値段で仕事を出してきた。ナインの推理はもっともだ。
三郎は中身を確認することなく、天愛羅のリュックへファイルをしまいこんだ。
ナインがいぶかしげに目を細めた。
「彼女が例の?」
「ああ。姉から押し付けられた新人だ」
「現場に出すなら、もっと訓練したほうがいい」
「そうするよ。もう行くぜ。邪魔したな」
「足元に気をつけて、友人たち」
場を離れると、天愛羅はようやく呼吸を開始した。
「し、知り合いですか!? お化けかと思いました! だってあんな包帯グルグルで……」
「ナンバーズのナインだ」
「あれが? ナインさん? あの有名な、灰の紳士?」
「紳士ぶってるだけの変態だ。またコソコソとワケの分からないことを企んでるみたいだがな」
三郎には分かった。あの部屋にいたのはナインだけではない。ハッキリとは分からないが、死のにおいがした。戦闘を仕掛けなかったのは、料金に釣り合わなかったからだ。素人をカバーしながら、ナインともうひとりを始末するのは難しい。
*
ニューオーダーへ戻り、金を受け取った。
行って帰ってくるだけで三十万。そう考えるとうまい仕事だ。しかしランキングをあげるほどの額じゃない。トップを狙うなら億単位の仕事を受けなければダメだ。
天愛羅はまだ震えていた。
「ヤバ、手がちょープルってるんですけど」
「これに懲りたらもう引退しろ。せっかく大学に通ってるんだろ? ちゃんと卒業して、まともな仕事したほうがいいぜ」
小学校中退の三郎としては、大学生と聞いただけで身構えてしまう。それほどの境遇にあるのだから、わざわざこんな仕事をしなくてもいい。
しかし天愛羅は聞いていない。
「三郎さん、ちょっとビールもらっていいですか?」
「ダメだ。お前まだ未成年だろ」
「もうすぐハタチですし」
「ダメだ。俺そういうの厳しいからな。守れないなら一緒にやれない」
「そんなぁ」
依頼を受けた上での非合法な仕事はする。しかし依頼を受けていない状態で非合法なことをすれば、即座に排除の対象となる。この業界はその手の行為に厳しい。
「はぁ。あたし、一発も撃てなかったっす……」
「撃たなくていい。あいつは敵じゃなかった」
「けど、もし敵だったらヤバくないですか? あたしら殺されてましたよ?」
「まあな」
とはいえ、ナインが相手では、仮に発砲したところで状況は同じだったろう。弾丸はその場で灰にされる。
あるいはエネルギーの回復し切っていないいまのナインなら、真空波で切り刻んでいれば勝てるかもしれない。エネルギーは無尽蔵ではない。枯渇すればナインとて存在を保てなくなる。
しかし殺るなら、せめて一千万以上の額が欲しい。
天愛羅はつまらなそうな顔でストローからコーラを飲んだ。
もっと活躍するつもりだったのだろう。ところが実際は、トリガーを引くことさえできなかった。
三郎は思わず顔をしかめた。
「お前、やっぱりちょっと訓練したほうがいいな」
「そうっすよねぇ……」
訓練で死ぬ可能性は極めて低い。だからそこで厳しく指導すれば、生きたまま引退してくれるかもしれない。
さいわい、ニューオーダーの地下には訓練用の施設がある。そこで模擬戦でもやれば、実力の差を見せつけることができるだろう。
(続く)




