世間話
十一時八分。
都内某所、ハバキ事務所――。
雑居ビルだ。
スカイラインで乗り付けると、事務所のガラス戸を押し開けて若い男が飛び出してきた。
「えーと、どちらさまで?」
目も鼻もアゴもすべてが鋭い顔立ちの若者だ。格好だけ見ればチンピラ以外のなにものでもなかったが、事務所に詰めているだけあって、最低限のマナーは身につけているらしかった。
彼らは基本的に訪問客とは揉めない。警察官が立ち寄ることだってある。初手から怒鳴りつけたりはしないのだ。
犬吠崎は運転席から降りながら、小声で「検非違使だ」と告げた。
男はキョトンとしている。
「検非違使さん? あれ? じゃあさっき来たのは……」
後部座席から白鑞金も出た。
「さっき? 誰か来たの?」
「ええ、検非違使さんが」
「検非違使の誰?」
「さあ、そこまでは……」
顔も部署も知らないということは、ハバキに馴染みのある職員というわけではなさそうだ。
「白木さんいる?」
「そりゃいますけど、いきなり通すわけには……」
「じゃあ通っていいか聞いてきて。白鑞金が来たって言えば分かるから」
「はい」
出てきたのはひとりだが、中に何人か詰めているはずだ。強引に押し入ることはできない。
いちおうここもビジネス街ではあるが、静かな裏通りである。誰も出歩いていない。林立するビルも、五階から六階程度。裏稼業で稼いでいるとはいえ、ハバキはさほど名の通ったヤクザではなかった。なるべく同業者との対立を避け、妖精関連の事業でなんとか凌いできた組織である。
ややすると、若者が戻ってきた。
「お会いするそうです。中へどうぞ」
四階の応接室に通された。内部は特に見るべきところのない普通のオフィスだ。観葉植物があり、使い古されたソファがあり、重たそうなテーブルがある。出迎えた男の人相さえ気にしなければ、ありふれたミーティングと変わりがなかった。
弓子がここへ来るのは初めてである。
「ご足労いただき恐縮です。できれば、事前にご連絡いただければよかったんですがね」
ハバキの組長。白木。言葉は丁寧だが、目は少しも笑っていない。
グレーのスーツを着た、やや細身の中年男性だ。歳は四十から五十といったところ。染めているのか、オールバックに撫でつけた髪は真っ黒だ。
若い衆が「どうぞ」と持ってきた茶を、白鑞金は「どうも」とすすった。
「近くに寄ったもんで、ちょっとご挨拶でもと思いましてね」
「結論から聞かしてください。どの件です?」
ソファに腰をおろしたまま前かがみになると、白木の目つきの凶悪さが一層際立った。
が、白鑞金は動じていない。ふところからタバコを取り出し、若い衆につけさせた。
「二点あります。まず一点目、さっきここへ来た弊庁の職員は誰なのか。そして二点目、アメリカとの商売について。正直に答えてくれると、その協力に感謝したくなる気持ちもわいてくるかもしれませんねぇ」
紫煙を吐きながら、白鑞金は薄く笑った。
堂に入ったものだ。
犬吠埼でさえ渋い顔をしているというのに。
白木はどっとソファに背をあずけた。
「さっき来たのは特課ですよ。なに? あんたら、内部で連絡取れてないの?」
「特課の誰?」
「佐伯さんだよ。細かいことは本人に聞いてください」
「で、二点目の答えは?」
この追求に、さすがに白木も眉をひそめた。
「いや、検非違使さんねぇ。こっちだって守秘義務ってのがあるんですよ。アメリカを敵に回すようなマネできると思います?」
「日本を敵に回すよりマシだと思いますけどねぇ」
「ハッ! 日本? 笑わすんじゃねぇよ。警察だってなんにも言ってこねぇってのに。この件に首突っ込んで来てんのはあんたらだけだ」
これだけ強気ということは、事前に警察になんらかの承諾を得ている可能性がある。
白鑞金はややむせながら煙を吐き、クリスタルガラスの灰皿に灰を落とした。
「守秘義務があるのは分かりましたが……。言える範囲で、なにか教えてもらえませんかねぇ? 誤解しないで欲しいんですが、俺らのターゲットはハバキさんじゃない。あくまでアメリカなんだ」
「よく言うぜ。あとでユスリのネタに使う気なんだろ?」
この言葉に、白鑞金も苦い笑みになった。
実際、検非違使の手口は汚い。細かいネタを集めておき、そのときは使わないものの、あとで必ず取引の材料に使う。ハバキが怒るのもムリはなかった。
「ただね、白木さん。もし黙ってて、それがあとで物凄くマズいことだってのが分かったら、物凄くマズいことになりますよ」
「分かってますよ」
そこで白鑞金は声をひそめた。
「言っておきますが、もしザワニスツが絡んでようが、ウチには関係ありませんから。なにせあそことは一円もやり取りしてないんだから。少なくとも俺個人はね」
「……」
「ま、そういうことです。なにか思い出したら連絡ください。またうかがいます」
