外回り
翌日、一班は若葉技研を訪れた。
通されたのは白い応接室。テーブルを挟んでソファが置かれただけの、シンプルな四角い部屋だ。
しばらく待っていると、白衣の若葉一がボール箱を抱えて入ってきた。
「お待たせしました。ちょっとこれ見てもらえます?」
彼は挨拶もナシに、箱からヘッドギアを取り出して見せた。円形のフレームをベースに、謎のコードがいくつも伸びている。
目を細めていた白鑞金が、推理をあきらめて顔をあげた。
「これは?」
「共感能力を応用した制御装置です。黒羽の開発したコントローラーの個人版といったところですね。先日のスクリーマーは、これで操られていたと思われます」
「えっ? たしか爆発したって話だったけど……」
「ですので復元しました。もちろん完璧とは言えませんが、まあ、一通りの機能は再現できたのでは」
たったの数日で復旧したらしい。
若葉は制御装置のパーツを見せながら、こう続けた。
「ここがカメラになってます。四つのカメラで、三百六十度の映像を同時に取得できるようになってます。で、ここが精霊に干渉する振動器。三つもついてますね。かなり複雑な指示が出せると思いますよ。あとはバッテリーと、爆破装置と、情報を授受するための無線装置。無線は暗号化されてて、ウチじゃ解析できませんでしたけど」
しかし十分過ぎる成果だろう。
身を乗り出していた白鑞金は、どっとソファに背をあずけた。
「で、これがアメリカ製ってのは間違いないの?」
「はい」
やけにアッサリとした返事だ。
白鑞金は不安になったらしく、表情をやや渋くした。
「アメリカのせいだと思わせたい第三勢力の可能性は?」
「それは考えづらいですね。だってこの無線装置、かなり高度に暗号化されてるんですよ。そこらの地下組織がコピーできる代物じゃありません。仮にコピーだとすれば、それこそアメリカがわざとコピーさせてるとしか思えませんし」
「で、アメリカはこれを使ってなにをしようと?」
本来、それを考えるのは検非違使の仕事だ。しかし考えるために、ひとつでも多くの情報が欲しかった。
若葉は肩をすくめた。
「さあ。ただ、やろうと思えばなんでもできますよ。本来ならスクリーマーが興味を示さないはずの下着を、強制的に盗ませることもね」
「となると愉快犯ではなく、実技テストだった可能性があるってわけか……」
「例のコントローラーと違って、複雑な命令を出せる代わり、単体しかコントロールできないようです。あくまで現状ではね。ただこの振動器、かなり多様な用途に対応してるみたいで」
「用途? どんな用途なの?」
マッドサイエンティストというわけではないのだろうが、若葉も知的好奇心を抑えきれなかったのだろう。じつに愉快そうにこう応じた。
「その気になれば、人間もコントロールできるってことです」
「人間を……」
「ただし、普通の人間じゃあダメですよ。あくまで共感能力を有してることが条件です。そういえば下着ドロが起きたあの日、赤坂で能力者の立てこもり事件があったそうですね。彼も共感能力の所有者だったとか」
「……」
この状況だけを見れば、アメリカが極秘裏に、人間をコントロールする実験をおこなっていたと推測することもできる。
犬吠崎が眉をひそめた。
「これ、動いてるんだよな? もし無線で情報を送ってるなら、俺たちの会話も筒抜けなんじゃ……」
それは弓子も懸念していたことだ。
若葉は露骨に顔をしかめた。
「もちろん対策済みですよ。バッテリーはつながってませんし、この部屋だって電波を通さないようになってます」
*
ヘッドギアを持ち帰ることはできなかったが、情報を得ることはできた。
弓子たちがニューオーダーへ戻ると、源三が出迎えた。
「収穫はあったか?」
「アメリカで間違いないようです」
白鑞金は席につくなりタバコに火をつけた。メビウスだ。たびたび値上がりして白鑞金を怒らせている。
ややむせた白鑞金に、源三はマスクの下で顔をしかめたものの、あくまで本筋の話を進めた。
「こちらも動きがあった。米軍が妖精学会から深海を買い漁ってるって情報が入ってな」
