オープン・ザ・ドア
現地には、すでに人だかりができていた。
犯人を警察が取り囲み、それを野次馬が取り囲み、それをさらに米軍の関係者が遠巻きに眺めているという状況だ。規定のラインを越えているからか、さすがに米軍も武器は手にしていない。
ともあれ、一班の輸送車は人垣に道をふさがれていた。
「車両通ります、道あけてください」
ドライバーがマイクにボソボソつぶやくと、拡声器から大きな声となって響き渡った。決定的瞬間をスマホで撮影するのに必死な野次馬たちは、渋々といった様子で道をあけた。
空にはすでに取材ヘリが来ていた。
現場に到着した弓子たちは、降車して非常線の内側へ入った。
八月下旬の東京は、うんざりするような暑さであった。時刻は十四時二分。やや西に傾いた太陽は、それでも無遠慮にギラついていた。
「犯人の要求は?」
白鑞金の質問に、現地の警官は顔をしかめた。
「いや、それがね、まったく意味不明で話になんない」
「薬物でもやってるの?」
「ありゃあそうとしか思えませんねぇ」
犯人はファストフード店に立てこもり、店員を人質にとっているらしかった。
グレネードを使えば、たしかに能力は封殺できる。これで相手はただの人間になるが、しかしただの人間が無害というわけではない。人質を傷つける可能性は十分にある。
これに対し、警察は、自分たちの仕事で犯人を刺激し、被害が拡大するのをおそれているようだった。つまりこれは、検非違使にその責を押し付けたいがための協力要請だったのだ。
「人質を解放し、おとなしく投降してくださぁーい。抵抗を続ければ、罪が重くなる可能性がありますよぉーっ」
警察官が拡声器で呼びかけた。
一昔前であれば、警察はもっと強圧的な物言いをしたのだろう。しかしいまや衆人環視である。口を滑らせれば記録がネットを駆け巡る。
そして義足にポニーテールにスーツに日本刀という弓子の姿もまた、録画の対象となった。彼らの好奇心には遠慮がない。
が、弓子は気にしない。機会さえあれば、記録されていようが無関係に対象を斬るつもりでいる。検非違使は逮捕などしない。出動した以上、やることはひとつだけだ。
この殺気に気づいたのか、警官も大慌てでフォローに入った。
「えーと、まずはウチで交渉を続けます。検非違使さんの出番は、いざ事が起きてからということで」
しかし悠長にしている暇はない。米軍が無線でしきりに連絡をとっている。
ふと、店内から怒声が響いた。
「ドア閉めろァ! ドア! オラァ!」
自動ドアである。犯人は女性店員を盾にし、ドア付近に立っているから、いつまでもドアが閉まらない。ほとんどギャグのような状態であった。
警官も困惑気味だ。
「あのね、それ自動ドアなんでね、もっと後ろにさがったらいいと思いますよ」
「そうじゃねェだろァ!」
犯人は刃物を手にしているから、能力者とかなんという以前に、ただの犯罪者である。かわいそうに店員は息を呑んで固まっている。
白鑞金はつぶやいた。
「警察が発砲したくないなら、こっちでやっても構いませんよ」
「いや、まだ待ってください。上でカメラ回ってるんですから」
「ウチは気にしませんけど」
「ウチは気にするんだよ!」
その警官はややキレ気味に向こうへ行ってしまい、聞こえよがしに「誰だ検非違使呼んだの!」と吐き捨てた。
しかし呼んだのは彼の上司だ。検非違使だってやむをえず出動したに過ぎない。
その間、犯人はずっと「ドア閉めろ」という要求ばかりを続けていた。このままではラチがあかない。
インカムに通信が来た。
『本部より一班へ。米軍が行動を開始したとの情報あり。詳細は分かり次第追って連絡します。以上』
通信課のオペレーターだ。専門職だけあって声がいい。
犬吠崎はやれやれと溜め息をついた。
「どうします? 俺たちの出番はなさそうですよ?」
「イヤだねぇ、こういうの。俺、そろそろタバコ吸いたくなってきたなぁ」
白鑞金は首をなでながら、そんなことをボヤいた。マイペースである。しかしたしかに、本部からは情報が入ってきただけで、ああしろこうしろと命令されたわけではない。現状を維持するしかない。
犯人はなおもいきり立ち、人質を押しながら店から出てきた。
「ドアだドアァ! 閉めろって言ってんだろがッ! 日本語理解できねーのかクソがァ! 俺がなにかしたのかボケェ!」