白木は歯噛みしたまま返事もしなかった。
*
事務所を出た弓子たちは、すぐに車で移動を開始した。
次に向かうのは特殊課の事務所だ。
通称「特課」。かつて弓子の父が所属していた部署だ。父は仕事のことについて家ではなにも話さなかったから、弓子には佐伯がどんな人物なのか知らない。父が特課にいたことさえ、入庁してから知らされたくらいだ。いや、そもそも、弓は父の職業を警察官だと聞かされていた。あの当時、検非違使はまだ裏の省庁だった。
分からないことだらけだ。
「あのぅ、ザワニスツってなんなんですか?」
ふと、弓子は誰にともなくそう尋ねた。
白鑞金が声をひそめたということは、本来なら話題にすべきではないということなのだろうが。しかしなにも知らずに後手に回るのはもうイヤだった。もし聞いてはいけないことなら、そう言ってくれるはずだ。
運転中の犬吠埼は無言であったが、後部座席から白鑞金が答えてくれた。
「資本家、政治家、宗教家、そういった連中のサロンのひとつ、とでも言うのかねぇ。先日逮捕された春日次郎やら、死んだことになってる黒羽アヤメやらがいるでしょ? ああいうのが集まって、利権で荒稼ぎしようとしてるの」
「アヤメさん、死んでなかったんですか?」
「うん。生きてる。けど計画が失敗して、出るに出られない状態みたいよ。歳も歳だし、そのうちポックリ逝くんじゃないの」
弓子は首をかしげた。
「計画って?」
「報告書に書いてあったでしょ? 読んでないの?」
「よ、読みましたけど、内容が難しくて……」
「そういうときは、すぐ犬吠埼くんに聞きなさいよ」
「はい」
弓子がしょんぼり返事をすると、白鑞金は溜め息混じりにこう続けた。
「あのね、東京でザ・ワンを暴れさせて土地の値段を暴落させて、それを買い叩こうって計画だったの。で、そのあと東京以外を攻撃させて、値段が戻ったところで儲けようとしてたワケ。なのに買い占めた土地は安くなったまんま。ザ・ワンも表向きいなくなっちゃった。で、ジ・エンド」
近ごろ黒羽がおとなしいのはこのためだ。
*
昼食をとり、十三時を待って事務所へ。
特課は特殊な装備品を扱う都合上、民間企業を間借りするわけにもいかず、ビル一棟をまるまる借りて活動していた。
「はぁ、俺も歳かなぁ。肉を食うのも厳しくなってきた」
白鑞金は腹をさすりながら車を降りた。
今日は一段と顔が青白い。
犬吠崎も声をかけたりはしなかったものの、心配そうにその様子を見守っている。
昼は三人並んで牛丼を食べた。犬吠崎は大盛りを二杯、弓子は並盛りを一杯食べた。が、白鑞金は並盛りをほとんど残した。
エントランスで名前を告げると、すぐに通された。
こちらはハバキの質素な応接室とは違い、じつにゴージャスな調度品にまみれていた。厚手の絨毯、イタリア製のソファ、木目の美しいテーブル。本棚には鈍器のような本が隙間なく詰め込まれていた。
「ご用は?」
佐伯は挨拶もなく出迎えた。
まだ若い女だ。三十代前半だろうか。パンツスタイルのスーツに、ショートボブがよく似合っている。
白鑞金がタバコを取り出そうとすると、佐伯は「ここ禁煙です」と厳しくいさめた。
「これは失礼。えーとね、ちょっと世間話をね」
「ハバキさんから連絡来ましたよ。事務所に行ったんですって?」
「ずいぶん仲がよさそうじゃないの」
「業務上の付き合いよ。この件について、特に話すことはないわ」
とっとと帰れという態度も露骨だ。
犬吠崎が身を乗り出した。
「おい、なんだその言い方。師匠に失礼だろ」
これに佐伯もイラッとしたのが分かった。いちど呼吸をおいたものの、彼女は余裕のない態度でこう応じた。
「あなたたち、階級は? 尉官でしょ? こっちは佐官なの。失礼なのはどっち?」
「俺たちだ」
「分かったら少しは控えたら、犬吠埼さん」
「ぐっ……」
なにか因縁でもあるのか、ふたりは互いに仇敵でも見るような目になっていた。
白鑞金が咳払いをした。
「ま、お答えいただけないなら仕方ありませんね。別の手を使って調べるしかない」
「別の手? なに? 脅す気?」
「いやいや、そんな、脅すなんて。ただ、言ったほうが得になる状況を作るのも、我々の技術のひとつでして」
微笑を浮かべた白鑞金の言葉に、佐伯はにわかに青ざめていった。
「どんな手を使ってくる気か知らないけど、変なことしたらタダじゃおかないから。こっちだってプライドってものがあるんです」
「なんのプライドです? それはこの職を失っても保てるようなものなの?」
「待って、お願いだから、なんでも言うから」
これだけ取り乱すということは、裏でなにかをやっているということだ。白鑞金がその情報を掴んでいるかどうかはともかく。
佐伯は呼吸を繰り返し、なんとか気持ちを落ち着けた。
