三人のわけないでしょ
三郎の受難は、観ていたアニメが打ち切りになったことばかりではない。野良スクリーマーが街を徘徊するようになってからというもの、行きつけの弁当屋もどこかへ引っ越してしまった。ここのところ、いいニュースはひとつもなかった。
いまや木下とのデートだけが生きる糧だ。
デート当日、三郎は朝の六時に起きた。
世田谷にある、二階建てのボロアパートだ。わけあって六室すべてを借りている。
古びた和室には、アニメのDVDや雑誌が足の踏み場もないほど散乱しており、壁際にはゴミ袋が山と積まれていた。ゴミは、いちおうその場に転がしておくことはない。しかし三郎、燃えるゴミの日を把握していなかった。その日はいずれくる。だが、まだそのときではない。
冷蔵庫から取り出した牛乳をコップに注ぎ、三郎は一気に飲み干した。体に滋養が満ちる。
たまに下痢になる。しかしこれだけ早く起きたのだから、下痢になったとしても挽回できよう。キャサリンの設定した待ち合わせ時刻は午後十四時。あと八時間もある。
これからジョギングをし、腹痛に襲われてトイレにこもり、その後シャワーを浴びたとしても、まだ間に合う。早起きは三文の徳とはよく言ったものだ。
午後零時二分。
渋谷駅モヤイ像前。
予定通り下痢に襲われはしたものの、しかし余裕をもった行動により、かなり早めの到着となった。というより、早すぎる。あと二時間もある。
一月下旬という殺人的な寒さの中、これからニ時間近くも待たねばならない。幼少期を寒村で過ごし、ときには野宿すらした三郎とて、いちおうは人間である。風邪をひく可能性がある。
手近な喫茶店に入り、暖を取ることにした。
チェーン店だ。集まってゲームをしている少年たちや、スマホでケーキセットを撮影するもの、険しい顔でスマホをいじるサラリーマン、キャバ嬢らしき女、チンピラみたいな男など、様々な人間がいた。
三郎はホットドッグとコーラをオーダーし、席についた。
渋谷は人が多い。日曜の昼は、まだピークには早かったが、それでも三郎にとっては多すぎると思えた。
三郎の地元には、ほとんど人がいなかった。若い人間はほとんど出ていくから、まわりは老人だらけ。その老人たちも、集落同士の抗争でみんな死んでしまった。それを人に話したら、「二十一世紀にもなってそんなことあるわけない」と笑われたりもしたが、少なくとも三郎にとっては原風景だった。物静かだった父と、優しかった母と、そしていつも後ろについて来た妹が、むごたらしい死体となって目の前に並べられた。生き延びたのは三郎と姉だけだった。
「よう」
ふと、チンピラふうの男が近づいてきた。トレイを手にしている。
まさか、席からどけとでも言うのだろうか。
そいつはさも当然のように、三郎の正面の席に腰をおろした。
「まさか、ここで顔なじみに合うとは思わなかったぜ。こんなところでなにしてるんだ?」
三郎はいまいちピンとこなかったが、なんとなく推測はできた。
業界にはキラーズ・オーケストラとかいうチンピラの集団がいる。このチェーンをジャラジャラつけたガラの悪そうな金髪の男は、おそらくキラーズの構成員であろう。
「今日は仕事じゃない」
「分かってるよ。こっちも休みだ。毎日毎日スクリーマーの相手でうんざりだぜ」
この愚痴に、三郎は眉をひそめた。
「キラーズが? スクリーマーの仕事なんかやってたっけ?」
「いやいや、キラーズじゃねーよ。俺のこと忘れた? 検非違使の鵜飼だよ」
「鵜飼……?」
「鵜飼真彦! 二班の! まさかホントのホントに忘れられてんの? 一緒に仕事しただろ?」
泣きそうな顔になっている。
が、三郎、まったく記憶にない。検非違使の一班は精鋭だが、二班は二軍だから印象が薄かった。言われてみればチンピラみたいなメンバーがいたような気もするが。
「クソ、俺みたいな下っ端は、ランカーさまの眼中にねーってのかよ」
「そう気を悪くするなよ。他界だろ。おぼえたよ」
「鵜飼だよ! あんた絶対おぼえる気ねーだろ!? 厄日だぜ。犬のクソは踏むわ、女にはフラれるわ、エロサイトでウイルスに感染するわ……挙げ句の果てには他界呼ばわりだ」
「お前、クソを……」
「ちゃんと別の靴にしたよ! いいか、あれは事故だ。スクリーマーに追い詰められて路地裏に入ったらよ……。だからちゃんと始末しろっツーんだよな。俺はマナーのない一部の飼い主のせいで、心に傷を負ったんだからな」
「お、おう」
自分はこれから結婚するかもしれない相手とデートだというのに、ひとつもツイてないかわいそうなヤツがいる。三郎はそういう憐憫の情を禁じえなかった。