「落ち着いてくださぁーい。早まってもなにもいいことはありませんよぉーっ」
「オメーらがドア閉めねーから、こっちは頭がアレになりそうだっツってんのッ! なんで分かんねーんだよッ! 秒で理解しろクソがッ!」
「ドアというのは、どのドアのことですか?」
「だから、頭ン中の」
犯人がそう言いかけた途端、彼の眉間を銃弾が貫通した。アスファルトに落ちる刃物。崩れ落ちる犯人。転倒する人質。
弓子には、それらの光景がまるでスローモーションのように感じられた。
やや遅れて、遠方からターンと音がした。長距離狙撃だ。発砲音が着弾のあとに来る。
「確保! 確保!」
「担架だ!」
警官たちが大慌てで動き出した。
野次馬たちはどよめきながらもスマホを掲げ、警官たちはブルーシートで現場を覆い始めた。警察は完全に後手だ。おそらく米軍は、合意も得ずに一方的に発砲したと思われる。
白鑞金が痩せこけた顔をしかめた。
「見た? 顔の半分飛んじゃってたよ。イヤだねぇ」
「腕のいいスナイパーですね」
「彼ら、銃の扱いだけは得意だからね。けど対応が雑。もしかするとあの犯人、米軍の関係者かも」
「えっ?」
犬吠埼も目を丸くした。
「だってそうでしょ? いくら議事堂が近いったって、こんなの警察に任せとけばいいんだから。それを合意もなしに外から射殺なんて異常だよ」
「けどあの犯人、日本人にしか見えませんでしたよ」
「ラリってるのに日本語で怒鳴ってたからねぇ。ま、彼はおそらく日本人なんでしょ。それでも米軍となんらかの接触があったと見ていい。あくまで想像だけどね」
「ドアというのは?」
「彼、能力者なんでしょ? なにか見えてたんじゃないの?」
「じゃあ、薬物が原因ではないと?」
「分からないけど、その可能性も捨てきれない。ま、あとは鑑識の仕事だね。ちゃんと遺体が手に入れば、だけど」
*
後日、ニューオーダー。
出払っている二班をのぞき、課長と一班だけでの打ち合わせとなった。
「例の事件の続報だ。犯人の遺体は、米軍が横からぶん取っていったらしい。白鑞金の予想通りだったな」
源三はそう告げて、不満そうに腕組みした。
「ただし、犯人の能力については、おおよその見当がついた。警察がエーテル検知器を持ち込んでいてな。そのデータを黒羽先生が解析した。結果、おそらく共感能力じゃないかということだ」
これに白鑞金が首をひねった。
「共感能力? 妖精ってことですか?」
「いや、人間にも備わるんだそうだ。組合に杉下ってのがいるだろ。アレと同じだ」
「ああ、先生がマークしてた能力者の」
「あっちの世界とこっちの世界がリンクしてからというもの、地上のエーテル濃度は上がりっぱなしだ。年内には他界と同レベルに達するという報告もある。あの手の能力者は、これからも増え続けるぞ」
認知症の老婆が徘徊ついでに空を飛び始め、近所の子供たちから「フライング婆ちゃん」と呼称されている、というニュースがあったばかりだ。能力を使った傷害事件も後を絶たない。法整備が追いつかない状態だ。
犬吠崎が唸った。
「けど、ただの共感能力なら、なにも米軍が射殺しなくてもいいのでは? 危険な能力ってワケでもないでしょう」
「いいところに気づいたな。問題は、まさしくその点だ。犯人は、頭の中のドアがどうとか言っていたらしいな。その線から探ってくれ」
とはいえ、そんな小さな断片から、すぐになにかを探れるわけもない。調査には時間がかかる。
源三が去ると、一班はいつもと同じように、新聞を読んだり、雑誌を読んだり、ノートパソコンでトランプゲームをしたりと、じつに私的な業務に入った。いわゆる税金泥棒である。
ややすると、店内にフラッシュバムが現れた。白鑞金はタバコをもみ消し、新聞を置いてそちらへ向かった。まだ言葉も交わしていないのに、少し視線を合わせただけでこのありさまだ。
弓子は茶をすすり、溜め息まじりにこう提案した。
「盗聴しませんか?」
「……」
犬吠崎が、鼻の奥で奇妙な音を発した。噴き出しそうになったのだろう。
「倉敷くん、正気か? そんなことできるわけないだろ」
「けどあのふたり、怪しすぎます」
「バレたらどうするんだ? なにか大事な話かもしれないだろ」
「犬吠埼さんは知りたくないんですか? 師匠なんでしょう?」