「ハバキさんとの取引よね? けど、そんなにたいしたことじゃないの。エーテル振動器を調整したいって言うから、その仲介をしただけで」
「振動器を?」
精霊に干渉するための装置だ。米軍のヘッドギアにも搭載されていた。
佐伯は身を乗り出した。
「用途までは聞いてないわ。まあその、たしかにオーダーは特殊だったけど……」
「特殊というのは?」
「だから、その、妖精だけでなく、人間にも対応できるようにして欲しいって……」
「さっきあなた、仲介と言いましたね? どこに出したんです?」
「機構よ。ウチにはそんな技術ないから」
この話が事実なら、アメリカは人間をコントロールする技術を有していない。もちろん検非違使にも黒羽にもはない。となると、機構だけが持っているということだ。しかし機構とハバキは妖精の件で対立しているから、直にオーダーすることはできない。それで佐伯を仲介人に使ったのだろう。なぜ佐伯なのかは不明だが。
白鑞金はスーツからタバコを取り出そうとし、思いとどまった。
「ほかは?」
「ハバキさんとはそれだけ。ホントよ? ただ、間を取り持ってあげただけなんだから。物資を横流ししてるわけでもないし……。ねっ? 今後の付き合いを円滑にするために、便宜をはかってあげただけなのよ。その程度、みんなもやってるじゃない」
「見返りはなんだったんです?」
「だ、だからそれは……」
手だけでなく、眼球までもがぶるぶる震えている。
ハバキと癒着している職員はちらほらいる。しかし決定的な証拠がない限り、特に問題とはならない。
白鑞金は小さく笑った。
「いえ、結構です。大変参考になりました。こちらとしては、協力的な情報提供者は大事にしようと考えてましてね。あなたの安全は、最大限確保するつもりでいます。いま言ったことがすべてであればね」
「……」
「今日、我々は世間話しかしていない。なので報告書にあなたの名前が載ることはないでしょう」
*
「なにやってんだよ、佐伯……」
帰りの車は、犬吠崎の運転も少々荒かった。
「知り合いだったんですか?」
「ちょっとな」
弓子の問いに答える口調も、露骨にうるさそうだ。
白鑞金がタバコに火をつけると、狭い車内に独特のにおいが満ちた。犬吠崎が少しだけ窓を開く。夏の熱気が入り込んできてしまうが仕方がない。
白鑞金は一服吸い付け、外に向かって紫煙を吐いた。
「あの子も、昔は俺らと同じヒラだったんだけどね。君のお父さんの後任人事で課長に昇進したんだ」
「えっ?」
父が課長であったことを、こんな世間話の流れで知ってしまった。ということは、佐伯は父の部下だったということだ。
「特課ってのは独特な立ち位置でね。俺たちの使う備品を一手に扱ってる。ウチはもともと技術力があるわけじゃないから、そういうのは外部に委託してるんだ。黒羽とか若葉とか、それこそ機構とかとね。特課はそういう連中との取引が多い。で、癒着も増える。ありふれた構図だけどね」
父もそれで機構と癒着したというわけだ。実際は正義感からそれをやったとかいう話だが、一円も金を受け取っていないはずがない。やはり不正を働いたのだ。
白鑞金は深く息を吐いた。
「とにかく、線はつながりつつある。アメリカの思惑に、ハバキが全面協力しているのは間違いない。特課も機構もただ利用されてるだけだね」
すると犬吠崎がハンドルを切りながら応じた。
「アメリカの目的と、そのためになにをやってるのか暴く必要がありますね。けど、これ以上は直接アメリカをつつくしかないような」
「もしくは取引の現場を押さえて、そこからぐいぐい介入していくか、だねぇ。そうは言っても、どこで取引していることやら」
「二班は? ハバキを追ってるなら、なにか掴んでるかも」
「アテになるの? 蛇から情報を買ったほうがマシじゃない? 問題は、経費で落ちるかってことだけど」
蛇は情報屋だ。質の高い情報を提供してくれるのだが、平気で何十万も請求してくる。ポケットマネーで気軽に使えるようなサービスではない。
信号が黄色になったので、犬吠崎はブレーキを踏んだ。
「また『予算がない』って言われるのがオチですよ」
「なるほど、金の問題ね……。ところで犬吠埼くん、お金の増える魔法があるんだけど」
「俺イヤですよ。どうせ競馬でしょ? 全然増えたことないじゃないですか」
「今度は来そうな気がするんだよなぁ」
「来たことないでしょ。いい加減、現実を受け入れましょうよ」
「イヤだねぇ、最近の若いのは夢がなくて……」
酒、タバコ、博打と、白鑞金はロクな大人ではなかった。のみならず、ヤクザだろうが同業者だろうが構わず仕掛ける。フラッシュバムとも陰でなにかコソコソやっている。怪しいと言えば怪しい人物なのだ。他人を脅している場合ではない。
(続く)