鵜飼は深い溜め息をついた。
「ま、人生には波があるからな。今日ツイてなかったぶん、あとでツキまくるはずだ」
「いや、ツイてないまま死ぬ可能性もあるだろ。このあとツキが回ってくるっていう根拠が、なにかあるのか?」
三郎の空気も読まない素朴な問いに、鵜飼はそれでもやや顔をしかめるだけで済ませた。三郎がこういうヤツだということは周知の事実だ。
「ねーよ。あくまで精神衛生上のおまじないだ。俺はあんたと違って強くねーからな」
「それは悪いことを聞いたな」
クソみたいな会話だが、三郎は席を立とうとはしなかった。なにせ二時間も潰さねばならないのだ。スマホをいじっていたら電池がもたない。話し相手が現れただけマシだ。
鵜飼はサンドイッチをかじり、ふと顔をあげた。
「六原さん、渋谷にはけっこう来んの?」
「いや」
「じゃあ誰かと待ち合わせ? まさかデートだったりしてな」
「ああ、そのデートってやつだ」
「いいじゃん。やっぱ人生は楽しくねーとな」
鵜飼は心からそう思っているようだった。ひとつも皮肉っぽいところがない。
三郎が普段仲良くするタイプではない。だが、こういう人種も悪くないのではないかと少し思えた。
鵜飼はすると、顔をしかめた。
「いや、デートなんだろ? なんでこんなとこにいんの? 女は?」
「あとニ時間ある」
「ニ時間!? え、それって、あまりにも楽しみすぎて早く来ちゃった的な?」
かなり引いている。
三郎は咳払いをし、なるべく平静をよそおいこう応じた。
「いや、ちょっと別の用事があってな」
「そ、そうか。まあそりゃそうだよな。二時間ってねーよ。けど、その用事ってのはいいのか?」
「もう済んだ」
「そう……。いや、いいんだ。ついでに用事をするってのは、まあ、妥当だしな……。あ、サンドイッチいっこ食う? あと口にケチャップついてる」
「おう……」
*
鵜飼は勢いよくサンドイッチを平らげ、二十分ほどで帰ってしまった。
それからの一時間強、三郎はひとりで辛抱強く過ごした。なぜだか心が乾いた気がした。
待ち合わせ場所には、木下とキャサリンが並んで立っていた。まだ予定の十分前だ。
「よ、よう。早かったな」
「こんにちは」
木下は黒縁メガネに厚手のダッフルコートという、地味さを絵に描いたような格好だった。継ぎ足された足は、もう完全に馴染んでいる。サイズにも違和感がない。
三郎もついかしこまった。
「こ、こんにちは。今日はよろしく」
するとキャサリンが口をへの字にした。
「クソ寒いから、とっととどこか入りましょう。できれば私、カレーが食べたいわ」
彼女は細身のトレンチコートからしなやかな生足を見せ、大きめのサングラスという、そこらのショーケースからマネキンが歩き出したような格好であった。
三郎は顔をしかめた。
「いや待て。なんであんたがいる? 今日は俺と木下さんのデートのはずだろう。まさか三人でヤるってんじゃないだろうな」
「三人のわけないでしょ。けどその話をする前に、まずは店に入りたいわ。このままじゃ凍死しちゃう」
「そんなカッコで来るからだ」
*
三郎はノープランで来たから、もちろん店など決めていない。ファミレスでもいいだろとタカをくくっていた。
しかしキャサリンの誘導で、「キャットリーヌ」なるバーへ来た。木造の内装の、落ち着いた雰囲気の店だ。夕日のようなランプが店内をあたたかく照らしている。
「私のオススメの店よ。まあ楽にして」
テーブル席へ案内された。
あまり広い店ではない。テーブルは全部でふたつ。あとはカウンター席があるだけ。早い時間だからか、ほかに客の姿はなかった。その代わり、数匹の猫が店内を闊歩している。
「素敵なお店ですね」
ダッフルコートを脱いだ木下は、おとなしめのすらりとしたニットだった。あまり主張しすぎていないところが彼女らしい。
だが三郎はやらかした。
レザージャケットを脱ぐ前から分かっていたことだが、下にはアニメ柄のシャツを着ていた。つい一番のお気に入りを着てきてしまった。「びょーどーちゃん」が「びょーどーチョップ」でクラスメイトを処刑している定番のシーンだ。
しかし木下は、気にしていないフリをしてくれている。
空気を読まないのはキャサリンだけだ。
「あんた、ジャケットの下それだけなの? 寒くないの? しかもアニメのシャツって。いい歳して恥ずかしくないの?」
「恥ずかしくない。それよりなんなんだこの店は。猫がいっぱいいるが、食材のつもりか?」