「深海を? 彼ら、もっとハイになれるのいっぱい持ってるでしょうに」
「自分で使うためじゃないのかもな。いずれにせよ、直接の取引相手は学会だが、実際はハバキのビジネスと見て間違いない。この件はいま二班に追わせてる」
犬吠埼が野太い声をあげた。
「もしかして米軍は、能力者を増やすために深海を使ってるんじゃないんですか? たしか、ザ・ワンのウイルスと、大量のエーテルさえあれば、人は覚醒するんでしたよね? 深海はエーテルそのものだし」
「だが、連中が欲しがってるのは共感能力の保持者だけだぞ。なのに、そいつがどんな能力に覚醒するかは、やってみるまで分からない」
「ヘタな鉄砲もなんとやら、ってヤツなんじゃ」
「そのためには、片っ端から人間を捕まえてきて深海を投与する必要がある。しかもお目当ての共感能力が見つかるまで、何度も何度も繰り返さなくちゃならない。そんなことしてたら必ず情報が漏れるし、露見した瞬間、国際問題に発展する。いくらなんでも、そこまで無謀なことをしているとは思えん」
渡るには危なすぎる橋だ。
白鑞金が苦しそうに呼吸をしながらタバコを消した。
「ま、とりあえず、もう少し探ってみることにしますよ。なんにせよ情報が少なすぎる」
「大丈夫なのか?」
「はぁ。ま、全力は尽くしますよ」
キョトンとする白鑞金に、源三は射抜くような視線で畳み掛けた。
「そうじゃない。体だ。禁煙したほうがいいんじゃないのか?」
「いやぁ、はは、まあ、吸ってたほうが落ち着くもんで」
「こんなこと言いたくないが、健康管理も仕事のうちだからな」
「ええ、分かってますよ」
そう言いながらも、白鑞金は親に叱られた子供のように、ごまかすような表情になっていた。
源三が去ると、白鑞金も席を立ってどこかへ行った。フラッシュバムが入店したせいだ。
席には犬吠崎と弓子のふたりきりになった。
「犬吠埼さん」
「やめろ。その話はするな」
まだ用件を口にしていないにも関わらず、犬吠崎はそんなことを言い出した。
さすがの弓子もこんな理不尽な要求はのめない。
「その話じゃありません。白鑞金さんの体の話です。以前から調子が悪そうだなとは思ってましたけど……」
「だからその話はするなって言っただろ」
「言ってません。盗聴の話をするなとは言われましたけど」
「だから、体の話もするなってことだ。あんまりよくないのは師匠だって分かってるんだ。好きにさせてやれよ」
「……」
どう考えても、先の長くない人間に対する表現だ。余計に不安になる。
「深刻なんですか?」
「なにも答えんぞ」
「私たち、仲間じゃないんですか?」
「だからそういうことをだな……」
さすがに一理あると思ったのだろう。犬吠崎もそこで言いよどんだ。
弓子は攻撃の手をゆるめない。
「そうですか。いえ、言いたくないならいいんです。もしそうなら、私が不調でどうにかなりそうなときも、特に報告する必要はないってことですから」
「分かった。悪かった。教えるよ。だからそういうことを言うな。なんか、哀しくなるだろ」
「その哀しみを日常的に味わっている私の気持ち、分かります?」
「お、おう……」
本来なら弓子もこのような手は使いたくないのだが、こうでもしないと口を割らないのだから仕方がない。
犬吠崎は弱りきった表情でぼそぼそとつぶやいた。
「本人の前で絶対に言うなよ? 師匠な、肺を悪くしてるんだ」
「タバコ吸ってますけど……」
「分かってる。けど、しょうがないだろ。そういうものなんだから」
「寿命を縮めるだけだと思いますが」
「原因はタバコじゃない。むかしの仕事で……。いやまあ、俺だってやめるべきだとは思うぜ。何度も言った。けど、本人がやめないんだから、どうしようもないだろ」
この店内にも中毒者はいる。飲んだくれのシルバーイーグルもそうだ。仕事を受けるでもないのに店にやってきて、潰れるまで飲む。どこから金を得ているのかは分からない。
弓子は目を細めた。
「先に手を打っておかないと、必ず後悔することになりますよ」