「師匠ったって、博打の師匠だぞ。しかもロクに当たったことがねぇ」
「もしかして、違法な賭博ですか?」
弓子が眉をひそめると、犬吠崎はぶんぶんと手を降った。
「いやいや、公営ギャンブルだよ。競馬とか競艇とか、そういうのだ。社会福祉に貢献してるんだぜ」
博打でスっているだけなのだが、物は言いようである。
「おふたりのことは、仕事仲間として少なからず尊敬していたのですが……」
「だから違法じゃねぇって言ってるだろ。それに、違法がどうこう言うつもりなら、盗聴のほうが問題だぜ。こっちは間違いなく犯罪だからな」
「けどこれは業務上の……」
「犯罪だ。いいか、フラッシュバムの件は、俺もそれとなく探ってる。こないだふたりで飲みに行ったときだって……」
「私、呼ばれてません」
「君は飲まないだろ。それに、業務時間外だったしな」
「だからなんです? 私、そこまで付き合い悪いと思われてるんですか?」
「いや、だからさ……。とにかく、俺も探ってるから、あまり話をややこしくしないでくれ。くれぐれも慎重にな。師匠の前でも絶対に言うな」
「忖度しろってことですか?」
弓子の皮肉に、犬吠崎も開き直ったらしい。
「ああそうだ。忖度だ。椎名さんもいつも言ってるだろ。毎秒忖度しろって。まさにソレだ」
「忖度した結果、後悔するハメになるかもしれないのに」
「返事は『はい』だ」
「はい」
ふと、椎名がひとりで戻ってきた。冴えない表情なのはいつものことだが、今日は一段と疲れ切っていた。
「よう、お帰り。ハバキの件か?」
弓子の相手にうんざりしていたのだろう。犬吠崎は嬉々として椎名に話しかけた。
その椎名は元気がない。
「ただいま戻りました。いやぁ、聞いてくださいよ。酷いんですから。残酷物語ですよ」
「あとのふたりは?」
「メガネくんは課長のところに報告に行ってます。鵜飼くんは……まあ、かなりの精神的ショックを受けたというか……」
「交戦したのか? そもそもなんの件だったんだ?」
「それがね、野良スクリーマーが下着ドロしてるっていうんですよ。ありえます?」
スクリーマーというのは、白いワニに人間の手足をくっつけたような妖精だ。当然、人間の下着に興味を示したことはない。
のみならず、共感能力を操作できるコントローラーが開発されてからというもの、表向き野良スクリーマーはいなくなったはずであった。
犬吠埼も鼻で笑った。
「災難だったな」
「しかも実際いたんですよ」
「はあっ?」
「山ほどパンツ抱えてましたよ。足が早いから、街中追いかけ回すハメになって……」
「なんでパンツなんて欲しがるんだよ」
「いや、それが、遠隔操作されてたんですよ。頭になにか装置がつけられてて……。それで捕まえた瞬間、装置が爆発しやがって……」
「うへぇ」
凄惨な現場だったことだろう。
椎名も溜め息をついた。
「ちょうど鵜飼くんがタックルをカマした瞬間だったんですよね。あのスーツはもうダメだろうなぁ」
「災難だったな……」
返事をしたのは犬吠埼だったが、脇で聞いていた弓子も同じような気持ちであった。飛び散ったスクリーマーの肉片を浴びるなど、災難でしかない。
だが次の瞬間、椎名はにわかに神妙な表情を見せた。
「それでね、電波の発信源は特定できなかったんですが、装置を回収して若葉技研に持っていったんですよ。そしたら、米軍のものとおぼしきパーツが混じってて……」
「えっ?」
「それでメガネくんが、課長に相談しに行ってるところなんです。もしアメリカが関与してるなら、ヘタに動けませんからね」
アメリカが裏でなにかをしているのは間違いなさそうだ。
犬吠崎は深刻そうに眉をひそめた。
「しかしアメリカが、なぜパンツを……」
「いや、そっちじゃなく。重要なのは、連中がスクリーマーを使ってなにかしようとしてたってことでしょ」
「お、そっちか。たしかにな」
いつも週刊誌のセクシーグラビアばかりを熱心に眺めているから、そんな発想に至るのだろう。弓子はそうつっこんでやりたかったが、なんとか飲み込んだ。少しは忖度してやろうと思ったのだ。
茶をすすり、弓子はほっと息を吐いた。
ともかく相手はアメリカだ。
銃を持った相手に、刀で正面から挑むのは無謀である。もしやるなら背後に回るしかない。義足のバネを強くしてもらう必要がありそうだ。
(続く)