「小学校中退の無教養は言うことが違うわね。この猫ちゃんたちは癒やしを提供してくれてるの。食材なんかじゃないわ」
「ジョークに決まってんだろ。それに、教育の義務ってのは大人の側にあるんだからな。俺は被害者だ」
「いまからでも小学校行ったらいいじゃない。夜間の学校もあるんだから」
「まあその話はあとだ。いつになったらあんたが帰るのか、まずはそこから聞かせてくれ」
するとやってきた店員に「いつもの」とオーダーし、キャサリンはこう応じた。
「結論から言うわね。私は途中で帰る気はない。最後までいるわ」
「最後? 最後って、俺と木下さんが……」
「はあ? あんたバカなの? ザ・ワン並の知能しかないの? いい? いま非常事態なのよ。少なくとも正常な状態じゃない」
「いや意味が……」
「さっき三人じゃないって言ったでしょ? どういう意味か分かる?」
「あんたが帰るから、その後はふたりきりになるって意味だろ」
これにキャサリンは鼻で笑った。
「逆よ。さっきは四人だったの。意味分かる? ツケられてたのよ」
その瞬間、三郎は殺気立ち、戦闘モードに入った。どの方向から仕掛けられても殺れる。
思えば鵜飼と出くわしたときに気づいておくべきだった。
「まさか、検非違使が……」
「ぜんぜん違うわ。あなたのお姉さんよ」
「姉貴?」
「気付いてなかったの? お姉さん、ずっとあなたの背後にいたわよ」
「まさか……」
すると木下も、やや苦い表情で遠慮がちに挙手をした。
「モヤイ像の上にいたの、私も見ました」
「……」
姉。ナンバーズ・シックスこと六原一子。通称、躯喰み。殺した相手を食うことで知られる悪名高き女だ。
かつては墓をあさっていた一族だった。しかし現代の六原にそんな習慣はないし、三郎自身にもない。現役なのは姉だけである。一子は、殺害された両親や妹の死骸さえ食った。あのとき止めに入った三郎を、半殺しにしてまで食い続けた。異常な執念だった。
キャサリンは溜め息をついた。
「ま、とにかく、あなたのお姉さんは、弟のデートが気になって仕方ないんでしょ。けどこっちも、あんなのに計画を潰されちゃたまらないわ」
「計画?」
「機構を再編して神の子を奪う。あなたには、そのための主戦力となってもらうわ」
「おい、これはデートじゃなかったのか?」
責めるつもりはなかったのだが、三郎はつい木下へ目を向けてしまった。木下は怯えたようにちぢこまっている。
キャサリンはしかし平然とグラスの水をあおった。
「まあまあ、そう興奮しないで。今日は軽く挨拶ってことよ。気づいてないと思うけど、木下さんも機構の人間だから。まあスパイってほどじゃないけど。彼女と仲良くしたかったら、私の心象をよくしておいたほうがいいわよ」
「な、ズルいだろそれ……」
「機構とナンバーズは、これから利害が対立することになるわ。なのにナンバーズの監視を受けるなんて、バカみたいでしょ」
「俺にその話をするってことは……」
三郎が言葉を濁すと、キャサリンは片眉をつりあげた。
「もし現場で遭遇したら、殺してもらうことになるわね。気が進まない?」
「いや、金次第だ。ナンバーズが相手ならショボい額で受けるつもりはないけどな。ただし受けたら確実に殺る。たとえそいつが姉であったとしてもだ」
「あなたならそう言ってくれると信じてたわ。その調子でやってくれれば、全部終わったころにはランキングの頂点にいるでしょうね」
いつだってランキングのトップを目指していた。小学校も卒業しておらず、まともな会社に就職できない以上、ほかに目指すべきものがなかったからだ。金とランキングだけが自己の存在の証明だった。
だが三郎、ふっと鼻で笑った。
「まあそれはいい。俺がランキングの一位になるのは歴史の必然だからな。だがデートは仕切り直してくれ。あんた抜きでだ」
「断るわ。木下さんに直接交渉してもムダよ。絶対に私も参加するから。情報屋に金を払ってでも居場所を突き止めて現場に急行するわ」
「待て。本人の意思を確認したい。木下さんはどうなんだ? こんなのと一緒でいいのか?」
すると木下は、警戒したような表情を見せた。
「あの、でも、そちらもお姉さんが一緒なわけですし……」
「あいつ……」
姉を殺さねばならない。
これまで三郎は、ナンバーズを相手にする際、必ず高額な料金を請求してきた。デカい獲物を安い料金で殺すのは割に合わないからだ。しかし今回に限っては特別料金でもいい。このままではデートができない。
子孫を増やさなければ、六原一族は三郎の代で滅びてしまう。
(続く)