「余計なお世話だ。分かってるんだよ、そんなことは。ただ、我慢させてもしょうがないだろ」
「治療は?」
「黒羽先生に診てもらってるが……。まあ、いずれにせよ、俺は師匠の好きにさせてやりたいと思ってる。分かったら君もあれこれ言うな。この話は終わりだ」
「……」
なにかの美学でもあるのか、それは弓子には分からない。カッコをつけて死ぬのは、本人にとってはいいだろう。しかし遺された人間についての配慮が完全に欠落している。
もし白鑞金が脱落すれば、一班はふたりだけになってしまう。これではアメリカの相手などできるわけがない。
*
翌朝、実行課メンバーが集まり、定例ミーティングが始まった。しかし新情報はない。現状を報告するだけのシンプルな内容だ。
「以上だ。なにかあるか?」
源三がシメようとしたところで、弓子はスッと手を挙げた。
「倉敷、言え」
「増員を提案します」
「……」
弓子の言葉に、全員が黙り込んだ。
おかしなことを言ったわけではない。以前から継続的に検討されていた内容だ。つまり提案などされずとも上は動いている。
源三もようやく我に返った。
「うむ。俺もそう思う。だが、かなり難航していてな」
「強く希望します」
「そうだろう、そうだろう。俺もそう思うぞ。だが、もう少し待ってくれ。俺も様々なルートを通じて、広く募集をかけているところだ」
なのに見つからないから弓子も焦っているわけである。
「もし私が候補を見つけたら、検討していただけますか?」
これには犬吠崎が難色を示した。
「倉敷くん、その辺にしておけ。課長だってベストを尽くしてるんだ」
この件に関する源三の感想はこうだ。
「いや、ベストを尽くしてるとは言い難い。だがこっちも手一杯でな。倉敷、お前、なにかアテはあるのか? そこまで言うならひとりかふたりは連れて来られるんだろうな」
「いえ、いまはひとりも」
もちろんノープランである。いても立ってもいられなくなり、ついせっついてしまっただけだ。
源三は盛大に溜め息をついた。
「俺をコケさせたいのか。ジョークをカマすなら業務時間外にしてくれ。問題の優先度を少しあげておくから、いまはそれで満足しろ。ほかに意見のあるものは? なければ解散とする」
一方的に打ち切られ、ミーティングは終了となった。
「倉敷くん、君、なかなか面白いことを言うね。いや、よかったよ」
普段はポーカーフェイスの白鑞金が、珍しくこにこにしながら言った。
「そんなに変でしょうか」
「変じゃない。この件に関しては、俺もずっと懸念してたんだ。どう考えても人手が足りてない。ま、上も分かっててこのザマなんだけどね……。それにしたってずいぶん後回しにされてるよ」
言いながらタバコに火をつけ、白鑞金は渋い表情で吸い付けた。犬吠崎から話を聞いたせいか分からないが、どこか苦しそうにも見える。
白鑞金はしかし愉快そうに目を細めた。
「本来ならああいうことは、俺みたいのが率先して言わないとダメなんだよね。なのに君に言わせちまうとはな。俺もヤキが回ったよ」
「いえ、差し出がましいマネをしました」
「いいのいいの。たったの六人でやれるような仕事じゃないんだから。いくら組合員で戦力を補えるって言ったって、事務仕事までやらせるわけにはいかないしねぇ。できることなら俺だって、人に仕事を任せてのんびりタバコでも吸ってたいよ」
「……」
タバコはやめたほうがいいと思います。そんな言葉が喉まで出かかった。しかしうまそうにタバコを吸っている白鑞金を見ると、とてもじゃないが口に出すことはできなかった。
弓子が黙り込んだのも気にせず、白鑞金はこう続けた。
「今日はちょっと外に出ない? 確認したいことがあるんだ」
これには犬吠崎が反応した。
「どこです?」
「白木さんとこ」
心当たりのない名前だ。
弓子が首をかしげていると、犬吠崎が声を震わせた。
「ハバキの組長に? なにしに行くんです?」
「なにって、お話しに行くんでしょ。いろいろ事情を知ってそうだからさ」
白鑞金は愉快そうに告げて、コーヒーをすすった。
(続く)




